5区・奇跡の具現化

 1月3日。


 昨日吹き荒れていた暴風はどこかに行ったのだろうか、吹いているのは風速1m未満のそよ風ばかりである。その代わりにと言うべきか暖かな日差しが降り注ぎ、昨日とは一転してランナーたちを祝福するかのような空が広がっていた。もちろん多くのランナーに取っては歓迎すべき好天であったが、だからと言って昨日のような事が起きないと言う保証は誰にもできない。

「変えて来るのではないかと言う話もありましたが変えませんでしたね」

 日本ジムナスの6区、銃声と共に芦ノ湖を飛び出すは1年生の福田。全日本のエントリーはおろか、箱根予選を走ってすらいない1年生。経験を積ませると言う為ならばともかくこの往路優勝と言う絶好の状況では使って来るとは思われず、経験豊富な上級生に当日変更されるだろうと思われていた福田を有馬監督がそのまま使って来たと言う事は、有馬監督が良くも悪くも総合優勝にこだわっていないと言う事の現れである。福田が化ければよし、こければおとなしく従前の目標である総合5位を目指すまで。有馬監督はそう割り切っていた。


「お前はお前の走りをすればいい。先頭を明け渡しても、いやブレーキを起こしても責めたりはしない、ただし中途半端な走りをしたら責めるぞ」


 去年の太平洋・堺監督の真似事でもあるまいが、有馬監督は福田に自重しないように申し付けた。どうせ失う物は何もない、その心構えで行けと言う事なのか。福田の顔に一瞬戸惑いが走った、しかしすぐに消え笑みが浮かべていた。ある意味では免罪符とでも言うべき有馬監督の言葉が、福田の両肩の重石を取り去っていたのである。


 8時00分。銃声と共に福田は芦ノ湖を飛び出した。そこから続けざまに徳政、太平洋、天道、関東基督教と優勝候補たちがほぼ等間隔で芦ノ湖を飛び出し、日本ジムナスを追い掛けてくる。

 いやあるいはこの時その4校は日本ジムナスを相手としていなかったのかもしれない。今の日本ジムナスは出雲や全日本における鹿児島工業大のように、要するに前半は先頭を走りながらいずれは落ちてくる存在であり、気にするに値せず、「いずれ」先頭に立つであろう他の3校の事ばかり見ていたのかもしれない。さすがに甘く見すぎだろと言う話だが、有馬監督がエースでも何でもない1年生を変えずに使ったと言う事はそういう事なのだと解釈してもおかしくはなかった。そしてそれが油断であった事をその4校が、いや残る19校が、そして有馬監督さえも思い知ったのは8時半の事であった。

「今太平洋が小涌園を通過して行きます、日本ジムナスとの差は1分50秒、この9キロほどで1分開かれた事になります!」

 1キロ頭で7秒弱。明らかにペースが違う。去年総合優勝の太平洋を去年総合19位の日本ジムナスがぐんぐん突き放す。1年前と全く力関係が変わってしまったかのような現実がそこにあった。そして太平洋だけでなく天道、徳政、関東基督教と言った他の優勝候補たちも福田の前にみるみる差を開かれて行く。

 だがそれでも有馬監督は表情を変えない。ああいう指示をした以上仕方なくはあるが、福田が最初から飛ばしすぎではないかと言う懸念は付きまとっていた。だがそれに関しては最後に止まっても仕方がないと割り切っていた。が、それ以上に有馬監督の顔をしかめさせていたのは福田の走った後、7区以降の事だった。


「区間新もありえるかもしれません」


 そういうペースで最後まで走り抜けばどうなるか。当然、後続との差は盛大に開く。その結果日本ジムナスはもはや完全な箱根路の主役となる。もう誰も放っておかない。果たして今の日本ジムナスに平地で太平洋や天道と戦う力があるのか。負けて元々とは言えこの望外の展開に選手たちが舞い上がってしまわないか。そういう危惧が有馬監督の顔をしかめさせていた。

 結局、最後まで福田は止まらなかった。残り3キロでややペースが鈍り5秒差で区間新記録は逃したものの、太平洋との差は50秒から2分22秒にまで広がった。もうお互いの姿を目で確認する事はできない。


