3区・見る伊勢路

 11月第一日曜日、三大駅伝の第二戦・全日本大学駅伝がが行われようとしていた。


 前回1~6位の太平洋、天道、日本ジムナス、徳政、忠門、関東基督教。それから前回11・13位だけど箱根1・2位で出場権を勝ち取っていた任天堂に甲斐学院、そして予選を突破した稲田、下総、湘南、帝国、倭国。




「うちの娘がさー」

「うちの息子もどうしたのってうるさいんだよ」

 駅伝オタクと言われた事もある。でも実際、僕が小学生の時のヒーローは変身ヒーローでも戦隊ヒーローでもなく、大木監督だった。大木監督に憧れどうすればあそこに立てるか考えて小中高時代を過ごして来たと言っても過言ではない、だから延々と駅伝が放送されていても何の問題もなかった。

 でも世間は違う。競技開始は午前8時からだが、昨今の盛り上がりを加味してか事前番組は午前7時から始まる。入社してから陸上とまるで関係のない先輩や上司に駅伝の日って大変だよと言われた事が何度もある。

全日本大学駅伝の開催日は11月の第1日曜日、そう日曜日だ。普通の日曜日には子どもたちが楽しみにしている変身ヒーローや戦隊シリーズ、変身ヒロインなどのアニメが放映される物だ。ところが、全日本大学駅伝の開催日はそれが放映されない。結婚して子どもを持つ父親としてはいささか困り物かもしれない。いや、それだけではない。


「ファンが多いに越した事はないんだがさ、正直な話柏崎や田井中の影響って奴が妙な空気を作り出しててな…」

 半年前の記録会が終わった後、任天堂の周防コーチにこうぼやかれた。柏崎と言うこの4年間学生駅伝界に君臨して来た存在がいわゆる萌えアニメ好きと言う事で、そこにいたファンがなだれ込むかのようにこの世界に入り込み、また元よりそういう趣味嗜好を持っていた人間が箱根の代名詞的存在たる柏崎がそうなら問題ないだろと言わんばかりに自分の嗜好をオープンにし始めたらしい。その上に幸崎監督が言っていた話だ。

 更にもう一つ天道大を卒業しかけの頃に田井中から聞いた話だが、1日何十キロと走るのが当たり前→練習で疲労して外に出ようとしない→練習終了後部屋の中で何をするか→アニメを見る→それでハマると言う流れらしい。あとこれも田井中が言っていた事だが、同じ陸上でも100mの様な短距離ならば競技の時間は十数秒だが、1区間20キロ越えの箱根駅伝の場合競技の時間は1時間以上になる。正直孤独な戦いであり、そういう孤独な戦いに疲れた人間が目先の癒しとしてアニメや漫画に向かう、らしい。

「まあ私としてはさ、程度さえ弁えてくれれば別にいいんだけどさ…」

 周防さんは僕が中学三年生の時まで任天堂に所属して箱根を3回走り、うち2回の優勝に貢献した名ランナーだ。実業団に進んだ後故障で挫折し、その後母校である任天堂のコーチになったのは一昨年の話だ。昔から大木監督と天道に憧れていた僕にとってはヒール的存在だったが、それでも真面目でしっかりとした安定感のある走りは素晴らしかった、僕とは全然違う。

「いい年こいてそういうアニメとかどうなんだって私は思うんだよね、それでそういう人間たちがさ」

「まあまあそんな事言っても始まらないでしょ」

 柴原監督が止めなければ周防さんはいくらでも舌を動かしそうだった。詰まる所、柏崎の影響で箱根駅伝に群がって来たアニメが好きな人たちがやたら増えているらしく、それにいささか閉口しているらしい。真面目でしっかりとした人だけに学生たちとそれを取り巻く現状を本気で憂えているのだろうが、別にどんな趣味嗜好を持とうが迷惑をかけなければいいじゃないかと僕は思っている。僕の趣味は走る事であり駅伝を見る事だ、それで文句あるか。




