第87話 元騎士団長の傭兵、光の先へ

 光が失った目を見て、ギバは顔を顰めて目を閉じた。


(ダメだったか……)


 遺体を静かに地面に寝かせ、瞳孔の開いた目を閉じさせる。

 ゆっくりと立ち上がり、リラを見る。

 ハレーが猛威を振るう中、彼女たちはここに向かっているはずだ。


 リラの精神がギバを通ったことで、リラ達の作戦もなんとなく把握した。

 それに砂煙の中、歩くリラ達の姿も肉眼で確認した。


 風が止んだ今、砂煙もないはずで、彼女たちが見えるはずだ。

 とにかくそこへ向かわなくては。


 ギバはそう考えて、リラがいる方へゆっくりと歩き出そうとした瞬間、


「――カッ……!」


 喉が音もなく鳴った。

 思わず首を抑え、崩れ落ちる。

 なんてことだ。

 どうして気が付かなかった。


 風が止んだということは、この空間ではどういう意味を持つのか。

 それを深く考えるべきだった。


 真空状態が完成したのだ。


(こんなにも早く……?)


 いや、早くなったのだ。

 リラの作戦のおかげでハレーの魔力が吸われた。そのことによりハレーの境界は狭くなった。

 内部の体積が減ったことで相対的に空気量も減る。吐き出す空気も減るということだ。


 リラ達の位置はもはや目視で確認できるほど。

 それほどハレーの膜は小さくなっている。

 ギバの想定以上に早くハレーは真空状態を作り出した。


 身体が熱くなる。血が沸騰しているみたいだ。

 刺された部分から熱い血が噴き出す。

 臓器が広がる。血管が膨張する。体内の気泡が破裂し、全身が痛む。

 汗すらも出ず、全身が乾いていく。


 漏れる酸素を抑えようと息を止めようとするが、それも不可能。

 抵抗する力も残っていないギバの身体では勝手に空気が身体中の穴と言う穴から漏れ出した。

 酸素欠乏と減圧により脳が酷く痛み出した。


 苦しみと痛みで座ることもままならず、ギバは倒れた。


(まるで毒だ)


 毒の魔道具の一種というのは言い得て妙だ。

 ただ真空にするだけで人間はこんなにも弱くなる。

 生身で対策することなど決してできなかった。


(ここ……まで……か……)


 ギバの見える景色はぼんやりとしていき、酸素が足りない脳は次第に働かなくなる。

 意識は落下し、自然と目は閉じていた。


★★★


 目を開く。


「…………」


 見えた世界は真っ白で、何もない空間だ。

 浮遊感があり地に足が着いている感じが全くしない。

 身体も思うように動かず、夢でも見ている気分だ。

 と、そこで直感した。


「あぁ……死んだのか」


 そうわかっても何故か焦りはなかった。

 それよりも肩の荷が下りて解放されたような気分で、心は不思議と和らいでいた。


 その時、背後に気配を感じた。

 振り向くと、白いロングのスカートでほっそりとした腕、ウェーブのかかった長い金髪の女性が優しい微笑みを浮かべて立っていた。


(あぁ……)

「久し……ぶりだな……エリー」

「…………」


 エリー・ホワイトは返事をせず黙ったまま。

 しかしそれは不快な沈黙ではない。むしろ心地良いものだった。

 懐かしい笑みにギバは嬉しさを感じるが、同時に後ろめたい気持ちもある。

 ギバは眉間に皺を寄せて、彼女を見る。


 彼女に対する大きな責任。罪悪。

 死んでしまった彼女に対してはもう罪を償うこともできない。

 死んでいる者に対して謝罪したところで、もはやそれは自己満足だ。

 今更、何を言ったって意味がないのだ。


 そう思って何を話そうか迷っていると、


「…………」


 エリーが静かに目の前に来た。

 悲しそうに眉を顰めて、笑みも少しぎこちない。

 いったい何を言うつもりなのか、と考えていると、


 ――ペチン。


 ギバの頬に向かってエリーは優しくはたいた。

 驚いて目をパチクリとさせ、エリーを見ていると、また優しそうな笑みに戻っていた。


 まるで、これで手を打ってあげる、許してあげよう、と言っているようで。

 しっかりしなさい、と叱咤されているようで。


 その思いやりに、優しさに、ギバはその手を握り噛み締めるように目を閉じた。


「すまない……すまなかった…………感謝する……」


 エリーはその言葉に首を振ると、優しく頬を叩いた手を下ろした。

 その仕草にギバは再びエリーを見る。


 目が合ったエリーはギバの後ろを指差した。

 振り返ると形のない真っ白な扉。

 なんだこれは、とエリーの方を向くと彼女の方にも同じ扉があった。

 違いがあるとすれば彼女の方だけには男が立っていた。

 黒髪で童顔。憑き物が落ちたように彼はあの頃の明るい笑みを浮かべていた。


 エリーは後ろを向いて、その青年の元へ近寄ると手を握って青年を困ったような笑みで見ると、またギバの方を振り向いた。

 そしてゆっくりと手を振ると、青年も合わせてお辞儀をして、扉の方へと歩いていく。


 待ってくれ。

 ギバは手を伸ばすが、その扉はどんどんと遠ざかる。

 まだ話したりないことがあるんだ。

 そう思うが、足が動かず。

 誰かに止められたかのように身体が動かない。

 真っ白の部屋は彼らの行った扉に合わせて長くなる。

 もう遥か向こう。追いかけることもできない。


 逆にギバの後ろの扉が近づいてきた。

 扉はギバの意思に関係なく彼を引きずり込む。


(私は……君達のことを……!)


 そう叫ぼうとするが、もはや口も動かなくなっていた。

 扉に入ると意識が遠ざかる。

 引っ張られる。

 次第に何も見えなくなり、ギバの意識はまた消えた。

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