第3話 美少年と分かっても、なお抑えきれぬ恋心

「……………………っ…………!」

腕の中で泣きそうにその人が身もがく度、花の香りが漂った。


がさり…!


瞬間、エルデリオンはその人を離した。

彼は良く訓練された剣士だったから、人の気配に俊敏に反応した。


供の男は口づけを、見ていなかった。

その人の体に覆い被さるように身を寄せるエルデリオンを、見ただけ。


「レジィリアンス!」

男はその人の名を、初めて呼んだ。

「どうたんです?どこか怪我でも?」


彼の慌てぶりから、レジィリアンスと呼ばれるその人が、かなり身分の高い者だと分かった。

レジィリアンスは体の熱が伝わる程近くにいるエルデリオンに、うつむいて頭を振った後、批難するような大きな青い、潤んだ瞳を向ける。


頬が染まり、わななく唇は今の暴挙に更に濃い。

とても濃い、ピンクになっていた。


小柄なレジィリアンスは、エルデリオンの肩よりも更に低かった。

少し震える声で、彼は言った。

「大丈夫。

ぼくが剣を落としたので、手首が腫れていないか、見てくれただけだ」


エルデリオンの心臓が、一瞬。

止まるのではないかという位、激しく脈打った。


………少年だった!


あの甘美な唇の甘さが、エルデリオンの唇をほんのり暖めた。

…その温もりが、今は苦く感じられる。


エルデリオンはギリ………!と唇を噛む。

彼の横を、ふわりと花の、華やかな甘い香りを漂わせ。

その妖精のように身軽な、儚げな夢のような甘い美貌の少年が、エルデリオンの脇をすり抜けていった。


さっ、と吹き抜ける僅かな風が冷たく感じられ、エルデリオンはゆっくりと、振り返った。

男は庇うようにレジィリアンスの肩に手をかけると

「じき日が暮れます。帰りましょう」

と美少年を促す。


落ちた剣を拾い、レジィリアンスの肩に手をかけ、男はエルデリオンに会釈した。

エルデリオンも微笑み返そうとしたが、口元が、引きつった。


風が、出てきた。

森の中を渡り、木々を、草を揺らす。

風に髪をなぶられ、エルデリオンは木々を見上げた。


差し込む陽光が傾き、日が、暮れようとしていた。

冷え込んできたその場所の、少し離れた木陰から。

彼の供の男が合図するように、フードにすっぽり覆われた、頭を振る。


エルデリオンは微かに頷いた。

決断が必要だった。


口づけた時の、心ときめく甘やかさを思い知った今。

あの少年を、忘れられるとはとうてい思えなかった。


あれほど愛らしく、美しく、華やかで甘い美貌に出会ったのは、初めての事。

エルデリオンは寄って来る供の男に、小声でささやきかける。


「やっと。

…探していた花嫁が、見つかったぞ」


その密かで殆ど聞き取りづらいつぶやきのような言葉を聞き、供の男は意味を掴もうとし、はっ!とする。


まさか、そんな…!


とても背の高い、供の男はエルデリオンの顔を凝視した。


「何も言うな」

黒っぽいフードを被り、その姿をマントですっぽり隠した長身の従者に、エルデリオンは詮索を禁じる。


従者が短いため息をついたように思え、エルデリオンは自分をよく知るその男の反応に、少し頬を染めた。


呆れるのはわかる。

だが、諦められないだろう。忘れられる訳がない。

自分の心だ。

それは火を見るより、明らかだった。


供の男はエルデリオンの横顔をじっと見ていた。

が、この、普段は聞き分けの良い、人に思いやりのある、非の打ち所のない貴人が。

こうと決めたら、岩をも貫く意志の持ち主である事を思い、煩った。


…そう。

これが物語の始まりである。


この時のエルデリオンの決意が、とんでもない事態を引き起こすのは、僅か二ヶ月後の事となった。

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