「いずれ太平洋は来る物と考えろ、去年の太平洋を忘れるな」

 されど続く7区、有馬監督の指示はあくまで変わらなかった。去年この7区で当時1年の日村祐輔が区間新記録を叩き出し、天道・任天堂・徳政をさらに突き放した。今年日村祐輔は3区に回っていたが、今年の太平洋の7区のランナーが日村祐輔と同じ走りをしないと言う保証は誰にもできない。

 大体、去年の1月3日午前9時すなわちちょうどぴったり1年前に、翌年日本ジムナスがトップで小田原中継所を通過すると言われて信じた人間が地球に何人いただろうか。その時、太平洋と日本ジムナスの間には芦ノ湖一斉繰り上げスタートの分も含めて既に20分以上の差があった。それを1年でひっくり返すなど妄想染みた希望的観測、いやそれすら通り越した机上の空論以外の何だと言うのだろうか。確かに、それが起きないと断言する事は誰にもできなかったのだが、しかしその妄想じみた希望的観測、99.999%起きないだろう事が起きてしまった以上、太平洋に去年と同じ事が起きても全く驚くに値しないのである。

「飛ばす必要はどこにもない、次の先輩たちにつなぐ事だけを考えろ」

 日本ジムナスの7区を走るは2年生、福田から見れば先輩であるが、8区以降は全て4年生であった。ここ2年間の惨敗を誰よりも、百地以上に肌身で思い知らされている人間たち。どん底を知っている彼らならばどんな状況だろうと舞い上がる事もないだろうと言う安心感があった。

 箱根駅伝に予定通りなどという言葉はない。良きにつけ悪しきにつけ予定から外れるのが常と言う物である。もちろんその予定から外れると言う事も想定はしているが、ここまで大きく外れる事を想定するのは難しい。ましてや対応するのは二十歳そこそこの選手であって百戦錬磨、人生経験豊富な監督ではない。だがしかし、良い方向にとは言え大きく外れた現状に対応するには2年間地獄を見て来た4年生は適役であった。一方で太平洋はこの2年間、箱根では優勝しか知らない。ましてや天道は過去10年で優勝4回、残る6回の内4回が2位か3位のチームである。一昨年の惨敗があったとは言え、天道が太平洋以上の常勝軍団である事は論を待たない事実である。そして惨敗と簡単に言っても際どいながらシード権を確保した。要するに、天道は日本ジムナスの様なシードに絡む事すらできやしないどん底を味わったのは遥かに前の事であり、天道の選手たちもまたこの2年間の苦悩して来た事は間違いないが、されど日本ジムナスのそれとはまったく質も重みも違う物であり、この様な事態に対応できるかどうか極めて疑わしかった。


 果たせるかな、この7区で日本ジムナスは天道との差を29秒開いた。そして太平洋には差を詰められたものの、ほんの4秒だった。太平洋を除けば任天堂・相模・帝国と言ったシード争いをしていた所にしか日本ジムナスは負けておらず、その3校が日本ジムナスの脅威になる事はもはやない。

「このまま行けば記録は固い、別に勝たなくてもいいんだ」

 昨年度より総合順位を上げた記録としては関東学連選抜が20位から4位まで上げたと言うのが最高であるが、単独校で言えば東亜大が17位から3位まで上げたのが最高である。このまま4位以上でゴールすれば単独校としての新記録、2位以上ならば正真正銘の新記録である。もっともどちらも出場20校が常態化してからの記録で歴史はさほどないのであるが、だとしても大記録、奇跡的大復活である事に変わりはない。この2年間の暗黒時代の終焉を告げ新たなる日本ジムナスの幕開けを告げるには十分すぎる話である。


 さて8区。コースは最後にやって来る遊行寺の上り坂を除けば概ね地味であるがそれに反比例するかのように優勝争い、シード権争い、繰り上げ逃れといろいろ騒がしくなってくる区間である。

