4区・山に挑む
1月2日。3度目の箱根で、僕は初めて往路を走る事になった。
山登りの5区だ。
柏崎の影響でもあるまいが、いつの間にか5区は花の2区と呼ばれるエース区間よりも重みを持つ区間になっていた。実際問題、2区よりも200m距離が長い。長く走るランナーにウェイトが大きくかかる事は当然であり、そしてただ距離が長いだけではなく険しい山道を登るのであるから、なおさらそのランナーが追う負担は重くなるだろう。普通の区間ならば1位と2位のタイム差が1分半からせいぜい2分と言われる中、5区では平気で3分4分と差が付く。去年は柏崎と区間2位の間に3分26秒の差があった。これが区間最下位となると10分を越えている。2区でも区間賞と区間最下位の間には6分の差しかなかった事を考えると、いかに5区の重みが凄まじい物かわかる話だ。
柏崎のせいかと言うとそんな事はなく、柏崎が走る前の年、つまり3年前でも区間賞と区間最下位の間には11分の差があったのだ(2位との差は1分20秒だけど)。そういう区間を任されるのをプレッシャーではなく楽しみだと思えるようになったのは、僕が6回目の三大駅伝と言う事ですっかり慣れたと言う事だろうか。
1月2日8時00分、大手町に号砲が鳴り響く。誰よりも早くここに帰って来るのは誰なのか、それは絶対に僕たち天道でなければならない。2区の久保で先頭に立ち、僕の手で往路優勝させる。そうすれば去年の太平洋、とまでは行かないにせよ自分の流れを掴んだ天道は悠々とマイペースのレースができ当然記録は伸びる。さあ、来い!
で、1区はどうしても牽制合戦になりやすい。誰かが飛び出さない限り15キロぐらいまで20人ひとかたまりと言うケースも珍しくない。一昨年も去年も稲田のランナーが1キロの時点からかっ飛ばしていたが今年の稲田のランナーはそうしていない。その1キロから飛ばしていたランナーが2区に回り、そして新たな1区のランナーが普通に走っているからだ。そして、他に飛び出す気配のあるランナーもいない。時間ばかりが淡々と流れていた。
しかしそれは全員に余力があると言う意味であり、最後のスパート合戦になりやすいと言う事でもある。10000mのタイムでは天道のランナーが2位だ、この流れは歓迎だ……と言う様な僕の調子のいい思い込みが当たった例はない。
中間点に達するや徳政大が一気に飛び出したのだ。こういう事態に際しての正解不正解を割り出すのは非常に難しい。全日本優勝の徳政大を逃がす理由はないし、かと言って無理をして急にペースを上げてついて行っても最後に止まりかねない。結局、いつも通りにやるのが正解なのだろう。だがそのいつも通りをこの大舞台でやる事がどれだけ難しいか、この場にいるほぼ全ての人間がわかっていた。
そして、太平洋と関東基督教が徳政に付き従うが如くペースを上げだした。出雲優勝の関東基督教、全日本優勝の徳政、去年の箱根王者太平洋。この3校に離されてはそのまま3校だけのレースになりかねない。優勝を狙う気がないならそれでもいいが、天道はそれを許す訳には行かなかった。自然、天道も太平洋と関東基督教を追うが如くペースを上げる事になった。そして、この動きにつられる様に一気にペースが速くなった。そこまでが1キロ3分8秒前後だったのが中間点からの3キロで8分45秒、1キロ平均2分55秒と13秒も早くなった。
もちろん、徳政としてもそんな強引なペースで走るつもりはない。しかし関東基督教、太平洋、天道が付いて来ている手前そう簡単に譲る訳には行かない。もちろん残る3校とてやすやすと離されるわけにはいかない、何とも厄介な展開になって来た。
この4校の意地の張り合いに付き合う学校は少ない。こんな暴走めいた戦いに付き合っても正直いい事はないからだ。優勝狙いと言う視点ですら、この4校にある程度行かせて自分は大人しくその後ろの集団の前方を走ってと言う方が効率がいいと思う、天道大生の僕でさえ。
そして残り3キロ。この4人だけの耐久戦に遂に幕が下りた……天道がこぼれ落ちたと言う形でだ。正直一番考えたくないパターンであったが、やっぱりそうなってしまったかと言う気分だった。
やはり、「相手を見て」動いた事が原因なのだろう。太平洋も関東基督教も徳政を見て動いたじゃないか?天道はその太平洋と関東基督教を見て動いたのだ、二重に受動的だ。そんな事をやってたら負けるに決まっているじゃないか。確かにあの状態で正解不正解を割り出すのは難しいが、その判断を正解か不正解かもっとも雄弁に語るのは順位でありタイムじゃないか、その順位とタイムが正直まずい事になりそうである。さすがに後方の集団に追い付かれる事はなさそうだが、それでも前3校との差が開くと言う現実は阻止できそうもない。
