4区・奇跡

 1月2日。


 太平洋・天道と言った強豪、優勝候補が出雲も全日本も勝てないと言う波乱めいた流れの中で、20人のランナーが大手町に集った。箱根を制するのは出雲覇者の関東基督教なのか全日本王者の徳政なのか、あるいは太平洋なのか天道なのか。関係者やファンによる予想も混沌を極めていた。


 前列には太平洋、天道、任天堂、徳政、城東、中心、関東基督教、忠門、甲斐学院、下総と言ったシード校。

 後列には日本ジムナス、相模、帝国、文学院、稲田、維新、東京アグリ、東国文政、下野と言った予選通過校、そして学連選抜。それぞれがそれぞれの「勝利」を目指し9人いや15人、いや全ての仲間と共に箱根路を駆ける。


 8時00分。号砲が鳴った。ここ2年は稲田が先頭を切って飛び出していたが、そのランナーは今年2区に回っている。その結果いきなり飛び出すランナーはおらず、20人のランナーが一塊になった。むしろここ2年が特異で、本来の1区はこういうものなのかもしれない。

 さてそういう展開になった場合、得をするのは誰なのか。こういう集団が一塊になってスローペースになった場合、競馬で言う所のいわゆる上がりのレースとなり、その上がりの部分を一番早く走れば1位となれる。だが競馬と駅伝には、いや駅伝と他の競走との間には1つ決定的な違いがある。それは、順位よりタイム差が重要視される所である。

 1区21.4キロの内実質数キロ、残り数キロで決まるようなレースになった場合、先頭から最後方までそんなに差が開く物ではない。その残り数キロまでスタート時とほぼ同じ、ほぼ横並びなのだから当然であるが、21.4キロで引き離せる距離と例えば5キロで引き離せる距離では差がありすぎる。ましてやここは1区、順位なんかよほどひどくなければほとんどどうでもよい(同タイムで順位が2つ、1秒差で5つ違う事も全く珍しくないのが1区である)。結果的に、有力なランナーはそれほど後ろを離せず、非力なランナーにとっては有力なランナーにそれほど差を付けられずに済むのである。


「中間点で徳政が仕掛けました!」

 そしてスローペースに耐えられなくなり、有力なランナーが誰か仕掛けて来る事はままある。その場合後方集団は逃がすかとばかり一緒にペースを上げて吸収しにかかるか、あるいは勝手にどうぞとばかりに放置するかに分かれるが、今回は後者だった。11キロからの1キロがいきなり2分50秒、それまでの1キロが3分10秒だっただけに急加速と言ってもよく、それに付き合う道理がある学校は少ししかいなかったのである。正確に言えば総合優勝を狙う立場であるディフェンディングチャンピオン太平洋、出雲王者関東基督教、そして天道である。この3校にとって全日本優勝校である徳政を易々と逃がす訳には行かない。そしてその3校が徳政に付き従うかのように集団から飛び出した。だが逆を言えば、優勝を狙わなければ徳政に付き合う必要などなかったのである。

 日本ジムナスはと言うとあくまでマイペースを守り(徳政に引きずられるかのようにペースは速くなったが)、無理をせずに走っている。


「目標は5位」


 有馬監督は全日本が終わってから部員にもマスコミにもそう言っていた。5位と言う数字は他の学校でも比較的よく言われるが、有馬監督の中にははっきりとした目安があった。具体的に言えば、太平洋・徳政・天道・関東基督教の4校以外に勝つと言う事である。そして太平洋・徳政・天道以外には全日本及びその予選で勝っている。だから今回も同じようにするだけ、と言う事なのだ。無論それこそが困難である事は分かっているものの、目標がはっきりと見えている事がどれだけ有り難いかは言うまでもない。だから、徳政・太平洋・関東基督教・天道の先頭争いを別世界の物として傍観する事ができたのである、あくまでも第2集団の争いに徹する事ができたのである。


