第7話 《7》悪役令嬢は興奮する

 ヒロイン……いえ、レティシャさんはクスクスと鈴が転がるような声で笑った。まるで全てお見通しだとでも言いたげな視線がやたらと私に突き刺さる。


 彼女は確かに私の事を“悪役令嬢”と呼び、そしてルークの事を“攻略対象者”と表現した。なぜヒロインがそんな言葉を知っているのか……。つまり、それは。


「ねぇ、どうやってルークを脅して手元に置いているのかは知りませんけどそろそろ解放してあげてくれませんか?」


「え」


 レティシャさんの言葉にハッと我に返る。脅してる?とはなんのことだろうか。


「あ、あの?誤解だわ……私はルークを脅してなんか」


「嘘よ、わたしには全てわかってるの!あなたが公爵令嬢の権力を使ってルークを脅してるんでしょ?でもルークが権力なんかに屈するはず無いんだけど……。  あ、もしかしてわたしの事を脅しの材料にしたのね?言うこと聞かないとルークの大切な愛する腹違いの妹を酷い目に遭わせるとか言ったんでしょう。それなら納得だわ。あぁ、可哀想なルーク……やっぱり悪役令嬢は所詮悪役なのよね。どうやっても改心なんかしないし、卑怯な事ばかりするんだわーーーーこの卑怯者」


 私は早口に捲し立てられたその言葉に反論する暇もなく詰め寄るレティシャさんによっていつの間にか壁際に追いやられていた。


 ……あれ?なんか、ヒロインってこんなに怖かったっけ?私を追い詰めようとしてくるヒロインは笑ってはいるがその目は全く笑っていない。瞬きもせずに見開いたままの深緑色の瞳にうつる私の顔は真っ青になっていた。


「いい?どんなに足掻いたってあなたは殺される運命なの。だからわたしの邪魔をしないでちょうだい。おとなしく死んでればいいのに、わたしから王子を奪っておいてさらにルークまで奪おうとするなんて本当にあつかましい人ね」


「……っ」


 そこまで聞いて確信する。彼女はこの世界が乙女ゲームの世界だと知っているのだと。だから、私が“悪役令嬢”で“死ぬ運命”にあった事を知っているし、ルークとは本当の兄妹ではないことや愛し合う運命……ルークルートの事も知っているのだろう。





 そう。それはつまり、ルークが私の側からいなくなり本来の正しい道筋に戻ってしまうということだ。




 それによく考えれば、ルークは私を殺しかけた罪を償うために従者になってくれているんだった。もし断れば死罪になるかもしれないと言われてなっているのだから、脅迫されてるようなものじゃないか。


 私はなんて愚かな悪役令嬢なのだろう。バグかもしれないとか言いながらルークが側にいてくれる事に浮かれてルークを脅迫して縛り付けていた事に気付かず目を逸らしていたなんて……。


「こうやってわたしが迎えに来てあげたんだから、早くルークを解放してくれません?そうすれば、わたしは優しいから今は見逃してあげる。まぁ、真実を知ったルークが後からあなたを暗殺するかもしれないけどそれは悪役令嬢の運命だから諦めてね?うふ」


 “それがルークの幸せなの”と、レティシャさんが形の良い唇の端を吊り上げた。




 ポロッと、ふいに涙が溢れた。泣こうと思ったわけじゃない。ただ、今までルークを追い詰めて苦しめていたのかと思うと申し訳なくて罪悪感でいっぱいになってしまったのだ。ドレスをリメイクしてくれたり、パーティーにエスコートしてくれたり、あんなヴァイオレットシチューまで食べてくれたルーク。いつも笑顔で側にいてくれたけれど、その内面はどれほど怒りと苦しみに満ち溢れていたのかと考えると胸が締め付けられてしまう。


「やだぁ、なに泣いてるの?もしかして殺されるのが怖いのかしら。んふ、でもあなたみたいな悪役令嬢が泣いたって醜いだけよ。同情を誘いたいなら、わたしくらい可愛くならなくーーーーんぎゃん?!」


 私の涙を見て、馬鹿にしたように嘲り笑ったレティシャさんがーーーー次の瞬間には目の前から消えていた。


「泣いてるの?御主人様」


 そしてレティシャさんの代わりになぜかルークがそこにいて、私の瞳から溢れた涙を指先で掬い取っていたのだ。


「……ルーク?いつの間に……」


「御主人様のピンチとなれば駆けつけるに決まってるよ」


 そんないつもの言葉といつもの笑顔に思わずキュン死にしそうになるが、今はときめいている場合ではないのだ。彼にヒロインが来ている事を伝えなくてはならない。


「あ、あのね。ルークに言わなきゃいけないことが……」


 ちゃんと言おう。そして謝るしかない。もう罪滅ぼしはしなくていいと。私の側からいなくなってもいいと。もし真実を知ったルークが本当に私を殺したいと思ったのならば精一杯の誠意を見せて謝って、そして……。出来れば死にたくないけど、ルークの側にいたいけど……。でも、ちゃんとしなきゃ……!


 すでに頭の中はめちゃくちゃで、脳内はあのヴァイオレットシチューがひっちゃかめっちゃかになっているかのようだ。なにから、どう言えば上手く伝わるのか……!


 えぇい、女は度胸!!




「ーーーー実は!ルークの運命の相手が殺したいくらい怒っててレティシャさんが脅迫してないけど脅迫したから私は殺されるって言うけどルークが幸せになるなら嫌だけど諦めるから嫌わないで欲しいの!!」


「……」


「……」




 ??????????