 と言う訳で僕は全日本大学駅伝を見るべく、日曜日で仕事も練習もないのをいい事に部屋に籠ってテレビに釘付けになった。

 全日本大学駅伝とか言うが、実際は関東とその他だ。去年12校出場した関東の大学の内最下位は13位の湘南大学だった。つまり上位13校の内12校が関東であり、他の14チーム(順位のない日本学連選抜・東海学連選抜を含む)はほとんど関東の学校に歯が立っていない。去年箱根に特別登場した使命館大学が10位に入ったが、関東以外の学校がベスト10に入った事自体6年ぶりである、ましてやシード権(6位以内)なんて1度もない。関東+山梨の学校しか出られない箱根駅伝が堂々と学生三大駅伝を名乗れるのはほぼそんな訳だ、なればこそ他地区の学校も打倒関東を目指し全力で挑んで来る。

「悔しいけれど、とにもかくにも道のりがあると言う事はありがたい事です」

 出雲で徳政に勝った山城産業のエースだ。前回の使命館の健闘が認められたか、今年もまた他地区の学校に1枠が与えられる事になった。条件としては


 ① 出雲駅伝または全日本大学駅伝で6位以内に入った学校全て。

 ② ①に該当する学校がない場合、全日本大学駅伝で関東最先着の学校から10分以内にゴールした大学。ただし複数出た場合はその中の最上位のみ。


 となっている。一見門戸が広がったように見えるが、これじゃはっきり言ってこの全日本大学駅伝が箱根駅伝の予選みたいだ。まあ現状を鑑みれば仕方がないが、何とも屈辱的な規約だと思う。これを機に各地の大学にも奮起してもらいたいと言う事なのだろうし僕も期待しているが、実際この仕掛けが真っ当に機能するまで何年かかるのだろうか。


「学生三大駅伝第二戦はこの伊勢路です、最速のお伊勢参りとも言われるこの戦い、制するのは出雲の王者天道か、太平洋か、それとも任天堂か、あるいは……そしてこの伊勢路から箱根へと飛び出すチームは現れるのか。まもなく銃声です」

 アナウンサーの口上と共に映像はゴールへと向かった。

 ……何だこれは。なんでこんな所にアニメめいた女性の絵があるんだ。その絵が描かれた横断幕には一緒に「それ行け倭大!ファイトだ田井中!」と言うこちらはやけに重々しい文字が書かれている。スマホで見てみると、倭国大のアンカーは田井中だった。あちらこちらに学校の名前が書かれたのぼり旗が立ち並ぶ中、何とも異彩を放っている。まあとにかく何にせよ思いを込めて走る事は大事だよなと軽く苦笑いし、心を落ち着けるべく僕はスポーツドリンクを口に含んだ。


 号砲が鳴ると同時に飛び出したのは、派手なユニフォームを身にまとった下総大学だ。一緒に走っている時から派手だと思っていたが、こうして離れて見てみるとなおさら派手さが目立つ。1区は予選通過の原動力ともなった下総の3年生エース北越、他の有力校が比較的薄めの面子を揃える中こういう大勝負に出た辺り幸崎監督も勝負師だと思う。全日本大学駅伝のエース区間は基本的に4区とアンカーの8区であり、太平洋と任天堂はその2区間にエースの兄弟を置き天道は4区に谷中、8区に久保を据えている。

 3回の伊勢路でアンカーばかり走って来た身としては責任の重さは筆舌に尽くしがたい……とは言えない。これまでの7人の走りをふいにしてはいけないと言う意味ではアンカーの責任は重いが、この後の事を考えなくていいと言う意味では気楽でもある。1秒前に出ればそれが勝利と言うわかりやすい世界であり、逆にこれから走る全員の運命を左右する1区は3年生の出雲の大ポカがあるせいかわからないがどうも個人的に苦手だ。そういう意味で箱根のアンカーとしてひどいブレーキをしながらああして出雲で立ち直った久保は立派だと思うし、これを機にアンカーと言う立場のトラウマを払拭してもらいたい。まあ去年アンカーに回されたのは体調不良のせいだろうが、今後の競走人生でまたアンカーを走らされる事がないなんて誰も断言できないのだ、まあ僕の1区についてもしかりだから大きなことは言えないが。


 結局、下総のエース北越は鹿児島工業の留学生に次ぐ2番目でタスキを渡し、3位に32秒差を付けた。で、14位までに関東以外の大学は鹿児島工業しかない。まあ14位の徳政と15位の山城産業は同タイムだが、これが恒例でもある。いや、問題はむしろここからである。

