2区・箱根予選

「この風景をよく目に焼き付けておけ!」


 夏合宿中、有馬監督は選手たちにしょっちゅう駅伝のDVDを見せていた。

 立川か、伊勢路か、箱根か……答えはそのいずれでもなかった。


「ここに百地を立たせたいだろ?去年に引き続き今年も立てないのが悔しいだろ?その悔しさを闘志に変えて、立ち上がれランナーたち!」


 正解は出雲駅伝であった。前回の箱根駅伝でシードを取れなかった日本ジムナスに出場資格はない。去年に引き続き今年も見るだけである。学生三大駅伝の初戦である出雲駅伝に、日本ジムナス大学は駒を進める事すら叶わなかった。そう、日本ジムナスが今年度の三冠を取る可能性は1月3日の段階で消えていたのだ。

 日本ジムナスは全日本予選を2位通過した、部員たちはこの結果を自分たちの勝利と見なしているのではないか、それは大きな過ちである。

 この先の箱根予選も全日本本戦も他校の強大な戦力が待っている、その事を忘れさせないためにも有馬監督はあえて自分たちにとって遠い世界になってしまった出雲駅伝の映像を見せているのだ。



「これは自然現象みたいな物だ。そしてその結果泣く奴もいれば笑う奴もいる。笑う奴になればいいだけだ」

 時は流れて10月。出雲駅伝の直前に流れ学生駅伝界のみならず世間を騒然とさせた柏崎今季絶望のニュース。その報告にも有馬監督は冷静だった。そうなのだ。柏崎リタイアと言うニュースを冷静に考えれば太平洋にとって大ピンチであると同時に他の学校にとっては大チャンスなのだ。

 出雲本戦や箱根予選には関係ないにせよ、全日本本戦を考えれば日本ジムナスには朗報と言えた。人の失敗を喜ぶのはあまり称賛できない事ではあるが、今の日本ジムナスにはそんな贅沢を言っている余裕などない、その事を監督以上に選手たちが認識していた、そしてそうさせているのは誰よりもキャプテンの百地である。


「お前少し背負い込みすぎなんだよ」

 3年生にして日本ジムナスのキャプテンになった百地。当然、その双肩にかかる負担と看板は大きい。全日本予選後調子を崩し練習にもついていけなくなった百地を支えたのは4年生たちだった。

 エースで主将の百地が苦しんでいるからこそ、3年生の百地を主将にしてしまった不甲斐ない自分たちが支えねばならない。4年生はその事を痛いほどわかっていた。

 もちろん、彼らがすんなりと百地のキャプテン就任を受け入れられた訳ではない。表面上ではともかく内心ではなぜ3年の百地がキャプテンにと反発した4年生も少なくなかっただろう。だが今年の箱根で走った3人の現4年生の区間18位、最下位、19位と言う現実の数字と有馬監督の言葉少なな故にかえって滲み出て来る強い意志が彼らに反論を許さなかった。そして百地は必死にキャプテンとエースの二役を務め上げ、全日本予選2位通過と言う成果を出した。もちろんそれだけではないが、その成果が百地にキャプテンとしての箔を付けた事だけは間違いなかった。

 その時までは部内に燻っていた百地に対する批判的な空気が、ぱったりやんだのもその頃からだった。しかしだからと言って手を抜いては自分の信頼は簡単に崩壊し部が瓦解する、それでは元の木阿弥だと考えた百地は気を緩める事ができなかった。そしてその事を4年生たちは百地本人より鋭敏に感じていた。百地が苦しんでいる今だからこそ、自分たちが何とかしなければならない。百地にとって何よりの妙薬である「勝利」のために、今の日本ジムナスになりふり構っている暇がない事を誰よりも深く認識していたのである。



「来年こうなればいい」


 出雲での関東基督教の優勝。その結果に強い衝撃を受けたのはむしろ出雲で関東基督教と戦っていない学校だった。

 太平洋、天道、任天堂、徳政、城東、中心、忠門、甲斐学院、下総、稲田(箱根は12位だったが前回の出雲で3位だったため出雲のシード権を持っていた)と言った対戦した学校はただ素直に関東基督教の勝利を認め、次の戦いに思いを馳せていた。

 一方で対戦していない学校は胸を躍らせた。去年の箱根、予選9位ギリギリ通過の関東基督教がシードを獲得すると思っていた人間は身内でもほとんどいなかっただろう。そういう出雲どころか箱根さえ遥か遠い存在だったはずのチームがほんの2年足らずで栄光を掴んだのだ、自分たちもと思うのも当然と言えば当然である。それを夢物語と言えないのが現在の学生駅伝界だから恐ろしいのである。




