藤高バスケ部午前9時55分

(……なんか今日、きつい……いや、きついっていうか濃いな)


 午前9時55分。 

 イチは移動教室に必要な教具類を机の上にまとめながら、朝の騒動から引きずったままの疲れを溜息と共に吐き出した。

 結局あの爆弾を処理したのも、迷子の犬の面倒を見たのもイチだ。犬は顔なじみの門前警備員に預け、とりあえず放課後まで守衛室で預かってもらえるよう頼んである。

 だが問題はこの後。首輪に犬の名前のプレートはついていたが、そこに飼い主に繋がるような情報は何一つなかったのだ。犬の名前一つを頼りに飼い主を探す、それがいかに難しく面倒なものであるかは容易に想像がつく。

「あれ。ヤナセ筆箱は?」

「今日忘れちった」

「マジで? 一時間目どうしたの」

「それが使わなかったんだよ、奇跡的に」

「それはすごいね、古典だったのに」

 そんな一木の苦悩などお構いなしに、目の前ではシムラと、同じクラスの簗瀬晴佳が気の抜けた会話をしている。

「ヤナセ……ノートくらいとれよ。そろそろ担任が泣くぞ」

「そういうけどよ。古典って何のために勉強すんの? 絶対社会出て使わなくない?」

 勉強が出来ない人間の決まり文句を当然のような顔で言い放つ男簗瀬(ヤナセ)。彼もまた中等部から続くイチの友人の一人だ。サッカー部エースとしての評判は上々らしいが、学校生活でのヤナセにその片鱗はどこにも見当たらない。

 成績はまさかの学年最下位。言動も突飛で、奇抜で、恥というものを知らない。学年を代表する底抜け馬鹿としてその名を轟かせている。

 そんなヤナセと明るいお馬鹿シムラ。この二人は周囲も納得のコンビなのだが、二人プラスイチのトリオで行動をすることの多い彼らは常に学年中の好奇の目に晒されている。

 あの一木が何故、と。

 何故といわれる張本人的には、たまたまそういう流れだったというのが正解。

 他二名に言わせるなら、「俺とイチはワンセット」、「俺がマブダチとして認めてやった」が答えだ。どちらがどちらの弁なのかは、言わずもがなだろう。

「社会では使わなくてもテストには出るんだから諦めて勤しめ。テスト前泣きついてても相手してやんないからな」

 イチはそう冷たく言い放ちながらも自分の筆箱を開くと、その中に入っていたシャープペンシルと三色ボールペン、消しゴムを輪ゴムでぐるぐると巻きヤナセの方に放った。

「失くすなよ」

 そして部活用ファイルに挟んでいたバスケ部印の三色ボールペンを抜き取り、スカスカになった筆箱に放る。

「……イチのそいうところ、ほんとマジで惚れる」

「今以上は重い」

 シムラの心のこもったアウト発言には一言ですぱっと切り返し、ようやく重い腰を上げると、自分を待っていた二人を置いてスタスタと教室の出口へと向かった。

「ちょ、待って! ヤナセ行くよ!」

「と……」

「は? と?」

「ときめいてなんかないんだからな!」

 3時間目開始まで、あと5分。移動のタイミングとしてはギリギリだ。

 ギリギリでも間に合うのなら特に急ぐ必要は無い。

 だが廊下を歩いていると、どうしても人目を惹く。

 当然、二人の一歩前を歩くイチが一番の原因なのだが、この現象は組み合わせのおかしさだけが理由ではない。

 彼の校内での知名度、存在感はいい意味で抜群だ。(ちなみに悪い方に抜群なのはヤナセである)時折声を掛けられては適度な愛想で応える。それを繰り返しているうちに、歩く足は気持ちスピードを上げていた。

「お、水戸のご一行。次1組何? あ、化学か」

 人の視線が途切れる階段の手前、男子トイレの前で一行は悟郎と鉢合わせた。

 悟郎の所属クラスは3組。バスケ部の2人とは朝練ぶりの再会である。

「水戸って……やめろよいかにも定着しそうなネーミングで呼ぶの」

「そうだそうだ! 何で俺がひげの爺さんにならなきゃいけないんだ!」

「このメンツで自分をセンターに据えるか。さすがヤナセ。斬新な発想だな」

「うっせえっうんこ帰り!」

「いや、違うし」

「イケメンはうんこしないとでも言うのか! 死ね!」

「今はホントに手ぇ洗っただけなんだけどなー」

 悟郎とヤナセ。仲が悪いわけではないが、ヤナセは悟郎といるとたまにこのテの発作を起こす。悟郎だけではない。ヤナセはイケメンと呼ばれる男達、つまり女子にモテる生物全てにアレルギー反応が出るのだ。

 充分悟郎側に入る対イチでそれが発症しないのは、ヤナセなりの仁義らしい。あらゆる意味でぶっ飛んでいる自分がかけている迷惑に自覚がないわけではないのだろう。

「お。2組の体育」

 ヤナセの理不尽な言いがかりをするりとかわした悟郎は、そのまま窓の外に視線を流した。

 見てみると確かに。眼下ではジャージを着た集団がわらわらとグラウンド方面へと向かっている。

「……あれ2組? なんでわかんの」

「サホがいる」

「どこに。どんだけ目ぇいいんだよお前」

「顔がいいと目もいいんだよ」

 ぬけぬけと言い放った悟郎にヤナセがかっと目を見開く。しかし悟郎はそんなことなどおかまいなしに、本当によく整った顔を柔らかく綻ばせ、窓を開けグラウンドに向かって声を張った。

「おーいサホー」

「ああ……あそこにいたのか」

 悟郎に手を振り返すその動きで、イチもようやくようやく「サホ」の存在を確認する。

「冷たいな。幼なじみなんだろー?」

「関係ねえだろ。ウォーリー並の難易度だぞこれ」

 三月佐保(ミツキサホ)。女子バスケ部のエースである彼女とイチは、親同士の縁で長く続く幼馴染だ。

「ほら、サホ見てるよ。手ぇ振ってやんなよ」

「やだよこっぱずかしい」

「硬派だねえ」

 軟派な悟郎にとってはそう見えるかもしれないが、イチは改めて「硬派」と言われるような人間ではない。ただ、二人の間には幼馴染ならではの気恥ずかしさというものがある。

 やがて三月は先を行っていた女子生徒に呼ばれ、駆け足で二人の視界から抜けた。

「遠目でのサホの見分け方、教えようか」

「何。身長?」

「惜しい。正解は」

 体育の連中が走り始めたということは、いよいよ時間が危ない。

 二人の横で野鳥の会ごっこをはじめていたデコボコ馬鹿コンビに目配せして歩みを促し

「美脚だ。あの体育会系女子にあるまじき見事なバランス、十二分に鑑賞に値す」

「馬鹿」

「いって!」

 ついでに。悟郎の頭に一発。

「んだよー。健全だろー?」

「あれはキョーダイみたいなもんなの。思うのは勝手だけどそういうの聞かせてくれるなよ」



 本当はそういう目で見られること自体いい気分はしないのだけれど。

 秘密の本音は、そっと心の中に押し留めた。


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