04.『荘介』(4+1+5)

 雰囲気が運動部らしくないとか、「強豪に見えない」とか。周囲からは色々な事を言われるけれど。

 これでも、練習はかーなーり、厳しい。


「10分休憩ー! 水分とれよー!」

「ういーっす!」


 ディフェンスドリルというボールを使わない下半身強化のメニューを終えると、キャプテンであるイチがこの日最初のこの号令をかけた。

 それを受けて、俺ら部員達は一斉にボトルの置いてあるステージへとダッシュ。それぞれ自分のボトルを手に、出ただけの水分を一気に喉に流しいれる。


「なあなあシムラ。練習中のイチって、ちょっとトランス状態入ってるよな」


 今日もしんどいなあといつもの調子でステージによりかかっていると、中身が半分シャーベット化しているボトルをじゃかじゃかとかき回しながら悟郎が突然そんなことを言いだした。


「まーうちは監督が黙って見てる人だし……部長は伝統的にそうっていうか。Sっ気強いし」

「あ、確かに。練習中は似てるかも」

「誰に」

「先代。早坂部長だよ」


 麦茶のペットボトルを半分まで減らして視線をコートに彷徨わせると、イチは水分を補給しながら監督と次のメニューの打ち合わせをしていた。

 ホントに、綺麗な立ち姿。すげえなと、素直に思う。

 だって同じだけ走っているのに。俺らより、ずっと声出してるのに。一体何が違うんだろう。


「あ、終わった。イ……」

「おーい! 一木ー!」


 監督との話が終わるのを待って、ようやく声をかけようとしたその時

 一足先に、イチを呼ぶ声が体育館に響いた。


「お。噂をすれば影」


 悟郎の視線を追うと、そこには早坂部長の姿。

 いや、引退しているから、もう部長ではないけど。今日は俺ら二年の相手をするために「忙しい合間を縫って」わざわざ練習に来てくれている。


(忙しいという割に、しょっちゅう見かける気がするけど)


