第84話 少女の行進

「体調はどうだい?」

「少し怠く感じます」

「うん。順調に送られているね」

「空っぽにするまでこのままですか?」

「いや。それだと動けなくなるからもう少ししたら始めよう」


 ヒナタとリラで淡々と会話する。


 リラの手首には『送魔の魔道具』。

 手錠のような形だから囚われているようだ。

 もう片方の端には『蘇生の魔道具』が繋がっていた。

 手首の装着部分から魔力が漏れ出している感覚があり、身体は少しずつ気怠くなる。

 魔道具は順調に作動しているのだろう。


 アイラとワクは少し離れたところでそれを見守っていた。

 曰く、


「『交換の魔道具』の有効範囲は直径3メートル。

 それ以内に入ったら影響を受けるからなるべく離れて」


とのことだ。

 まだ準備中ではあるが、念のためとのことで離れることにした。

 ヒナタもすぐに離れる予定だ。『蘇生の魔道具』を持って少しずつ後ろに下がっている。

 それに合わせてジャラジャラと鎖が鳴る。

 鎖はかなり長い。

 『蘇生の魔道具』が起動したとしてもその陣が『交換の魔道具』の範囲内に侵入することはないだろう。


「おーい、リラちゃん」


 ワクの呼び声に振り向く。


「ハレーに入る前に言ってくれ。俺達も入るから」

「わかりました」


 魔力を吸うにはどうしてもハレーに入る必要があった。

 ハレーとの境界である膜はハレー自身の魔力を通さなかった。

 膜内部に侵入し、『交換の魔道具』を起動するしかない。

 内部は暴風。空気を抜くために勢いづき、あちこちで竜巻が起こっていた。

 リラに瓦礫や岩が当たったら作戦が頓挫する。

 そのためワクとアイラが一緒に入ることになった。


 布陣としては、リラを真ん中に置き、右をワク。左をアイラ。

 そしてハレーの外でヒナタが『蘇生の魔道具』を持つ。


 リラはゴクリと唾を飲んだ。

 冷や汗も出て、身体も強張った。

 あの暴風の中を入らなければならない。

 普通の女の子――しかも温室育ちの貴族の箱入り娘が経験したことのない脅威に塗れた環境だ。

 緊張してもおかしくない。


 リラは目を閉じて大きく鼻から空気を吸った。

 ヒナタは既に『送魔の魔道具』の長さ限界まで離れ、アイラとワクも位置についた。

 気持ちを落ち着かせ、目を見開く。


「入ります」


 リラは意を決して両手を膜に突っ込んだ。

 境界は何も感じない。抵抗もなくするりと侵入できた。

 罠が仕掛けてある部屋に入った感覚だ。

 あっさり侵入できるがその部屋からは出られず、隠れた脅威が待っている。

 実際は去るもの追わず来るもの拒まずのようだし、脅威は隠れているどころか顕になっているけど。


 そうやって内部を観察していると、脅威はすぐに来た。

 砂埃が舞い、暴風が吹き荒れている中で、岩がリラを拒否するようにぶつかってきたのだ。

 ハッと息を吸い、顔を背け目を閉じる。


 しかしその岩が来ることはなかった。


「リラちゃん! 無事か!?」


 ワクが叫ぶ。目を開けると、ワクが目の前に現れて岩を弾いたらしい。

 安堵の息を吐く。


「えぇ。大丈夫です!」

「リラ様、早いところ『交換の魔道具』を起動しましょう!」


 周囲を警戒しアイラがそう提案するのをリラは頷き持っている魔道具に魔力を込めた。

 『交換の魔道具』を起動するための魔力は相対的に少ない。

 少し込めるだけでこの魔道具は緑色の発光した。


 周囲の魔力が押し寄せてくる。

 身体の中にハレーの魔力が入ってきた。


「すごいよ! 膜が縮んでいく!」


 後ろから様子を見ていたヒナタがそう叫ぶ。

 振り返ると確かに少し膜の位置が変わっている。

 魔力が吸われている証拠だろう。


 しかし。


「チッ! クソ! 激しくなりやがった!」


 ワクが厳しい目つきで迫る岩や木々を弾く。

 アイラも歯を食いしばってリラに来ないように捌いていった。

 まるで自身を捕食する邪魔者リラを排除しようとしているみたいだ。

 次々に迫るそれらがリラには顕現したハレーの悪魔が攻撃しているかのように見えた。


「リラ様!」


 アイラが叫んで、リラは我に返る。少し身体が震えていて冷や汗もあったことに気が付いた。


「全て護ります! ですから気にせず作戦を!」


 勇気づけられる。ここには自分を守ってくれる頼もしい大人がいるのだ。

 ひとりぼっちで実行するわけではない。

 この人たちを信じて、自分のやるべきことをやろう。

 リラは頷き、一歩前へ進んだ。


「……!」


 進んでみてわかった。


(精神が引っ張られている!?)


