6区・最後の箱根
「およそ80年前、3度に渡り関西の大学が正式参加しました。50年前、記念大会として関西と九州から2校が招待されました。そして今年、50年ぶりに関東以外の大学が単独チームとして箱根路にやって来て、80年ぶりに正式参加する事となりました。使命館大学の学生・関係者たちの思いは如何ばかりでしょうか。何より、この箱根で10位以内に入れば翌年のシード権も与えられます。出雲、全日本と関東の大学と互角に渡り合ってきた使命館ならばあるいはの期待も高まっています。それに対し関東の大学も使命館を迎え撃つべく、そして何よりそれぞれの勝利を得るべく態勢を整えています。出雲の覇者天道か、柏崎箱根ラストランの太平洋か、ディフェンディングチャンピオンの日本ジムナスか、はたまた昨年のように思いも寄らぬ学校が優勝するのか。史上最多25本のタスキの内、真っ先に大手町に帰って来るのは一体どこのタスキなのか。箱根駅伝記念大会、開幕までもうまもなくです」
僕はもう既に小田原中継所にいて、テレビでアナウンサーの口上を聞いていた。日本学連選抜として関東以外の学校が箱根を走ったのは5年前にも一度あった。けど単独チームとしては半世紀ぶりになるらしい。その時大木監督は3歳かそこらのはずだ。まさに過去の歴史であり、遥か遠い存在であった。それだけに、使命館関係者の鼻息は相当に荒い。沿道や中継所にはためく使命館ののぼりもずいぶん元気だ。
その上に日本学連選抜である。
湘南、東亜、明公、吉田、菟玖波、皇室、共立と言った関東の学校。山城産業、鹿児島工業、東北篤志、八重、平和、名成、尾張、博多、大分文理と言った他地区の学校。各1人ずつ計16人(うち6人は走れないが)、24校の出場校と合わせて40校のランナーがこの箱根路に控えている。今年の箱根予選の参加校と同じ数だ。6人を差し引いても34校のランナーが箱根路を駆け抜ける事になる。見ている分にはこれほど楽しい駅伝はないだろう……見ている分には。
関係者としては大変などと言う次元ではない。いつもの20チームでも大変だと言うのに、25チームとなると当然用具その他、職員も更に必要になる。参加者とて同じだ。関東のチームについてはまだいいが、他の地区のチームのデータがまるでなかった。天道の敵は太平洋だけだから他の地区なんぞ関係ない?去年の事があった以上、いやそうでなくとも3年前の徳政や関東基督教があった以上無視する事なんかできるか。
でも本当に他地区の大学の資料がない。使命館や鹿児島工業、山城産業はまだともかくその他となるとまるでないに等しい。結局、インターネットから探して来た数字しか見つからなかった。実際数字的には天道から比べれば一~二枚劣るが、正直どういう走り方をするか想像もつかない。
日本ジムナス、太平洋、徳政、関東基督教、下総、任天堂、相模、忠門、帝国。稲田、甲斐学院、城東、下野、中心、文学院、倭国、維新、東方文化、そして周旋、嘱託、無双、東京アグリ。これだけでも大変だと言うのに更に32人である。正直400人、少なく見ても250人のランナーの実情を把握するのは無理だ。ある程度は一か八かで臨むしかないのだ。
いよいよスタート5分前だ。白かったり青かったり紫だったり赤かったり黒かったり緑だったり……様々なユニフォームがズラリと並んでいる。その姿は壮観であり美麗でもある。しかし何よりその姿を美しくしているのは、25人全員がこの駅伝に賭ける闘志を漲らせているからだ。
「歴史の継走は今、新たなる時代を迎えようとしています。果たしてその新たなる時代の覇者となるのは一体どこか!」
8時ちょうど、ピストルが鳴った。25人のランナーが一斉に飛び出して来た。正直、展開については予想がつかなかった。出雲や全日本みたいに誰かがいきなり飛び出すのか、それともよくある展開として大集団になるのか。
あれ、1キロもしない内に集団が縦長になって来た、そして誰か飛び出して来た。この緑色のユニフォームは関東基督教だ。3年前の箱根以来安定勢力になりつつある関東基督教だが、1区からこういう戦法を取って来たのは驚きだった。そしてそれに付き合うように前を走っているのは下総大だ。あとの23人は縦長とは言えほぼひとかたまりだ。天道はと言うと…ああ、えーと…まあ10番目ぐらいか。縦長とは言え23人の大集団、お目当ての選手を探すのに一苦労させられる。それで太平洋は……ああその少し後ろで15番目ぐらいか。
しかし実際問題、これだけのチームがいると先頭より後ろの方が気になる。シード権狙いと言っても20チーム中の10位と25チーム中の10位では訳が違う。9チームに負けてもいいではない、15チームに勝たねばならないのだ。予選会の順位なんぞ本戦において全く関係ないのはこの3年でいかんなく証明されている。もちろんそんな所でレースをするなど個人的には真っ平御免だが、3年前の件があるだけに何も言えない。