「いーちーき! イーチ!」


 距離がある上反対側のコートで女バスがシューティングをしているせいか、イチは中々反応しない。


「おいこら! 荘介!」


 思いつくかぎりの呼び方一通り。その最後に『名前』を呼ばれて、ようやくイチの足が止まった。


「忠犬!」


 その光景を見て、悟郎が大爆笑。


「何がだよ」


 俺らのすぐ側まで来ていたイチが、むっとした顔で悟郎を睨む。


「だってお前、名前呼ばれてようやく足止めるってどうよ……っ」

「それは……あんま名前呼ばれないから、耳について」

 確かに。


 イチを名前で呼ぶ奴は、いない……な。


「照れるなよ、荘介。お前のそういうわかりやすいところ、すげー好きよ俺」


 この人以外に、聞いたことない。


「……どうも」


 早坂部長に肩にのしかかられて、それでも払い除けようとしないのは。

 イチが部長に、本気で懐いてる証拠。

 練習中の二人が似ていると思うのも当然だろう。

 だってイチは、中学からずっとこの人に憧れている。こうなりたいと思えば、近づいていくのは当然だ。


「んでさ、お誘いなんだけど。今日夕飯付き合ってくんね? うち誰もいなくてさー。弁当買って食うのも一人じゃ味気なくて」

「はあ……いいですけど」

「お前らもどう? おごりじゃないけど」

「俺家遠いっすもん。帰り遅くなると明日朝しんどい」

「シムラは?」

「いきます。イチがいくなら」


 言い切った俺に、相変らずだな、と部長が笑う。

 イチはバツの悪そうな顔をしたけど、「来るな」とは言わなかったからセーフだ。


「……早坂部長、一個お願いがあるんですけど」


 イチも、早坂部長も、機嫌は悪くないとみた。

 なら今が攻め時だ。


「シムラ。部長はこっち」

「ええと、早坂先輩」


 すうっと息を吸い込んで


「よろしい。ナンデショウ」

「俺のこと『貴志』って呼んでくれません?」


 かねてからの「お願い」を

 出来るだけ後輩らしく可愛らしく伝えてみる。


「……え……何かやだ」

「なんで?! めいいっぱい可愛くお願いしたのに!」

「いや、改めて言われると普通にきもいし。自分よりでかい男に可愛くされても不気味なだけだろ」


 あ、だめだ。

 なんか間違えた。作戦ミス。


「何……お前どうしたのいきなり。大丈夫か頭」


 悟郎の目が、マジだ。

 マジで心配されると、流石の俺もしんどい。


「だって部長、イチのこと名前で呼ぶだろ? イチのこと名前で呼ぶの、部長だけだろ? なんか特別みたいじゃん。だから俺も名前で呼ばれたら特別っぽさ薄れるかなって」

「……なんかぐるぐる考えすぎてよくわかんないところに着地したって感じだな。回りくどすぎるだろそれ」

「悟郎に賛成。いっそ、荘介に名前で呼んでもらえよ。俺は無理。お前もうシムラがあだなだから」

「それは中二の時すでにお断りされました」

「……そうなのか、荘介」

「……あったっけそんなこと」

「あったよ! なんかキモイ、やだって言われた!」

「……お前どんな頼み方したの。俺にしたみたいに可愛くお願いしたのか?」

「いや、マジでマジにお願いしました」

「それはキモいよ」

「うん。それはマジでキモい」


 悟郎と部長、2人にソッコー否定されたけど。名前で呼んでくれ、って。真っ向からお願いするのは、そんなに悪い事なのかな。

 ……ああでも確かに。ヤナセに言われたら、ちょっと、だいぶ気持ちが悪い気がする。


「名前呼び……ねえ。うーん。確かに重要っちゃあ重要だけど。どう思う、『荘介』」

「え」

「呼んでみた。どう?」

「どうって……なんか恥ずい」

「って! 俺が反省してる隙になにやってんだよ悟郎!」


 さすが悟郎だ。

 これだからこいつは油断ならない。


「何って、名前呼んだだけだよ」


 しれっとしてるけど 

 その「しれっと」がタチが悪いんだ。ほんとに。


「イチは何その乙女な反応っ照れてるよね?!」

「乙女って……。ただ慣れないからさあ」


 けれど。その悟郎のおかげで、俺に思わぬ好機が訪れた。


「あーほら。シムラ、ごねない。こうすりゃいいじゃん」

「なんすか」

「お前がこいつを名前で呼ぶ。いいだろ、荘介」

「はあ……まあ、別に。どうでもいいですけど」

「ほら、お許しがでた」

「どうでもいいとか言ってますけど」

「許可だよ。立派な」


 俺が、イチを、名前で呼ぶ。

 ついにその時がやってきたのだ。


「……ええと、じゃあ。呼びます」


 イメージトレーニングはばっちりだ。

 イチの名前は、荘介。そうすけ。 

 あとはそれを、イメージ通り口にするだけ。


「そ……」

「……」


 だけ、なんだけど。

 なんでそんなに見るの? イチ。


「……」

「……」


 二人も。そんなに見るなよ。

 黙るなよ。なんか言えよ、なあ。


「……だああああっだめだ! 無理っ恥ずかしいっ照れる!」


 ああ、もう。

 俺、しね。


「あはははは! やべえこいつホンモノだ!」


 悟郎のこの日一番の大爆笑が、体育館中に響いた。


「……お前こそどこの乙女だよ」


 イチの視線、いつもの3倍くらい冷たい。


「歴史的瞬間の訪れを期待したのに。……荘介、お前あいつと二人きりで狭いとこはいるなよ」


 せんぱい。

 そのアドバイスは、ちょっと。


「……そろそろ休憩終わるな。オールコート2対2からだ。……悟郎、組もう」

「はい喜んでー」

「ええっちょっと! イチのパートナーは俺でしょ?!」

「今日はやだ。来るな」

「シムラ、俺組んでやろうか」

「部長はドSなパス寄越すからいやっす!」


 こうして俺は、自らチャンスを逃してしまったわけだけれど。

 いつか自然に呼べたらいいなって。その小さな夢は、捨てることなく大事に大事に心の中にしまった。


 別に、こだわってるわけじゃないけど。

 ちょっと、羨ましかったんだ。

 イチの『特別』であること。 

 その証が。


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