第14話 小山内家4
自宅でこうしてDVDを鑑賞しながら酒を飲む時間こそ、長い人生の中で最たる至福と言っていい。しかも、だ。祥子さんからの報酬で懐はホクホクとしており、小さなテーブルに並ぶつまみと酒はいつもより奮発したものとなっている。
いま観ている映画は徹底した人間管理社会を敷いた未来世界モノだ。
罪の意識の有無さえ存在しない、絶対的な善をただ遂行して生きていくだけのつまらない世界。その中で主人公だけは罪という意識を持ち、善のためであれば殺人行為さえ容認されているルールに違和感と嫌悪感を持つ。そんな管理社会を潰すために世界に罪の意識、つまり悪である存在として善という巨悪に立ち向かう物語である。
この映画は何度も観ている。結末は決してハッピーエンドではないが、彼が残した、彼が築き上げた悪を悪として確立させるための悪人として、善の面を被った悪の屍を積み上げて行く様。そして次第に疲弊していく彼の精神。その過程を観ていてとても胸が締め上げられるような思いをする。
罪は罪。
罪を裁くは善の証明なのか。
罪を犯した人間を殺す。はたしてその行為は裁かれる罪に値するのだろうか。
だいぶ酔いが回ってきているようだ。室内はテレビの明かりだけが光源であり、周囲には飲み終わった酒缶が六本ほど転がっている。
――この部屋を見た東儀君はまた呆れられてしまうね。
だからといって酔いが回っている状況で部屋の片付けなんてできるはずもなく、そもそもする気も起きない。気付けばテレビ画面ではスタッフロールが流れている。楽しい映画鑑賞の時間はお開きとなる。
こんな状態では執筆活動なんてもちろんできるはずもない。だから鑑賞会前にある程度書き進めておいた。
――かといって眠れそうにもないんだよね。
夜風に当たってみようと家を出てみた。向かう場所なんて限られている。付近のファミレスもこの時間では明かりを消している。結局は日課となっている神社までの散歩コースを選ぶ。フラフラと千鳥足なんていう表現よりかは、ゾンビだ。そう、俺はいまゾンビなんだ。この世界の人間共を感染させて、みな仲良く踊ろうじゃないか。
気分高揚、妄想全開。アルコールに乗っ取られた思考に従って。
こんな時間帯に出歩く人なんてまずいない。ゾンビが怖いからだ。松戸市の事件も要因の一つではあるだろう。なによりこの外気の寒さと言ったらコンビニの買い出し以外で出歩く理由なんてまずない。ゾンビが怖いからだ。好き好んで出歩いているわけではないのだから、このまま帰宅してもいい気がしてきた。ゾンビも眠くなる。
――ああ、眠い。
気持ちは部屋の温もりを求めているはずなのに足はそのまま前へと運んでいる。それは俺がゾンビだからに違いない。
――我が輩はゾンビである。
電柱に頭をぶつけた。誰も見ていない。段々と醒めていく夢見心地と比例していくように現実的な思考が構築できるようになっていった。頭痛も吐き気しない最高のコンディション。暖気に包まれては思考も緩慢になるのだから多少の寒さは我慢してもいい。
――俺は……、人間だよ。
ゾンビなんかじゃないし、そもそもそんな生物はこの世に存在しないフィクションの住人だ。何が俺はゾンビ、だ。まさか口に出して言っていなかっただろうか。すべて心の中での発言であって欲しい。そうでなければ俺は怪しい人物じゃないか。いや、フラフラと歩いて電柱にぶつかっている時点で他人から見たら危ない人間だ。
意気消沈。現実恐怖。
完全に冷めた頭は、数時間前の久内刑事との通話を音声情報として脳内で再生していた。
「いや。村瀬牧人の所持品のなかには携帯は無かった」
徹底的に個人を特定させる品を持ち去ったということらしい。しかしどうして、俺の原稿用紙だけは残したのだろうか。罪人後六人というメッセージを残す手段として、と結論づけてしまえばそれまでではあるのだが、根拠のない直感がそれだけではないと訴える。