この縦長の集団はばらけないまま10キロを通過、以前としてその前を関東基督教と下総が走っていた。その両校のペースはと言うと、別段速い訳でもない。両校と集団の先頭であった徳政との差は大体20秒、ここ5キロほど変わっていない。淡々とした展開で面白くないのかカメラは先頭ではなく使命館と山城産業(日本学連選抜)ばかり映していた。この両チームは太平洋の少し後ろ、18番目ぐらいを走っている。
「使命館の監督は言いました。今年はまだタスキをつなぐのが精いっぱいかもしれない、けれどいつかはシード権、やがては優勝。うちでないとしてもどこかの大学がそれを成し遂げるかもしれない。その新たなる時代の先駆者として恥ずかしくないレースをするのが自分たちの役目だと」
新しい時代。それは柏崎の時代が終わり、新たな主役が君臨する時代なのだろう。その主役が誰なのかは知る由もない。今の僕らにできるのは新たなる主役が天道に挑むと言う構図を作り上げる事だけだ。
「ちょっと後方が離れて来ました。無双と嘱託が集団から15メートルほど離れました。更に東方文化も置いて行かれそうです」
「先頭ですが下総が仕掛けました!一方で10キロほど先頭を走り続けていた関東基督教が下総について行けません!」
そうしている内に遂にレースが動き出した。3校が集団から遅れ出したのだ。そして前では下総が関東基督教を置き去りにした、そしてそれを見るや集団が一気にばらけ出した。天道は太平洋や徳政など他の有力校と共に前を追う側に回った。よし手ごたえは悪くない、そのままの調子で行けばいいんだ!
「前回覇者日本ジムナスが少し心配です。現時点で14位、トップとは35秒ほどの差。3区には戦前に不調が伝えられ2区を回避したエース百地が控えているとは言え正直1区でこの出遅れは不安が残る所です」
一方で日本ジムナスはやや振るわない。エースが回避と言えばうちも2区予定だった久保が直前に貧血で体調を崩し補欠での登録だった。復路のどこかで使うのだろうが、正直往路の勝算はかなり薄くなっている。とにかく渡された順位でそれ相応の走りをするしかない。
「しかし今日はかなり寒いです。予報によりますと平塚中継所付近の今日の最高気温は7℃、小田原中継所では6℃です」
確かに今日は実に寒い。3年前は真っ昼間だったアンカーで一昨年は気温差が大きいと言われる7区だったが終始8℃近くと恵まれた条件で、去年は風こそ強かったが気温は芦ノ湖でも6℃あった。100m上るごとに気温は0.6度下がると言うが、標高10mの小田原中継所と732mの芦ノ湖では都合4℃違う、874mの最高点となると5℃違う。小田原中継所が7℃だとすれば最高点は2℃だ。その寒さを鑑みてか、僕は9回目の駅伝にして初めて長袖のユニフォームを着こんだ。この寒さがどういう影響をもたらすのか僕には及びもつかない。流石に積もりはしないだろうが雪も降るかもしれない、いや雪はむしろ今夜の方が怖いかもしれない。6区はどうなるのだろうか。
「下総が15キロを通過しました、そして現在2位が関東基督教ですが天道や徳政がじわじわと迫っています」
いやいや、今は目の前の1区に集中しなければ。依然として下総のランナーが好調で関東基督教も下総には離されたものの依然として天道や徳政を寄せ付けない。ただし太平洋はやや離れている。とりあえず太平洋を1秒でも離せればありがたい、そうしてもらいたい。
「残り3キロ、天道が動きました!関東基督教を捕らえ2位に上がりました、一方関東基督教はスピードがガクッと落ちてしまいました、あっ今徳政にも捕らえられそうです」
よし来たと思わず声を上げずにいられなかった。とりあえず太平洋とのタイム差が肝要で順位は二の次なものの1つでも前であればありがたいに越した事はない。結局区間賞は下総だった。以下天道が15秒差、徳政が18秒差、太平洋は39秒差の7位、そのすぐ後ろ41秒差で日本ジムナス。一方で関東基督教は後半止まってしまい1分40秒差の17位とかなり苦しいスタートになった。
2区。久保を使えなかった天道と百地を使えなかった日本ジムナス、そして澤村を使えなかった学連はやや苦しい戦いになりそうだ。
耳目を集めるは太平洋の日村恵一、甲斐学院の留学生、忠門の来生だ。久保に百地、澤村がおらず倭国と嘱託は留学生を3区に回しているため2区の区間賞争いはこの3人だろうと言うのが戦前からの評判だった。
運命のいたずらと言うべきか忠門と甲斐学院は1区で12、13位(しかも2秒差)であり太平洋とも20秒しか差がなかった。留学生と来生のスピードならば追い付くのは時間の問題だろう。
