第2話 独りぼっちの迷宮

「うぅんっ……?」


 意識が覚醒すると、ヨハネスは固くてわずかに熱を帯びた地面の上に横たわっていた。


「ヴァイオレット!」


 上体を起こすと同時に彼女の名前を力強く口にするヨハネスだが、反応はない。近くにヴァイオレットの姿は確認できなかった。

 どうやらはぐれてしまったようだ。


「痛っ……」


 落ちた際に不定型の粘液――スライムを踏み潰してしまっていたヨハネスは、奇跡的に一命を取り留めていた。が、強く頭を打ちつけたことには変わりなく、軽く脳震盪を引き起こしていた。


 目の前は白く霞み、目眩と吐き気で口元を押さえてしまう。


「気持ち悪い……です」


 壁を背もたれにしたヨハネスは、スライム塗れになった愛らしいダブルのフロックコートを脱いで懐中電灯をハーフパンツのポケットにしまい込み、少し気分が落ち着くのを待つことにした。


 幸いこの場所は真っ暗闇というわけではない。


 岩壁には輝石と呼ばれる魔素を含んで光る石が、壁や床や天井一面に埋まっており、青白く神秘的な光を昼夜を問わず瞬いている。


 輝石は周囲を仄かに照らし出す。それは同時にここが強力な魔素たまりであるということを示していた。


「落ちちゃいましたか、困りましたね」


 自分が落ちてきた穴を見上げて落胆するヨハネスは、穴の先が見えないことに深いため息を吐き出す。


「これはかなり厄介ですね」


 穴が空いている天井までの高さは約7メクト。

 ヨハネスの身長ではジャンプしたところで穴の入口にさえ手が届かないだろう。


 しかし、武器スキルを使えば話は別だ。

 リキャストタイムがある以上、一発で穴の反対側まで抜けなければならないという条件はあるものの、条件次第では戻ることも不可能ではない。


 問題はトンネルのような穴がどの程度の深さなのかということにある。


「本当に参ったです」と項垂れる少年。


 皇城の地下が迷宮になっているということは彼自身、幼い頃から聞かされていたことなのだが、まさかここまで深いとは予想していなかった。


「さてと、どっちらに行くですかね」


 ここが迷宮ならば、このままじっと助けを待っていても誰も来ない。

 なにより、ヨハネスはヴァイオレットのことが心配だった。


(僕なんかにヴァイオレットを助けられるのか分からないですが、それでも何もせずに居るなんてことはできないです)


 ヨハネスは周囲の岩壁に視線を巡らせると、怪訝に眉根を寄せる。


 輝石が均一に光を発していることに、底知れぬ不安を覚えはじめているのだ。

 それは言い換えるなら、それだけこの場に強い魔素が満ちているという証明でもある。


「魔素が濃いお陰で傷の治りも早いですが、これは早いところ出ないとかなりまずいです」


 濃い魔素は細胞を活性化させ、肉体の傷や疲労を通常の何倍もの速度で回復させる効果がある。


 だがその反面、魔素は強力な魔物を生み出す栄養にもなっている。


 現在ヨハネス・ランペルージュがいるこの迷宮は、さしずめ怪物の巣穴といったところだ。

 ヴァイオレットがいない以上、魔物と出くわしたなら自分で対処――戦闘を行わなければならない彼にとって、これは朗報とは言い難い。


 しかし、彼とて誇り高きエンヴリオン帝国の皇子。形はどうであれ、何れは軍を率いる立場にある。実戦経験はなくとも、アビル同様に幼い頃から鍛練を積んできた。


 剣の師範である剣聖マーベラス・グリッパーからは筋がいいと褒められたこともある。

 なにより皇城から逃げる際、ヴァイオレットが幾つかの魔具を彼に持たせてくれていた。


「役立ちそうなのは……。水のブレスレットと炎のブレスレット、それに魔弾ガンドですか」


 水のブレスレットと炎のブレスレットには特殊なエレメント魔鉱石が4つ埋め込まれており、そこに魔力を流すことで、厄介な術式や詠唱を必要とせずに魔法を行使することができる。


 魔鉱石に溜められた魔素を一度使えば、再び魔素が溜まるまでに通常4時間程かかってしまう。従って連続使用は4回までが限界である。


 すべて使ってしまった場合は、魔鉱石が色を失い使用者に一目でエネルギー切れを知らせる仕組みとなっている。

 再び全開するまでには最大で24時間を有してしまう。


「飲み水の確保などもありますから、なるべく水のブレスレットは戦闘では使いたくないですね」


 遠距離からの攻撃手段としては、やはり魔弾の使い勝手は頭一つ抜けているだろう。


 ヨハネスの右手人差し指に嵌められた指輪には、上部と左右に赤い魔鉱石が埋められている。


 連続使用回数は3回まで。

 一度使うと溜まるまでに8時間程時間を有するが、その分威力は申し分ない。


「あとは、この竜巻剣ですか……」


 少年は腰に提げた白銀の剣に視線を落とし、くもった表情を浮かべている。


(慌てていたとは言え、正直持ってくる剣を間違えてしまったです)