「最後の坂で止まらなければそれでいい」

 ずっと挑戦者を気取り続けていた日本ジムナスもさすがにここまで来ると優勝の二文字を否応なしに考えさせられるが、しかしあくまで有馬監督は冷静だった。まだ太平洋と2分18秒、天道と3分19秒の差がある以上慌てふためく必要はどこにもない。遊行寺の坂でブレーキを起こしてしまう方がよほど逆転の可能性が膨らんでしまう。だから、強引に行く必要はどこにもなく淡々とかつ着実に歩を進めるのがブレーキを防ぎ、結果的に勝利を近付ける最高の方法なのである。

 地位は人を作ると言うが、駅伝に置いては1位がレースを作る物なのかもしれない。去年は2区で総合1位になった太平洋がその後も快ペースで飛ばし続けその結果2位の天道も学校記録を打ち立てるなど超高速レースとなったが、今年の8区は1人を除いて極めて淡々とした時間が流れていた。

「相模大学の花川が快ペースで上がって来ています、平塚中継所では10位でしたが現在既に帝国、下総を捕らえ8位、更に忠門も視界に捕らえました!茅ヶ崎の時点で相模と忠門には30秒の差がありましたが現在は8秒です」

 とは言え、相模と日本ジムナスには平塚中継所の時点で8分20秒の差があった。相模がいくらいい走りをした所で、日本ジムナスを捕らえるなど土台無理な相談である。そして茅ヶ崎(6.9キロ)の地点で花川は区間2位に35秒差をつけていたが、2位から最下位の差もまた35秒しかなかった。乱暴な計算ながら35秒を19人で割れば2秒にもならない。優勝争いやシード権争いなら別だが、そうでもなければ2秒未満の動静で急激に展開が動く物ではない。ごぼう抜きやブレーキがあればこそ選手たちの心もざわめく物だが、いや実際に起きているのだが、それをやっているのが安全圏と言うべき10位だった相模(シード争いに関わるじゃないかと言うかもしれないが、平塚中継所で11位と2分30秒以上の差があった)では無理がある。少なくとも先頭には波及しようがないし、シード争いにしてもシードギリギリの10位だったチームがごぼう抜きを演じては、要するに11位以下との差を引き離してしまっては盛り上がれと言うのは無茶だった。



「太平洋が中間点の辺りからペースを上げて来ました!茅ヶ崎の時点では2分15秒だった差が12キロ通過時点では2分6秒と詰めています」

 そういう淡々としたペースが続いた時、得をするのは誰か。紛れもなく先頭を走る日本ジムナスである。さすがにまずいと見たのか、あるいは当初より中間点から仕掛ける予定だったのか、太平洋と天道のランナーがペースを上げて来た。

「まあいずれ来ると思っていた、慌てる必要はない。遊行寺の坂でエンジンをかければ問題はない」

 実力の差はともかく精神的余裕はこちらの方が上、淡々とした展開で走って来ただけに肉体的余力もまだ残っている。なればこそ相手にとって一番きつい遊行寺の坂でエンジンをかけ引き離す、いや引き離せずとも詰められた分ぐらいは取り返す。そうなれば太平洋や天道は8区を無駄にした事になり、数字的・精神的いずれにも後続のランナーの負担を重くさせる事ができる。

 と理屈を並べてみたものの、やっている事は後半の難所に備えて前半をやや抑えて走ると言う、極めてありふれた走りである。要するにそういう展開を狙った訳でもないのだ。そのありふれた走りをしているだけで、日本ジムナスは有利に、太平洋と天道は不利になって行く。負のスパイラルならぬ正のスパイラルと言う物があるとすれば、間違いなく今の日本ジムナスの事であろう。


「1分57秒差、大体予定通りだ」

 最終的に差は詰められたものの1分57秒差、まだまだ太平洋の視界に日本ジムナスは入らない。あと残るは9・10区。共に23キロ以上の長距離区間ではあるが、いずれにせよあと2区間しかない事に変わりはない。

「我々は走っているだけで有利なんだ、だから無理をする必要はない」

 駅伝と言うのは前が見えてやる気が出ると言う状況にならない限り、どうしても逃げる方が有利である。見えない敵を追うのは感覚がわからないだけにどうしても辛い。タイム差と言う数字のデータは入って来るのだが、その数字が横ばいまたは悪い方向に動いているとなるとますます追い詰められてしまう。

