藤高バスケ部午後1時15分

午後1時15分。

 男子バスケット部1年、崎谷星(さきやあかり)は、同じ部の小南(こみなみ)亮平をお供に自分達の部室へと向かっていた。


「ほんとに居るのかなー一木部長」

「教室にいない、シムラ先輩も知らない、監督も知らないならもう部室しかないだろ。鍵なかったし」


 校内中散々探し回ってようやく見えたゴールだ。その足取りは軽くあっという間に目的地に到着。鍵が開いていることを確認し、そっと、中の様子を窺いながらドアを開く。


「失礼しまーす……」

「一木部長、いますかー?」


 しかしそこにいたのは、お目当ての「部長」ではなく


「うっす。どーした?」

「うえっ?! 早坂部長?!」

「ど、ど、ど、どうしたんですか!」


 一木荘介の先代。引退した前部長、3年の早坂友紀だった。


「冷めてーなあ。引退したらもうヨソ者かよ」


 挨拶も忘れてど派手な動揺を見せる1年生を前に、早坂は持っていた文庫本を閉じ小さく、可笑しそうに笑った。

 悠然としたその所作や表情、ひとつひとつに、一年生は過敏に反応する。


「ち、ちがいます! そういう意味じゃなくて!」


 それは早坂を嫌っての態度ではない。むしろその逆。憧れが強すぎるのだ。

 何せ早坂は彼ら1年生が尊敬してやまない「一木部長」が、自分たちと同じように目を輝かせて敬い、見上げている男だ。一緒にコート立つ機会も殆どなかった1年生にとっては雲の上の存在といっても過言ではない。


「シっ。冗談だよ。わかってるから、ちょっと声落として」

「え?」

「お前らの部長が、珍しく超リラックスして寝てるから」

「ええ?!」


 まあお入りなさいと早坂に招き入れられた二人は、身を寄せ合いながらおそるおそる中へと足を踏み入れた。

 そこで目にしたのは、巨大バナナを枕にして眠る彼らの部長の姿。

 部室でくつろぐ姿を見たことがないわけではないが、今彼は完全に爆睡している。しかもバナナを抱いて、だ。どちらに驚くべきか、両方に驚いていいのか。そんな戸惑いが先にきて全くリアクションができない。


「俺もたまにここで昼寝してんだけど、今日は先越されてさ」

「……は、はあ」

「あ。そうだ。これ撮っとこ」


 呆然と立ち尽くす1年生などおかまいなしに、早坂は携帯を取り出すと遠慮なくその無防備な寝顔をカメラに収めた。勿論、バナナ込みの引き絵も忘れない。


「ど、どうするんですか……それ」

「うん? 夜にでもシムラに送るよ。悔しがるだろーなー。何でその時呼んでくれなかったのーって」

「……今呼んであげないんですか」


 崎谷は今ここにいない先輩に心から同情した。

 これは先輩が部長の為に持ち込んだ私物であり、今目の前に広がっている光景こそ先輩の本願であったはずのものだ。


「うん。呼ばない」

 けれど早坂は心底楽しそうな、悪い意味でのイイ顔で崎谷の言葉を蹴った。


 ――いい先輩だし、格好いいけど。正直どん引くくらいエスだよ。


 後輩である彼らにそう教えたのは他でもない『先輩』シムラである。

 話に聞いていただけで実際に触れることのなかった早坂の一面に、1年生コンビはただただ圧倒され口を噤んだ。


 その時、何も知らずスヤスヤと眠るイチのすぐ側でスマートフォンが鳴った。


「……ん」


 最初の二音でイチの左手がその音を停止させ、その勢いでバナナがごろりと床に落ちる。

 そしてそのまま、つい今しがた素早い反応を見せた左手がだらりとベンチから垂れた。


「……て、起きないのかよ。今のアラームだろ。おーい。荘介ー」


 早坂が椅子から立ち上がり、ゆさゆさと身体を揺さぶる。


「……ん? なんか肩また痩せ」

「……てません。ギリギリ」


 即二度寝に入るほど眠たかったはずなのに、NGワードで再び覚醒。


「おはよ。アラームなったぞ」

「うー……おはよーございます」


 早坂に両腕を引っ張られて何とか身体を起こしたイチは寝惚け眼のままなんとか椅子に座りなおして、そこでようやく、そこにいる1年生の存在に気付いた。


「いたのか」

「……いました。すんません」


 小南が思わず謝ってしまったのは、イチの顔に「しまった」という四文字がはっきりと浮かんだからだ。

 いつもピンと背筋を伸ばして、部長然とした態度で皆の前に立っている彼と今の彼は明らかに様子が違う。今はスイッチを切った状態だ。早坂に対する完全に気を許した、甘えの混じった態度なんて後輩には見られたくない姿だったに違いない。


