第33話 ここより少し離れたところに。

 今朝も早くから、炊き出し状態になっていた族長屋敷前。代わり映えしないけど、串焼き、干し肉、パン、水なんかも配ってる。30人分配って二回目、インベントリにストックしてある食料はまだまだ余裕なんだよね。あのときの俺、どんだけ買い込んだんだよ?


「ソウトメ様、今朝もこんなにありがとうございます」


 本来は、ロザリアさんがいなかったとき、集落をまとめる立場にあった彼の名はコーベックさん。つい昨日まで、悪素毒にやられ寝たきりになっていた彼、プラチナブロンドで細身の身体だけど今朝は元気そうに見える。年齢は42歳。


「はい、慌てなくてもいいわよ。先生に感謝の言葉をわすれちゃ駄目ですからね」


 となりにいるのは、彼の奥さんでブリギッテさん。年齢は38歳。コーベックさんもブリギッテさんも、肌は褐色だけどロザリアさんよりやや明るめかな? 彼女も彼ほどじゃなかったけど、家の外へ出られないほど状態は悪かったんだ。


 仲睦まじい二人は、結婚して2年目なんだそうだ。ちっ、リア充かよ。爆発しろください……。でもよかった。こうしてみんな、元気になってくれたからさ。ロザリアさんも、表情が明るいんだ。昨日まで見えた、悲壮感なんてこれっぽっちもないんだからさ。


 俺、この集落で『先生』って呼ばれてます、はい。聖人様とか先生とか、あっちではぼっちだった俺がありえない状況にあるんだわ。この、黒森人くろもりびと族ではね、成人の年齢は36歳なんですって、奥さん。ついでに俺、ここでは成人前の年齢なんだよな。おそらく、俺から見た、麻夜ちゃんたちみたいな感じなんだろうね。


 並んでる皆さんも、美男美女が多い。小さな子も美少年、美少女だし。二人に聞くと、森人族ってこんな感じなんだってさ。『うちの子可愛い』概念はあるにしても、二人も『普通ですよ』という感じだった。俺たちでいうところの『彫りの深い顔立ち』みたいなものなんかね? 『あの小さな子たちも俺より年上なのかな?』って恐る恐る聞いたら、8歳、11歳と聞いてまじでほっとした。


 悪素の影響で不作が続いたからか? 軽い飢餓状態が続いたからかな、太ってる人もほとんどいない。ブリギッテさんは『黒森人も、油断すると太るんですよ。夫がそうでしたから』って、こっそり教えてくれた。


 ほほぅ、太るのか。俺も気をつけよう。こっちに来てからも、ほぼほぼデスクワークみたいなもんだから。運動不足が心配なんだよね。これ以上、ぼっちが加速すると嫌だからな。こっちの世界デビューしたんだから、俺だってリア充っぽくなりたいんだよね。


 ▼


 黒森人族の集落は高い山の麓にあった。黒森人はこのように、山の麓などの開けた場所に集落を持つんだそうだ。家なんかを作るのに木材を使うけど、木の上に住むことはないんだってさ。ちなみに、白森人しろもりびとは木々の深い森の中に住んでるんだって。めったに人前には出てこないらしい。


 コーベックさんの書いた地図を見ながら、集落を出て右へぐるっと迂回して、ごとごとと馬車に揺られて1時間くらいかな? 歩くと半日だとこのくらいなんだろうかと思ったあたりで、馬車が止まったんだ。


 馬車を降りて、幹の太い木の前にロザリアさんは歩いて行く。その木をよく見ると、幹はしっかりしているのに、葉は枯れて足下へ落ちている。『冬が近いからか?』と思ったんだ、最初はね。


 ロザリアさんは、俺の前に手を出した。


「ソウトメ殿、あれ、いいですか?」


 ロザリアさんは俺のことを『ソウトメ殿』と呼ぶようになった。それはさておき、心境の変化だと思うけどさ。なんとも、ごちゃごちゃした話し方になってて、思わず笑いそうになっちゃうんだ。無理しなくてもいいのにね。


 俺はインベントリに仕舞ってあった、集落で借りた農機具、くわを手渡す。ロザリアさんは軽々振りかぶり、木の根元を掘り始めたんだ。実に簡単そうに、50センチくらいは掘り進んでいったところで彼女は手を止めたんだ。


 ロザリアさんが手招きをするから、俺は彼女が掘った穴をのぞき込んだ。


「ここにこいつの根がある。これをこう」


 そこには掘り出されたこの木の根。俺の手首くらいの太さはあるかな? ロザリアさんは露出した根を、鍬で削り取る。するとその断面からは、どろっとした漆黒の何かが、ゆったりとにじみ出てきた。それを俺が知るのもので例えると、まるで墨汁かコールタールにも似たもの。烏賊や蛸の墨なんてレベルの黒さじゃない。枯れ葉や枯れ木を燃してつくった炭。それを砕いて水で溶いて煮詰めて凝縮したものを、片栗粉でゆるく固めたみたいなどろっとした、気味の悪い代物。


「これが悪素だと教わってる。大気から雨で落ちたものや、土にあったものが、水気に結びついて、木の根が吸い上げてこうなったらしい。あたいらも、水を飲んで、肉を、を食べて……」

「うん、なんとなくは理解できるよ」


 俺はその場にしゃがんで、どろっとした悪素を触ってみた。


「これが、……悪素か」


 指先にまとわりつく悪素の塊は、触ってみても刺激や痛みを感じることはない。強酸や強アルカリ、他の毒素のように皮膚を焼いたり、変質させるような性質もないようだ。もちろん、匂いもない。嘗めてみようとは思えないけど。これが身体へ蓄積していって、人を殺すのか?


「ソウトメ殿っ!」


 ロザリアさんはとなりにしゃがんで、俺の手首を握って止めようとする。心配そうな表情で、俺を見てるんだ。


「大丈夫だよ。これはやらなきゃいけない『検証作業』なんだ。知ってるでしょう? 俺は死んでも生き返る」

「あ、あぁ」

「心配させてごめんなさい。でも必要なことなんだ」

「……わかったよ」

「ありがとう。えっと、『デトキシ解毒』、……分解されない。毒認定はされない、か。『ディズ・リカバー病治癒』、……も駄目。やまいでもない。『リカバー回復呪文』も反応なし」


 消えもしないし状態も変化しない。水気のようにある程度皮膚から染みこんだものは、『毒』や『病』として分解されているんだろうけど、なんか駄目っぽいね。回復属性の魔法自体、システム的によくわかんないから。悪素がどのように認定されてるのかもなんとも言えないな。


 これが、大気中に、川に、湖に、海に。土にや農作物、獣に入り込んで、間接的、直接的に人へ蓄積されたものが、悪素毒と呼ばれるわけだ。


「理屈はわからないけど、俺じゃどうにもならないみたいだわ」


 浄化、とっとけばよかったよ。


 俺は魔法の研究家じゃないから、詳しくは知らない。回復魔法も、『結果、そうなるものだ』という理解でしかないから。


 指先についた悪素を水で洗い流して、鍬で掘った穴を埋める。消えてなくならないんじゃ、埋めるしかないからな。


「帰ろう。俺には手に負る代物じゃないから、これは駄目っぽいわ」


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