4区・そんな役目!?
まあとりあえず自分だ。東日本実業団駅伝はスタッフ的な参加もできず見るだけであったが、それでも練習を続けていればニューイヤー駅伝に補欠ぐらいには引っ掛かるのではないかと言う薄い期待ぐらいは抱いていても罰は当たらないだろう。
もちろん仕事も忘れてはいけない、一年生社会人である僕はまだまだいろいろ学ばねばならない。
時には大学時代にそれなりに売り込んだその顔が役に立つ事もなくはなかったが、そんな物はいつか劣化する。現在進行形の仕事と走りがなければいけない。
たいしてフィーチャーされない大会にしては人が多かった、やっぱりすげえよなお前も出すべきだったかなーとため息混じりに言われた。
やはり柏崎の力はすごいらしい。大学卒業後初のメジャーレースと言う事も相まって柏崎の走る区間はやたら人が多く、そして柏崎自身比較的期待に応えた(区間賞と6秒差の区間3位)のだからなおさらである。
チームの総合順位は3位と優勝を逃したが、感触は極めて良好だったと言うのがチーム全体の共通認識だったし、実際僕もそう思う。
「休むべき時はきちんと休め」
チームの監督からよくそう言われる。大木監督に教わっていた時からそうだったが、僕は僕なりにきちんと休んでいるつもりだ。
だが実際仕事をして練習をしてとなると他の何をする時間もない。いや仕事のせいとか言う以前に、中高生の時分はそれほど陸上の強くない学校に身を置いてエースに祭り上げられていたがそれでは天道で通用しない事ぐらいわかっていたから陸上の練習も一杯したし、天道大学には学力で入るつもりでいたから勉強も一杯していた……要するにやっている事は現在とほとんど変わらなかった。だから友人を作ると言う方向に努力をしていなかった僕には、それほど友人は多くなかった。
「本当に陸上が好きなんだな」
あえて一番の親友を挙げるとすれば藤田だ。9回の内6回一緒に走った彼とは、競走でもプライベートでも会う事が多い。もっとも藤田は向こうの仕事や付き合い始めたと言う彼女の事とかいろいろ話してくれるが僕の話は基本的に陸上ばかりだ。こういう時に話のタネがないと言うのは困る物だなと思う。
相手が藤田と言う僕がどういう人間がある程度把握している人間ならそれでいいが、僕の事を何も知らない人間と話す時は正直問題だ。だからこそ自分なりに他の趣味を見つけようとしたり、あちこちから様々面白い情報を得ようとはしたりはしているが、所詮二の次三の次の事項でありいい加減かつ二番煎じの代物ばかりでさほど役には立たない。
「へえそうなんだ、寮でそんな事別段気にしてた風はなかったけどねー」
以前初月給何に使ったと言う話を藤田から振られた時、僕は枕と答えた。そんなに高級品と言う訳ではないし、就職するに当たって一人暮らしを開始した部屋の据え付け済みのベッドにも特段不満はなかった。そんな僕が枕を買ったのは、ただひとえに快適に眠りたいと言う欲望を叶えるためである。
大学時代、雑誌の取材で好きな女性タレントと言う質問をされた事がある。箱根駅伝のガイドブックを作っている出版社のして来るその質問に対し、僕は4年連続無回答だった。藤田はその時人気だった女優とかの名前を真面目に答えていたが、僕にはまずその質問にどれだけの意味があるかわからなかったし、第一最近の女性タレントの名前をよく知らなかった。仲間たちがそういう話題になった時の、僕の反応は多くの場合誰それだった。
ニューイヤー駅伝の枠は7+5名。東日本実業団駅伝より補欠が2枠多い。と言っても、箱根の10+6名よりはるかに狭き門でありそうそう開けられる物ではない。
で、11月後半に発表された7+5名の中に、案の定僕の名前はなかった。案の定だから落胆はない、でも残念だと言う気持ちはあった。僕は次回以降の出場を勝ち取るべく、落選を知らされるやまた通常通りの仕事と練習の日々に戻ろうとした。
でも12月になると、なぜか寂しさが込み上げて来る。
そうか、もう箱根駅伝は他人事なんだ。4年間ずっと、いやその前からずっと目標だった箱根駅伝が遠くに行ってしまった事を改めて実感し、ニューイヤー駅伝に関われない無念さがにじみ出て来た。まあそうであった所で僕の日常が変わる物でもないし。変えるつもりもない。もうそろそろ使えなくなる一年目の看板を必死に振り回しながら仕事をこなし、練習もした。
高校二年生の時以来(高校三年生の時は受験勉強の追い込みで必死だった)六年ぶりに暇な正月を迎える事になりそうだなと思いながら、お帰りなさいの声など聞こえない自宅に戻りスポーツドリンクをあおっていると突如スマホが鳴り響いた。
……何、テレビ局?