「今権太坂を2位の太平洋が通過して行きます、トップとの差は1分54秒。一応3秒詰めてはいますが……」

 権太坂まで7.8キロ走ってたったの3秒、アナウンサーが口籠ってしまうのもお説ごもっともな話である。7.8キロにつき3秒と言う調子のまま23.2キロある9区が終わるとなると、単純計算で9秒しか詰められない事になる。1分57秒が1分48秒になった所でどう違うと言うのだろうか。天道はと言うと太平洋よりはましだがそれでも差は2分57秒、戸塚中継所から12秒しか変わっていない。更に後方では下総の藤篠が権太坂の時点で45秒も日本ジムナスを上回ると言う快速ぶりを見せ付けていたが、それは文字通り別世界の話である。今の日本ジムナスにとって重要なのは自分の事を除けば太平洋と天道だけである。

「横浜駅を今6位任天堂、続いて下総大の藤篠が通過して行きます。下総と日本ジムナスの差は8分30秒…………中継所から計算しますと1分40秒詰めている事になります」

 勝負にタラレバは禁物だが、もし藤篠の様なランナーが太平洋や天道に現れていたら日本ジムナスはどうなったか。タイム的に逆転されるのはいたしかたないとしてもこの9区、そして10区のランナーたちが平常心を保てたかどうか。いくら今回の自分たちは挑戦者に過ぎないと言い聞かせて来た所で奇跡的な往路優勝からもう23時間、6区福田の快走で太平洋以下を視界から消し去って3時間以上が経っているのだ。総合トップと言う現状を認識するなと言う方が無理である。その座を一人に脅かされあるいは最悪奪われたとなれば今までずっと保って来た心理的余裕は一挙に崩壊する。

「容易く運命という言葉を使いたくはないが、往路と言い復路と言い今年のうちには運命が味方しているのかもしれない」

 しかし藤篠は太平洋や天道でなく下総、戸塚中継所で10分以上離していた下総のランナーである。もっとも戦前の予想では下総辺りと5~7位前後で競い合っているのではないかと有馬監督は考えていたのだが、そうならなかった事もまた日本ジムナスにとっては幸運だった。



「この2年間、この鶴見からどういう思いで日本ジムナスのランナーは飛び出したでしょうか。2年前は10位相模と6分差絶望の17位スタート、去年にいたってはタスキを受け取る事すら叶いませんでした。その2年間をバネにして、屈辱を力に変えてここまで来ました。日本ジムナス大学、今トップでタスキリレー!!」



 日本ジムナスは鶴見中継所を先頭で飛び出した。終盤太平洋のランナーがやや苦しんだためか差はわずか3秒だけながら逆に開き2分ちょうどとなった。

 3秒と言う数字そのものよりここで差が開いたと言う事実は遥かに重い。3位の天道とは3分9秒から2分46秒と詰められたが、太平洋でさえ視界に入らないのにさらにその後ろの天道が上がって来た所でどうなるものでもないと言うのが現実である。

「9人がくれた2分間だ、お前にマイペースを守って走れと言うプレゼントだ」

 有馬監督の顔は相変わらず笑っていない、しかしそのセリフは優しかった。ただ走るだけで有利だと言う状況は9区の時から変わっていないのである。去年のタイムを基準にすれば、区間賞を取られても区間6位で走ればギリギリ逃げ切れる計算である。もっともその時の記録自体10区史上歴代5位と言う好タイム、と言うより過去10年の10区区間賞の平均より40秒早いと言うかなり特殊なタイムであり、それで走れるランナーが太平洋や天道にいるのかどうか。10区を走るランナーの持ちタイム(10000m)で言えば日本ジムナスより早くはあるが、2人共10秒ほどの差しかない。仮に10秒差があるとして10区の距離23.1キロで単純計算すると23秒しか詰められない事になる。明らかに届かない。ランナーが持ちタイム通りに動くならば駅伝に全く面白味などないが、実際問題数字によってランナーのポテンシャルが示されてしまうと重たい。


「太平洋はもっともではあるがやや無理をして追って来ている。このまま追い上げられ続ける訳ではない、そして追い上げられたとしても逃げ切れる。今お前区間かなり上位の方だぞ」

