スタンダードFINAL

1区・ラストシーズン

「いいか!駅伝ってのは全員でやる物だ、そして相手がある物だ!いつも自分のペースを守って走って勝つ事ができればそれでいい、けれど時には自分のペースを乱してでも追いかけたり逃げたりしなければならない時もある!それができなければ天道に栄光なんか来ないぞ!」


 2月、4年生の引退により最上級生となった僕は駅伝主将に任命された。その駅伝主将としての第一声がこれだ。


 ここ3年、天道は苦しみ続けて来た。僕が憧れ、その一員にならんとした最強のチームはそこにはなかった。一昨年はあわやシード権すら失いかけ、去年は太平洋に全力で打ちのめされた。そして今年は日本ジムナスのみならず柏崎のいない太平洋にも勝てなかった。挙句三大駅伝の全てで2位にもなれなかった、15年ぶりの屈辱だ。こんな姿を見せられたら僕は天道に入学したいと思うだろうか。

 1年ぐらいならば大した事はない?いや、今年度の天道は三大駅伝で全て2位と言う珍記録をやらかした太平洋に勝てていない。どう考えても太平洋の方が天道より格上じゃないか。あるいはその三大駅伝の覇者である関東基督教、徳政、日本ジムナスの3校の方が太平洋より上かも知れない。もちろん、天道と比べてその3校が勝っているのは言うまでもない事だ。とにかく、今の天道はどうあがいても5番目以下のチームだ。もう最強なんかじゃない。

 最強に戻る、いや再び最強になるためにはどうすればいいか。答えは簡単だ、最強になりたいと思う事だ。もちろんそれだけではどうにかなる物ではない、最強になるために色々努力する事が重要だ。



 箱根の勝敗を分けたのは一体何なのか。山で付けられた差を最後まで挽回しきれなかったのが天道と太平洋の敗因だと言われているが、いくら山で差を付けられたにせよ、それまでにひっくり返される程度の差しか付けられなかった方が悪いのだ。それはなぜか、弱いからだ。身も蓋もない物言いだが、実際大木監督もそれを気にしていた。

「いつもベストな条件で走れると思ってはならない。どんな条件でも記録を出すのが真の強いランナーだ、どんな展開でも一定以上のタイムを叩き出すのが強いランナーだ。条件が悪いだなんていうのは泣き言だ、みんな同じ条件なんだ」


 大木監督はそう訓示した。もちろん、大事なレースに向けて条件をベストの状態に持って行くのは選手として絶対的に必要な事だ。しかしベストコンディションは作れてもベストなコース状態を作る事などできっこない。天道はトラックに強いと言うが、トラックは競走を行うために作られた空間であり走りやすいのは当たり前だ。一方でロードは基本的に自動車が走る場所であり、人間が走る事はあまり考慮されていない場所だ。そして雨はともかく、風は申し訳レベルにせよフェンスに囲まれたトラックの方がロードより影響を受けずに済む。ましてや屋根つきのドームスタジアム内となれば雨も風も関係ない、ますます走りやすい環境になる。なればこそ真の実力が発揮されるとも言えるが、天道が走りやすいトラックで活躍しロードで行われた三大駅伝で1つも勝てなかったという現実は、天道の弱さ(遅さではない)をいかんなく物語っている。関東基督教や徳政、日本ジムナスが天道より速いだろうか、その問いに関しては僕は間違いなくNOと言えた。基本的にトラックで行うインカレでの長距離部門の成績は、ロードで行うハーフを含めてなお天道の方がその三校より上だった。けど、天道がその三校のように三大駅伝を勝てた訳ではない。


 序盤はともかく優勝の二文字が現実の物となった終盤でも関東基督教が太平洋の猛追を凌げて出雲の優勝を手にできたのは、せっかく掴んだ大チャンスを逃すまいとした強さがあったからだ。徳政が全日本を勝てたのは5・6区と言った繋ぎの区間で天道や太平洋を突き放した、要するにそういう区間の選手が奮闘したからだ。そんな展開になったのはその繋ぎの区間にそんな事ができる選手を注ぎ込めた徳政の層の厚さ、強さと言う物だ。

 日本ジムナスが箱根で勝てたのは山のおかげと言われているが、去年の1位2位のチームが平地でも逆転できないほどの差しか詰められなかったほどのタイムで日本ジムナスのランナーが走ったと言う事だ。そうなったのは何の事はない、日本ジムナスのランナーが強いからだ。2年間に亘り天道とは比べ物にならないであろう量の辛酸をなめて来た日本ジムナスのランナーがそこから立ち直ったのは、一重に強いから、強くなったからに尽きる。何が何でも勝つと言う闘志があった、だから強くなれた……僕は急に思い浮かべたその言葉にハッとさせられた。