 結果、城東大学と稲田大学に敗れ7位となったもののトップとの差は1分19秒、5位城東大との差はわずか4秒。見事なスタートを切ったと言ってよい結果になった。


 続いて花の2区。各校のエースが並ぶ区間、だがここに百地の姿はない。一昨年は3区、去年は1区と来て、今年は2区ではなく5区にいたのである。

「しかし今日は随分風が強いですね」

 そして2区に入ってほどなく風速7m越えの横風が吹き始めた、そしてその結果バランスを取るのにランナーたちは苦心させられる事になった。ランナーたちの体力の消耗は言うまでもなく、当然タイムは伸びない。もちろん実力が変わる訳ではないものの、スピードに頼っている人間に取っては不利である。しかも天気予報によれば、少なくともこの風は午後3時までは、つまり往路が終わるまではやまないとの事である。10時間51分15秒と言う数字は元より夢物語としても、11時間を切る事はこの2区の段階で既に絶望的になっていたのだ。この強風は、スピード勝負になると言う各大学首脳陣の予測を盛大に踏みにじっていた。

 スピードが生かせないとなるとどうなるか、必然的にスタミナ勝負の消耗戦になる。スタミナのないランナーにとっては苦しい展開だ。箱根に出るようなランナーだからみんなスタミナはあるだろうと思うかもしれないが、だとしても能力の多寡は覆しようがない。スタミナのないランナーはいつも通りに走ろうとしてそれが叶わずに崩れ、あるいはこの強風の中でも耐えられるペースまで落とさねばならなくなる。いずれにせよ、本来の力を発揮する事はできない。

 ましてや2区と言う区間がさらに重石となった。花の2区、各校のエースたちが集う区間。他の9人の運命をもっとも左右するであろう区間。それだけに、ここに集うランナーたちには重大な責務がのしかかっている。1秒でも早くタスキを戸塚中継所に届けねばとランナーたちは意気込み、しかし強風でタイムは伸びず、その理想と現実の乖離が焦燥を生む。そしてその悪循環に陥るまいとエースたちは必死にもがく。


 そんな中、日本ジムナスはどうしていたか。

「甲斐学院と忠門は気にするな、現在のペースを保てばよい」

 有馬監督の指示はそれ一つだった。後ろから甲斐学院の留学生が猛烈なペースで追って来ているのはいつもの事であり、ここで抜かされるのもまたしかりである。そして忠門のエース来生もまた快ペースで飛ばし留学生と互角に渡り合っている。日本ジムナスに城東、稲田と言う5位集団にとっては脅威であった。だが甲斐学院も忠門も全日本で負かせたチームなのだ、いずれはひっくり返せる。その自信がランナーの走りを安定せしめた。その結果、甲斐学院と忠門に抜かれながらも、城東と稲田を引き離し7位を保つ事が……いや、それ以上の戦果を得る事ができた。

「3号車です、天道の久保が苦しんでいます!現在7位の日本ジムナスが後方から迫って来ています、今並びました!」

 天道のエース久保が風に足を取られ苦しむ中、マイペースで走っていた日本ジムナスは残り3キロの坂で久保を捕まえる事に成功した。そして最終的に久保に9秒の差をつけ、6位でタスキを3区へとつなげたのである。個人成績は1区に引き続き区間7位、エース百地を5区に回した事を考えれば大成功と言ってよい。


 3区。日本ジムナスの目標は4位忠門と5位甲斐学院だった。天道に抜かれるのは仕方がない、だが忠門と甲斐学院は捕まえておきたい、目下の敵である忠門と甲斐学院は。だが10キロを経過した辺りで甲斐学院は落ちてきたが、忠門がなかなか落ちて来ない。そして、後方からは天道だけでなく下総大も迫って来た。

「百地ならば、百地ならば何とかしてくれるんだ!」

 前後から迫ってくるプレッシャーはあったが、それでも5区の百地に一定以上の位置でつなげれば恥ずかしい事にはならないと言う信頼が有馬監督には、いや日本ジムナス全体にあった。その信頼はこの吹き荒れる強風の中にあってもランナーのペースを乱させることなく、きっちりと確実な物にさせていた。そして、その事が思わぬ恵みをもたらした。戸塚中継所の時点で3位だった徳政が区間16位のブレーキになり、確実に走っていた日本ジムナスに最後の5キロで捕まり終いにはなんと10位まで落ちてしまったのである。最終的に日本ジムナスは天道と下総に捕まったものの、甲斐学院と徳政を抜き去り、つまち2人を抜いて2人に抜かれた結果、平塚中継所でも戸塚中継所と同じく6位でタスキを渡す事ができたのである。


 4区。風が止む気配はまるでない、いやさらに強くなっている。風速は遂に2ケタに達し、更に横風から向かい風に変わっている。いつもならばスピード勝負になりやすいこの短距離区間も、今年ばかりはそうは行かない。