 出雲から一週間後の立川。9枚の切符を巡り、400人を超すランナーたちが集った。そして、号砲は鳴った。


 毎年恒例の事であるが、倭国大と嘱託大の留学生が先頭を切って飛び出した。そして日本人エースたちが2人の留学生の後方に付き従うかのように大集団を抜け出している。しかし、そこに百地の姿はなかった。

 15分ほど経つと百地の姿を確認できるようになった。全体で言えば50番台の真ん中、チームで言えば5番目である。正直百地にしてはかなり遅めのペースであり、本調子には遠いと言わざるを得ない。そして百地の後ろには日本ジムナスのランナーがズラリと並んでいる。

 勝利こそ最高の妙薬と容易く言うものの、百地にとっての妙薬を与えるのに百地に依存するのでは文字通りの本末転倒である。しかしだからと言って、いくら全日本予選2位通過のチームとは言っても百地なしで勝てるほど今の日本ジムナスが強い訳ではない。その現実を踏まえた有馬監督は百地に何を指示したのか。


 ズバリ、集団走である。全員で一つの集団を形成して暴走による後半のブレーキを防ぎつつ、下のランナーのタイムを上側に引っ張って来るのが目的の戦法である。実際、一昨年初めて大学の歴史上初めて箱根予選を突破した下野大学は一昨年も去年もその集団走で箱根予選を勝ち上がった。

 その集団走の先頭に百地を立たせたのだ。いくら百地が不調とは言えども、出場権ギリギリのメンバーを引っ張るに足るだけの力は持っていた。

 もちろん集団走は悪し様に言えば馴れ合いそのものの戦法であり、同じコースを同じチームの、そして個人の成績を顧みずチームの勝利のみを目標とする人間が走っていると言う予選会の特性があればこその戦法であり、本戦では通じようがない。しかし予選会専門の戦法と割り切れば有効なのもまた事実である。

 もちろん集団走の先頭に立ち下位のランナーを引っ張ろうとすれば本人のタイムは伸びず、他校のエースのようにタイムを稼ぐ事はできない。その事に対して百地の心の中に全く葛藤や無念がなかったと言えば嘘である。しかしよその学校のエースのようにタイムを稼ぐのも役目ならば、他の部員を導くのもエースの役目。百地は自分にそう言い聞かせながらこの立川を駆けていた。


 10キロ地点。1つの数字が有馬監督の溜飲を下げさせた。

「日本ジムナスが真っ先に10人通過しました」

 毎年この予選会はテレビ中継される。その際中間地点の10キロ、15キロ、そしてゴール地点がチェックポイントとされ、そこで各学校の通過人数が出される。もちろん早く10人通過した順序=順位と言う訳ではないのだが、実際その数字がかなり基準になっている事も事実である。

 稲田や帝国と言ったトップ通過争いのライバルたちはまだ8人であった、そして倭国に至ってはまだ5人であった。

「田井中はレース前、自分の為すべきを為しますと豪語していました」

 倭国の2年生エース田井中は10キロ地点で総合6位。そして留学生は2位と、両名はしっかり己が役目を果たしていた。日本ジムナスの先頭が総合10位である事を考えれば上出来な話である。

 しかし後続が来ない。

 それからしばらくして倭国の10人目が通過したが、全体で130位であった。日本ジムナスの10人目が65位であった事を考えると日本ジムナスと倭国の差が滲み出て来る話である。10キロ地点にてチーム全体でも日本ジムナスは通過順だけでなくタイムでも1位だったのに対し、倭国は通過順で9番目タイムでは8位であった。

 しかし日本ジムナスにも不安がない訳ではない。箱根で11位と無念の涙を飲んだ相模大学が10キロ過ぎになって本気を出して来たのだ。しかし本戦11位であったものの、全日本の予選会を落選した相模の評判はそう高い物ではなかった。だがその10キロ通過時点ではまだ5位だった相模のランナーたちが10キロを過ぎてから明らかに活性化して来たのだ。もちろん普通のレースではよくある戦法だが予選会では珍しい話である。

 相模の内藤監督は全日本予選の落選後、箱根本戦でのシード奪還に進退を賭けると豪語していた。チームを率いて15年余り、弱小チームだった相模を優勝経験2回の強豪校に育て上げた名将が進退を賭けて臨む箱根予選。そこに予選会と言う言葉はなく、本戦の217.9キロを見据えた走りをランナーたちにさせていた。

「百地について行けばいいんだ」

 相模の追い上げについては有馬監督も気にはしていた、しかしそれでも百地に対しての信頼があった。百地の前を行けるランナーについては心配ない、前を行けないランナーにしても百地にくっつけている限りは大丈夫。百地だから大丈夫、そんな空気が有馬監督とチームを覆っていた。無論あくまで今が途中である事はわかっている、だから顔に安堵感を出さないように必死であった。この予選会と言う選手たちの熾烈な戦いの最中、有馬監督もまた戦っていたのである。