 内側に入る程、精神が少しずつ抜けていくような感覚。

 『交換の魔道具』の有効範囲は3メートル。

 その中に当然、アイラもワクもいない。

 魔力と精神の交換が行われているようだ。


 尤も魔力を吸収する量の方が当然多いのだが。


「『蘇生』起動するよ!」


 後ろからヒナタがそう叫ぶ通り、『蘇生の魔道具』を起動するための魔力もあっという間に溜まったようだし。


 一歩一歩前に進むごとに。つまりハレー本体に近づくごとに精神が引っ張られる力も強まる。

 有効範囲内にはハレーの魔力しかない。

 だが、その魔力を通して本体に精神を送っているような感じだった。


「くっ!」


 全て引っ張られるわけにはいかない。

 精神が全て持っていかれれば、もはやこの身体は人形同然。

 作戦は失敗に終わるのだ。


(持っていかれてたまるもんですか!)


 一歩。一歩。前進する。

 眠気が来る。足がふらつく。

 意思が弱まる。


 逆にハレーの猛攻は本体に近づくほど強くなる。

 ワクもアイラも必死に護ってくれているが、時折、細かい石や枝が足元を撃つ。身体に掠る。


 けれどリラの歩みは止まらない。

 強い意思でハレーとの綱引きに応戦する。


「『蘇生』起動!」

「…………!!」


 ヒナタが『蘇生の魔道具』を起動した。

 膜の外側で蘇生の陣を展開するのがわかった。


 それと同時に魔力の吸収スピードも上がる。

 どんどんとハレーの魔力がリラに吸われていく。

 ハレーの抵抗も強まる。


 そして、精神を引っ張る力も。


(ダメです! まだ出ちゃダメ! 出ないで!)


 小さな足で大地を踏みしめる。蹴っていく。


(助けるんです! 彼にお礼を言わなきゃなんです)


 一歩。また一歩。身体を動かす。


(お父様の、お母様の本当の気持ちに気付かせていただいたんです)


 眠気が来る。魔力の欠乏も相まって全身が気怠い。

 だが、負けるわけにはいかない。


(自分の身勝手な行動を、ぶしつけなことを言ったことを謝らなければなんです!)


 精神の綱を引く力が強くなる。

 だがリラは負けじとその綱を食い止める。


(何も責任もないのに、何も罪をおかしていないのに、勝手に謝ってきたことに文句を言わなければなんです!)


 ハレーの膜は徐々に、また徐々に縮んでいく。

 リラの足取りは重い。だが歩みは止まらない。


(だから!)


 リラの目尻には涙が零れる。

 苦しそうな表情で歯を食いしばり、彼女の行進は続いていく。


「生きて帰ってもらわないと困るんです!」


 『交換の魔道具』の光がより一層強くなる。

 精神が――抜けていく。


(ダメ! まだ! お願いだから!)


 抜けていく精神。

 それはハレーの魔力に乗って本体に送られていく。


(ッ!!)


 送られた精神と身体に残った精神がリンクする。

 ハレー本体から見た映像が脳裏に焼き付いた。


(ギバ様!)


 棘が刺されぐったりしたギバの力ない姿。

 その様子を見た途端、リラは『交換の魔道具』をギュッと握りしめ、魔力を更に込めた。


(早く! もっと早く!)


 魔力の吸収は加速する。一気にリラの体内へ。

 それはつまり精神を引っ張る力も最大になるということ。


 映像は鮮明に。歩く目の前は朧げに。

 リラの精神はもはや身体には少ししかない。

 リラは力無い笑みを浮かべた。


(アイラ様……)

「!! リラ様!?」

(ワク様……)

「おい! リラちゃん!」

(ヒナタ様……)

「まさか! ダメだ! リラちゃん!」



(そしてギバ様……)



「…………」


(今までありがとうございました。

 ごめんなさい。どうかご無事で……)


 リラの精神はもうそこには――――。

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