2区・関東インカレ

 毎年恒例の関東インカレだ。


「まあお前なら問題なしか」

 去年と同じように、僕は2回走る。今年は10000とハーフだ。僕の中で去年は大舞台での腕試しの意味合いが強かったインカレだけど、今年は違う。


 僕らは完全な挑戦者だ、太平洋・関東基督教・徳政・日本ジムナスに挑む挑戦者だ。その挑戦はここから始まっていると言っても過言ではない。相手より1秒でも先、いや0.01秒でも先にゴールしなければならない。それでこそ天道の強さを見せつけられる、天道が王者をうかがうにふさわしい事を見せつけられる。それで警戒してくれるのならばそれに越した事はない。



「昨シーズンはずっと悔しい思いを抱えて過ごして来ました。この最終学年を笑って終わるためにも今シーズンは何が何でも取ります!」



 マスコミやファンの耳目が集まるのは当然ながら柏崎だった。あの故障から7ヶ月余り、柏崎がどれだけ悔しい思いをして来たかは想像に難くない。

 けれど、悔しい思いをしたのはこっちだって同じだ。従前の柏崎がどれだけ戻っているかは知らない。ただそれにせよ柏崎と言う名前だけでこちらは怯む、少なくとも身構える。それだけでも効果と言う物はあるのだろう。エントリーはやはりと言うべきか10000とハーフ、僕と同じだった。負けたくない。今の柏崎に勝っても自慢にはならないかもしれないが、とにかく勝ったと言う実績が欲しかった。

「1つでも上の順位でゴールする事が僕の役目です」

 僕にも取材が来た。そしてマスコミの人はこの僕のコメントにおやっと言う表情になった。自分がこの3年間どういう走りをして来たか、その結果どういうイメージを持たれているかは大体わかっている。最初から他のランナーを顧みることなくかっ飛ばす、そしてそのままゴールまで逃げ込むと言うスタイルはよく言えば常にマイペース、悪く言えば相手を見ていないと言える。その割に勝負に熱くなりやすい、以上の事からマスコミは僕の事を1秒でも早くゴールしろ、そうすれば自然と他のチームに勝つ事も出来ると言う考えの人間と思っているようだ。…まあ実際そうなのかと言われれば否定する気はまるでないのだが、今回は違う。

 天道を王者に戻させる、そのためにも天道の強さを見せ付けねばならない。相手が留学生だろうが柏崎だろうが箱根の金栗賞の藤篠だろうが知った事か、僕は僕の走りをして天道の強さを見せつけてやるのだ。

 ……とか言っても僕のやる事は変わらない。例によって例の如く最初からアクセル全開でかっ飛ばし、そのまま最後まで粘り込むと言ういつも通りのレースをするだけだ。


 柏崎を始め下総の藤篠、徳政の関田、忠門の来生、日本ジムナスの百地。エースの二つ名にふさわしい人間たちがズラリと揃った10000mのスタート地点。もちろん甲斐学院や倭国大の留学生もいる。天道にだって久保がいる、そして僕がいる。

 号砲が鳴った。最初からアクセル全開で行く、逡巡など許されない。絶対的な速度ではかなわないだろうが、長く最高速を続けてはたき落とす。だからこそ、入学時は苦手にしていたスタートを磨いて来た。ハーフならまだともかく、10000ではその出遅れが運命を分けてしまう。

 しかし柏崎はやはり強い。この強引なはずの僕のペースに付き合って来る。もっとも本来の柏崎ならば僕など置き去りにして更に前に行くであろう事を考えるとやはり戻りきってはいないのかもしれない、それでもさすがだと思う。


 しかしおかしい、離れてくれない。柏崎が離れてくれないのはわかるが、5000mを走ってもまだ15人以上くっついている。柏崎、藤篠、関田、来生、百地、久保、留学生2人……これでもまだ8人だ。一体何がどうなってるんだ、ええい鬱陶しい!

 僕はまたいきり立ってギアを1段階上げた。

 いい加減離れろ、ついてくるな!と言わんばかりに4~5キロの2分55秒から次の1キロを2分48秒にしてやった。どうだ参ったかと後ろを振り返ってみたが、それでもまだ10人いる。もちろん、僕程度のスピードに付いて来られないようではしょうがないのだが、それにしてもこぼれ落ちない。その状況を見た僕はもう頭に血が上ってしまった。

 我ながらどうにもならない悪癖だが、それを武器にして、と言うよりそれと付き合うためにこんな戦法になったのだ。元々は大木監督の教えだけど、大木監督は僕の性格を見抜いていたのだ。改めて偉大だと思う。その偉大なる大木監督に報いるためにも、僕は負けられない。なんていう理屈を言えたのはゴールした後の話、その時はもう何も考えられなくなっていた。

