第8話 ビー玉の中の精霊さん

 長きに亘り閉ざされ続けてきた扉が今――ゴォォオオオと地鳴りのような轟音を響かせ開いていく。


「よいっしょっと。……って、あれ? 誰もいないですね?」


 開かれた扉、その先に視線を向けたヨハネスは、だだっ広いだけの何もない空間を見つめては片時、呆然と室内を見渡す。


 真っ先に目に飛び込んできたものは、部屋の中央付近で宙に浮かぶ黒い球体。


「え……僕?」


 黒い球体の中心部には水面のように光る鏡面が嵌め込まれており、自分の姿を見上げるヨハネスが蒼い瞳を瞬かせる。


 驚愕というよりかは好奇心に誘われるまま、自分自身を見上げながら部屋の中央へ歩みを進める。


 しばらくはそれに興味を引かれたらしく、ヨハネスは様々な角度から自分の姿を何度も確認していた。


「あっ、そういえば泣き虫な悪魔はどこです?」


 思い出したように部屋の隅々に視線を走らせたヨハネスだが、室内にはやはり誰もいない。


 部屋の奥には古ぼけた台座が一台設置されており、異様な存在感を放つ剣が一本、鎖に繋がれた状態で放置されている。


 シンプルな黒を基調とした鞘には、所々黄金で意匠を凝らした面も窺えた。


 遠目からでも見てとれるほどの禍々しい何かを纏った剣に、ヨハネスの表情にも険しさがにじみ出る。本能で感じとってしまったのだろう。これは危険な代物だと。


『ゼハハハ、よく来たな小娘ッ!』

「っ!?」


 何処からともなく聞こえる邪悪な声に、ヨハネスは咄嗟に腰の長剣に手をかける。


「誰ですっ!? どこにいるですか!」


 腰を落として周囲を警戒しつつ、いつでも抜刀できるように構えをとる。


『あっ、もうバカっ! だからその笑い方やめろって言ってんのよ! あたしの天使ちゃんが怖がっちゃうじゃない。にしても……♡ 生で見たらさらに可愛いわっ!』

『貴様のその気色悪い発言のほうが余程問題すべきではないのかッ! 先ほどは危うく貴様の悍ましさに此奴が逃げ出してしまうところではなかったかァッ!?』

『演出よ、演出!』

『演出だァッ!?』

『そうよ! だって考えてもみなさいよ。アストライアの寵愛を受けるあたしが望めば誰からも愛されるようになってんのよ? そのあたしに背を向けて逃げだすなんてあり得ないわ!』

『現に此奴は逃げたではないかァッ!』

『だからそれが演出――恋の駆け引きなのよ。普通のやり方ではあたしの気を引けないと思ったんじゃない? だからああやって「もう知らないんだからっ! ぷんぷん」って感じであたしの気を引こうとする天使ちゃんの作戦だったと思うの! 恋にはそういうちょっとしたツンデレ? 的なギャップってすごく重要だと思うのよね。まっ、あんたには一生わからない乙女心よね』

『貴様の下劣で邪な考えなど永遠に知りたくもないわァッ!!』


 予定調和。

 いつも通りの言い争いが始まったかに思われたが、『『ん?』』二人はここ1000年、決して感じることのなかった第三者の視線に気がついた。


「なんですか、これっ!?」


 二人が言い争いをしている最中、ヨハネスは声が何処から聞こえてくるのかと耳をすませて意識を集中していた。


(まさか……剣? あそこからですか?)


 そんなバカなと思いながら恐る恐る剣に歩み寄ったヨハネスは、柄頭に嵌め込まれた赤黒い魔石を覗き込んでいた。


「なんですか、これっ!?」


 そしてわずか0.3秒前の驚嘆へと戻る。


 ヨハネスが覗き込む小さな魔石の中には、聞き覚えのある声音を発する男女の姿があった。


「どっ、どどどうやってこんなところに入ったですかっ!?」


 びっくりしすぎて腰が抜けてしまったヨハネスに、


『いやんっ、あたしとしたことが目と目が合った瞬間に、恋のアローで天使ちゃんを射ぬいてしまったわ!』


 鼻息の荒い勇者が相変わらず意味不明な発言を繰り返している。


 たわわに実った胸の前で手を組み、祈るような格好でお尻を突き出した勇者は、いまにも嬉ション寸前でしっぽを振り回す犬のごとく浮かれよう。だらしのない顔付きは、かつて彼女がまことに勇者と呼ばれていたのかと疑いたくなるほどである。


