3区・ある勝利

 とにもかくにも、日本ジムナスは全日本予選に続き箱根予選もトップ通過した。

 もっとも、この二戦だけで日本ジムナスの評価が上がる訳ではない。これから日本ジムナスが戦う相手は柏崎を欠いているとは言え前年度の箱根王者である太平洋、全日本覇者の天道、出雲の勝者関東基督教……いずれも目も眩むような強敵ばかりである。しかし3年前、太平洋も関東基督教も日本ジムナスにとって強敵ではなかった。一昨年、箱根駅伝で日本ジムナスは8位だったのに対し太平洋は9位、関東基督教に至っては出場はおろか学連選抜にさえもその姿を見せていない。そういう存在だった2校が今や日本ジムナスの前に大きな壁として立ちはだかっている。


「いいか、その事を踏まえた上でこれからの戦いに臨め。そして自分たちが関東基督教や太平洋になるんだ」

 箱根予選の後有馬監督はその事を何度も口に出していた。現状の立ち位置をわきまえ、その上でレースに臨むべし。敵を知り己を知れば百戦危うからず。使い古された言葉ではあるがその重みは消える物ではない。




 11月。朝の伊勢路は前日まで強風が吹き荒れていたと言うのになぜか呆れるほどに穏やかな晴天だった。まるで嵐の前の静けさか、さもなくば単に本当に静かなだけなのか。もっとも、後者の可能性が前者よりはるかに低い事は今そこにいるほぼ全員が承知していた。柏崎が故障して今季絶望となった時点で昨季の覇者である太平洋がおいそれと勝てるはずもない。そしてその太平洋を下して出雲を制したのが前回の全日本の勝者天道でも前回の出雲2位の徳政でもなく、前回の出雲10位の関東基督教である。いくら全日本5位箱根6位と実力は足りていると言えど、出雲2回目のチームが出雲のコースに慣れているはずの太平洋を負かし、そして箱根10位の下総が箱根2位の天道に勝った時点で順当などという言葉は口が裂けても言えたものではない。インカレやその他の大会で兆候があったのならばまだともかくそれすらなかったのだ。


 その結果、天道や太平洋、関東基督教や任天堂と言った上位候補以上に日本ジムナスは耳目を集めていた。次にあっと言わせるのはどこなのか、その好奇の視線が日本ジムナスにも集まっていたのである。

「言っておきますけどこの視線に答えるにはシード獲得ぐらいでは足りませんよ」

 3年生キャプテン百地の言葉を有馬監督は頷きながら聞いていた。これは大げさではなかった。学生駅伝界の主軸であった柏崎がいなくなり、その結果出雲で関東基督教と言う優勝にはほど遠いはずだったチームが勝った。それと同じかそれ以上の混沌がこの全日本でも起こるのではないかと言う、もっとも非難がましい言い方をすればかなり悪趣味な好奇心が傍観者の間に蔓延していたのである。

「結果的に」波乱の主役となるのは構わない、しかし「最初から」波乱の主役になろうとしてはいけない。耳を塞げとまでは行かないが、踊らされてはいけない。有馬監督もまた百地と同じ事を思っていた。

「自信ありと言う事でしょうか」

 アンカーにエース百地。当然と言えば当然の配置だが、地元紙の記者は嫌らしい表情で有馬監督にそんな事を言い出した。

 おそらくは今年の箱根で太平洋が歴史的勝利を挙げた、だが今その中軸である柏崎はいない。柏崎のいない太平洋が勝てるかどうか不明、実際出雲では関東基督教と言う伏兵が勝利した。駅伝の知識のない人間に取っても印象に残るぐらいには衝撃的な結果と言ってよい話である。さらに言えば去年の箱根駅伝で絶対王者であったはずの天道大が10位と大惨敗し一昨年の箱根で9位だった太平洋が優勝したと言う、これまた印象に残るに足る事態が起きたのである。

 去年の箱根→今年の箱根→今年の出雲と連続で(去年の出雲と全日本が比較的順当な結果に終わった事については頭にないようだ)そのような事が起きたとなればまた今年の全日本でも何かと言う考えに達するのは必然かもしれない。