 先にも述べたように、今年は昨年の流れを受け継いでスピード勝負になると多くの大学が思っていた。だからこの短距離区間に10000m、いや5000mの適性に長けたスピードランナーを配置したのである。もちろん当日変更は利いたが、当日変更のタイムリミットである午前6時50分の風速は1m足らずであった。それからこの状況を予測して当日変更しろと言うのは無理な相談である。5000がベストの選手にとって、この消耗戦を強いられる状況がプラスになるはずはない。

 3区で2位まで上げていた天道が、この4区で崩れた。関東基督教、忠門、下総……そして日本ジムナスにも中間点で捕まった。どこか崩れるだろうとは思われたが、それが天道と言うのは日本ジムナスにも予想外だった。一昨年は大惨事と言うべき大敗を喫した物の総じて安定感が高く、それで時代を築き上げてきたチームだった。その天道が強風に弄ばれ崩れた。

 そして、その一方でこの強風を味方につけたチームもあった。1つは相模大である。区間賞で走り平塚中継所地点で15位だった所から一気に10位まで上がったのだ。タイムで言えばたった1人で10位までの2分9秒差を逆転したのである。

 では区間2位はどこだったか、それが日本ジムナスであった。

「風はうちの味方だ、体温を下げて火照った体を冷やしてくれるうちの味方だ!」

 今季の陸上部長距離ブロックは駅伝競走に集中して来た、2年間で失った物を取り返すための戦いに集中して来た。10キロより長い距離(出雲には元より出場権がなかった)に対応できるような練習を積んで来たのだ。このスピードが削がれる強風は、体を冷ますと言う点を差し引いても日本ジムナスの、スタミナを鍛え上げていた日本ジムナスの味方だったのだ。結果、日本ジムナスは下総と忠門を捕らえ総合3位にまで上がった。トップ太平洋との差は2分ちょうど、逆転できない差ではない。

「色気を出すな、うちの敵はあくまでも忠門であり下総、そして甲斐学院であり相模だ」

 だが小田原中継所で百地にかけられた言葉はそういう物だった。あくまで今回は挑戦者なのだ、その事を徹底して教え込ませていたのだ。いくらエースの百地と言えども、山登りの経験がある訳ではない。柏崎がいないとは言え、1分10秒後ろの6位には去年区間2位の徳政・関田が控えている。逆転されたとしても驚けない話である。そして百地自身もまた、今回の自分たちがそういう立場(挑戦者)である事を理解していた。無論、普通に走って普通に抜く分には何の問題がある訳でもないのだが、無理をして往路優勝を狙ってブレーキに陥っては何の意味もないのだ。とりあえずの目標である23秒前の関東基督教を目指して百地は小田原中継所を飛び出した。


 もっとも関東基督教とて箱根ではここ2年連続の7位が最高順位であり、今回6位になれば大学記録更新、紛れもなく大勝利であると言えるはずだ。ところがそう考える外野の人間はごくわずかであった。出雲駅伝優勝、全日本大学駅伝で2年連続5位の関東基督教にとって、6位などはもはや期待の最小値に過ぎなかった。そういう意味では関東基督教の方が日本ジムナスよりずっと辛いのだ。

 そしてここ2年の関東基督教の5区の区間順位はと言うと16位、14位ととても得意とは言えないそれである。関東基督教にしてみれば太平洋以前に後ろから迫って来る百地や関田との戦いを考えねばならないのである。


 スタートから5.5キロの箱根湯本、日本ジムナスは関東基督教との差を6秒と縮めたものの依然として3位だった。後方では徳政が下総を捕らえ4区でブレーキを起こし9位まで落ちていた天道が7位まで順位を上げていたが、日本ジムナスにとっては他人事だった。徳政も天道も日本ジムナスにとって別世界の存在であり、両校(及び太平洋・関東基督教)に敗れる事はある意味既定路線なのだ。優勝9回のプライドはどこ行ったんだと言う話だが、今の日本ジムナスがそんな悠長な事を言えた身分でない事をチーム全員が嫌と言うほどわかっている。現在の日本ジムナスは一昨年18位、去年19位の弱小チームなのだ。一応全日本4位と言う仮の看板はあるものの、ただそれだけなのだ。

 9キロ地点の大平台・ヘアピンカーブ。ここでようやく百地は関東基督教を捕らえ2位になった。

「見えるまではいないと思え」

 そして、太平洋との差は1分29秒に詰まっていた。逆転の二文字がちらついても全くおかしくない差だ。しかし有馬監督の指示、そして百地の走りに前を追う意図は全く感じられなかった。次回はともかく今回の優勝は太平洋でいい、たまたまうまく行ってうまく抜けるのならば構わないが、強引に逆転を狙いに行く理由はないと言うのが日本ジムナスの方針だったのだ。