『貴様は少し黙っておれッ! 何事もはじめが肝心なのだ。このまぬけそうな小娘に、どちらが強者かをしっかり分からせねばなァッ!』


 対する魔王は筋骨粒々とした胸部を見せつけるように剛腕を組み、斜に構えた相好から鋭い眼光を少年に向けて威嚇。神話の時代ならばそれだけで失神者が続出したほどの、強大な魔王覇気が放たれている。


「なんだ、悪魔じゃなくて小人の精霊さんだったんですか」


 安堵のため息を吐き出して起き上がるヨハネスは、もう一度魔石を覗き込んで微笑んだ。

 小さな二人に安心したのか、剣を収めてクスクス笑っている。


『だっ、誰が小人の精霊だァッ! 無礼だぞ小娘ッ!!』

『うっさいっ! つーかあんた邪魔! あたしの天使ちゃんが見えないじゃない!』


 取っ組み合いになって頬をつねり合う二人を、ヨハネスは微笑ましくも見つめている。


『貴様ッ! 名は何という』


 気を取り直して咳払いをした魔王が尋ねる。


「ヨハネス・ランペルージュといいます。精霊さんたちのお名前はなんというのですか?」

『精霊さんではないッ! 俺は魔王フラム・ジェノバ! 世界を統べる闇の王だァッ!!』


 フラム・ジェノバと名乗った男は、黒髪から巨大な牛のような角を二本生やした大男。筋肉に自信があるらしく、上半身には衣の類いを一切纏っていない。


 しかし魔王と名乗るだけあり、身に付けている装飾品はどれも高価な金細工。きめ細やかな腰巻きも、こだわって作られたデザインであることは一目瞭然。


 等身サイズであったなら、きっと腕回りの太さだけでヨハネスの胴回りを優に越えるだろう。


『あたしはユイシス・レ・フイーユ、伝説の勇者よ! 今の時代だと、そうね! きっとお伽噺なんかであたしの名前を聞いたことあるんじゃないかしら? なんたって世界を救った勇者さまなんだから当然よね』


 ユイシス・レ・フイーユと名乗った女は、長身かつ抜群のプロポーションを誇っている。長く胸元まで伸びた金髪は、毛先にいくにつれ色素が濃くなるツートーンカラー。


 白を基調とした膝上丈のワンピースに、金刺繍が施された羽織は引きずるほど長く。ニーハイブーツとワンピースの隙間からは、ほどよく引き締まった太ももが顔を覗かせている。


 〝可愛い〟よりも〝美しい〟という表現が似合う絶世の美女。男女問わず、十人いれば十人が見惚れてしまうような美しさだ。


 その余りの美しさに、人は彼女のことを妖精の女王タイテーニアと称え呼んだほどだ。


「魔王フラムさんと勇者ユイシスさんですか?」

『ゼハハハ――そうだ、小娘ッ! 泣いて喜べェッ! 貴様には誉れある俺の部下になることを特別に認めてやるッ!!』

『ちょっと! なに勝手なこと言ってくれちゃってんのよ、このトンチキ魔王! この天使ちゃんはあたしが最初に見つけたんだから、あたしのモノに決まってるじゃない! 穢らわしい声で馴れ馴れしくあたしの天使ちゃんを呼ばないでよね。せっかくのキュートな耳の形が変形しちゃったらどうすんのよ!?』