 15キロ地点。2度目のチェックポイントである。そしてそこでも日本ジムナスは最初に10人通過した。相模がここ5キロの追い上げで帝国とほぼ同時に2・3番手で通過したが、10番手のランナーのタイム差はまだ1分近くあった。内藤監督も帝国の野中監督もエースの不在(ただし相模の場合は故障だったが)を気にしていた。依然として先頭は嘱託と倭国の留学生であり、そこに稲田や周旋などのエースたちがくっついている。日本ジムナスの1番前のランナーは10キロ地点と変わらず大体10位争いであったが、相模と帝国の先頭はその更に後ろの15番手争いである、しかもその前後に日本ジムナスのランナーがいた。トップ通過を狙うとなれば最大の壁である日本ジムナスの、しかも2・3番手が前後にいると言う状況は正直厄介である。もっとも相模も帝国もトップ通過に対する執着はなかったのでさほど気にはしていなかったが、この状況に大いに焦燥に駆られているランナーがいた。その2人と共に15番手争いを繰り広げていた倭国の堂下である。

 留学生が文字通りの先頭を、田井中が日本人エースたちと共に3位争いを繰り広げる中倭国大の中では3番目のランナーに過ぎない堂下であったが、この時倭国がどういう状態になっていたか一番認識していたのも堂下であった。15キロ地点、倭国は8人通過こそ7番目であったが、10人通過が15番目であった。

 だからこそこの15番手争いから抜け出し、更に日本ジムナスのランナーを突き放して1秒も前に進みたい。しかし余力は残っていない、いや正確に言えば残っていたが周辺のランナーも同じぐらい残っていたのでどうにもならない。絶対的な持ちタイムではほぼ同レベルのランナーであったこの5人の争いに決着を付ける要素があるとすれば精神力と流れであろう。ただ流れは倭国大より日本ジムナス・帝国・相模にあり、精神的にも倭国は楽ではない。15キロポイントでの10人通過順1~3位がそのままその3校であり、選手たちもその事を知っていた、そして堂下も倭国の状態を知っていた。要するに3校は遅れなければよいだけであり、倭国は前に行かねばならない、その差は大きい。


 果たしてゴール寸前、堂下は15位争いから脱落。最終的に24位にまで後退してしまった。留学生がトップ、田井中が4位(日本人2位)でゴールしたとは言え最後の堂下の後退によるタイムロスは消しようのない事実であった。

 一方日本ジムナスの百地は堂下から20秒遅れの38位、チーム中4位でゴールイン。そしてそれから20秒もしない内に10番目のランナーが、総合68位でゴールへと飛び込んだ。日本ジムナスは全チーム中最初に10人ゴールする事に成功したのだ。決して無理をしないペースで走っていたのに十分に戦力たるタイムを叩き出し、かつ後続のランナーを引っ張ったのである。







「第1位 日本ジムナス大学!」

 そして、日本ジムナスは目的を達成した。2位となった相模に3分差をつけての圧勝、予選会の新記録かも知れないとの事である。

「ここまでは去年も来ていたんだ、これでやっと去年と同じスタートラインに立ったと言うだけの話だ」

 この結果にも有馬監督は渋面を崩さず、いや崩すまいとしながらメンバーたちに厳しい言葉をかけた。確かにまだあくまで予選を潜り抜けただけの話であって本戦を突破した訳ではない、去年だって同じく両予選を通過して全日本11位、箱根19位と目も当てられない惨敗を喫したのだ。あくまでも途中経過なのだ、終着点ではないのだ。その事を言い聞かせる事に有馬監督は心血を注いでいた。




 3位 帝国大学

 4位 文学院大学

 5位 稲田大学

 6位 維新大学

 7位 東京アグリ大学

 8位 東方文化大学

 9位 下野大学




 そして、倭国大は10位だった。下野大との差はわずかに18秒、1人頭で2秒足らずである。下野大の先頭ゴールは30位、つまり最後で止まった堂下、倭国大で3番目のランナーである堂下よりも悪かったと言うのにだ。


 日本ジムナスの10番目が68位、下野の10番目が115位、倭国の10番目が177位。この数字が全てを物語っていた。エースが本調子にほど遠かった日本ジムナス、エース不在の下野が通過しエースが十二分に働いた倭国が落ちる。

 それだけでも日本ジムナス以下予選通過校、いやシード校を含む全ての出場校の心胆を寒からしめ、気を引き締めさせるには十二分であった。

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