「自信もなしで戦いに挑むような腰抜けはこの場に1人もいませんよ」

 だがこの波乱の起こりそうな空気につられて寄って来ただけと思しき(あるいは同じく学生駅伝に対して知識の乏しい上司に命じられただけで元よりやる気などないのかもしれないが)その記者に有馬監督はけんもほろろにそう答えた。さすがに自分たちの学校の名前ぐらいは知っているようだが、それが自分たちに対しての最大限の知識であるその記者にとって、駅伝なんて最初にエースを注ぎ込んで流れを作り後はその流れに任せて突っ切ればいい物だと言うレベルの考えしかないようだ。だからなんでエースを1区に使わないんですか、アンカーに使おうだなんて随分余裕なんですねーと言う嫌味そのものな思考が、だが本人にしてみればまるでその気もなく出て来てしまったのである。

「日本ジムナスは1分差なら百地が何とかしてくれると思っている」

「百地に対する信頼の大きさを感じずにいられないオーダーだ」

 もちろんわかる人間、と言うか太平洋の堺監督と天道の大木監督はそういう風に言って日本ジムナスを恐れていたし、そして有馬監督も百地もそういう人間の言葉には耳を傾けていた。



「天照大神も学生たちの本気、100%の走りを見たいのでしょうか。まるでかの神の恵みがあったかのように今伊勢路は最高のコンディションです。今年も関東が勝つのか、あるいはどこか他地区の大学が打倒関東を成し遂げるのか。全日本大学駅伝、まもなく開幕です!」


 スタートまで残り10分。既に各中継所には各々の大学のランナーが到着し、各々の出番を待ち続けていた。そしてスタート地点には1区のランナーが肩を並べ、号砲が鳴るのを今か今かと待ち構えていた。

 そして8時00分、号砲が鳴った。いくら命の削り合いとでも言うべき厳しい戦いとは言え、開始数キロぐらいはのんびりと見ていられるだろうと言う多くの監督の予想は、しかしわずか3分足らずにして裏切られた。

 甲斐学院の留学生がスタートからいきなり仕掛け、2位以下の差を広げ始めたのだ。九州の鹿児島工業大の留学生が仕掛けて来るのではと言う予想ならばあった、だが甲斐学院がいきなり動いて来るとは思っていなかった。

 そして誰が最初なのかはわからないが、2キロの地点で2位集団の中の誰かがペースを上げたのだ。出雲3位の甲斐学院のペースに持ち込まれたら、逃げ切られたら一大事だと言う心理になったのだろうか。そしてその誰か一人の焦燥に伴うペース上昇が、一気に残りのランナー全体に伝播した。

 いや、正確に言えば太平洋と関東基督教がさらに他のランナーの焦燥を高める行動を取ったのが原因だった。どういう事かと言えば、飛び出したランナーに付き従うかの様に前へ躍り出たのである。要するに、出雲の1・2・3位の大学が前に飛び出したのだ。優勝を狙うチームにとって1区からいきなりそういう強豪チームに離されてはかなり危なくなってくる。当然、逃がすまいと追い掛ける。それにつられて他のランナーもペースを上げる。

 そしてその繰り返しで、結果的に甲斐学院以外の関東11校と鹿児島工業大の留学生、合わせて12人がひとかたまりになってハイペースで甲斐学院の留学生を追い掛けると言う構図が5キロもしない内に出来上がったのである。

 当然、その中には自分の実力以上で走っているランナーも出てくる。そんな事を続ければどうなるか、答えは見えている。だが、もう止められない。堺監督も大木監督も有馬監督も、黙って見守るより他にできる事はない。せめて甲斐学院がペースを落としてくれればいいのだが、全くそんな兆候はない。老巧の将である甲斐学院香川監督の術中にまんまとはまってしまった格好である。

「離されなきゃいいんだ、百地がいるんだぞ」

 もちろん1つでも上でゴールするに越した事はない、しかし目標はあくまでも6位。百地に6位と1分差でつなげば良い。太平洋や天道ならばともかく6位周辺のチームのアンカーなら十分ひっくり返してくれる。それが有馬監督と日本ジムナスを支えていた。今の状況では付いて行く事こそが最も困難ではあるものの、それでもその安心感が日本ジムナスのランナーを支えていた。


 やがて10キロ過ぎ、ついに1人が崩れた。下総のランナーだ。続いて維新、そして任天堂。流れに飲まれた選手たちはまるで木の葉のように流されて行く。その後もほぼ1キロ間隔で1人または2人が2位集団からこぼれ落ちて行く。しかしそれでも日本ジムナスは喰らいついていた。最後の1キロで天道すら滑り落ちたと言うのに必死にしがみつき、見事38秒差の5位でタスキをつないだ。2位太平洋、3位関東基督教、4位徳政に次ぐ5位である。大成功と言ってよい。


