5区・ゲストの僕
「あの空前にして絶後ではないかと思われる大激戦から1年、新たな戦いが始まろうとしております。箱根王者となった任天堂大学は出雲・全日本共に2位と安定感の高い所を見せ、最後の一冠を狙っております。天道大学は出雲を連覇、6年ぶりの箱根制覇・二冠達成で王者に返り咲けるか。全日本連覇の太平洋大学、日村祐輔の逆襲はなるか。この三強に甲斐学院、忠門、そして稲田や下総などが挑みます。果たして熱き血潮に彩られし学生たちが、己が力と魂をぶつけあった結末は―――」
聞き慣れた口上ではあるが、モニタ越しに聞くのと数メートルの距離で聞くのでは全然違う。
4年間ずっとこの日を待ち望んで来た、この2日間のために残りの時間を過ごして来たと言っても過言ではなかった。その2日間を、今度は何とも中途半端な立場で迎える事となった。傍観者と言えば傍観者だが、無関係を貫き通せる立場でもない。当事者と言えば当事者だが、かと言ってあまり入り込める立場でもない。
1年間着慣れたスーツではあるが、今日は正直重い。こんなに重いのは入社式の時以来だ。朝が早いのは別に苦にならないがこんな舞台に立たされる経験など1年間に4人しかできない事であり、箱根駅伝の優勝チームのランナー(10人)になるより困難かつ特異な立場である。
ほんの数メートルの距離に、長年眺めるだけだった伝説の名ランナーや僕たちの戦いを伝えてくれていたアナウンサーがいると言うのに僕の気分は全然高揚しない。
「それではゲスト解説をご紹介いたしましょう。忠門大学OBで2年生の時に40年ぶりのシード権獲得のテープを切り、そして昨年もまたアンカーを務められ大学史上最高の3位でゴールした六角さん、そして」
「天道大学OBで3年生の時には5区で区間賞を獲得、闘志あふれる走りでレースを沸かせた」だそうだ。自分がやった結果とは言えこうして言われると誇らしさより先に恥ずかしさがあふれ出す。
天道は当日変更で1区に堀尾って言う2年生を入れて来た。去年の段階からその素質をうたわれていた存在で今シーズンも出雲4区区間賞を獲得した。その後軽い故障を起こし全日本を走れなかったのはいただけないが、名誉挽回の意を込めてやってくれるだろうと僕は信じている。
「天道は今回、往路からかなり勝負をかけてきたように見えますが」
2区以降も久保、谷中、渡辺、そして堀尾や谷中と並んで去年から素質の高い所を見せていた山県。僕が1年間一緒にやって来て地力の高さと真面目な練習振りから僕の次の山登りは彼かなと思っていた優秀なランナーであり、全日本でも7区区間4位ときっちり走っていた。柏崎のいない山ならば区間賞まであるかもしれないと思っている。
10年間、天道は往路優勝をしていない。その間総合優勝は4回あるが全て復路での逆転優勝だ。その事は正直誇りでもあったが、今になって思うと不安が先に立つ。確かに柏崎と言う絶対的な切り札はもういない、でもそのはずだった一昨年も天道は勝てなかった。結局時代はそういう方向に動いているのかもしれない。
太平洋も太平洋で2・3区に日村兄弟を注ぎ込み往路優勝を狙っている、一方で任天堂は村松兄弟の兄・充を2区に置き弟の隆二は補欠のまま往路に当日変更で起用する事もなかった。おそらく9区に起用されるのだろうがどうなるか。
任天堂、甲斐学院、忠門、太平洋、天道、帝国、日本ジムナス、徳政、関東基督教、城東。
下総、稲田、湘南、相模、維新、周旋、嘱託、東京地球、中心、倭国、そして学連選抜の明公大学のランナー。中途半端な第三者になってみたが、やはり天道のユニフォームが一番輝いて見える。
「21人のランナーが今大手町を飛び出しました」
そしてようやく鳴った号砲と共に我先にと飛び出したのは、倭国の田井中だった。前回も前々回も3区(前々回は学連選抜として)だった彼が1区に起用されたのは正直かなり意外だったが、予選10位通過の倭国としては何とか田井中と留学生で流れを作りたかったのだろう。事前の作戦通りだと言わんばかりに、田井中はぐいぐいと差を開いて行き、5キロもしない内に他の20人に20秒近い差を付けていた。
「知らん顔の状態ですがいいんですかね」
「田井中君が今のペースを保てるのならば話は別でしょうけどそうはいかないと読んでいるのか、あるいは六郷橋辺りから追い上げて行けばいいのではないかと考えているのか……もちろん三強はお互いの様子をうかがわねばならないですしね」