「そういう姿勢は正直感心しないんだがな…結局は自分自身の問題だしな」


 3年前、大木監督からかけられたその言葉。以前は何としても勝ちたいと言う生徒が多かったのに対し、現在では天道に入れば強くなれる、大木先生の指導を受ければ強くなれると言う生徒が多いらしいと言う言葉。

 ……全くその通りだった。少なくとも僕は大木監督への憧れを持ってこの天道大へ入って来た、その憧れだけで10年あまりの時を過ごして来た。大木監督の指導を受ければそれだけで強くなれる、大木監督に会えば人生がいい方向に向かう、大げさでなくそう思っていた。

 アホくさい、頭である大木監督がいかに優秀だったとしても、体である僕たちがどうにかしなけりゃ頭だけがいかに動こうとしたって無駄な話だ。大木監督が常勝軍団の総大将でいられたのは、先輩たちが有能であっただけだ。もちろん先輩たちを有能にさせた大木監督はまごう事なき名将だが、名将でいられたのは先輩たちのおかげだ。メビウスの輪そのもの話だが、実際にそうなのだから仕方がない。


 現在の天道は有能なランナーがいない、その事はこの3年間の成績を見れば明白だ。一昨年は崖っぷちまで追い詰められ、昨年は太平洋の前に全くの無力であり、今年は三大駅伝で1つも2位にすらなれないと言う15年ぶりの、天道の歴史に残る大失態を演じてしまった。結果が全ての世界で結果を出せなければ名声に響くのは当たり前だ。僕が入学してからの3年間でこうなったのは運とかいう問題じゃない、僕らに天道と言う金看板を支えてやると言う気概がなく、単に縋り付いていただけだったからだ。その金看板は一昨年崩れ出し、去年太平洋にもっと大きな金看板を作られて存在を霞まされ、今年完全に崩壊した。もはや天道はどう威張っても強豪の一角に過ぎないレベルだ。


 壊れたのならば作り直せばよい、と言うのは単純なもののそれこそが大変である。大木監督は天道を最強チームにするのに10年以上かけた、それが1年でどうこうできる訳がない。太平洋はいきなり強くなった(3年前の箱根は9位だった)?柏崎1人が加わっただけでどうこうなる訳がない、柏崎の爆走を無駄にしないだけの下地がきちんとできあがっていればこその結果だ。

 今年もまた天道にたくさんの新入生がやって来る。推薦だけで12人、一般も含めれば35人は下らないはずだ。その35人に僕らは何を残せると言うのだろう。このまま4年間で1度も箱根を優勝できないとなれば13世代ぶりの不名誉である。そんな負の遺産を遺したまま卒業などできる訳がない、もちろん個人的にも無念やる方ない話だ。


 もっとも、僕だって駅伝の事ばかり考えている訳には行かない。大学3年生ともなれば就職の事を考えない訳には行かない(いやこれでも遅すぎるか)のだ。一応、人並みに勉強や就職活動位はやっているつもりだ。

「勉強はともかく、お前に就職活動は必要ないだろ」

 そんな言葉は学内でよく聞かされる。実際、箱根で優秀な成績を上げたランナーは実業団にスカウトされると言う形で入部、そのまま就職と言う形を取る事も多い。しかし、僕がこれから故障しないと言う保証はどこにもない。柏崎だって故障したのだ、幸い柏崎は立ち直っていると言う話だが、こちらが同じ事になった時立ち直れるかどうかは全く自信がない。3年間で曲がりなりにも重ねてきた区間賞1回、区間2位4回、区間3位1回と言う実績を残した足を取り戻せる保証はない、下手をすれば二度と陸上選手としてやって行けない体になるかもしれない。そうなった時の為にも勉強や就職活動を怠る訳には行かないのだ。



 4月、いよいよ僕は最終学年になった。

 一般入試でやって来た人間を含め36人の1年生が天道の陸上部に加わった。もちろん全員が三大駅伝やそれに近い距離のレースを志す訳じゃないにせよ、この36人に最上級生としてあるべき姿を見せなければならない。と言っても僕は口下手で感情に走りやすい性格だから、そういう姿を見せられるのは走りしかない。3年間、天道の厳しい練習を経験し身内をも含む過酷な競争(競走じゃなくて)を戦い抜いてきた身だ、走る技術だけは身に着けたつもりだ。

 長距離部門の新人部員たちと共に走った10000m、そういうわけで柄にもなく、いや僕らしく最初からハイペースで飛ばし続け、結果的に個人ベストを出し、新1年を全て負かしてしまった。それでも学内ではまだ6位のタイムだ。去年は現2年世代と同じ事をやって4人に負けたのだから成長したとも言えるが、それはお互い様でこれから新1年たちに追い付かれるかもしれないし、いやおそらく追い付かれるだろう。新1年を全て負かしたと言えば体はいいものの、その内4人には5秒と差を付けられていない。