 あんなペースで飛ばしてさらに加速するなんて一体どこにそんな力があるんだとはよく言われるが、極めて単純な話で、負けたくないからだ。

 それでも絶対的な実力の差、個人的な限界だけはどうにもならない。


 ……ついに足が鈍ってきた。あと残りはもう1000mだが、この時になってもまだ5人も真後ろにいた、そして前には柏崎がいた。残り1600の所で仕掛けを許し、僕は8000m以上守り続けて来た首位の座を明け渡してしまった。もちろん柏崎を追い掛けたい、けれどもうスタミナはほとんど残っていない。現在の速度を維持するのがやっとで、前を追い掛けるなど土台無理な話だ。もっとも後ろも同じだけ疲れているはず、挫けてたまるかとばかり気合を入れ直そうとしたが、足が付いて行かない。まあ、後ろも疲れていると言うのは真実だったが、それでもなお甲斐学院の留学生・久保・来生の3人はついて来ていた。結局、最後の400mで僕は表彰台から引き摺り下ろされてしまった。久保の追撃は凌いで先輩としての面目は保ったとは言え、28分51秒97と去年より5秒縮めたとは言え、正直不満だらけの競走だった。


「天道の強さを見せられなかったです」


 優勝が柏崎、2位が甲斐学院の留学生、3位が来生、4位が僕、5位が久保。そして6位が倭国大の留学生、7位が藤篠、8位が百地。

 要するに入賞圏内(8位以内)に2人入ったのは天道だけだった、確かにそういう意味では天道の強さは見せられたかもしれない。でも個人的な競走では僕と久保は柏崎に負けた、そして甲斐学院の留学生にも来生にも負けた。天道のエースの久保が、太平洋・甲斐学院・忠門のエースに揃って後塵を拝した。お前がいるだろ?いや僕だってその3人に負けた事には変わらない。その上エースのはずの久保がエースでもない僕(と思っているのはお前だけと言われた事もあるけど、やはりうちのエースは久保だと僕は言い張る)に負けたと言う事は、要するに天道には絶対的なエースがいない事を証明してしまったと言う事なのだ。来生はともかく藤篠や百地には勝てているからエースでいいだろ?いや、天道は優勝しなければならないチームだ。太平洋の絶対的エースである柏崎と張り合わなければ優勝は来ないのだ。その柏崎は復活途上、そして僕らは完調。復活途上の柏崎に完調の僕らが負けてどうしようって言うんだい?今の時点の天道は流石と思わせる事はできるがそれまでのチームで、他のチームを怯えさせる物はなかった。


 この上太平洋には日村兄弟が控えている。今週は1500に出場しこの10000には回って来なかったが、来週のハーフには確実に来るだろう。はっきり言って、彼らのせめてどちらかでも負かせないのならば天道の優勝は遠いだろう。ましてや頼りの久保は5000に登録していてハーフに登録していない。もちろん天道の後輩が2人一緒に走るけど、10000のタイムで僕に10秒以上負けているランナーだ。1年と2年と言う事を考えると、来年以降の事を考えての人選なのだろう。先輩としての視点から見れば実際その方がいいと思うし、そしてその2人が成長しているのもよくわかっている。けれども勝負と言う事で言えばもう少し速いランナーが欲しかった。速けりゃ勝てると言う物でない事は僕自身よくわかっているが、後輩たちを信頼していない訳じゃないんだが……。

 とにもかくにも、柏崎と日村兄弟を向こうに回してもなお僕は勝たなければいけない。それが天道の駅伝主将たる僕の役目なんだから。他には甲斐学院の留学生に藤篠、百地、徳政の関田と言った面子がいる。もちろん彼らにも負ける訳には行かない。天道を最強たる存在にする為に、ここで威を見せなければいけない。

 



 号砲が鳴った。僕の作戦は1つしかない、最初から飛ばして後半粘り込む、それだけだ。それで箱根も3年間乗り切ってきた。今回もそれは変わらない。例によって例の如くの戦法であり展開だ、ついて来られるか傍観されるかは走ってみなければわからない。


 幸いと言うべきか、10000の時ほどついては来られていない。ただしそれは人数の多寡の問題で質の問題ではない。気を付けるべき難敵である柏崎、日村恵一、藤篠、百地、関田、甲斐学院の留学生と言った辺りは1人残らずついて来ている。唯一日村祐輔だけはやや後ろを走っているが、それでも視界から消える様な位置ではない。そしてその中でも特に速いのは言うまでもないが柏崎と甲斐学院の留学生だ。この2人は最初からこっちの事を突っつき続けてくる。もっとも、両者のスピードは僕より上だから僕の前を走っていてもおかしくはない。それがこうなっているのは、両者とも完調には遠いと言う事だ。柏崎も甲斐学院の留学生も僕と同じように最初から飛ばすタイプで、誰かの後を付いて行くと言う事はあまりしない。

 僕や柏崎の様な最初からかっ飛ばすランナーが前にいてそれが一定以上の力を持っている時、他のランナーはどうするだろうか。一定以下のペースに落とされたらそれこそ一大事だ。後からスピードを上げて追い抜かそうとしても前のランナーが余力を残していては結局速度が同じになってしまい、差を詰め切れず逃げ切られてしまう。そういう事をさせないためかそれと関係なく有力選手の牽制し合いでのスローペース化を嫌うためか最近のマラソンではペースメーカーの導入が行われている。しかしインカレにペースメーカーはいない、となると各自のランナーで対応せねばならない。