「このまま自分の走りをすればいい、無理に前を追う必要はない」

 下総や維新と言った大エースを擁している所が1区で沈んでくれた。敵は太平洋や天道ではなくその辺りだと考えていた有馬監督にとってこれは更に好都合だった。いけそうだと言う気分になれたのはこの時だろうか。もちろん気分になるのと現実にうまく行っているのとは訳が違う。冷静に考えればまだ8分の1を経過したに過ぎないし、天道がこのまま終わるはずもないのである。そして倭国や下総と同じくライバルと言うべき存在であった甲斐学院が1位と言うのも見逃してはならない現実である。

 そして2区、甲斐学院は引き続いて区間賞を取った。タイムはさほど良い訳ではなかったが、後続との差を開いた事は間違いない。太平洋や関東基督教と言った他の有力校が牽制し合う隙を付くかのような快走、太平洋は引き続き2位を保つも差は既に1分20秒と広がっていた。どうしよう、あるいはこのまま本当に甲斐学院のペースになってしまうのではないかと言う焦燥が、1区とは違った焦燥が漂い始めていた。

 そしてその焦燥の波に天道が飲まれてしまった。1区終了時点7位から太平洋との30秒差を覆し一時2位タイまで追い上げた天道であったが、その結果終盤バッタリになり区間11位とひどいレースになってしまった。


 その点、日本ジムナスはどうだったか。結果から言えば区間5位、総合順位も5位を維持した。成功か失敗かで言えば間違いなく成功と言えよう。もちろん甲斐学院の快走や天道の暴走は有馬監督もランナーもわかっている。だけどこの時の彼らにとってはどうでもよかった。甲斐学院はまだともかく天道は遥か雲の上の存在、いずれ上がって来るであろう、いずれ抜かれるであろう存在だった。要するに他人事だった。だから、傍観者的目線で見つめる事ができ、あくまで「自分の走り」をする事ができたのだ。


 3区。甲斐学院の勢いもようやく鈍って来た。と言っても区間6位、予選通過校と言う事を考えれば悪くはない、依然としてタスキを先頭で渡す事に成功した。

「おいしっかりしろ!」

 一方で有馬監督はこの戦いが始まって初めて檄を飛ばした。2区でタスキを渡した時点では4位徳政と2秒差だったのが中継所では40秒差になってしまったのである。徳政が区間賞だったから差を開かれるのは仕方なかったが、それでも目下の目標であった4位のチームに差を空けられるのは面白くない。そして総合5位こそ保ったものの、3区が区間順位8位とイマイチの結果に終わったと言う現実も消えない。


 そして日本ジムナスにとってはその次の4区こそが最大の試練だった。

「現在の順位を維持すればいい」

 4区には各校のエースが配置されやすい。3区終了時点で総合10位と苦しんでいる天道だが、この4区には久保がいる。日本ジムナスと天道とのタイム差は50秒、久保の能力を考えれば逆転は可能な差だ。久保に抜かれるのはもう仕方がないのかもしれない。そうなれば6位、シード圏内ギリギリである。

 何とも精神的に不安定になって来る順位であり、格好の目標であり、いつ心を乱されるかわからない順位である。だから順位を保ちたい、でも順位を保つには1人抜かなければいけない。それこそが容易ではない。


 しかし、日本ジムナスは幸運だった。3区で区間10位とつまずき総合順位を4位に落とした関東基督教との差がたった7秒になっていたのだ、日本ジムナスにとっての格好の目標が目の前に現れたのだ。これを捕らえれば4位、久保に抜かれたとしても5位である。もちろん関東基督教も優秀なランナーを配置しているからそれこそが容易ではないが、この状況が日本ジムナスのランナーに活力を与えている事はまごう事なき事実である。

