01. 花の蕾(1+2)

 授業合間の10分間休み。

 いつもなら誰よりも先に席を立ち一騒ぎを起こすヤナセが妙に静かで、静かだとそれはそれで気になるその姿を探して、教室をぐるりと見渡した。



「あ、いた」


 自分の席にかじりついて、一体何をしているのだろう。

 珍しいこともあるものだと正面から接近し、俯いたままびくともしない頭ごと見下ろす。


「ヤナセ、何してんの」

「覚えてんの」

「何を」

「円周率。部の奴らとショーブすんだよラーメンかけて。今は邪魔してくれるな、イチ。男には負けられない戦が」


 成程。円周率。その数字の羅列には見覚えがある。

 だけどなんで。何で今なんだろう。


「待て。お前次の授業何か知ってる?」

「えいご」

「の?」

「ライティング」

「うん。正解。なら、小テストあるっていうのは?」

「『小』テストだろ。大丈夫俺小せぇことには拘らないから」

「こだわれよそこは! お前定期テスト点足りないんだからさ!」


 負けられない男の勝負の前に、こいつはまず自分との戦いが先だろうに。

 進級を掛けた大勝負に巻き込まれ自分の勉強そっちのけで面倒を見されられたあの辛く厳しい一週間を、俺は絶対に忘れない。たとえ本人が忘れても。だ。


「イチー」

「は?!」


 いっそこの紙を破り捨ててやろうかという衝動に駆られたその時、不意に名前を呼ばれた。

 伸ばしかけていた手を慌てて引っ込めて表情を取り繕い、すぐ側まできていたクラスメイトの西の方に身体を向ける。


「何、どしたの」

「……いや、ごめんなんでもない」

「客だよ。丹羽さんが呼んでる」

「……丹羽?」


 意外な名前が出たな、とちらりとドアの方を見遣ると、確かに。そこには丹羽が、本当は来たくなかったんですよと言わんばかりのオーラを放ちながらがこちらを睨みつけるようにして立っていた。


「……いいよな男バス連中は。丹羽さんとお近づきになれて」


 驚いた。

 まだ丹羽の本性を知らない人間がいただなんて。


「……わざわざありがとう」


 いいよな外部の連中は。直接関わらなくてすんで。

 その言葉はさすがに飲み込み、西の横をすり抜け廊下へと向かった。



「イチ、お疲れ」

「なんだ。お前もいたのか」


 廊下に一歩出たところで、幼馴染のミツキが「よ」と小さく手を挙げて俺を迎えてくれた。呼び出し主の丹羽はいつも通り、ドアの影にいたのだと説明するミツキの横で揺ぎ無い「不機嫌」オーラを放出している。

 ミツキがいてくれたのは助かった。俺と丹羽の二人ではまともなコミュニケーションは取れない。


「あのね、今日の放課後練習のことなんだけど。なんか5時半まで第2体育館が使えないんだって」

「あーそうなんだ」

「だからそれまで女子は外練、男子は視聴覚室でミーティングだって……って。聞いてる?」


 けれどまるでそんな俺の「安堵」を読み取ったかのように

 丹羽の機嫌は秒刻みで下降しているようだった。


「……ごめん。丹羽がすげー俺睨んでるのが気になる」


 眼光の鋭さだけではない。

 何なら胸倉掴んでやりましょうかという無言のプレッシャーをびしびしと感じる。


 うちの部は、男女共そこそこ強い。

 そこそこというのはまあ、謙遜というやつで、この世界では強豪と呼ばれているチームだ。

 3年生が引退し、新しくキャプテンナンバーを背負うことになったのは、俺と、丹羽。

 男女が練習を共にすることないが、同じ学校の看板を抱えるもの同士、上手くやりたいし、やらなければならないのだけど。


「なんで私がわざわざあんたを訪ねなきゃなんないのよ」

「顧問に言えよそんなこと」


 丹羽の男嫌いは深刻だ。

 特にこいつの大好きな「三月佐保」の親しい幼馴染である俺は、蛇蝎の如く嫌われている。


「ストップストップ。なんで部内の伝令伝えに来ただけで喧嘩になるの」

「……一木見てると、条件反射で」

「意味のない喧嘩はしないで」

「……ごめん」

「うん。ほらイチも」

「え?」

「眉間にシワ」

「……条件反射」

「……ホント仲悪いよね、二人」


 誰のせいだよと言おうとして。やめた。

 別にミツキは悪くない。

 多分、丹羽も悪くはない。多分。

 そして勿論、俺だって。

 巡り合わせが悪かった。ただ、それだけの話だ。


「……用事終わり! 帰ろう、サホちゃん!」

「ハイハイ。じゃあね、イチ」

「ん」


 ミツキの手を引いてぐんぐんと進んでいく勇ましい後ろ姿を目で追うと、丹羽に沢山の視線が注がれているのがわかった。


「さすが丹羽ちゃん。目立つ目立つ」

「志村……お前見てたなら入れよ」

「やだよ。丹羽ちゃん、怖ぇもん」

「……気持ちはわかるけどさ」

「幾ら美人でも、あれじゃねえ」


 俺達は、丹羽の怒ったようなカオしか知らない。

 あの頬が自分のために綻べば、どんなに可愛いだろうかと

 思わず考えてしまうのだけれど


「同感」  


 俺がその笑顔を拝む日は、きっと永遠にこない。


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