「そういやデコボコンビは何でここに?」

「……ていうか早坂部長はなんで……いつからいたんですか。起こしてくれてよかったのに」

「俺は気にすんな、別に用事があっているわけじゃないから」

「いや、その。……あーもう、いいや。崎谷、どうした。なんかあったのか?」


 もういいやの一言で早坂に対する疑問を含めた諸々を片付けてしまったらしいイチは、まだ若干眠気の残る目で立ちっ放しの二人の後輩を見上げた。

 いつもの部長と、オフの顔が入り混じった表情。

 見慣れない、けれど穏やかなその雰囲気に、1年生の緊張も少し和らぐ。


「さっき職員室で監督に呼び止められたんです」

「うん」

「部長、朝の犬、守衛さんに預けてたんですね」

「あー、うん。預かってくれそうなとこそこしか思いつかなくて」

「無事に飼い主に引き取られましたって、監督に連絡があったそうです。監督わけわかってなかったけど、お伝えくださいって言われたから伝えておけって」


 二人がここに来た理由、『一木部長』への用件は、本日一番の懸案事項解決の報せだった。


「マジで!? どうして?!」

「さ、さあ。そこまでは……」

「よかったー……飼い主探しどうしようと思ってたんだ。後で守衛室にお礼言いにいかなきゃなあ」

「犬? 犬って何?」


 状況のわからない早坂に、イチから簡単な説明が入る。

「なんだそれ! ほんっとそういうせっこいトラブルには困んないよなお前!」

「笑いごとじゃないですよ」


 完全なる他人事である早坂はイチのプチトラブル体質を容赦なく笑い、そんな早坂にイチは拗ねたような表情でぷいと視線を逸らした。

 部長としての二人しか知らなかった1年生コンビはずっと驚きっぱなしだ。

 崎谷がちらりと隣の小南を見下ろすと、同じ様に戸惑っているらしい小南とばっちりと目が合った。

 お互い思うことは同じ。

 揃って、表情がほころぶ。

「ところで荘介君。この弁当箱随分と重いんじゃないか?」

「あ、忘れてた」

「男子高校生が弁当を食い忘れるなんてことあってたまるか。食え、今からでも」

「食いますよちゃんと……崎谷たち、飯は? もう食ったの?」

「あ、や、まだです」


 イチの姿を探して校内を徘徊していた二人の手には、あとで食べるつもりでいた昼食入りのコンビ二袋があった。


「お前探してたんだろ」

「あー……そっか。ごめん、ありがと。……でも俺何かの時に崎谷にライン教えてたと思うんだけど」

「あ!」

「あ! って、は?!」

「ごめん亮平、忘れてた……ほら、使う機会なかったから」

「二人とももう飯ここで食ってけば? 俺も一人じゃ淋しいし」

「そうしろそうしろ。時間そんなにないし。俺ちょっと茶買ってくるわ。荘介、お前なんかいる? 1年はいるなら一緒に来い」

「いや、俺は飲み物ロッカーに入れてるんで。ありがとうございます」

「お、俺も持ってます」

「俺もあります」

「……あ、てか俺とじゃ食いにくいか。食べにくいよな、先輩となんて」


 確かにこの顔ぶれで緊張するなというのは無理な相談だけれど。

 緊張することが、必ずしも悪いというわけではない。


「いえ、そのっ……よければ、一緒に!」

「お邪魔します!」


 崎谷と小南が同時に頭を下げると、二人の部長は一瞬面喰らったような顔をして、余っていたパイプ椅子を指差し、「ドーゾ」と穏やかに、いつものように笑った。








 ちなみに、このお犬騒動には後日談がある。

 校門近辺を髪を振り乱しながら「マカロンマカロン」と叫ぶ飼い主を守衛が発見、引渡しに至ったのだが。その時守衛は、男子バスケ部の子が保護してくれましたとご丁寧に経緯を説明していたらしい。

 練習前に守衛室に顔を出したイチを待っていたのは、体育館へ礼に赴こうとしていた飼い主の女性の手厚すぎる、抱擁つきの強烈な謝辞だった。

 実はこの辺りで一番の金持ちであった彼女の感謝はそれだけに終わらず、すっかり彼を気に入ってしまったその家から、後日男子バスケ部宛に人数分の揃いのスポーツタオルが贈られたという。


 部員達は口を揃えて言う。


「うちの部長、さすが! としかいいようがない」


 藤高バスケ部部長、一木荘介。

 早坂の言う、彼の「せっこいトラブルには困らない」体質から引き起こされるそれらは、彼の人柄故か、大体巡り巡って彼やその周囲に予想外の恩恵を齎して収束する。

 10年に一度の云々を抜かしても、充分タダモノではないのだ。

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