第89話 傭兵としての依頼(後編)

 入った途端、また身体が悲鳴を上げる。

 絶対に入ってはいけないと本能が言っていて、後ろに下がりそうになるのを理性で抑制する。

 身体中の水分がブクブクと泡を立て、血管が膨らみ、内臓が外に圧迫する。

 吐きそうになるのを我慢しながら、ギバはゆっくりと歩を進める。


 眠っているリラの方が危険だ。

 早いところ、実行しなければ。


 ギバはリラを抱えつつ、『交換の魔道具』を見た。


 あの時。シュントの捕縛から抜け出そうとした時。

 ギバの身体にリラの精神が通過した。

 彼女の精神がこの身体に馴染んだせいなのか。

 無機物である魔道具に精神が入る器がなかったのか。

 とにかく精神が入ろうと――集まろうとしたのには違いない。

 精神が安定を求めて、馴染んだもうひとつの身体を欲した。

 だがギバの身体には既に魂が入って、通り抜けただけで完全に入れない。


 それに。

 ギバは意識を失い、白い部屋にいた時のことを思い出す。

 シュントやエリーを追いかけようとして、誰かに捕まれた。

 それが誰だったのか。

 考えるまでもない。


 死にゆく自分を止めたのは間違いなく彼女だ。


「このまま死なれては恩も返せない」


 真空状態のここでは声が通るわけもない。

 喉を鳴らして骨が振動することで自分自身しか聞こえていない。


 意識が朦朧としてきた。もう時間もない。


「今こそ依頼を遂行しよう!」


 ギバは『交換の魔道具』に魔力を込めた。

 緑の光が輝いた。

 『蘇生の魔道具』といえど、魔力は回復しない。

 ギバの魔力はもうほとんどない出涸らし同然だ。

 だが、そんな少ない魔力でも『交換の魔道具』は起動した。


 たいして魔力が要らないのか、それとも、


「――――グッ!」


 精神の力によるものか。

 必死に魔道具を握り締め、貯蔵されている魔力を捻り出す。

 完全に空になるまでギバは魔力を入れ続けた。


 その途端、『交換の魔道具』の作用で魔力が入る感覚を得る。

 ハレーの魔力かリラの魔力か、どちらかわからない。

 空っぽの器に液体が一気に入るようにギバの身体は魔力に満たされた。


(ありがたい……!)


 ギバは更に魔力を『交換の魔道具』に入れようとした。

 魔道具研究の専門家ヒナタ・スプリングからするとこれは愚策だ。

 『交換の魔道具』を起動する魔力量はそんなに必要がない。

 込めた魔力量によって強くなる魔道具もあるが、『交換の魔道具』は魔力量に強さが比例することもなく、込めただけ負荷が掛かる。

 貯蔵できる魔力量も少なく、今ギバがやっているように大きな魔力を込め続けると、


 ――ピシッ!


 器は壊れる。ヒビが入る。

 だがギバは意に返さず握りしめた。


 精神が引っ張られる感覚はもちろんある。

 抜き出されたらどうなるかわからない。

 だが。


(私はどうなってもいい! だからリラを!)


 ギバは怯むことなくリラを戻すことに専念する。

 その甲斐はあった。


「――! リラか!?」


 ギバの身体を何かが通り過ぎる感覚。

 脳裏に、魂に、身体に、精神がリンクした。


 そして。


「――――!」


 魔力を込めすぎた魔道具は強く発光しギバとリラを包み始め、大きな振動と共に破裂した。


★★★


 環境の変化を感じる。

 止めようとする意志に逆らって、生存しようと肺が活動し勝手に息を吸い込んだ。


 自然と息ができることに驚いた。

 酸素が行き渡る。

 身体中に巻き起こった膨張も鳴りを潜め、正常な状態に戻りつつある。


 脳にも酸素が巡り、意識が明瞭になって理解した。

 

(あぁそうか)


 ハレーの活動は終わったのだ。

 魔力を使い切り、吸収され、ゼロになった。

 膜はなくなり、真空状態になっていた内部に空気がたちまち入ってくる。

 と同時に吐き出され上部に上がった塵や砂も重力に従って落ちてきていた。


 抱きかかえる少女を見る。

 息はしているが、目を瞑り寝ている様。


「……リラ……」


 静かに呼びかける。真空空間にいたせいか喉が掠れていて声が出しにくい。

 だが、呼びかけに反応しない。

 魂のない人形のようにピクリとも動かない。


 手には粉々に砕け散った『交換の魔道具』。

 もう魔力を込めたとしても起動することはないだろう。


「…………」


 そよ風が吹く。

 粉となった魔道具は風に煽られ優しく飛んでいく。

 それを止めるかのようにギバは拳を優しく握るが、既に遅く魔道具は霧散した。


 眉間の皺は深くなり悔しそうに目を瞑る。


(ダメだったか……)


 リラの身体には精神が入らなかった。

 魔道具は壊れ二度と元には戻せない。

 ギバを通ったリラの精神。

 それが意味するのはハレー本体にいるのではなくハレーの膜内部に精神が漂っていたことを意味する。

 その膜が無くなった今、リラの精神を留めるものは無くなり、世界に拡散してしまっただろう。


 後ろにいるヒナタ達もギバの背中を見て、全てを察したようだ。

 ワクは舌打ちをして土を蹴り、アイラは悔しそうに目を瞑り拳を握りしめた。

 ヒナタは下唇を噛み、土を見た。


 例え『交換の魔道具』が直ったとしても、拡散してしまった精神を戻すことは不可能だ。

 精神は見えず、彼女の意識がどこにあるのかわからない。

 まとまってすらもいないそれを捕まえる策もない。


 もうリラを戻す術は――。


「…………ん」

「!!」


 その時、微かにリラの身体に意思を感じた。


「……リラ……か?」


 恐る恐る聞いてみる。

 するとリラはゆっくりと目を開ける。

 瞳孔はまだ開き気味で、ぼんやりとしている。

 やがて焦点が合い見ている人物がギバだとわかると、弱々しく微笑んだ。


「ギバ……様……?」


 絶望に包まれた静寂なこの空間で大きく聞こえた嬉しい響き。

 ヒナタ達も顔を上げていた。


「ただいま……戻りました……よ」


 彼女の微笑にギバは目を丸くし、やがてゆっくりと微笑んだ。


「あぁ……リラのおかげだ。感謝する」


 ギバがそう言うと、リラは満足したように眠りについた。

 彼女を抱き上げると、ギバは立ち上がり『蘇生の魔道具』の陣に彼女を寝かせる。


 今回の一連の事件の功績者は間違いなくリラ・ブラウンだ。

 肉体的にはもちろん精神的にもかなり負担があったはずだ。

 今はゆっくり寝かせてやろう。


「おかえり、リラ」

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