 剣士の力量は武器で変わるわけではないが、武器の性能によって戦況が一変するのもまた事実。特に地の利を生かした戦術を心がけるならば、状況に適した武器の選択は必須となる。


 その点で云えば、たしかに竜巻剣は地下迷宮には適さないだろう。

 理由は竜巻剣固有のスキルにある。


 武器にも魔具同様、魔法使い――魔具職人エンジニアが施した魔石が埋め込まれており、使用者は当然その力を引き出して戦闘を行う。


 竜巻剣の固有スキルはトルネード斬り。

 このスキルの特徴は、凄まじい刺突を繰り出すことにある。

 ターゲットに剣の切っ先を向けてロックし、体内に流れる魔力を魔石に流し込むことでスキルが発動する。


 これにより予め魔石にプログラムとして組み込まれていた動きを術者が自動オートで行うことになる。


 竜巻剣の場合なら、トルネードの如く回転しながら対象を貫くという具合に。

 飛翔距離は担い手の力量によって異なるが、少年の場合だと大体30メクト程だろうか。


 開けた前方に刺突する分には問題ないが、あまり距離がない真上や真横に……となるとかなり使い勝手の悪いスキルだと云える。


「咄嗟に近くにあった剣を掴んじゃいましたからね」


 けれど、泣き言ばかり言っていられる状況ではない。


 ヨハネスのために命懸けで戦闘を行ったヴァイオレットは第5皇子――アビル・ランペルージュに捕まってしまったと推測できた。

 彼女を救出するためにも、一刻も早くこの迷宮から脱出しなければならない。


 それに――


(兄上は母上を毒殺したとほのめかしました。僕は今一度アビルに会ってあれが真実だったのかどうかを確かめなければなりません。もしも本当に母上を殺害したのなら、僕は決して許しはしないです!)


「無理だと思いますが試しておきますか」


 ヨハネスは腰の竜巻剣を抜刀、真上の穴に剣を掲げる。


「穴の深さが30メクト以下ならヴァイオレットとはぐれた位置まで戻ることができるです。そこからならヴァイオレットの行方を追うことも可能なはずです」


 慎重に穴に狙いを定め、剣の切っ先を穴にロックする。


「スキル発動――トルネード斬り、です!」


 握ったグリップから体内に流れる魔力をガードの中央、魔石に流し込んでいく。すると赤銅色の粒子がブレイドを包み込むように光を放ちはじめる。さらにその輝きはヨハネスの周囲にまで広がっていく。


 このように魔素密度が濃いなかで魔力を一点に集中すると、稀に周囲に漂う魔素が引力のように引かれて反応することがある。



 これを覚醒魔狂――アラウザルハイという。



 強い魔力によって引き寄せられた魔素は、スキル使用者の体内に染み渡っていく。


 人によって体内に留めておける魔力最大限界値は異なる。魔素とはすなわち魔力の源であるからして、限界値を越える魔素を無意識に取り込んでしまえば、やがてオーバーヒートする。


 つまり覚醒魔狂アラウザルハイである。


「すごいです!」


 普段ならばヨハネスの飛翔距離は30メクト程が限界なのだが、覚醒魔狂アラウザルハイによって一時的に運動能力が爆発的に向上しているため、飛翔距離は普段の倍、60メクトは優に跳ぶ。


「あ……」


 しかしそれだけ跳んだにも関わらず、穴の向こう側に突き抜けることはない。

 あるいは連続でトルネード斬りを発動できたなら抜けることも可能だったかもしれないが、リキャストタイムがある以上それは不可能。


 武器の性能は様々だが、トルネード斬りは一度使うと3分間のリキャストタイムを必要とする。その間は武器スキルの使用が不可となる。


 そして膨れ上がった魔力を人は無意識のうちに吐き出そうとする。

 その度に、今のように通常ではあり得ない量の魔力を捻出してしまう。


 この才能の開花とも呼ぶべき現象は、一時的に肉体レベルを引き上げてくれるのだが、その分リバウンドが激しい。

 入りきらなくなった魔力を押し出そうとするあまり、押し出さなくていい魔力まで一緒に排出してしまうためだ。

 症状としては脱水症状に似ていたりする。


「うっ……ヤバいです。魔力が、調子に乗りすぎてしまったです」


 スキルを使用しただけでひどい脱力感に襲われる。これが覚醒魔狂アラウザルハイによるリバウンドである。


「魔素たまりって、こんなに嫌なものなんですか……?」


 人間を強くしてくれると同時に弱くもする。魔素たまりを好むのは大抵の場合魔物くらい。


 それが危険領域――魔素たまりである。


 だが、失った魔力も魔素たまりここでならばすぐに回復してしまうのもまた事実。


「それにしても、今ので抜けなかったとなると、これは相当深くまで落ちてしまったようですね」


 少年はどっと疲れたように肩を落とし、項垂れるように首を折った。



「どうやら歩くしかないようですね」

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