「もしもし」
一体何の用件なんだろう。
「実は正月当局で放送する箱根駅伝なんですが…」
その口上を聞かされた途端、12月にふさわしい室温10℃の部屋の中にいる僕の毛穴から嫌な汗が吹き出た。まさかと思いながらそれでと答えてみると
「往路の方のゲスト解説をお願いしたいと」
予想通りの答えが返って来た。まあ毎年の恒例であり往路復路とも2名のOBが出て来て何やかんや言うのが恒例であるし、その大半が昨年卒業した人間である事もよく知っている。しかしその4名に僕が入るとは思ってもいなかった。
「忠門大学OBの六角さんです」
完全に混乱した僕はえーと、あの、それで、ちょっとと言う時間稼ぎの言葉を連発して心を落ち着け、ようやくもう一人は誰ですかと言う質問をする事に成功し、そして絶望したくなった。
どうしよう、いざとなったらもう一人の方に寄りかかって黙っていればいいやと思っていたら六角って僕と同期じゃないか、そして面識がほぼない。
ちなみに復路は前回6区区間賞の周旋大OB宇治原と前回2区を走り任天堂の優勝に貢献した増田だと言う。ああどうしよう、その2人もやっぱりほとんど面識がなくてやっぱり頼れそうにない。
どんな口上を並べた所で降りる理由にはならない。監督に伺いを立てた所で先刻承知かよし行って来いかのどちらかである事は目に見えていた(実際は前者だった)し、僕にはもうはいわかりました以外の言葉を口にする事は出来なかった。
箱根予選でゲスト解説を務めた百地に相談してみようと思った、でも百地は僕と違いニューイヤー駅伝にエントリー(しかも補欠ではなく5区に)している身であり僕より確実に多忙だ。ましてや僕も自信がなかったとはいえ箱根予選の時彼のお願いを断ってしまった以上おいそれとも頼めない。
「どうしたんだそんな顔して、ニューイヤー落選したらしいけどな、だからってそんなに落ち込んでどうするんだよ」
僕が頼れるのは結局ここしかなかった。檄を飛ばしに行くとか言うもっともらしい理屈をつけて天道大学を訪れた僕を大木監督は学生の時の様に怒鳴った。何も変わっていないその声に少し安堵し、そして堂々と悩みをぶちまける事が出来た。
「へえそうか、まあこれからそういう大勢の前で話す機会なんて何べんもやって来るもんだからな。一年目にしてそういう体験ができるってのはかなりありがたい事だぞ」
大木監督の言葉はいつもながら力強い。でも、どうにも背中を押されたと言う気分にはなって来ない。自分自身、大木監督に会いに行くと言う行為に対して不甲斐なさを感じずにいられなかった。大学を卒業してもう9ヶ月も経っていると言うのにまだこの人に依存するのか、お前はもう一人前の社会人のはずなんだぞと自分を殴りつけてやりたくなった。
そういう訳で大木先生の檄をもらいながら顔を明るくする事ができない僕にどうしたんだよと大木先生は続いて声をかけてくれた。僕は甘えるんじゃねえと怒鳴られるのを観念して本心をぶちまけた。
「…………お前、大学でそんなに挫折しなかったからな。久保とかあれでトラック競技では日本人最強に近いんだぞ。駅伝では苦戦続きだけどそういう所での敗北が別の所に生きてる、って言うか生かしてるんだよ。ダメならばダメでいいじゃないかよ、思いっきり喋って来いよ、楽しみにしてるぞ。もちろん俺は監督車の中でどうせ又聞きしかできないだろうけどさ、忠門大学の柴原監督と一緒にあとでゆっくりお前の解説聞いてやるからよ。俺なりに改善点が見つかったら言っといてやるよ。まあ本当はすぐさま俺から卒業してもらいたいけどな、あと1年ぐらいならお前の悩みを聞いてやってもいいぞ」
大木監督の言葉は実に温かい、本当にこの人が師匠で良かったと思わずにいられない。10年以上憧れて来た師匠からのあと1年での旅立ち、果たしてできるのか否かはわからないが、やらなきゃいけない。その為にはまず目前の仕事を何とかせねばならない。
オーダーの発表は29日だ、都合4日で20+1チームの選手100+5名(+補欠)を把握せねばならない。
「でもさ、ゲスト解説なんてお客様みたいなもんなんだからさ、そんなに肩肘張るもんでもないと思うけどな」
大木監督はそう言ってくれたが、どのような話がいつ何時降りかかって来るか分かった物ではない。せめてランナーたちの事ぐらいは把握しておかないと話にならない。もちろん、4日ごときで百何十名を覚えようなどと言う都合の良い事ができるはずもない。それでも僕はランナーたちの実像を掴もうと必死だった。
久保や谷中、渡辺と言った天道の後輩たちはまだいい。それから日村兄弟や村松兄弟、来生のような箱根路を一緒に走った人間たちもまだわかる。問題は5月の記録会以降幾度か走った1年生だ。数年に一度の大豊作と言われるこの世代の事は正直把握できていない。もちろんタイムと言う面ではある程度わかるにせよ、どういう人間かわからないのでは迂闊な事を言えない。
