第86話 黒髪の青年は愛を見る

 止まない風。むしろ吐き出す勢いは強まる一方だ。

 頭もじんじんと痛くなってきた。

 もう空気がなくなるのも時間の問題か。


 だが、ギバは立ち去ろうとしなかった。

 棘の拘束からやっとのことで抜け出し、魔力も尽き欠けていたのもあるのが、それよりも強い理由があった。

 無言でギバはもう一度跪くと、シュントの手首を握った。


「な……なにをしてるんですか?」


 戸惑いの声を上げる。

 ギバはもう片方の手でシュントの手で握られているハレーを取ろうとする。

 ハレーには指から出た棘が出ていて、そう簡単には外せない。

 ギバは棘に指を掛ける。触った感触はだいぶ柔らかい。

 おそらくシュントの魔力が尽き欠け、棘が脆くなっているのだろう。


「そんなことしても無駄ですよ! いったい何の目的があって……!」

「君を生かすためだ」

「はぁ?」


 ハレーをシュントの手から離し遠ざければ中心は移動する。

 攻撃範囲もそれだけ移動する。

 遠ざけた上で逆方向に逃げれば有効範囲外に出れるかもしれない、とギバは考えたのだ。

 自分と――そしてシュントが死なないために。

 なぜなら。


「君の犯した罪は計り知れない。数多くの窃盗。誘拐。殺人。そして王都テロ未遂。

 王都を混乱に貶め、未曾有の恐怖を与えた」


 人差し指の棘が千切れた。「やめてくださいよ」


「だがな、死なすわけにはいかない。勝手に死ぬことは許さない」


 中指の棘が千切れた。「やめろよ」


「法の下、正規の手続きを踏んで罰を受けなければならない」


 薬指の棘が千切れた。「やめろ」


「それが君に課された責任だ。そして六年前からの一連の事件に対する私の責任だ」


 小指の棘が千切れた。「やめろ」


「私の責任でもって君を捕まえ王都まで連れ帰る」


 親指の棘に指を掛ける。


「やめろやめろやめろやめろ!」

「――グッ!」


 全ての棘を外しハレーを取ろうとした瞬間、シュントは力尽くに腕を上げ地面に固定されていた棘を引きちぎった。

 ギバの肩を掴みそのまま押した。

 痛みや魔力切れによって踏ん張りが効かない。

 ギバは押されるままに崩れ倒れた。


「いい加減にしてくださいよ」


 背中から地面に突き刺さった棘はシュントの動きに合わせてバチバチと千切れていく。

 もはや拘束はなく、シュントはゆっくりと立ち上がる。

 魔力はほとんどなく、力も出ない。フラフラな状態でシュントは倒れたギバを見下すように立った。


「そんな責任の取り方されたって迷惑なんですよ……僕が死ぬ。それでいいじゃないですか」

「…………」

「あんたの背負う他の責任なんて僕にとっちゃどうでもいい。

 エリーのいない人生なんて、復讐もできない人生なんてもう無価値なんですよ。

 だからさ……死なせてくれよ……ギバ団長……」


 シュントの顔からは怒りとも悲しみとも言えない感情が見えた。

 エリーの死で苦しみ、元老院や騎士団の制度を恨んだ。

 全てを壊そうとしたが、それも夢半ば。ギバに止められた。

 思うようにいかなかった。

 六年間計画していたことが全て無に帰した。

 もう全てがどうでもよくなっているかのようだった。


「……それとも」


 シュントは何かに気が付いたように視線を上げた。


「僕があんたにとって殺したいほどの人間になれば、殺してくれますか?」

「!?」


 背筋が凍るような感覚に陥り、ギバは後ろを見た。

 そこには無表情のままこちらに歩いてくるリラと彼女を暴風から護るアイラとワクの姿が砂煙の隙間から見えた。

 まだこちらには気が付いていない様子。


 シュントは真っ直ぐに右手を上げた。


「あんたの背負っている責任を亡くせば、殺してくれますか?」

(まずい)


 ギバは懸命に立ち上がろうとする。

 シュントの手からは高速回転する棘がゆっくりと出てくる。

 疲労困憊状態にもかかわらず最後の魔力を振り絞って出来た脅威。

 その殺意とげはギバ以外に向こうとしていた。


「あんたが護る全てを消してやる!」

(間に合わない!)


 ギバもギバで疲労が重なっていた。力が入らず立ち上がるのも必死。

 射出される方が早いと思われたが、ギバは無我夢中に立ち両腕を伸ばそうとした。


 しかし――――――。


「ゴフッ!」


 『収納の魔道具』は体内を異空間と接続し、身体中どこからでも収納したものを取り出す魔道具だ。

 魔力は物を取り出す度に消費され、魔力の供給を止めると通常の身体に戻る。


 『棘の魔道具』による棘は『収納の魔道具』からずっと出していた。

 つまり取り出し中のまま保持されており、魔力は常時消費されていた。

 その状態で魔力の供給が切れるとどうなるか。


 異空間との接続は切れ、身体は元に戻る。

 取り出しは途中でも止めればすぐに異空間に収納されるはずだった。

 だが、正常な判断ができず痛みも麻痺していたシュントだ。


 ひねり出した魔力で無理矢理『収納の魔道具』から棘を出そうとした結果、『収納の魔道具』は身体全体ではなく一部しか――心臓しか異空間と接続しなかった。

 棘は手からではなく、心臓から。

 高速回転していることからズタズタに臓器を抉りながら、シュントの身体を貫いた。


「シュント君!?」


 魔力の供給は完全に停止し、射出される前に棘は消えた。

 身体に風穴が空き、ダラダラと口から血が出ていた。


 前のめりに倒れるシュントをギバは思わず支えた。


「シュント君! しっかりしろ!」

「ゴホッ…………ここまでか……」


 風穴に手をやり出てくる血を止めようとする。

 しかし血は止まることを知らず。ハレーの空気抜きもあいまって、血は上空へどんどん浮上していく。


「僕は……ここで死ぬのか……」

「もう喋るな!」

「……僕は……エリーに会えるかな」


 目は虚ろでうわ言のように呟く。


「それとも地獄かな……」

「…………」

「ギバ団長……」

「……なんだ?」


 虚ろな目のまま、シュントはギバを弱々しく見た。


「僕はあんたに……し――」


 何かを言いかけて、だが、シュントは大きく目を見開いた。


「あぁ。エリー……」


 ギバの後ろには何もいない。

 だが、そこに彼女がいるようにシュントは愛おしそうな顔をして涙を流す。


「ごめんよ……助けてやれなくて……ごめんよ……」


 背後の気配をギバも感じた。優しい笑みをしている気がする。


「復讐なんて……勝手にして……ごめんよ……僕は本当は……――!」


 横の肩からシュントに差し伸べる細く白い腕が見えて、ギバも目を見開いた。


「こんな僕でも……許してくれるのかい……一緒に行ってくれるのかい……。

 ありがとう。エリー。僕の……愛しの……」


 見開いたままシュントの目は深淵を帯びていき、心臓の鼓動は停止した。

 いつの間にか風はもう止んでいた。

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