 駅伝は参加者全員の力を合わせる物だ。それだけに一人のエースでは勝てないが、逆に一人のブレーキが重くのしかかる。と言うか地方の学校にもエースはいる(留学生もしかり)が、2番手3番手以降が問題だ。天道と山城産業の8番手のランナーの10000mの記録を比べると1分30秒の開きがある、天道と太平洋には5秒しかないのにだ。箱根予選はああいう結果になったが、僕としてはエースより下が大事と言う考えを崩す気はない。僕があの時感じたのはあくまでも、下からひたひたと迫って来ると言う感触であって流れの変化じゃない。

 1区2位だった鹿児島工業は2・3区と連続で区間19位と振るわず、気が付けば総合15位になっていた。去年一種の旋風を巻き起こした使命館は主要メンバーの卒業でその時には程遠い戦力しか残っておらず、去年箱根で日本学連選抜の一員として箱根8区を走って区間賞を取った大エースと言うべき新島を4区に抱える八重大は3区の時点でブービー。

「やはり、山城産業しかいないのでしょうか」

 名古屋のテレビ局のアナウンサーの声には悲痛な色が混じっている。確かに山城産業は3区終了時点で12位、徳政と倭国と言う関東の大学2校に勝ってはいる。だがトップ任天堂とは4分30秒差、4・8区にそれほど強力なランナーが残っている訳でもない山城産業にとって、箱根への5分半と言うタイムリミットは余りにもきつい。

 と言うか天道は何をやっているんだ。1・2区と連続区間9位とがっかりなスタートになってしまい、そのせいか3区に据えられた渡辺も出雲路の活発なそれとは程遠いぎくしゃくとした走りになってしまい区間3位と優勝を狙うチームとしては物足りない結果に終わり3区終了時点で7位、トップである任天堂と2分26秒の差を付けられてしまっている。

 それでも4区谷中ならば何とかしてくれるだろう、それが僕の期待であり大木監督の期待だった。だが運命と言うのは時に意地の悪い物である。谷中から3秒遅れてスタートしたのが、湘南のエース橋川と稲田のエース松嶋だった。予選会でも下総の北越と共に日本人1・2位を争い1秒差で松嶋が先着、同タイムで北越と橋川がゴールした。疲労はあるかもしれないが絶好調な上に実力も確かな2人であり、意欲も人一倍だろう。ましてや天道が隣と言うのがなお2人に力を与えた。

 ここ3年間の2校の情勢は正直良くない。稲田は3年連続箱根シード落ち、湘南に至っては3年連続箱根不出場。両校とも今年が勝負の年であり何が何でもと言う思いはどこよりも強いだろう。箱根予選のトップ通過を下総に持って行かれた時の橋川や松嶋を含む両校の仏頂面、取り分け湘南のそれは正直葬式帰りのようなレベルだった。出雲に出られない事が9ヶ月及び1年前にわかっていた両校にとって2年連続出雲王者の天道は格好の目標であり、実際谷中の背中を突き合うかのように2人して仕掛けて来た。谷中も負けじと張り合う物だから3人して順位が上がって行けばよいのだが、それがままならない。よりにもよってと言うべきか、第3中継所を6位で飛び出したのが甲斐学院であり、8区でなく4区に留学生を据えて来た。当然、抜ける物ではない。じゃあ5位をと思ったが5位の帝国は50秒近く前であり目標にするのは難しい。目標が見えないレースほど辛い物はない、ましてや予想よりもかなり悪い位置でのそれとあっては……谷中の苦しみを思うと胸が痛みそうになった。


「もう時間はない!!」

 そんな僕の背筋を伸ばさせたのは一発の銃声だった。1~4区で10分、5~7区で15分遅れると繰り上げスタートになりタスキを繋ぐ事はできなくなる。事前に何かあったのかそれとも単に遅いだけなのかはわからないが、任天堂がタスキを渡してから10分以内にタスキを繋ぐ事が出来なかった1つの学校のランナーが心底落胆した様子で中継所に入り込んで来た。当たり前だろう、ほんの5秒早ければタスキは途切れなかったのだから。もちろん天道は去年2位の、優勝争いが求められるチームだ。でもそれぞれのチームにはそれぞれの戦いがある。その事は決して忘れてはいけない。天道には天道の戦いがあり、谷中には谷中の戦いがある。