そして案の定と言うべきか、3キロもしない内に2人が日村恵一に取り付いて来た。そしてその3人がひとかたまりになって下総、天道、徳政の先頭集団を追って来た、そして7キロの地点で早くもその3人が先頭集団になった。ある程度は仕方がないとは言え、ここで離されると後でどのような悪影響が出るかわからない。ましてや柏崎の控える太平洋に離されるのは避けたい所だ。
……あれ?太平洋が少し下がった。どうやら柏崎がいる以上ここで無理をする必要はないと言う訳か、確かにその通りだ実に冷静だ。しかしだとしても日村恵一のスピードが衆を圧倒するそれである事は紛れもなき事実であり、何とか付いて行かないといけない。しかしさすがは花の2区、徳政もエース北池を投入し天道を突き放した。さすがに日村恵一には分が悪いもののこちらのランナーよりは上だ、さすが徳政のエースを言うべき所か。後ろでは倭国の田井中と城東の岩田のタイムがいいようだ。
「ここで甲斐学院が仕掛けました!来生が5m、10mと離されて行きます!」
権太坂でレースは動いた。必死に走っていた来生だったが留学生がギアを1段階上げるとついていけなくなった。……いや、ついていけなくなったじゃ済みそうにないぞ。
「2号車です。天道が順位を落としそうです。後ろからやって来た城東の岩田の姿が大きくなりつつあります。この岩田に抜かれると天道は6位に後退と言う事になります」
もちろん天道が順位を落としそうだと言う話は気になるがそれ以上に来生の走りが気になる。はやく先頭を映せと思ったが今度はずっと使命館に貼り付いているバイクに行ってしまった。確かに使命館のランナーに耳目が集まるのはわかるが今は早く来生を映してくれと内心慌てふためいた。
「2号車です。現在4位の日村恵一の所に来ましたが正直日村恵一のペースもあまりよくありません、権太坂の時点で25人中9位、実力からすると物足りないペースです。しかしそれ以上に来生のペースが上がりません、この1キロで3分20秒かかっています」
権太坂から戸塚中継所まで7.8キロある。2区最大の難所と呼ばれやすい権太坂だが、それ以上に厄介なのは残り3キロの登り坂だ。その残り3キロで幾多の名ランナーが区間新を阻まれた。そしてその残り3キロの前にそんなペースになってしまうのはかなりの危険信号だ。日村恵一が来生よりはましにせよ振るわないのは天道としてはありがたいが、天道も天道で区間11位なのでもったいない話である。にしても来生の足取りが重い。見ていてちょっと心配だ。
「来生が苦しんでいます、日村恵一に続き城東の岩田にも抜かれました、そして天道の姿も大きくなって来ています!」
3号車(2号車じゃなく)のアナウンサーの実況も重苦しい。
っておいCMに入るな!「来生が大変です!」じゃないだろ!
…まあ民放なんてそういう物だしCMが入っちゃうのは仕方がないんだが、実際こんなタイミングでとは思う。まあ視聴者の人はこの間甲斐学院の留学生は頑張っているのか来生はどうなっているのかと心配しつつも楽しむ事ができるが参加者からすればたまった物ではない。もっとも、個人的に連絡を受けていない訳ではないが、それももっぱら天道中心で来生については入って来ない。
「来生のペースが上がりません!忠門のエース来生が苦しんでいます、現在9位にまで落ちてしまいました!残り4キロ、非常に苦しそうです。この1キロは3分27秒、まだ最後の3キロの上りに入る前にこのタイム、来生は大丈夫でしょうか!」
同じランナーとして見るに堪えない姿である。甲斐学院の留学生に喧嘩を売ったのが理由でもあるまいに、これほどの失速をするランナーではなかったはずだ。寒さに弱いとでも言うのだろうか?しかし学生駅伝のシーズンは秋冬だ、それでこれまで戦果を挙げて来たのは何だ?あるいは久保のように調子を崩していたのかもしれない。とにかく1人のランナーとして来生の無事を祈らずにいられなかった。
一方で先頭の甲斐学院の留学生は最後の坂でやや手こずり区間記録の更新こそ逸したもののそれでも快ペースで飛ばし、結局区間記録と7秒差でタスキリレーを果たした。2位はと言うと終盤追い上げた城東の岩田が徳政の北池を捕らえ、太平洋の日村恵一は順位こそ4位とするも区間8位、甲斐学院とは1分40秒差と期待外れと言う結果に終わった。天道はその太平洋の次の5位で区間11位、トップとは1分50秒の差となった……それで来生はと言うと、歩いたり倒れ込んだりこそしなかったものの最後はほとんどまっすぐ走れない状態で結局区間19位、チームは17位まで落ちてしまった。ほぼ同時スタートとなった甲斐学院とのタイム差は4分ちょうど。何とも重い十字架である。
だが一方で1区苦戦した関東基督教は区間3位で走り総合7位まで上げて来ていた、何だかんだ言っても収まるべき所には収まっているじゃないか、僕は来生が無事ゴールしたのを含め安堵しながら再びモニターに目を向けた。
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