 日本ジムナスは蒲田(6キロ)の時点で18秒太平洋に差を詰められた、1キロ頭で考えれば3秒と言う事になる。しかしあと17キロで3秒ずつ詰めた所で、全体で考えれば1分9秒にしかならないのだ。そして日本ジムナスは蒲田を区間3位で通過していた、それを追い上げるとなればひずみが生じない方がおかしい。柏崎級のランナーが突然現れたのならば匙を投げるしかないが、そんなのは杞憂以外の何でもない話である。

 案の定、蒲田以降太平洋の追い上げは鈍った。新八ッ山橋の時点で日本ジムナスと太平洋の間の差は1分30秒、6キロで18秒だったのが蒲田から新八ッ山橋までの7.6キロで3秒である。もっとも日本ジムナスのアンカーが当初からそこの7.6キロを重要ポイントと考えスピードを上げていたと言う現実はあったものの、だとしても追い上げが鈍ったと言う現実は切って捨てられるそれではない。

「何をやってるんだ、全ての力を振り絞れ、これまでの人生すべてをかける気持ちで前を追え、太平洋堺監督は声もかれんばかりに檄を飛ばし続けています」

 もう後はない。このままじゃいけないのはランナーもわかっている、しかし現実には追い上げる事ができない。絶望の2文字が太平洋と天道に覆い被さって来る。時は容赦なく流れ、そして日本ジムナスをゴールへと近付けさせる。

「日本ジムナスが馬場先門を通過しました」

 ゴールまであと2.5キロの馬場先門を日本ジムナスは先頭で駆け抜けた。相変わらず後ろからは誰も来ない。もはや日本ジムナスの優勝を疑う人間は1人もいなかった。

「これまでの日本ジムナスの区間順位を見てみますと7位、7位、6位、2位、3位、そして1位、5位、4位、4位…………区間賞は6区福田だけですね」

「団結と層の厚みがもたらした勝利ですね」


 名門の名に胡坐をかき続けていたチームはそこにはなかった。あるのは名門の名を取り戻さんとする、いやこの箱根駅伝の勝利を目指しついでに名門の名を取り戻さんとするチームだった。10人が一つ担って、いや全員が一つになって戦った1年間の成果が、本人たちにすれば1年早く成就したのである。


「残り100m、有馬監督と百地が満面の笑みでランナーを迎えます!日本に元気を与えるが如き大復活です!日本ジムナス大学、総合優勝!!そして往路の百地と同じようにコースに一礼しました!」






 

「今日からは我々は無欲の挑戦者ではなく標的だ、しかし今回と同じように走れば勝てないにせよ醜態をさらす事はないと俺は信じている。あくまでもよそ様の胸を借りるつもりで挑み続ける事が大事だ。では解散!」

 有馬監督は必死に表情を引き締めながら選手たちに訓示した。

「しばらくは喜びに浸っていてもよいと思います、けれど今年は今年として気を引き締めねばまた過ちを繰り返すかもしれません。あの惨敗を知る3・4年生を主軸に驕らないチームを作りたいと思います」


 完全優勝。往路だけでなく、2位太平洋大に43秒差をつけての復路優勝。去年太平洋の前に手も足も出なかったチームとは思えない数字がそこにあった。しかしその数字はもはや過去の物、その事を何より実感しなければならないのが自分たちである事を、有馬監督は痛いほど感じ取っていた。

 去年の数字だけで判断するのならば優勝の可能性など全くないはずの自分たちが、優勝した。それと同じ事が起きない保証はもう誰にもできないのだ。長い箱根駅伝の歴史の中で史上2度目の予選会からの優勝、いや1度目の時は途中棄権からだったから前回完走シード落ちからの優勝としては史上初である。

 これまでにない事をやってしまった、これまでの基準をぶち壊したのだ。それをやったチームとしての負担、ただのディフェンディングチャンピオンと言うだけでは済まされない負担の大きさ。前人未到の記録を成し遂げた自分たちに待つ、前人未到の試練。勝利の喜びに酔いつつも、有馬監督はその先に待つ試練の大きさに思いを馳せていた。

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