同じ往路のゲスト解説である六角と、打ち合わせと言う名目で言葉を交わそうとした。でも大学時代全く付き合いのない六角との話は全くかみ合わない。その上に六角も悠長な物でまあ適当に答えていればいいんじゃないのかって言う調子だ。自分一人だけが追い詰められているような気分になって来る。
「まあね、大学時代からすごく真剣で真面目なランナーだってボクらの中でも評判だったからね、真剣になるのはわかるよ。まあ一応アドバイスしとくと、うちの後輩にこれまでの二戦以上に活躍できそうなのが一人いるんだよ、柴原監督も相当にプッシュしてたよ。そう言えば天道のキャッチフレーズって何だったっけ」
柴原監督ってのは30年間箱根に出場できなかった忠門大学を5年かけて出場させ、それからわずか1年でシードを取り、更に2年で過去最高の3位にした人だ。思えば僕が1年生だった時のあの悪夢の大惨敗、その時事前に一番耳目を集めていたのが30年ぶりに箱根路に帰って来た忠門大学だった。
天道のキャッチフレーズは僕が学生だった時から変わってなかった、「永遠の挑戦者」だ。それで太平洋が「ラン・フォー・ワン・セコンド」、略して「RFOS(アルフォス)」で任天堂が確か「未来への継走」だ。えっと忠門は何だったっけ…まずいよなあ、覚えないといけないのに。
「ミラクル大作戦だよ」
ミラクル大作戦?まるで子供向けのアニメか漫画みたいだな。天道や太平洋、任天堂と比べると恐ろしく柔らかい。忠門大学って昔からこうだったっけ……?
「まあね、大学その物のイメージとして天道や太平洋とは全然違ってたしね。昔からそうでしょ?ボクだってさ」
確かに忠門大は「軽い」大学だって言うイメージはある。割れ鍋に綴じ蓋とはよく言った物なのかもしれないが、それにしても
(「ものすごく悔しいですよ…………でも頑張りますよ、せめて弟にはいい走りをしてぼくらの無念を晴らしてもらいたいですから…………」)
予選会で無念の11位に終わり出場を逃した東方文化大学の、双子の1年生エース市川幸一から聞かされた話を思うと改めて世界の広さを感じる。弟の弘樹は学連選抜に選ばれているが幸一は走路員と言う名の裏方であり、自分たちが走りたかった空間を走っているランナーたちに背を向けながら交通整理をすると言うのがどれだけ悔しい事なのだろうか、正直同情を禁じ得ない。まだ来年があるからさ、としか僕には言えなかった。
仕事納めなんて言う物は僕にはない。例えニューイヤー駅伝から漏れた所で僕は安穏とした年末を過ごす事は出来ない。
今年があと60時間足らずになった所で発表された105人の面子を覚えなければならない、そして六角だけじゃなくテレビ局の人たちとも打ち合わせをしなければならない。ああなぜニューイヤーに漏れてしまったんだろう、走っている方がいくらか気楽だったと言うのに。
僕は自分の不才と怠惰を呪った。まあニューイヤー駅伝に選ばれる事って言うのと箱根駅伝のゲスト解説をやるって言うのは完全に別物の話だけど、補欠でも選ばれてればそっちに集中していたと言う名目である程度いい加減でも言い訳が利いたと言うのに。
って言うかテレビ局の人もいい加減にして欲しい、何だよ「柏崎のライバル」って!確かに4回同じ区間を走って2回先にゴールしたけど、どっちもこれまで築いて来てくれたリードを食い潰しての逃げ切りであって個人記録では惨敗じゃないか!
僕はただの天道大のOBだ、それ以上でもそれ以下でもない!そんな脳天気極まるフレーズで僕の事を紹介しようとしていたなんて、ああもう恐ろしくて仕方がない!
1月1日。僕はこれまでの4年間のどの時よりも緊張していた。と言ってもニューイヤー駅伝の開催地である群馬に行った訳ではない。ただ資料を漁っているだけだ。それぞれの区間を走る選手のデータを確認し、また当日変更の可能性がありそうな面子をチェックする。それだけで簡単に時間を過ごす事が出来た。
もっとも、僕が他の選ばれなかったチームメイトと一緒にチームを応援せずに資料ばかり見ていたのは明日の事もあるが、現実逃避の面も強かった。
1・2区と連続で出遅れたのが響き柏崎にタスキを渡した時には、優勝争いどころか10位だった。どうしてこうなったんだと思うと、情けなくて直視できなかった。そんな中でも柏崎は見事な走りを見せ、区間賞には2秒及ばなかったものの3人抜きの走りを見せた。
でも結局チームは総合8位、トップと3分差と言う残念な結果に終わってしまった。走れなかった僕が言える事ではないが、何とも悔しい話だ。
僕は僕なりにチームの無念を晴らすつもりで、なんとしてもゲスト解説と言う仕事をこなさねばならないと僕は自分の中で決意を新たにした。
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