東儀さんは俺に対する挑戦状なんて言っていたが。
「降旗さん。そちらの情報というのにどれくらい積めば釣り合うのかは計れません。小出しで構いませんので提供願えませんか」
もっともな言い分だ。「わかりました。では、情報を三等分にしていきましょう」電話越しであるにもかかわらず頷いてしまった。
「これは見立て殺人である可能性が高いです。それも犯人が絞れてしまえそうな」
「見立て殺人……? いったい何に見立てて、いや、次は私が札を切る番だな。少なくても此方はあと二つの情報を開示しなければならないわけですね」
情報を三つに分けたのは相手から最低でも三つの情報を引き出させるため。
「村瀬牧人についてだ。プラーベートでも親しかった降旗さんも知らないかもしれない、彼のもう一つの顔について、でどうだろうか」
「俺の方もそれなりの情報を提供しなければなりませんね」
「その見立て殺人について願えますね?」
「ある地方では、かつて罪人の首を刎ねていた神職の家系があるそうです。
「なるほど……。確かに今回起きている事件と類似点が多いように思える」
受話口から聞こえた深く長い呼吸は震えていた。沈黙が続き、「久内刑事、次は其方の番ですよ」声を掛けると短く返事が返ってきた。
「村瀬牧人のもう一つの顔、でいいな」
「お願いします」
「関係が近しい貴方に話すのは少々気も引けるが、未成年の少女達を相手に何度も援助交際を持ちかけていたそうだ」
当然知らなかった。
人当たりが良く、異性に対して弱冠の苦手意識があるように見えた村瀬君がどうしてそういった行為をしていたのか。
――この辺りは久内刑事の口から知れるかな。
「六年前の話だ。彼を被疑者として身柄を拘束したようだが、証拠不十分で釈放されている」
「それはつまり、彼がそんな行為をしていた、という立証ができなかったわけですよね。それは罪でもなんでもない。彼がやっていないのなら、彼は罪人なんかではないでしょう」
「巧妙な手口で己の犯行の痕跡を消した、とは考えられないか?」
このとき違和感を抱いた。
「確かに少女達が証言したわけでもない。DNAも検出されたわけでもない。そもそも少女たちは全員亡くなっている」
――口封じに殺されたのか。
「被害者の少女たちは遺書を残して自殺している」
「その遺書に犯人が村瀬君とは書かれていなかった。書かれていたのなら釈放されるはずもないからね」
「遺族に宛てた謝罪文。筆跡鑑定からも本人であることが確認されている」
「じゃあどうして村瀬君だと疑うのか、その理由を教えて頂けますか」
「次は降旗さんだ」
三つ目の情報はやはり祭儀に関すること。
「今回の事件、村瀬君を含めて七人の人間が殺されます」
「どうして言い切れる?」
返却された原稿用紙の文章内で塗りつぶされていたことを説明した。
「すぐに警察へ報せるべきだったと思うが?」
「そうですね、そうするべきだったと思います。ですが、俺が報せて警察はこれを根拠に何か対策ができますか」
押し黙った久内刑事、「情報の一つ一つが繋がっていけば必ず犯人へと通じていく。そのためには一つでも判断や可能性の情報が多い方がいい。違うか?」抑揚のつかない声。
「今回の被害者について調べてみてください。もし本当に犯人が犯罪者を裁く……、ええ、正義の執行者を気取っているならば、次の被害者に繋がる何かがあるとは思えませんか」
「正義の執行者か。警察という組織に所属する者の立場から言わせてもらえば、俺達は上層部の人間というしがらみ……、お荷物を背負って捜査に臨まなければならない。役職が上がれば上がるほど汚職に塗れ、市民の声や助けに見向きもしなくなっていく。その点でのみ見れば、犯人の独善的犯罪は羨ましいと思える。刑事が言っていい台詞ではないがな」
「俺は何も聞いてませんので。また情報が集まったら交換しましょう」