結果、1区は区間4位。トップ徳政との差は28秒となった。及第点?とてもそうは思えない。タイムはともかく、内容が正直よくない。こんな受け身のレースをしていては2区以降に悪い影響を与える。我ながら随分と上から目線の物言いだが、しかし現実は余りにも残酷だ。
2区、日本人では久保が1番上のタイムだった。10000mのタイムでは太平洋、関東基督教、徳政のいずれのランナーより15秒以上勝っていた。なのに上がって来ない。
確かに2区になってからずいぶんと風が強くなっていたが、それにしてもたかがと言うとかなり語弊があるが28秒の差が詰まらない。追うどころか詰める事さえできない。そして逆に忠門大学の来生に追いすがられた挙句権太坂で抜かされてしまった。その前に甲斐学院の留学生に捕まっていたから、これで天道は6位に落ちてしまった事になる。さっきから吹いている風速7m越えの横風のせいだって?みんな条件は同じだ。2区では関東基督教がやや後退したもののそれでも権太坂の時点で徳政と太平洋から10秒差に留めているのに対し、天道は両校から1分ちょうどの差を開けられた。
「ちょっと徳政大学がおかしいです、残り3キロの地点から明らかにスピードが落ちています。並んでいたはずの太平洋大日村恵一にぐんぐん突き放されています」
しかし残り3キロ、徳政がつまずいた。難所と名高き権太坂よりむしろ最大の難関と呼ばれるのはこの残り3キロの登り坂である。これまでの20キロを戦ってきた疲労がここで一気に襲い掛かり、幾多の名ランナーもここで区間新記録を阻まれ、そしてあるいは今の徳政のように一気に失速を余儀なくされたりした。およそ20キロ太平洋と徳政はほぼ並走状態で走って来たのが、この3キロで50秒開いた。
と言う訳で、戸塚中継所でのトップは太平洋大学、2位は最後に徳政大を捕まえた関東基督教が40秒差。天道はと言うと、6位どころか7位にまで落ちてしまった。太平洋との差は2分03秒、久保は区間10位。凡走ってレベルじゃない。失敗だ、ブレーキだ。確かに一昨年優勝した太平洋は2区の区間順位が16位だったが、そんなのは柏崎の呆れるほどの快走ありき、そして天道を含む他の学校が強さを見せられなかった結果で、奇跡としか言いようがない。優勝を狙うチームが区間10位如きでどうするんだ?
区間賞が甲斐学院の留学生を差し置いて忠門大の来生、2位が甲斐学院の留学生と太平洋の日村恵一が同タイム。関東基督教と徳政大が5位と6位、天道は徳政大から45秒も悪かった。優勝候補である太平洋・関東基督教・徳政が2区を上々~まずますの結果で乗り切ったと言うのに、天道は一体何をやってるんだろうか。
3区。ここで太平洋との差を少しでも詰めてもらいたい。僕が山でどれだけ走れるかは自信がないが、とりあえずトップと1分以内ならと言う気持ちはあった。
しかし、結局競走と言うのは相手がいる物だ。自分がどんなに全力を出す事ができたとしても、相手がそれを上回っていてはどうにもならない。太平洋の堺監督は序盤から一気に押し潰す作戦に出たのか、この3区に日村祐輔を持って来た。近年3区は準エースを置く事が多い区間だが、しかしそれにしてもその日村祐輔が速い。2回同じ区間で対戦したから実力はよくわかっているはずの僕でも、今日の日村祐輔は早く感じた。相変わらず止む気配のない強風のせいでタイムの数字は平凡だったが、後続との差を確実に確実に広げていく。もっともこの3区、関東基督教・徳政・忠門と言った2~4位のチームが揃いも揃って区間2ケタ順位だった事もあったのだが、結局日村祐輔は区間賞の走りで2位との間に2分18秒の差を付けた。そして、その2位は天道であった。2区の失敗を取り返すが如き積極的な走りで区間2位、5人抜きで2位まで上がって来たのだ。よしいいぞ、さあこれからだ。あと1時間足らずで僕の所に来る、1分差ならば理想、1分半差ならば逆転は不可能ではない。いくら太平洋でも柏崎でなければ十分勝てるはずだ!
……………でさ、勘が悪いって言うのとは違うんだろうけど、それにしてもなあ。
「天道が苦しんでいます!平塚中継所を2位でスタートした天道ですが、関東基督教、忠門、下総、日本ジムナス、徳政、甲斐学院に続いて稲田にも捕らえられています」
当日変更?そんなのが言い訳になるか!当日変更で4区を走る事になった後輩が中間点時点で区間18位の大ブレーキ状態、13キロ地点で8位、最終的には9位まで落ちてしまった。せっかく前を行く太平洋大が区間11位と振るわないと言うのに、ここで引き離されてどうするんだ!徳政も前の区間16位とブレーキで総合10位まで落ちたがここで巻き返しているじゃないか!せっかく3区でできたはずのいい流れがこれでぶち壊しだ!
