第2話 思わぬ甘い唇
エルデリオンは腰に下げた剣を、少し膝で押して彼らに見せ、供の男に丁重に挨拶する。
「私は剣の修行の旅に出て、この地を訪れた者。
もし良ければそのお方と、一度剣を交えてみたいのですが、よろしいか?」
その声は優しげな癖によく響き、人に命じ慣れている、どこか従わせる強さがあった。
供の男は、美少女に振り返る。
美少女は見つめられ、少しもじったようにうつむくと、それでもエルデリオンの方を、真っ直ぐ見つめ返した。
彼女の視線に晒され、エルデリオンは高まる鼓動を意識する。
大国の宮廷で、名だたる美女を見慣れたエルデリオンにとって。
美少女に見つめられ、心臓の鼓動が早くなる事など、滅多に無かった。
華奢な肩。
すらりとした、しなやかな体付き。
けれど美貌の少女は、素晴らしく甘やかで可憐に見えた。
“美しいだけでなく、なんという可愛いらしいお方だろう!
こんな方に、今まで一度も出会った事がない!"
エルデリオンは感嘆した。
まるで愛の女神の祝福を、一身に受けたかのように。
その人が微笑むと、誰もが言うことを聞かずにはいられなくなるような、甘さと、そして華やかさを醸し出す、金の波打つ長い髪に縁取られた、素晴らしい美貌。
花の香りが、森中にひろがる国。
けれどその人は、花そのもののように、甘い香りが漂っているように見えた。
エルデリオンの、心臓の鼓動は更に早くなる。
そんな滅多に無い宝石のような美少女に、見つめられて。
彼女は供の男の背から抜け出し、ゆっくりと剣を、構える。
「(受けて、たつ気だ…!)」
エルデリオンはさり気なく、剣の柄に手を添える。
美少女の、剣を持ち上げる白い華奢な手には、気品が漂い。
その仕草は可憐だった。
「(もし少年であれば。
この人ほど、剣の似合わない人もいまい。
例え、どこかの貴族の御曹司だとしても。
この人が戦場に出れば、皆彼を庇いながら、戦いたくなってしまうだろう…)」
エルデリオンは柄に手をかけたまま、微笑んだ。
「どうやら、受けて下さるようだ」
エルデリオンは剣を、ゆっくり抜いた。
そして彼女の剣の腕を伺うように、二度、三度と剣を交えてみた。
剣が重いとこぼしていただけあって、その手に剣はなじまなくて。
エルデリオンが剣を、少し振り下ろしただけで、彼女の手から剣を奪うのは、簡単な事のように思われた。
エルデリオンの心を察したのか、その人は少しきつい青の瞳を向けると、剣を握りしめ、振りかかってくる。
カツン!
“なかなか、鋭い突きだ”
エルデリオンは微笑んだ。
一生懸命打ち込んでくるその人の、愛くるしい顔立ちを正面から眺められ、彼は幸福な気がした。
…わくわくしている自分に、エルデリオンは驚いていた。
その人が身を翻す度、甘い、花の香りが散る。
華やかで長い、柔らかなウェーブのかかった金の髪を波打たせながら。
まるでうさぎのように素早く、身を
その動作も、たまらなく甘く、可愛らしく見え、エルデリオンは微笑みを絶やさなかった。
頭上から差し込む金の陽の光の中、エルデリオンはいつしか誘うように右に、左に。
そして森の中へと少しずつ、その人を
鋭い突きを喰らわせてその人を飛び退かせ、大木の後ろに身を隠しては追わせ、供の男から少しずつ、その人を引き離していく。
供の男は後を追ってきたが、大木に阻まれ、その人とエルデリオンの姿を、見失ったようだった。
四方の視界から男が消え、光さす大木を背に、切れ切れの吐息に肩と胸を上下させるその人と二人きりになった時。
エルデリオンはその人の手から、剣をはじき飛ばした。
カツン…!
その人は大きな青い瞳を
背を大木にもたせかけ、荒い息に、胸を、肩を激しく上下さなせがら。
こちらの出方をうかがっている。
その、小さな濃いピンクの唇から、ひっきりなしに吐息が漏れる。
エルデリオンも息を切らしながら、けれどゆっくりと大木に手をかけ、その人の前に、立つ。
やっと………………………!
間近で見つめたその人の顔は、遠目で見ていた時よりうんと、愛らしく美しかった。
頬がピンクに染まり、長い金の睫毛に縁取られた青い目は、少し潤んでいるように見えた。
彼の肩程の位置にその人の頭があり、しきりに金の豪奢な髪を振り、うつむき、睫毛をしばたかせながら、息を整えようとしていた。
木漏れ日の中、その白い肌の美貌は、神々しくさえ見えた。
が、そのピンクの揺れる愛らしい口元は、誘っているように、エルデリオンには思えた。
…そうする気は、無かった。
少年かもしれなかった。
だがいつ、供の男がその人の姿を追って飛び込んでくるかもしれない。
エルデリオンは気づいたとき、その人にそっと覆い被さり、顔を寄せていた。
その人は、はっ!としたように、顔を背けて身を翻し、エルデリオンの前から逃げ去ろうとした。
エルデリオンはとっさにその手を引き、細い腰を抱き寄せ、再び顔を寄せる。
間近で見たその人の美しい明るい青い瞳に、わずか、怯えが走った。
が、エルデリオンは構わなかった。
その人を、捕らえたかった。
ゆっくりと、被さる。
だが唇が触れるか触れないかの一瞬、その人はエルデリオンの腕の中で、身をよじった。
ほっそりとした、だが確かな手応えのある温かいその人の体の感触が、無意識の内にその体を強く自分に引き寄せる行動を、エルデリオンにとらせた。
がさがさっ!
男が、ここを見つけるのは、じき。
エルデリオンは片手をその人の頭の後ろに回し、動きを封じると。
少し震えるように瞬く青い瞳を見つめた後、微かな吐息を漏らすピンクの小さな唇に視線を移し、覆い被さってその唇に、自分の唇を重ねた。
「……………………んっ!」
その人の拒否の呻きは、エルデリオンの唇にふさがれた。
「(…………………………!)」
何という甘さ。そして柔らかさ。
温かいその唇が、逃げるように吐息を漏らしながら震える。
エルデリオンはたまらず、顔の角度を変えて再び深く、口づけた。
逃げようと激しく振る、その人の頭を強く押さえ、口づけたたまま、幾度も顔の角度を変え。
柔らかな感触がたまらなく、上唇から下唇、その隅々まで。
自分の唇で知ることのできる、その人の唇の全ての感触を、自分のものにしようとするように。
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