第10話 アルディナの予言

 応接室を出た先の長い廊下には似たような部屋の扉がいくつもあり、そのどれもを素通りしてセシリアは宮殿の奥へとシェリルたちを連れて進んでいく。

 広い宮殿内にはシェリルたち以外、人の気配がしない。ここの管理をしているというセシリアは、普段も一人きりでいるのだろうか。彼女の足元で揺れる長い三つ編みを見つめながらそんなことを思っていると、不意にセシリアの足が止まった。

 目の前には真っ白な石で頑丈に作られた扉がある。今まで通り過ぎてきた部屋の扉とは明らかに造りが違う。白い石の扉には大きな三日月の紋様が刻まれていた。


「アルディナ様はこの地下の部屋で眠っているわ」


 そういったセシリアが腰帯に差した鍵束から銀色の鍵を選んで、白い扉の鍵穴に差し込んだ。

 がちゃり、と重い音が響く。ゆっくりと開け放たれた扉の中からひんやりとする空気が流れ出し、足元を撫でられたシェリルの体が少しだけびくりと震えた。


「ここから先は下りになるから、足元には気をつけてね」


 そう言ってセシリアが先頭にたって、長い螺旋階段をゆっくりと降り始めた。真っ暗だと思っていた扉の向こうはほのかに青白く光っており、灯りを持たずとも足元までがはっきりと見えるほどだ。

 螺旋階段の手すりには埃ひとつ積んでおらず、この部屋が久しぶりに開けられたという感じはしない。きっとセシリアが毎日掃除をしているのだろう。


 掃除をするセシリアの姿をぼんやりと想像していたシェリルの視界、その足元にふと一枚の白い羽根が落ちていることに気がついた。階段にも手すりにも、塵ひとつないのにめずらしい。若干の違和感さえ覚えて足を止めた瞬間、突然どこからともなく激しい爆発音が響き渡った。

 驚いて顔を上げると、そこは地下へ続く螺旋階段ではなく――シェリルはなぜか荒れ果てた荒野のど真ん中に立ち尽くしていた。


 体の芯にまで響く爆音。

 吹き上がる大地。

 散っていく白い羽根。


 シェリルの前には、闇色の衣を身に纏い、右手に見覚えのある剣を握りしめた男の後ろ姿がある。灰色の長い髪を揺らす男が手にしているのは魔剣フロスティアだ。

 風に煽られるマントから、彼の歩いた足跡から、すべての生命を無に帰する毒の瘴気があふれ出す。女神アルディナが愛し慈しんだ世界を、触れたそばからぼろぼろに壊していく。


『もうお前に、私の声は届かないのか』


 男の前に、ひとりの女が立っていた。

 足元にまで届く、緩やかに波打つ金髪を揺らして首を横に振る。女の手には三日月に六つの飾り鈴がついた銀色の杖がある。その杖を、シェリルはアルディナ神殿の女神像に見たことがあった。

 聖杖ルーテリーヴェだ。その一振りで多くの魔物を打ち払ったという、女神アルディナの武器だ。

 ならば今シェリルが目にしている女は、女神アルディナということか。


 目の前の光景に戸惑いつつも、シェリルにできることは何もなかった。身体を動かすことも、声を出すこともできない。ただアルディナと、闇を纏う男との対峙を離れたところで見つめるだけだ。


『お前と……殺し合わねばならぬのか。……ルシエル!』

『こいつにお前の声は届かぬ。我が孤独の底に引きずり込んでやったわ』


 灰色の髪の男――ルシエルが、幾重にもなった不快な声を響かせてアルディナを嘲る。地を這う不気味なその声を、シェリルはどこかで聞いたような気がした。


『女神の弟といっても所詮心は人間と同じだな。弱い。醜い。そんな人間に力を貸して何が悪い?』

『弟を侮辱することは許さぬ!』

『ほう。……では、やめなければどうするのだ? 殺すのか? 自分の弟を。――我を倒してもルシエルは戻らんぞ。こいつはもう我の一部だ。我が死ねばルシエルも死ぬ。どうだ? お前にそれができるのか?』