倭国にしてみれば勢いに乗って逃げ込みたい所だろうが、3区・4区のランナーの10000mのタイムが21人中15番目、5区が18番目と言う層の薄さはどうにもいかんともしがたい現実である。だからこそこの作戦は間違っていないだろうが、そんなうまく行く物ではない事を他の学校もわかっていたのだろう。
「今先頭の田井中が12キロを通過いたしました。しかしこれは何でしょうか…」
にしても否応なく目立つなこれは……一年前に見せられて以来何となく印象に残ってしまっている、あのなんとかって言うアニメのイラスト横断幕を持った男性たちが田井中に向けて手を振っている。そのイラストの上にはがんばれ田井中の文字が力強く書かれている。全日本で見たのはまた全然違うそのイラストと文字を掲げた、おそらく別人であろうとおぼしき人たちを見るにつけ、こういう層の厚さを感じると同時に柏崎や田井中の様に傾倒する人間が出て来るのもむべなるかなと思わずにいられなかった。
結局田井中は最後に詰め寄られながらトップでタスキを渡した。それから5秒差で天道の堀尾、太平洋が8秒差、任天堂が15秒差。
花の2区。天道の久保、太平洋の日村祐輔、忠門の来生と前回挫折した3人のエースが並んでいる。その上に倭国と甲斐学院と東京地球の留学生に、任天堂の村松充、稲田の松嶋。史上最高レベルと言うにふさわしい顔ぶれだ。
「いやあ…あの中に入るのはちょっと本気で勘弁して欲しいですよ…」
1年生の時2区を走っていた六角の苦笑いに、僕は全力で同調した。僕だってあんな中に放り込まれたらどうしたらいいのか困ってしまい、結果開き直っていつも通りに行きますとしか言えなかったしできなかっただろう、いい悪いは別にして。
果たせるかな。倭国の留学生がマイペースでどんどん天道らとの差を開き、甲斐学院の留学生も1区で天道との間に開かれた40秒の差を一気に詰めて天道・太平洋・任天堂の2位グループに取り付き、来生と松嶋も2位グループとの20秒の間隔を保っている。1区18位だった東京地球大もじわじわと順位を上げている。他は……下総のエース北越がかろうじて1区の8位を保っているってだけであとは軒並み置き去り状態。確かにこんな中を走りたくはない、でも世界に出て行くって言うのはこういう事だとも思う。
「先輩として後輩の久保選手に何か一言を」
と聞かれた時僕は、はっきりといい経験ができて何よりだと思います、と言った。僕だって世界を目指そうとしているのだ、久保ならばもっと行けると思う。だから、怯むなとは言うが構えるなとは言わない。こういう点では久保が少し羨ましいと思う。
「残り3キロで久保が仕掛けました!甲斐学院の留学生と共に太平洋の日村祐輔と任天堂の村松充を引き離しました。既に両名とは5秒の差が付いています!」
その言葉に答えた訳でもあるまいが、権太坂以上の難所である残り3キロの坂で仕掛けた久保は甲斐学院の留学生と共に日村祐輔と村松充を引き離した。実にしっかりした走りで日本人1位は俺の物だと言わんばかりの堂々としたやり方で好感が持てる。
結局久保は区間3位、日本人1位の走りで太平洋と任天堂に18秒の差を付けてタスキを渡した。ここまではほぼ大木監督の狙い通りと言って差し支えない展開だろう、問題は次だ。
3区、倭国が天道に付けていた1分20秒の差はみるみるうちに詰まって行く。甲斐学院のランナーにも大した力がある訳ではなく、遊行寺の坂を下りる前に2位を奪い取った谷中は体を力強く震わせながら前へと進む。もちろん太平洋の日村恵一もそんなに甘い訳ではなく、9キロで甲斐学院を並ぶ間もなく抜き去り前に迫って来る。一方で任天堂は11キロの段階で甲斐学院に取り付いたもののその後は並走状態でややトーンダウン気味であり、天道や太平洋からはゆっくりと離されて行った。
もっとも今の谷中で日村恵一に勝てるかなと言うと少々疑問かもなと言う思いもあり、その内追いつかれるのではないかと言う思いもあった。でも追いついた分だけ相手も消耗していると言う可能性もあるし、むしろ追いつかれてからが勝負かもしれない。
「大木監督も声を張り上げています。日村恵一が来ているぞ、何とかタイム差なしで渡せそうすれば4区は渡辺が控えているぞ。大木監督の檄を受け先頭谷中走っています」