 区間賞。

 谷中は途中から並走状態に持ち込むと残り2キロで橋川と松嶋を振り払い、甲斐学院の留学生をも2秒差で破って見事にその称号を手にした。そして総合順位も2つ上げて5位まで持って来た。御の字と言うべき走りだ。僕の様に売られた喧嘩を買ってそのまま殴り合いになってしまうような走りではなく、冷静に状況を受け止めた上での判断であり実に素晴らしい。

 もっとも、谷中の素晴らしさと天道の素晴らしさは別物だ。谷中の好走を後続のランナーが作った流れはどうも受け継げず、甲斐学院こそ抜いたがそれきり順位が上がらない。それでも前とのタイム差が詰まっていれば話は別だが、7区に入った加藤って言う太平洋の1年生のあわや区間新と言う快走があり、7区終了時点で先頭太平洋との差は2分50秒。何やってるんだ、時間を無駄にしただけじゃないか!


 それでもアンカーの久保には一縷の望みをかけてはいる、せめて2位にならないと格好がつかない。2位任天堂との差は第7中継所の時点で1分25秒、相手が村松隆二とは言え久保ならば逆転不可能な差でもあるまい。久保は落ち着いた走りでじっくりと歩を進め、しっかりと前との差を詰めて行く。5キロの通過タイムを見ると、去年の僕より2秒早かった。不安がなくはないが、序盤から飛ばす僕と後半追い上げる久保では訳が違う。この調子ならば行けるぞと一瞬思い、そしてすぐバカだとつぶやいた。タイムはともかく、差が全然詰まっていなかったのだ。

 やはり久保にはどこかアンカーと言うポジショントラウマがあるのかもしれない。でもそれを克服させるために大木監督はお前をアンカーに起用したんだろうしっかりしろと、今回は声を上げて口にした。届きっこないのはわかっているが、実際言わずにいられなかった。

 何せ、太平洋はおろか任天堂との差も一向に詰まらない。5キロで5秒、10キロで18秒……いくら相手も強いとは言えもうレースは10キロしかないんだぞ!前半抑えたからには後半上げろ、何のために抑えてるんだ!

「大木監督が声を張り上げます!お前はアンカーなんだぞ、もう余計な事を考える必要なんか何もない、ただただ飛ばせと大木監督の檄が伊勢路に響き渡ります!」

 残り5キロ、大木監督の檄を受けてかようやくエンジンがかかったかのように追い上げを始めた久保。

 だが、もう手遅れだった。余り突っつかれなかったせいで前に比較的余裕があり、その結果相手も悠々とスピードを上げる事が出来ていた。「自分が苦しい時は相手も苦しいと思え」は一種の勝負訓だが、自分が楽な時は相手も楽だと思えもまた一つの真理だった。




 優勝 太平洋大学 5時間12分58秒

 2位 任天堂大学 5時間14分36秒

 3位 忠門大学 5時間14分50秒

 4位 天道大学 5時間15分16秒

 5位 稲田大学 5時間18分34秒

 6位 湘南大学 5時間19分21秒


 ――――――――――以上次回大会シード権獲得――――――――――


 7位 下総大学 5時間20分5秒

 8位 甲斐学院大学 5時間20分18秒

 9位 帝国大学 5時間20分47秒

 10位 倭国大学 5時間21分36秒

 11位 日本ジムナス大学 5時間22分0秒

 12位 関東基督教大学 5時間23分15秒

 13位 徳政大学 5時間23分50秒

 14位 山城産業大学 5時間25分59秒




 ――4位。天道が全日本でこんな悪い順位になったのは8年ぶりだ。屈辱的惨敗と言っていい。結局久保も前3人に次ぐ区間4位に過ぎず、大木監督の期待に答える事はできなかった。

 何がエースだ、しっかりしろ!

 案の定、久保たちは大木監督に相当どやされたらしい。出雲の勝利に浮かれ上がって一体何をやっていたんだお前たちは、この調子で箱根が取れると思うのか……!と。

 そりゃまあ当たり前だろう、僕だってそうする。

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