 自分で言っておいて訳がわからなくなった私は「うーん?」と小首を傾げた。するとルークは「そうか」と私の頬をひと撫でする。


「つまり、御主人様はそこのアホ女に脅迫されたんだね?ふむふむ、本当は殺したいくらい嫌いだけど可哀想だから嫌わないであげて欲しいと……。御主人様は優しいなぁ」


「へ?」


「でも心配しないで、御主人様。今のオレにとって大切なのは御主人様だけだから。ーーーーまぁ、御主人様にとって害になるなら駆除するだけだけど」

 

「えっ、た、大切?!」


 社交辞令だとしても嬉しすぎる事を言われて私の脳内はヴァイオレットシチューから一気にお花畑になってしまった。そのせいでルークが後半小声で呟いた声が聞き取れ無かったがもうそれどころじゃない。だって、大切って言われたのよ!例えそれが従者が主人の顔を立てて言っているのだとわかっていても嬉しすぎて血液が沸騰するくらい嬉しい!


「……ルーク、でも本当にやりたい事があるのならそっちを優先していいのよ?もう罪滅ぼしはじゅうぶんしてくれたし、従者を辞めたからってお咎めなんか無いし私がさせないわ。

 ルークには、その、運命の人がいて「ルークお兄様、わたしがその運命の相手よ!」レティシャさん?!」


 姿を消していたはずのレティシャさんがルークに抱きつこうと腕を伸ばしてくる。さっきまであんなにふんわり輝いていた髪がなぜかボロボロだ。


「んもう!ルークお兄様ったら恥ずかしがり屋さん!わたしがいて驚いたからっていきなり突き飛ばすなんて……。あ、もしかしてわたしがエメリアさんに虐められてると思って助けてくれたんですね?!確かにエメリアさんは怖かったけどわたしはお兄様を取り戻すためなら頑張れます!さぁ、お兄様!わたしと一緒に行きましょう?もうこんな権力や脅迫でお兄様の自由を奪う人なんかに無理矢理従う事はないですよ!こんな悪い人にはそのうち天罰が下りますから……んぶふぅっ?!」


 レティシャさんがまさにルークに飛び付こうとした瞬間。ルークの長い足が伸び、レティシャさんの顔面に靴底がめり込んだ。


 そして久々のヒロインを見たルークが首を傾げながらひと言呟いたのだ。


「ーーーー誰?」と。


「お、おにぃしゃま……わらしれす、レティシャ……」


「オレ、あんたなんか知らない。おーい、オレの妹が来たって聞いてたけど人違いだから追い出して!」

 

 ルークがそう言うと「はい、ルーク様」と、使用人たちがぞろぞろとやってきてあっという間にレティシャさんをロープでぐるぐる巻きにして捕獲しだした。


「ちょ、ちょっと?!わたしは希少な治癒師の妹で、国の宝となるルークの花嫁になる女なのよ!?こんな扱いしたら、王家だって黙ってないんだからね!「はい、これをお食べください」ぼふぅっ!!?」


 顔面に靴跡をくっきりつけたまま騒ぐレティシャさんの口に執事長がピンク色の物体を放り込む。ぼふん!と小さな爆発音が響き、口から煙を吐いたまま気絶したヒロインは屋敷の外へと運ばれていったのだが……。


「ちょっと、執事長さん?なんで御主人様の作ってくれたクッキーをあんな女に食べさせたんだよ。勿体ない」


「有効的に使ったつもりだったのですが……まだたくさん残ってますよ」


「後は全部オレのだから!」


 やっぱり私の作ったクッキーだった!!っていうか、もう食べちゃダメよ!あれはもはや殺人兵器な気がしてきたわ!


「あ、言っとくけどオレは御主人様の従者を辞める気なんかないからね。御主人様は御主人様なんだからさ」


「ルーク……あの、私の事を嫌ってたりとか……」


「そんなことあるはずないよ。オレの大切な御主人様」


 ちゅっ。と、ほんの一瞬、不意をつくように私の額にルークの唇が触れる。


「$#@%◇□○☆▽▷?!!!!!」


 まさかこの年齢になって、興奮しすぎて鼻血を流して倒れることになるなんて思いもしなかった。


 もはや思考は停止し、ヒロインとかどうでも良くなってしまったのだった。









 ***









「いやぁ、今日のルーク様凄かったな!」


「どれだけ揺すっても起きなかったのに、お嬢様がピンチです。って耳元で囁いただけで飛び起きて瞬時にお嬢様の元へ駆けつけたんだろう?」


「しかもあの騒いでた令嬢って、やっぱりルーク様の腹違いの妹なんかじゃなくて他人なんだってさ!」


「ルーク様は治癒師として有名だから、上手く騙せば金でも貰えると思ったんじゃないのか?なんか田舎の男爵令嬢らしいけど、馬鹿だよなぁ」


「旦那様が今日の騒ぎを知ってお怒りらしいぜ。こりゃ男爵家は終わりだな」


「なんせ、希少だと言われる国宝の治癒師を騙そうとした詐欺師だからなぁ」


「いや、そっちじゃなくて……どうやらその詐欺令嬢、エメリアお嬢様を泣かせたそうだぞ」


「え"っ?!そりゃダメだ……」


「貴族名鑑から名前が消えたな」


「ルーク様、ブチギレしてたからなぁ……」



 使用人たちは目を細めて空を見上げたが、同情するものは誰一人としていなかったそうな。

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