第7皇子は勇者と魔王が封印された剣を手に、世界皇帝を目指します!

🎈パンサー葉月🎈

第1話 プロローグ 奈落の底

「はぁ……はぁ……どうしてこんなことになったです。なんでですかっ!?」

「殿下っ! 今だけは何も考えずに走って下さい!」


 暗がりの通路を傷だらけの少年と女が全速力で駆けいく。


 無惨にも引き裂かれてしまった美しい衣装は血が滲み、ミルク色の素肌が見え隠れしている。痛みをこらえるたびに少年の蒼い瞳が涙で潤んでいく。


 少年はどこか女性的で品のある顔立ちをしているが、歳はまだ12歳と幼く、その年頃の少女のように小柄で、麗しい金髪碧眼はまさに生きた妖精の如しと謳われたほどである。


 首から下げたペンダントには、翡翠の石に特殊な紋様が刻まれている。


 翡翠は「忍耐」「調和」「飛躍」を表す鉱物とされ、持つ者に大いなる叡智を授け、素晴らしい人徳を与えてくれると言い伝えられていた。


 そのことから、エンヴリオン帝国の皇子に授けられる皇位継承権、その証とされていた。


「逃がすなよ! 絶対に逃がすでないぞ!」


 耳をつんざく怒号と無数の足音が迫ってくる。松明と得物を掲げた男たちを従え、エンヴリオン帝国皇位継承順位第5位を有する――アビル・ランペルージュの魔の手が。


「母上……どうか御守り下さい」

「さあ、こちらです殿下っ」


 逃げる少年は、皇位継承順位第7位ヨハネス・ランペルージュ。

 少年の手を引く白銀の髪に金の瞳をした女は、従者ヴァイオレット。


「くくっ……どうやらここまでのようだな、ヨハネス」


 ヨハネスがアビルに命を狙われていると知ったヴァイオレットは、秘密の地下道から彼を逃がそうと懸命に努めた。

 しかし、相手も皇族。

 ついには行き止まりに追い込まれてしまう。


「どうしてこのような真似をするのですっ、兄上!」

「穢らわしい! あの女が生んだゴミが俺を兄などと呼ぶなァッ!!」


 腹違いの兄弟など、皇族では珍しくもない。

 むしろ皇帝が戯れで侍女を侍らし、その間に生を受けた彼が、皇帝継承順位第5位にいることこそが異例だと言えた。


 本来ならば皇城に足を踏み入れることさえ許されない。生まれてすぐに殺されていても不思議ではなかった。


 事実、アビルの母は彼を生んですぐに粛清された。


 彼も同じ道をたどるはずだったのだが、マリーヌ・ランペルージュ――後に第7皇子となるヨハネスの母がそれを止めた。


「なぜ母を悪く言うのです。母は兄上のことも愛していました!」

「黙れぇッ――!! この俺を哀れみの目で見たあの女だけはッ! 俺を見下すあの女だけは絶対に許さぬッ!!」


 黒髪を揺らしながら憎しみの炎を滾らせ吠えるアビルに、ヴァイオレットは諭すように声をかけた。


「マリーヌさまはそのような御方ではありません。誰であろうと常に平等であられた、立派な御方です。現に貴方のことをずっと気にかけておられた!」

「平等だと? あいつが俺に何と言った知っているか? あの女はぬけぬけと俺にこう言ったのだ。ヨハネスはいつか皇帝になる、その時にあの子を支えてあげてほしいとッ」


 苛立ちを露にしていたアビルは鬼の形相で叫んだ。



「馬鹿にするなぁぁああああああああああああああああああああああッ!!」



 ありとあらゆる感情を乗せた怒号を放つアビルは、皇子たちの中でも肩身の狭い思いをしてきた。そんな彼を支え続けてきたものが、皇帝という野心。


 たとえ兄弟たちに白眼視を向けられたとしても、彼には皇子としての矜持があった。


 俺は偉大なる皇帝の息子なのだと。


 皇帝は言った。

 皇帝に相応しきは生まれの順にあらず、相応しきは皇帝の器なのだと。


 本来ならば皇位継承順位は生まれによって運命付けられている。

 しかし、皇帝の座は尤も優秀な者に与えると宣言したのだ。

 アビルは心の底から歓喜し、神に、皇帝に感謝した。


 が――そんな折り、現皇位継承順位第7位ヨハネス・ランペルージュの母、マリーヌにお前は皇帝にはなれない。私の息子がなるから、お前はヨハネスに忠義を尽くせと言われてしまう。