 ルシエルの持つ魔剣の赤い宝石がぬらりと光る。噴き出したばかりの鮮血の色。シェリルにとってつらい記憶を呼び起こすその色に、視界が赤く塗り潰されていく。


『創世の姉弟神。憐れだな』


 大きく振り上げられた魔剣フロスティアを最後に、シェリルの視界からアルディナもルシエルも、すべての景色が赤にかき消されていった。



 ***



 ハッと目を覚ました。

 いつの間にか螺旋階段を下り終えていて、シェリルは何もない冷たい空間に立ち尽くしていた。目の前にはカインとセシリアがいる。さっきまで見ていたアルディナとルシエル、そして荒れ果てた荒野もすべて消え失せていて、シェリルだけがその幻を体現するかのように冷や汗を噴き出させていた。


 向かい合うアルディナと、闇を纏う者――イヴェルスに支配されてしまったルシエル。あの光景は紛れもなく天地大戦の最中だった。ルシエルはこちらに背を向けていて顔は見えなかったが、発する声音は聞いた者の血を凍らせてしまうほどに熱がない。笑い声ですら、冷たかった。

 そしてその声を、シェリルは知っている気がする。


(ううん。そんなはずはない。だってルシエルは女神アルディナに倒されて、闇……イヴェルスは再び封印されたはず)


 宮殿に来る途中に見た砂漠。あれをカインはルシエルの墓だと言った。ならばルシエルはもうこの世には存在していないのだ。女神だってその時の戦いで力を使い果たし、眠りについているのだから。


 そう自分に言い聞かせて気持ちを落ち着かせると、シェリルは部屋の端にいるカインたちの元へ足早に駆け寄った。


「どうした? 少しぼーっとしてるぞ?」

「大丈夫。ちょっと緊張してるだけ」


 さっきの幻が本当にあったことなのかもわからない。余計なことで気を揉むよりも、今は目の前のアルディナに集中したいと、シェリルはさっきの幻については自分の胸にしまっておくことにした。


「アルディナ様が眠っているのは、この扉の奥よ」


 そう言ってセシリアが手を添えた白い壁には、シェリルの額の刻印と同じ三日月の紋様が刻まれていた。この地下室に続く扉に掘られていたものと同じだが、若干こちらの紋様の方が窪みが深い。まるでそこに何かをはめ込んでいたかのようだ。


「アルディナ様は、いつか自分を目覚めさせる存在……神の落し子を待ちながら、今も長い眠りについている」

「落し子を待つ? どういうことだ?」

「この三日月の窪みに文字が彫られているの、見える?」


 セシリアが指差した場所へ顔を近付けて見てみると、掠れかかった文字が確かに刻まれている。それはルーヴァの家にあった薬瓶に貼られたラベルと同じ書体だ。シェリルには読むことができなかったが、隣のカインは驚いたようにセレストブルーの瞳を大きく見開いていた。


「それじゃあ……女神は、こいつが来ることを予言していたっていうのか?」

「なんて書いてあるの?」

「あぁ、お前はこっちの文字は読めないんだったな」

「そこにはこう書かれているわ」


 カインの言葉を引き継いで、セシリアが壁に彫られた文字をなぞりながら読み始めた。まるで歌うように紡がれる言葉は、その音だけでシェリルを不思議な空気に包んでいく。セシリアの声と言うよりは、そこに彫られた文字の羅列が既に魔法の呪文の一種であるかのような、そんな感じだ。


「我が目覚めは落し子の目覚め。落し子が我が力を望むなら、我もまた落し子の力を望む。――つまりアルディナ様はここを訪れた落し子により目を覚ますと、私はそう解釈しているの。どうしてあなただったのか、どうして今だったのか、それはまだわからないけれど、シェリルがここへ来たからには女神の残した予言は成就されるのでしょう」


 一瞬だけ、しん……と辺りが静まり返った。

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