『するかばかたれェッ! 貴様こそ俺の部下を厭らしい目で見るでないわァッ! 口を閉じろッ! 目を瞑れッ! 右回れ右ッ! 二度と俺の部下を視界に映すなァッ!!』


 1000年待ち続けてやっと訪れた来訪者だというのに、顔を合わせて口を開けばひどい罵り合い。

 これが魔王と勇者の宿命なのだろうか。


「うわぁー! 精霊さんオリジナル脚本による英雄譚ですね。すごいです!」


 パチパチと手を叩いて魔石の中の二人を覗き見るヨハネスは、とても楽しそうだった。


『へ……?』

『え……?』


 魔王に対して畏怖の念を抱くわけでもなく、勇者に対して敬服の念を抱くわけでもない少年に、違和感を覚える魔王と勇者。


 それどころか、二人は少年が何気なくいい放った言葉に敏感に反応していた。


『脚本っ!?』

『オリジナルッ!?』


 ひきつった顔と困惑の声が虚しくこだまする。


 何かがおかしい。

 そのことに気がついた二人は顔を見合わせて一つ頷き。どちらから言い出したわけでもなく、互いに言い争いを一時中断する。


 それからすぐに視界一面に広がる少年の顔をまじまじと見つめ、険しい表情を作り上げていく。


 先に口火を切ったのは魔王フラムだった。


『ヨハネスと言ったな。一つ聞くが、貴様は魔王フラムという名を聞いたことはあるかァ?』

「はい!」

『おおッ! やはり俺の思い過ごしであったかッ!』

「今はじめて聞きました!」


 ――ズコッ。


 魔王フラムはその場から一歩も動くことなく器用に盛大にズッコケた。


『ちょっと待ってよ!?』


 そこへ透かさず勇者ユイシスが参戦してくる。


『ならあたしはっ! 身を粉にしてこいつを、魔王を倒して世界を救った勇者の話は語り継がれているのよね!? 天使ちゃんはあたしの――ユイシス・レ・フイーユの英雄譚を聞いて育ったのよね?』