13キロで先頭に立った谷中はその後もスピードを上げ日村恵一に捕まるまいと必死に逃げている。15キロを過ぎると若干重くはなって来たが僕と違って無理はしていないのでまだ問題はないだろう。監督もここが勝負と見たか給水を行い、日村恵一からの逃げ切りを図った。まあ向こうもお見通しでスパートをかけられてしまい結局谷中はトップを明け渡したが、2秒差ならばたいした問題でもない。最後に甲斐学院を振り切り3位に上がって来た任天堂との差は1分7秒、安閑とはしていられないが悪い差ではない。
「正直、もっともっと離したかった。最後の最後までトップに立てなかったのは残念で去年の借りを返せたとはとても言えない結果だとの事です」
実際、区間賞を取った日村恵一のコメントからは勇ましさが一分もなくどこか沈んだ調子であった。太平洋もこの2・3区で日村兄弟を注ぎ込んでトップに立つつもりだったのだろう、この点では太平洋はかなり損をし、天道は得をしていたとも言える。太平洋の4区のランナーは三大駅伝が初となる3年生、その前歴通りの9・10番手ランナーであまり強力とは言えない。それでも他のチームから比べたら十分に速いのだが、優勝を争うチームとしては死角の誹りを免れ得ない程度の力量であった。
一方で渡辺は今年もっとも可能性があると言われている1年生の1人、狙うは本気で区間賞、いやそれ以上だろう。区間賞の上と言えば区間新記録、それしかない。幸い4区は距離が短縮されてから数年しか経っておらず歴史は浅い。これまでに3度(短縮1回目は除く)区間新記録が出ており今回もと言う思いはあった。
「2号車ですが稲田の土方がいい走りをしています、平塚中継所の時点で8位だった稲田大学ですが現在倭国と下総を抜いて6位まで上がって来ています。そして5位甲斐学院との差も100mあるかないか、時間差にして16秒と言った所です。中継所の時点では45秒だったことを考えるとこれはかなりいいペースですね」
「松嶋君といい土方君といい稲田がようやく長年の低迷期から復活してきた感じですね、それから湘南大もですよね」
「はい3号車は現在8番手を走っている湘南大学に付けています。3年連続予選落ちと苦しんでいた湘南大学ですが今年は箱根予選を3位通過、その2週間後の全日本大学駅伝では6位とシード権を獲得、実にいい走りができています。監督も今回の目標は全日本より上の順位、つまり5位であると意気盛んです」
渡辺は僕と大木監督の期待に応えるかのように快走して太平洋との差を開いた。こうなるとある意味敵は稲田大の土方かもしれない。まったく、何が起こるかわからないから箱根駅伝は面白いし、そして怖い。まあ稲田や湘南の復活はある程度想像できたが、太平洋の4区のランナーがここまで悪いとも思わなかった。
「2号車です、5位にまで上がって来た稲田から更に前に行ってみたんですがどうも任天堂・忠門が太平洋を追い上げているようです、って言うか太平洋が下がってます。この13~14キロの1キロが3分7秒とちょっと冴えませんね」
去年の区間賞ランナーがこの辺りを3分ちょうどで走った事を考えるとそう悪い訳でもない。だが渡辺はそこを3分2秒で走ったのだ、それでは差が開くのも当然だろう。じわりじわりと差は広がって行く。
「11年ぶりの往路優勝、そして5年ぶりの総合優勝へ!天道大学が今先頭で小田原中継所にたどり着きました。渡辺からタスキを受け継ぐのは2年生山県、今タスキリレー!」
そして区間新記録!ゲスト解説と言う立場である手前表には出さなかったものの嬉しかった。この流れで前に渡したのは実に大きい、太平洋5区は五郎丸と言う好素質のランナーだが山にどれだけの適性があるかはわからない。山県とてそれは同じだが、同条件ならばさほど大した問題でもあるまい。
「そして今、2位で任天堂と忠門がタスキリレー!1分19秒差!忠門大学の村田もまた区間新記録!そして太平洋がやや疲れたか4位でタスキを繋いだ、トップと1分30秒差で五郎丸が飛び出して行きました!」
そして太平洋の次に最後5位まで上がって来た稲田だ。結局土方は従前の区間記録に7秒届かなかったものの素晴らしい走りである。
「土方くんの様なランナーがどんどん出て来る辺り今年の1・2年生は本当に豊作ですよねー」
本来ならば区間賞のタイムで走っている手前、超一流選手であったメイン解説者のその言葉も本来ならばよく響いてしかるべきだろう。こういう世代と戦わずに済んだ事は、僕にとって不運なんだろうか、幸運なんだろうか。
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