 ……果たせるかな、この強風と箱根の山は初っ端から強引に飛ばしたランナーたちに容赦なく襲いかかった。いや、正確には少し違っていた。


「今、大平台を城東大が通過して行きます。小田原中継所の時点では11位だったんですが現在は16位まで落ちてしまいました、すぐ後ろには維新大が迫っています」


 この時、日本ジムナスは小涌園で歓声を浴びていた。先頭太平洋との差は19秒、もはや手を伸ばせば届く所である。だが有馬監督はその事に対して何も言わない。どうせ目に入っているからと言うのもあるが、それ以上に後ろの事が重要だったのだ。この後ろと言うのはもちろん40秒差まで追い上げて来た徳政、9位から5位まで追い上げて来た天道の事もあるが、その両者以上に城東大の事が重要だった。

 それほど飛ばしていた訳ではない城東大、去年過去最高の5位を記録した城東大が大平台までの間に5人に捕まっていた、明らかに正常なペースで走っていない。元々大平台の時点で区間1位の徳政・関田のタイムが去年区間2位の時の自身のそれより40秒悪い時点で今年の状況は大体お察しと言う物だが、それを差し引いても城東大のランナーの走りはかなり悪い。

 これだけでも今年の過酷さを思い知るのに十分だと言うのに、いや小田原中継所の時点で13位だった東京アグリが城東とほぼ同じ調子で大平台を通過し18位に落ちていると言う話でもう十二分だと言うのに、さらにその上を行く大事が起こっていた。

「大平台です!中心大が大ピンチです!中心大が小田原から2つ順位を落とし現在19位、後ろからは下野大がやって来ました、ああまもなく抜かれそうです!」


 中心大学。箱根駅伝の歴史に必要不可欠な伝統校の中の伝統校。この箱根路を駆ける200人のランナーの全てが生まれるより前から、ずっとシード権を保って来た名門中の名門、その中心大が今や最下位に落ちようとしている。今年の箱根には、去年や一昨年とは全く違う魔物が暴れ回っていた。

 魔物に喰われるな、目の前のランナーではない、魔物に勝て。本人にしてみれば無意識だったかもしれないが、有馬監督の指示はその事を徹底させる物だった。

 ……そして、ついにその時が来た。




「百地がついに太平洋を捕らえました!17キロ地点、日本ジムナスのキャプテン百地が太平洋に並びました!いや、太平洋ちょっとついて行けないか!5区17キロ過ぎ、日本ジムナスが先頭に立ちました!去年の34分48秒差の屈辱を取り返すが如き百地の、静かなる闘志に溢れし走りが、箱根の山に轟いています!」



 一昨年18位、去年19位の太平洋が2連覇中の太平洋を抜いて先頭に立つ。これほどまでに盛り上がるシチュエーションはそうそうない。アナウンサーの興奮が頂点に達するのもむべなるかなである。だがそれでも有馬監督は顔色一つ変えなかった。

「徳政は決して追うのをやめた訳じゃないぞ!」

 太平洋を抜いた所で、後ろから来る徳政の関田を振り切らねば往路優勝はない。それは覆しようのない現実であり、そしてもう1つ覆したいが覆せない現実があった。




「今監督が選手の肩を抱きかかえました……ああ、中心大、残念ながら途中棄権です」




 途中棄権。繰り上げスタートならば実力がないで済むが、途中棄権の場合そうも行かない。これまでの選手のタイムが無駄になるのは無論、そこから先のランナーのタイムも公式記録として認められない。要するに、後に何も残る物はない。あえて言えば経験だけである。だが優勝は当然、シード権は無論、タスキをつなぐと言う最低限のモチベーションさえ失った状況で走れと言うのも酷な話である、ましてや4年生にとっては。しかしそれもまた現実なのだ。優勝争い、シード争い、繰り上げからの逃避。いずれにせよそこにはチーム全員がいる。だが明日の中心大はもはやチームとしての目標は何もない、ただ5人のランナーがただタスキ、いやタスキとすら呼び難くなった布を受け渡すだけである。翌日、あるいは誰か1人以上が快足を見せる事ができるかもしれない、けれどそれが何になると言うのだろうか。仮に区間賞を取った所で、公式記録としては認められない。幻の区間賞と言えばかっこよく聞こえるが、ただそれだけの話である。