「なんです……それ? そんな英雄譚聞いたこともありませんよ」


 ポカーンと大口を開けて固まってしまった勇者ユイシスは、次の瞬間には絶叫していた。



『いやぁぁあああああああああああああああああああああああああああああっっ!?!?』



 ショックの余り口から魂が抜け落ちてしまっている。


『この俺を倒しただとッ!? 貴様堂々と嘘をつくな、このぺてん師がァッ!!』

『今はそんなことどうだっていいでしょ!』

『いいわけあるかァッ! 訂正しろ!』

『もうっ! 今はあんたに構ってる場合じゃないのよ! つーか触んないでよ変態っ!!』

『へっ、変態だとォッ!? それは貴様だろうがァッ!』


 パニックに陥る二人が掴み合いの喧嘩に発展。ヨハネスは劇の続きがはじまったようだと見入ってしまう。


「勇者VS魔王ですね。早速クライマックスでしょうか?」



『『違うっッ!!』』



 息ぴったりの二人に拍手喝采のヨハネス。

 それを見て、『なにがどうなってんのよ!?』喚き散らして泣き崩れる勇者ユイシス。


 魔王フラムもこの事態にはさすがに困ったようで、『う~ん……』と黙り込んでなにかを思案している。

 訝しむように爪の先で額を掻き、『ヨハネス!』少年の名を叫んだ。


「なんです?」

『貴様が知り得る限りの最古の魔王、その名を申してみよ』

「最古の魔王? 魔王はあとにも先にもセレスト・グラムだけじゃないんですか? 他にもいるんです?」

『セレストだとッ――!?!?』


 魔王フラムは頭の中がしびれて目の前の現実が受け入れられなかった。


 無理もない。


 ヨハネスが口にした魔王の名はフラムがよく知る人物、かつての部下なのだ。


『セレスト・グラムって……あんたの部下だった魔族よね? なにがどうなってんのよ。なんであいつが魔王になってんの? 意味が分からないわよ』

『セレストが魔王……では、人族ミムルに伝わる最古の勇者、その者の名は?』


 ごくりと喉を鳴らした魔王フラムが真剣な表情で問う。


 勇者ユイシスは『ちょっとなに訳のわからないこと聞いてんのよ!』嘆きつつも最悪が脳裏を過る。焦燥に胸が張り裂けそうになっていた。


『女神アストライアの祝福を受け、永遠の勇者さまになったのは後にも先にも一人だけです!』

『そうよ、その通りよ!』


 溜飲が下がり、胸をなで下ろした刹那――


「太陽の勇者――アテナ・デ・ハレゼナだけですよ!」


 目の前が真っ白に染まり、気が遠くなる。

 胸の中をすうと寂しいものが、一条の飛行雲のように通り過ぎた。


『アテナ……どうして、なんでぇ、あの娘が……勇者?』


 無限の牢獄のような暗闇に1000年、閉じ込められても耐え抜いてきた。

 自分は女神に愛された勇者なのだという誇りが、今日までユイシス・レ・フイーユを強くしてきた。


 いつかここから自由になれた際、お伽噺の勇者が泣いていたなんて知られたら子供たちをがっかりさせてしまう。


 だから耐え抜いてきた――が、違った。


 自分は歴史から消えた存在なのだと知らされてしまった。

 では、この1000年間は一体自分に取ってなんだったのだろう。


 なんでもない――ただの無である。


『バカみたい……』


 1000年目にしてこぼれ落ちた本音に、敵であるはずの魔王フラムも堪らず目を伏せた。


 1000年、なんだかんだ言い争ってきたものの、魔王フラムは勇者ユイシスを認めていたのだ。


 世界最強と自負する自分と唯一互角に渡り合った人間は彼女だけだった。


『勇者……』

『やめてぇっ! 同情なんて、あんたの哀れみなんてぇ……』


 歴史から消え失せたのは勇者ユイシスだけではない。魔王フラムとてそれは同じ。


 しかし、魔王フラムは驚いたものの、実はそれほど落ち込んでいなかった。

 それが二人の、人間と魔族の違いなのだ。


 〝誰かのために〟それが原動力となる人間に対し、魔族は常に自分至上主義。


『忘れたのならば再び、この俺の偉大さと恐怖を思い出させてくれるわァッ! ゼハハハ』


 と、憤怒に力を蓄えのが魔族。


 そもそも誰かに認めてもらいたくて、誉めてもらいたくて魔王を名乗っていたわけではない。


 魔王とは絶対的強者だけに与えられる称号だということを、魔王フラム自身が誰より理解している。


 ならばやはり、誰がなんと言おうと天上天下唯我独尊。魔王はこの世に唯一自分だけなのだと、魔王フラムが動じることはない。


 けれども、勇者という称号は違う。


 あれは認められるための、敬われるための称号であると同時に、世界から、女神から愛された唯一の人類に送られる至上の証。

 それを失った者は、ただ強いだけの人に過ぎない。


 人間、そんなものに価値など見出だせない。


 そこに価値を見出だせる者は、やはり強さこそがすべての弱肉強食の世界に生きる魔族だけなのだ。


『ゼハハハ――この俺が貴様ごとき下等なボンクラ勇者に同情だッ! 哀れみだァ!? 思い上がるのも大概にするのだな、この虫けらがァッ! 俺は配下ヨハネスとともに再び世を混沌に誘う闇の王だァ! そして、それを死ぬ気で阻みにきた奴だけをッ! 俺は勇者と呼ぶ!』

『っ!?』

『願わくば、1000年前の蹴りをそこで付けられたら、とは若干思っているがな』

『魔王……』


 頬を掻きながらユイシスを一瞥したフラムは、すぐさま明後日の方角に顔を背ける。


『ま、その前にここから出る方法を見つけるのが先ではないか? ただの人間――ユイシスよ』

『うっさいわね。好き勝手言ってくれてんじゃないわよ、ただの魔族の分際で』

『ゼハハハ――ただの魔族大いに結構ッ! 魔王とは何たるかを、すべての魔族の魂に再び刻み込んでくれるわァッ!!』


 快活に笑う顔には、誰にも譲ってはいない自信の色が表れていた。


『やってやろうじゃない! あんたが再び混沌の世界を築くってんならぁ、このあたし以外に誰がそれを止められるっていうのよ!』


 得意げに鼻を膨らます、圧倒的なドヤ顔。


(変わったお芝居ですね)


 ヨハネスは小さな石の中で繰り広げられる演劇に見入っていた。


『ヨハネスと言ったな。聞いての通りそういうことだ』


 暗闇を覗き込む蒼天のような瞳を見上げたフラムが、尊大にいい放つ。


『まずはこのふざけた空間から俺を解き放つのだッ! さすれば貴様の願いをなんでも一つだけ叶えてやろう。光栄に思うのだな』

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