「最後に一つだけ教えてくれるか。その神職の家系は何処の誰だ?」
このやりとりは三十分ほどだった。
祥子さんに提供してもらった情報はすべて警察に渡した。引き換えに警察の握っている情報を得られた。警察相手に取引を持ちかける日が来ようとは思ってもいなかった。一生を無縁でいる相手だと思っていたからだ。もちろん殺人事件なんて遠い世界のできごと程度にしか考えていなかった。
――まさか、村瀬君がそんなことをしていたとは。
だからどうした。彼と過ごした思い出は変わらないし、彼に対する想いも変わらない。犯罪歴があったからって編集者と作家という関係性にはまったく響かない。東儀さんだって話を聞いたところで、俺と同じように……、いや、俺以上に村瀬君の無実を訴えるに違いない。
「正義感の強い人ばっかりだな、俺の周りは」
鳥居の前で一礼する俺の背後で、「正義感の強い人って、沙穂?」軽やかであるも少し低い声。
ゆっくりと振り返るとレンタルビデオ店の書籍売り場で出会い、東儀さんとの繋がりから親しくなった藤井玲奈さん。彼女の灰色の虹彩が車のライトに照らさた瞬間、上目遣いに俺を見た。
「何してるのこんな時間に、危ないよ」
「人通りもある大通りに面しているから大丈夫だよ。それにここは神域、こんな場所で悪事を働こうなんて誰も思わないでしょ?」
「神域でも悪事を働く輩は働くよ。賽銭泥棒とか」
「罰当たりだよね。神社にとってお賽銭は貴重だというのに」
「それで藤井さんはなにをしているの、こんな時間にこんな場所で」
「待ち合わせって言ったら信じる?」
「彼氏?」
「普通はお友達って言わない? どうして彼氏だと思ったのかな、暇つぶしに一つ、その推理を聞かせてよ」
「補導されるよ。まあ、なんとなくかな」
「つまらないよ」
頬を膨らませて睨む藤井さん。
俺は両手を軽く挙げた。
「はぁ……、わかった。最たる理由は松戸市で起きている殺人事件かな。二人目の被害者は東儀さんや藤井さんが通う学校の女生徒。親ならば自分の娘が通う学校の生徒が殺されたら夜間外出なんて普通は許さないだろう。ここで同性の友達の線は断たれる。次に異性の友達という可能性だけど、俺の家に遊びに来たとき、藤井さんは異性の学校外で遊ぶ友達はいないと言っていたね。つまりこれで、同性異性の友人ではないことが証明されたことになる。家族はもっと簡単に否定できるよ。母方の祖父母と暮らしているんだよね。お孫さんが高校生ともなればそれなりに高齢のはず。深夜に高齢の人が外出するとも思えないし、理由も見当たらない。よって人目をはばかって会うのならば、恋人という可能性が高い、という結論に至った。以上が俺の推理だけど、満足してもらえた?」
「まるで探偵や警察みたいだ。SF作家からミステリー作家に鞍替えしたら、もしかしたら売れるかも?」
「ジャンル違いだよ。それと大きなお世話。俺にミステリーは書けないし、いま起こっている猟奇事件も解決できない、売れないSF作家が俺には相応だよ」
どこにツボったのか彼女は両手で口元を隠して笑う。つられて笑ってしまう俺に、「悪い子だから死ぬかもね、私」冗談にしては聞き流せない薄ら寒い口調は、俺の笑いを固まらせた。
「それは、どういう」
「約束があるからもう行くね。降旗先生、SFにミステリーを混ぜても面白いかも知れないよ」
クルリと身を返して行く彼女の足を止める言葉を思いつかなかった。
「あ、そうだ。今日ね、沙穂と遊んだんだ。とても楽しかったよ」
「いいんじゃないかな。身内でもない俺が言うのもあれだけど、東儀さんのことよろしくね」
「私の方がよろしくされてるかな。ううん、されるのかな」
――悪い子だから死ぬかも?
彼女が口にした言葉は自然といま起きている事件と結びつけられた。
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