 7秒の差など、その気になればあっと言う間である。関東基督教が最初からそれほどペースを上げなかった事もあり簡単に日本ジムナスは関東基督教に追い付いた。そうなれば後は並走するだけである。出雲王者の関東基督教であったが、当たり前ながら出雲と全日本では勝手が違う。関東基督教にスーパーエースはいない。出雲でも1・6区と言うエース区間の成績は決して高かった訳ではない、4・5区と言う繋ぎ区間の成績が良かったからこその優勝であった。1区・8区と並んでエースの配置されやすいこの4区で苦しいのは日本ジムナスだけではなかったのだ。いや、太平洋以外は全て苦しかったのかもしれない。

 太平洋の4区・日村恵一に勝てるランナーなどそうそういない。天道には久保がいたが、現時点での順位が悪すぎて日村恵一の相手にはなりにくい。久保にしてみればはるか遠くの日村恵一以前に、全力を出して前を追い上げねばならないのである、そして久保は来た、でも日本ジムナスにとっては全く後方の争いであり他人事だった。その事が日本ジムナスにとってどれだけの追い風になっただろうか。


 結局、日本ジムナスは天道の久保にこそ捕まったものの関東基督教を最後の500mで突き放し、区間6位で総合5位を保った。有馬監督の思惑通りに行ったのである。もっとも、あくまで「有馬監督」の思惑通りである。

「今回もまた出雲に引き続き波乱が起きそうです!天道や関東基督教はここから追い上げられるのか!?」

 アナウンサーの実況も煽り気味であるが、実際問題4区終了時点でトップはまだ甲斐学院だった。そしてこれは甲斐学院の香川監督自身にとっても望外の戦果だった。それだけでも順当ではない、波乱と言える。

 そして、

「徳政大が上がって来ました!第4中継所では12秒あった太平洋との差を既にひっくり返し甲斐学院とまもなく並びそうです!」

 その甲斐学院から首位の座を奪い取ったのは2位だった太平洋ではなく3位だった徳政であった。5区、太平洋も天道も焦って前半飛ばしすぎて落ちてしまい、甲斐学院を捕らえるどころか逆に太平洋は3位、天道は5位に下がってしまったのである。一方で日本ジムナスはマイペースで走り天道を捕まえ4位に浮上する事に成功した。


 6区、トップの徳政は区間賞で走った。当然太平洋や天道は、無論日本ジムナスも離されて行く。

 この時の堺監督と大木監督の心中は如何ばかりだったろうか。徳政のアンカーには北池と言う徳政のエースが控えている。これまでに攻められる手駒を全て使ってしまった甲斐学院ならばともかく、北池を残す徳政を逆転するのは難儀である。と言うより、まだその甲斐学院さえ太平洋と天道は捕まえられていない、依然として2位は甲斐学院のままである。

 そして日本ジムナスは……やはり依然として4位のままである。

 いつの間にか勝っている、それはある意味理想かも知れない。戦前、太平洋や天道、関東基督教を優勝候補に挙げる声はあっても徳政を挙げる声はそれらに比べて小さく、いわんや日本ジムナスについてはほぼ面白半分のそれぐらいしかなかった。「冷静に」物事を見ていた人間の大半の予想はあってギリギリシードだった。それが今や4位、いや7区に入り甲斐学院が失速したのを捕らえて3位にまで上って来たのだ。

 あるいは百地次第では。そんな声、と言うより雑音が第7中継所に響き渡り始めた。百地が爆走して北池も太平洋の日村祐輔も捕まえれば逆転優勝、そういう不埒な考えを抱いたとしても不思議はなかった。

 だが百地はそんな雑音など気にはしなかった。所詮今回は挑戦者、太平洋や天道に勝つ気はない。あくまでも次のレース、箱根の為のステップ。6位ならば勝ち。そして実際、百地はまだ本調子には戻りきっていなかった。そんな状態で高望みすれば痛い目を見るのは明白である。その事を、百地自身が一番よくわかっていたのだ。


 第7中継所、タスキリレー。先頭の徳政との差は1分50秒。しかしそれはどうでもよかった、7位との差こそ重要だった。その差は55秒。

 百地ならば問題はないはずだ、だが徳政のように予想外のランナーが出て来ないという保証はどこにもない。さらに言えば7区の大ブレーキで9位にまで落ちた天道が巻き返して来ない保証もない。決してシード獲得が決まった訳ではないのである、まだ可能性が非常に高くなっただけなのである。99.9%と100%は全く違うのだ。

 さていよいよ8区、百地の7秒先に太平洋のエース、日村祐輔がスタートした。普通に考えれば格好の目標である、しかし百地は日村祐輔を追おうとしなかった。先も言ったように本調子に戻りきっていない状態で太平洋のエースと喧嘩する必要、更に言えば喧嘩して勝つ必要はないのである。