 勝負よりタイムを優先するのならば、放っておくのもあるだろう。けれど藤篠や関田の様な各校の看板を背負うエースと呼ばれる人間からすれば、このまますんなりと僕や柏崎の逃げ切りを許す訳には行かない。となるとやすやすとスローペースに落とさせない、逃げさせないようにする他ない。だからすぐ後ろにくっついて催促し続けスタミナを削らせる、と言う事になるのは必然の成り行きだ。

 普段の僕ならばああそうですかと気にせず飛ばし続けるのだが、今回ばかりはそうも行かない。何が何でも1つでも先の順位でゴールしなければならない、天道の強さを見せつけ怯ませなければならない。もちろん理想はスローに落としての逃げ込みだが、それを許してくれる面子ではない。となれば強引にでも引っ張って、相手のスタミナを消耗させるしかない。しかしそれでもついて来られる人間はついて来る。これは駆け引きとか言うより真っ向勝負だ、どっちが先にばてるかだ。しかし相手は柏崎だ、日村兄弟だ、その他各校の名だたるエースたちだ。そうそう簡単に挫けてくれはしない。


 それでも何が何でも勝ちたい、何が何でも後続を振り落としたい僕はむきになって最初の5キロは2分57秒、次の5キロは1キロ2分55秒ペースと言うハイペースで走り続けた。そのまま行けば1時間1分25秒と言うどえらいタイムになる。日本ジュニア記録より20秒も早い、そんな無茶苦茶が通る訳がない。幸い、この暴走のおかげで柏崎を含め他のランナーを中間点の時点で15秒ほど突き放せた。さあスローに落とすか。1キロ3分5秒を目安に……と。こんなレースをするのは1年生の時以来だが結局の所勝てるとあればどんな戦法だって取るべきだろう、ルール違反でなければ。少しぐらいスタミナを温存させて欲しい物だ。

 さて12キロ地点。よしこの1キロは3分6秒、ほぼ思った通りのペースで走れている。よしこのまま……って何だこれ!たった1キロ気を緩めただけで柏崎がすぐ真後ろ、3秒差まで来ているじゃないか!柏崎は僕が気を緩めるのを待っていたとでも言うのか!いや柏崎だけじゃない、日村兄弟や藤篠までもが迫ってくる!

 ええい、僕とした事が安全策に走ってしまったのが間違いだとでも言うのか!だけれどこうなった以上抜かれてたまるか!追い付けると思った時に離されるのが一番心理的に来る物だと言う話を聞いた事がある、それをやってやろうじゃないか!

 その結果、次の1キロを僕は2分54秒で走った。我ながらかなりの乱高下だ。もちろんそういう事をすればこっちのスタミナの消耗も半端ではない。しかしこんな状況だろうが何だろうが適応しなければ勝てっこないのだ、その為にスタミナを鍛えて来たのだ。潰してやる、柏崎だろうが留学生だろうが日村兄弟だろうが潰してやる!13~14キロ、14~15キロも2分54秒ペースで飛ばしてやった、どうださすがに遠のいただろう。


 ……と思ったら柏崎だけはいた。日村兄弟や藤篠、甲斐学院の留学生はさすがに突き放したが、柏崎だけはまだ5秒差でくっついて来ている。まったく、実力の桁が違うのはわかっているけどそれにしても面倒くさい、うっとおしい、腹立たしい!もう一段階ギアを上げてやりたかったが、残念ながらもう限界だ。結局、いつもと同じようにこのまま粘り込むしかない。もう柏崎の後ろとは20秒以上離している、敵は柏崎のみだ!

 18キロ地点、ついに柏崎が動き出して来た。5キロ以上、いや18キロもの間僕の限界ペースに付き合ったと言うのに柏崎はまだ余力を残していたらしい。わかっていたとは言え柏崎の恐ろしさを改めて思い知った気分だ。なんとかそこから1キロの間は粘ったもののそこまでだった。

 19キロ地点で先頭に立たれるとその後の2キロで20秒の差を付けられてしまった。




 1時間2分24秒、2位。一昨年より3分ほど記録を短縮した、優秀な記録だと自画自賛していい記録だと思う、けどまったくそんな気になれない。


「柏崎に打ちのめされたのか?」


 大木監督の言葉に僕は黙って頷いた。実際にその通りだからだ。確かに途中で気を抜いたのは失態だったかもしれない、けれどそれにしたって柏崎のあの走りは何だ。これまでのように最初から飛ばす事はなかったが序盤はきっちり先頭集団をキープし中盤からロングスパートをかけて最後にはきっちり捕らえてしまう。

 以前の強さを圧倒的な力で叩き潰す強さだとすれば今の強さはあらかじめインプットされた勝つためのプログラムを予定通りに動かしているような、いや動かされているような強さだ。いずれにせよ柏崎は強くなっていた。あの故障から立ち直り、一段と強くなっていた。タイム的にも、ランナーとしても。日村兄弟や甲斐学院の留学生には勝てたけど、だからどうしたと言う気分にしかなれない。この柏崎を倒すのはやはり1人では無理だ、仲間たちと戦うしかないのだ。インカレが終わった僕は改めて仲間たちと手を取り合った。

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