「いいか、当確という言葉はこの世にないと思え!1年だから。4年だから。好調だったから。不調だったから。実績がないから。実績があるから。故障明けだから。頑健だから。スピード型だから。スタミナ型だから。前半型だから。後半型だから。そんなのは当落どちらの言い訳にもならないぞ!」

 大木監督は新年度一発目のあいさつでこう高らかに述べた。この言葉が1年生にどれだけの勇気を与えたかは想像に難くない。例え1年生であっても、いきなり晴れの舞台に立てるかもしれないのだ。ましてや僕のように箱根を志して天道に入って来た人間にとっては金言と言うべきレベルのそれであったろう。一方で、僕たち4年にとってはかなり重くのしかかる言葉だ。今まで3年間の実績など知った事かあくまで今年度の成績、いやその直前までの成績によってオーダーを決めると言う事は、要するにその時の成績が悪ければ実績に関係なく容赦なく叩き斬ると言う事である。その言葉に例外などあるはずもないだろう、あったらこの言葉はただの空虚なお題目と化す。そんな馬鹿な事を大木監督がする訳がないのだ。




 関東インカレを控えた5月、僕は駅伝として大木監督に呼ばれた。


「関東陸連はかなり本気らしいな」

 大木監督は僕に1枚の紙を渡した。

「今年度の箱根が記念大会である事は知っているだろう?」

 それは知っている、参加チーム数が増えるであろうとは思っている。その事についてだろうかと僕は軽い気持ちで紙に目をやり、そして釘付けになった。




「今年度の箱根駅伝参加チームは、以下のいずれかの条件を満たしたチームとする。

 ①  前年度箱根駅伝本大会にて10位以内に入賞した大学。

 ②  10月に行われる箱根駅伝予選会にて、上位10人のランナーのタイムの合計の上位13大学。

 ③  全日本大学駅伝において、関東地区以外で最も順位の高い大学1校。

 ④  ①~③の条件に当てはまらなかったチームの中で、優秀な走力を持っていると判断された選手(1校あたり1人まで)による日本学連選抜1チーム。


 以上25チームとする。


 今年度の箱根駅伝において③の条件に該当する大学、つまり関東地区以外の大学が10位以内に入賞した場合、その学校もまた翌年度の箱根駅伝への出場権を得る物とする。④の日本学連選抜が10位以内に入った場合はこれまでの関東学連選抜と同様に、シード権は9校となり翌年度の箱根駅伝予選会の上位10校までが箱根駅伝へと出場できるものとする。

 なお翌年度以降においても③の出場条件は継続する方向で検討中であり、継続された場合翌年度以降箱根駅伝の出場チームは、シード権10校+予選通過9校+③の条件による1校+関東学連選抜1チーム、計21チームとなる予定である」




 東高西低、いや超東高西低。大学駅伝界がそう言われて久しい。

 その原因と言うべき箱根駅伝に、他地区の大学が走る事ができる。しかも10位以内に入れば、シード権を獲得する事ができると言うのだ。これは画期的な事だ。50年ほど前にやはり記念大会で2校がオープン参加した事があるらしいが、正式な参加となると戦前以来だそうだ。その50年前の話であるが、タイム的に考えた場合正式参加だったとしてもシード権は取れなかった、のだがシード校から3分及び5分しか離れていなかったそうだ。その2校が決して実力が関東の大学に劣っていた訳ではない事の証明と言えよう。現在は当時よりずっと学生の行き来も自由になり、関西や九州の高校生も箱根が走れる関東の大学へ行けるようになり、その結果関東と他地区との差は大きく広がっているのだが。


 もちろん、今回は全く歯が立たないかもしれない。けれどこれから先、関東の大学でなくとも箱根が走れると言う道を作ると言う事は大きい。今は1枠に過ぎないし全く敵わないかもしれないが、やがてシード権を獲得したり優勝したりするかもしれない。そうなれば枠も広がるだろうし、面白味も増すだろう。そして何より、他地区のランナーや指導者も活性化するだろう。それが将来の日本陸上界の発展につながって行くと考えると、それだけでワクワクしてくる。

 もっとも、冷静に考えると天道にとっては一大事である。速いランナーの数は所詮有限だ。天道や太平洋に行かずとも箱根を走れるとなれば意欲的なランナーは地元の大学を箱根に進ませてやろうと考える可能性がある、すなわち関東には来なくなると言う事だ。選手たち個人としても、出雲や伊勢路だけでなく箱根においても他地区の大学を視野に入れない訳に行かなくなると言う面倒が生ずる。もっともまだ今年度はさしたる脅威にならないかもしれない、だが翌年度以降はわからない。面白い事と言うのは同時に恐ろしい事でもあると思い知った気分だ。

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