 アンカーがチーム5番目のランナーに過ぎない甲斐学院、同じくチーム6番目に過ぎない6位の帝国はともかく、10秒差で5位の関東基督教を甘く見る訳には行かない。もちろん7~9位の任天堂・忠門・天道の猛追を無視する訳にも行かない。要するに、今の日本ジムナスの敵は目の前ではなくむしろ後ろにいるのである。となれば強引に前に行く必要もないのである。そして、そういう状況である今の日本ジムナスにとって3位と言う順位はものすごく有り難かった。最悪、3人に抜かれてもまだシード圏内なのである。

「マイペースで走ればいい、次の箱根に向けてのステップと考えろ」

 大舞台で自分の走りをする事ほど難しい物はない。ましてやこれまでの全員の苦労を一身に背負う駅伝のアンカーとなれば尚更である。だが今の日本ジムナスと百地にはそれができる余裕があった。そしてその走りは自然伸びやかになった。

 最初の3キロでとにかく並んでやろうと考えた関東基督教のランナーが強引に突っ込んで来たものの、百地はどこ吹く風であった。そして並ばれてからは関東基督教もまた最後に抜けばいいと考えたのかペースを落とし、並走状態に突入した。その結果お互いがお互いのペースメーカーと化し、百地はますます走りやすくなった。

 淡々と、淡々と時が流れる。前では1分43秒差を追い上げるべく必死に太平洋のアンカー日村祐輔が徳政を追い上げていたが、なかなか差が詰まらない。中間点の段階でもまで1分30秒差があった。徳政のアンカーがエースの北池なのである程度は仕方がない面があったが、だとしても太平洋の堺監督からすれば何とも切歯扼腕物の展開である。去年もアンカーに柏崎を配置しながら天道に逃げ切られただけに2年連続同じパターンで負けるのだけは絶対に嫌な所であり、日村祐輔本人もまたそう思っていた。それだけに日村祐輔には余裕がなかった。


 一方で有馬監督と百地は肩の力がいい意味で抜けていた。後ろから天道が必死に追い上げついに6位までやって来ている事は知っている。しかしまだ遠い世界の話だった。そして天道に抜かれ関東基督教に突き放された所で、まだ5位なのだ。中間点時点で5位だった甲斐学院は既に遠く突き放した、もう5位より下に落ちる心配はなかったのだ。そして5位でも日本ジムナスは来季のシード権を得られる、日本ジムナスにとっての「勝利」なのだ。そしてその「勝利」は99.99%掌中にあった。もちろん100%と99.99%は違うのだが、この時日村祐輔にはなかった余裕が、百地にはあったのである。

 そしてあと2キロ。ついに天道が日本ジムナスと関東基督教に迫って来た。この猛追に関東基督教は慌てた。下手に優勝してしまったと言うと相当に語弊があるが、今の関東基督教にとってシード権は最低目標であり、優勝は叶わずとも1つでも上の順位でゴールする事が、5位より4位、4位より3位が求められていた。3位でも5位でもシード権と言う観点で言えば別に同じなのだが、そのような中でも関東基督教と日本ジムナスの間の心理的境遇には大差があったのだ。

 天道に取り付かれて3位集団となりながら、関東基督教のランナーは仕掛けた。が、百地も天道もついて来る。離されない。そして残り100m、天道のラストスパートに関東基督教は付いて行けなかった。

 百地も最後の30mで引き離されたものの、関東基督教には5秒の差を付けた。




「第一の目標は達成した。だがこの結果、日本ジムナスは箱根では耳目を集める存在になるだろう。これだけは忘れるな、今回の俺たちはあくまで挑戦者だ。真の勝利、つまり優勝の凱歌を歌うのは来年度だと思え。今季のうちは太平洋や天道、徳政や関東基督教に胸を貸してもらう立場だ。来季こそその4校と並び立ち、優勝を勝ち取る。1月2・3日はその為の2日間となると思え」



 4位と言う結果にも有馬監督の顔に笑みはない。もちろん内心では嬉しかったのだが、まだ箱根が残っている以上それを終わるまでは気を緩めてはいけない。

 そういう強い心持ちが有馬監督、そして百地の心と表情を引き締めていた。

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