「タスキをつないで走れる事こそ幸運なんだ、俺たちが予選で破って来た幾多の大学、そしてお前たちが押しのけて来た他の部員全てより、お前は幸運なんだ!その事を決して忘れるんじゃないぞ!」


 中心大途中棄権。その衝撃を与え心を乱すに十二分な報告にも有馬監督はまるで表情を変えなかった。言葉こそやや長いものの、要約すれば今箱根を走れている事を感謝し決して驕ってはならないと言う、これまでとほぼ同じ物言いである。それだけ、方針がぶれていないと言う事であろう。そういうチームが強い事は古今東西どこでも同じである。監督と同じようにぶれない百地は着々と太平洋を引き離す、しかし同時に徳政の関田にも迫られていた。

 そして残り4キロ、ついに関田が太平洋を捕らえた。そして百地との差は20秒ちょうど。百地対関田によるゴール前のデッドヒートが繰り広げられるのか、そしてその結末はどうなるのかという一部の期待と日本ジムナスの危惧は、しかしあっけなく裏切られた。


「徳政の関田のペースが伸びません、18~19キロで5秒日本ジムナスと詰めましたがその先の19~20キロでは逆に3秒開かれました」


 去年5区2位、柏崎のいない今年では区間賞本命と言われた関田もさすがにこの上りと強風の前に力を使い果たしていた。10000のタイムでは20秒以上落ちる関田には、日本ジムナスのエース百地を追う力はない。もちろん百地とて疲労の極に達しているが、そうだとしても両者の地力の差は覆しようがない。上りと言うアドバンテージを失った関田に、もう百地を抜くだけの力は残っていなかった。それでも必死に歯を食いしばり差を開かれまいとしていたが、それが精一杯だった。さらにその後ろには天道が今もなお必死に追い上げていたが、さすがに小田原での順位が悪すぎた。




「あの屈辱から1年、日本ジムナスが真っ先に芦ノ湖にやって来ました!3年生キャプテン、百地が関東基督教、そして太平洋を捕らえ徳政の追撃を振り切りました!日本ジムナス、往路優勝!!」




 百地はガッツポーズをしなかった。その代わりと言うべきかゴールするやすぐ後ろを向き、これまで自分が走ってきたコースに向けて頭を下げた。

 日本ジムナスが幾十年以上やって来た、自分たちが走ってきたコースに対する敬礼。どんなに優秀なランナーでも、走るコースがなければ意味がない。監督やスタッフ、仲間と同じかそれ以上に敬意を表すべき存在であるコースに対して礼節を示す事。

 だが敗北に疲れ果てていたこの2年間、日本ジムナスはそれを怠った、と言うより走って来たランナーたちにそれをするだけの余裕すら残っていなかった。その一礼を行えた事こそ、彼らにとっての何よりの勝利の証であった。





 往路優勝 日本ジムナス大学 5時間40分09秒

 2位 徳政大学 5時間40分31秒

 3位 太平洋大学 5時間40分59秒

 4位 天道大学 5時間41分27秒

 5位 関東基督教大学 5時間41分44秒

 6位 下総大学

 7位 忠門大学

 8位 甲斐学院大学

 9位 帝国大学

 10位 相模大学 5時間46分57秒




「あくまでも1番目にゴールしたと言うだけの話。明日も太平洋さんや天道さん、徳政さんに胸を貸してもらう立場と言う事に変わりはありません」


 有馬監督のマスコミに対するコメントはとても往路優勝したチームとは思えないそれだった。しかし冷静に考えれば徳政と22秒、太平洋と50秒、天道と1分18秒と言う差など去年の事を考えればないのと同じ、要するに復路でその3校と互角以上に戦えねば総合優勝など不可能なのだ。だ

 が今の日本ジムナスにそれができるとは思えない。今回の目標はあくまで5位、次回の総合優勝の為の足固め。有馬監督の心に変わりはなかった。中心大の途中棄権、城東と東京アグリの大ブレーキ。

 元よりその3校あたりとシード権を争うつもりだった日本ジムナスにとり、その3校は太平洋や天道よりもずっと身近だった。その同じ空間にいる(と少なくとも日本ジムナスは思っていた)チームの蹉跌に、有馬監督の頭に思い浮かんだのは明日は我が身と言う六文字であった。

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