 されど、それはアビルの勘違いである。


 マリーヌはこうも言った。

 貴方が皇帝になった暁には、きっとヨハネスが貴方の支えとなるでしょう。

 兄弟ともに力を合わしてより良い国を築いて下さい……と。


 けれど頭の中が真っ白になっていたアビルには、その言葉は届かなかった。


 次第に彼の中でマリーヌやヨハネスに対する憎悪が膨れ上がることは必然だった。それだけ彼にとって皇帝の座は絶対的なものだったのだ。


 だから――


「くくっ、惨めだったな、あの女の最期は」


 悪魔のように笑ったアビルが耳を疑う言葉を告げる。


「病死だったか? そんな訳なかろうがッ! アレは毒蜥蜴ポイズンリザードの毒で死んだのだ!」

「え……」


 一瞬何を言われたのか分からなくなってしまって固まるヨハネスに、アビルは目尻に涙を溜め込み大笑いする。


「はじめは食事に少しずつ気付かれぬように混ぜてやり、次第に毒が回って辛そうになってきたところに、これはとてもよく効く薬だと毒を差し出してやった。したら、あの馬鹿女は涙ながらに感謝しながら、疑うことも知らずに自ら大量の毒を飲んで死んでいった! とんだまぬけだったぞ。お前の母はなっ!!」

「そん……な」


 ヨハネスの顔面は蒼白になり、がちがちと歯の合わない音を響かせる。


「貴様ッ、なんということを……!?」


 怒りに顔を歪めたヴァイオレットは腰の長剣を抜刀、切っ先をアビルに突きつけた。




「たった一人でこの人数を相手にする気か? ククッ、愚かな。貴様は殺さず一生奴隷として飼い殺してくれるわァッ!」

「この外道がッ! 貴様だけは絶対に許さぬ!!」


 暗く狭い通路で幾度となく火花が飛び散る。

 凄まじい剣戟によって壁や地面には亀裂が生じる。


 ヴァイオレットは女性ながらヨハネスの近衛騎士として任命されるほどの剣の使い手だったが、狭い通路でヨハネスを庇いながら戦うにはあまりに不利であった。


「ぐっ……」


 多勢に無勢の戦況がヴァイオレットに焦りを覚えさせる。


「ククッ、どうしたヴァイオレット! 貴様の剣はこの程度かッ! それとも早く奴隷になりたくて剣に集中できないか? この変態めがァッ!!」


 アビルは強かった。

 彼に幼い頃から剣を教えてきた人物は英雄と称えられるスターク・ギャラバンなのだ。

 野心家のアビルが力を注いだのが剣術である。


 剛王と謳われた武勇で鳴る皇帝の背を追うように強さこそが皇帝への近道という信念を持ったアビルにとって、それは苦ではなかった。


「あっ……!?」


 それは刹那の油断だった。

 横槍を入れてきた男に注意が逸れたわずかな隙に、アビルがヨハネスの元まで駆け出していたのだ。


 大きく剣を横に構えながら突っ込んでくるアビル。それを間一髪後方に下がって回避するヨハネスだが、足がもつれて転倒してしまう。


「ヨハネス殿下!」


 切羽詰まったヴァイオレットの声とともに、軟弱ものがと罵るアビルの声音が降ってくる。


 悪意に染まるアビルから逃れるように、臀部を地面に擦り付けながら後ずさるヨハネス。

 アビルはゆっくりと剣に光を帯びさせ、間合いを詰めながら殺意を持って剣を振り下ろす。


「うっ……!?」


 顔をしかめたアビルの手元が狂う。

 剣はヨハネスの股の間を貫いていた。


 ヨハネスの首から下げた翡翠のペンダントが剣身の放った光を反射して、アビルの視界を焼いたのだ。


「へっ……?」


 しかし、安心したのも束の間。

 竜騎士必殺の一撃の如く地面を貫いたアビルの剣によって、地面には深々と亀裂が走り、あっという間に砕け散ってしまう。


 アビルはバックステップで難を逃れたが、ヨハネスは深い奈落へと落ちていく。



「でんかぁぁああああああああああああああああああああああああああっ!!」



 悲痛なヴァイオレットの叫びが狭い通路にこだまし、嘲笑うアビルの声がいつまでも響いていた。

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