とにもかくにも、僕は最終準備を整える他やる事はない。23.4キロの山登り、流れが悪いって言うんならここで一気に変えてやる!トップと2分差以内ならば復路で十分逆転できるはずだ!相変わらず風が強かった、この小田原中継所では山から吹き下ろす向かい風になっていた。そんなのが何だ、条件はみな同じだ!
先頭の太平洋大が通過して行く。切歯扼腕しながら後輩の到着を待つ僕の目の前を次々とランナーがタスキをつないでいく。
……やっと来た。怒鳴りたい事はいろいろあるけど、今は素直にやって来た事を喜ぶべきだろう。後輩の顔から汗、いや涙が溢れ出ているのを見るや後輩もこの大ブレーキが悔しいんだと言う気持ちが分かったから。それならば来年、次回はきっと成功できるはずだ、よしその心意気受け取った!1秒でも前との差を詰めてみせる!
「今太平洋とは4分15秒だ、とりあえずは関東基督教を狙うぞ!」
小田原中継所の地点で2位だった関東基督教との差は2分38秒。厳しくはあるがやってやれない差ではない。
とりあえず第一のポイントは5キロ地点の箱根湯本だ。そこまででスピードに乗りそのスピードで押し切る。例によって例の如く派手に突っ込んで見せた。止まない逆風は嫌だったものの、みんな同じだと思えば腹は立たなかった。
もちろんタイムが伸びる訳はない。しかし目の前にいる相手を抜いて行く事はできる、それだけでもやる気が出てくる。まずは稲田、続いて甲斐学院と、箱根湯本の時点で既に2人を抜く事に成功した。
「その調子その調子だ!」
次のポイントは大平台のヘアピンカーブ。ここは定点ポイントでもある。多分前後とのタイム差も伝えてくれるはずだ。
「3分ちょうどだ!」
太平洋と3分ちょうど?この大平台までの9.4キロで1分15秒詰められたのか!よしよし、この調子で行けば更に抜ける!ほら、見えて来たぞ忠門のユニフォームが。
「おいおい大丈夫か……?」
ん?忠門大学の監督の声か?あれ違う、沿道だ。何がどうした?いや気にするな、目の前の走りに集中するんだ。とりあえず忠門を捕らえ6位に浮上した。次の目標は下総だそうだ。大平台の時点で13秒、問題はない。
そしていよいよ小涌園、僕は下総大の選手と並びながら小涌園を通過した。
「今お前が区間賞だぞ!」
十重二十重のファンの皆さんの歓声と一緒に大木監督のありがたい言葉が僕の耳に入ってきた、このまま行けば駅伝6回目にして初の区間賞だって!?僕の中でますます意気が上がって来た。
しかし、そんな僕の意気に水を差すような声がファンの皆さんの中から聞こえて来た。
「ちょっと危ないんじゃないか……?」
「ああこれ危ないよ、危ないって」
うるさい、僕は大学に入ってからずっとアクセル踏みっぱなしで飛ばすレースをしているんだ。オーバーペースとか心配されるつもりはないんだ。下総を置き去りにした僕は次の目標、関東基督教を捕らえるのが最優先だと耳をふさぐ事にした。
……あれ?今僕は5位のはずだ。関東基督教はいつ4位に落ちたんだ?と言うか僕は今まで稲田、甲斐学院、忠門、下総と抜きその前に関東基督教がいて……
「おいおい本当か、やばいとは思ってたけどな……」
あれ大木監督?大木監督は何を焦ってるんだ?18キロの給水ポイント、つまり最高点の直前で大木監督は慌てふためいた声をあげていた
。
「中心大が途中棄権だそうだ」
ええっ!?……いや後でゆっくり振り返ろう、まずは目の前の標的だ。とりあえず関東基督教を目視できる範囲に捕らえた僕はこれ幸いとばかりに突っ込んだ。
「6区とも迷ったんだけどな」
大木監督は僕にそう言っていた。結局は去年も走った後輩を使う事にしたけど、最初からかっ飛ばして勢い任せに乗り切ると言う僕の走り方は下りの方が合うかもしれないとも言う事だそうだ。ならばこの最高点からの下りはチャンスだ、今までの長い上りと強風で疲れ果てた所を一気に捕らえてやる。こっちも疲労はしているがここまで来ればどっちもどっちだ、出雲の借りを少しでも返してやる!
そしてあと1キロ、ついに抜いた!関東基督教のランナーに必死に粘られて2キロほど並走を繰り広げたが、残り1キロでようやく引き離した。この調子で、太平洋との差を1秒でも縮めてやる、
息なんかもうとっくの昔に上がっていたけど、それでも何とか走り抜いた。残り1キロではもう誰も抜けなかった、結局4位でのフィニッシュとなった。
「トップとの差は1分18秒だ」
よし、逆転可能圏内まで持って来られた!自分の仕事は果たせたぞ!
……でトップって?
「日本ジムナスだ」
……………ええっ?
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