3区・伊勢路のいら立ち
天道、太平洋、徳政、任天堂、関東基督教、忠門。帝国、日本ジムナス、下総、甲斐学院、維新、下野。
今年も伊勢路の主役になるのは関東の大学と言わんばかりに、全日本の名を霞ませるが如く関東の大学の名を記したのぼりばかりが勇壮にはためいている。
中でも特に耳目を集めるのはやはり太平洋、関東基督教、そして天道だった。出雲で惨敗したとは言えこの全日本は2連覇中、その前も2位、優勝、3位。過去の実績から本命視されても仕方がない点はあった。ならば太平洋や関東基督教の挑戦を受けて立つのが王者の貫録って言うべき物なんだろうけど、今の天道は王者なのか?…違うな。
天道に箱根で9分半の差を付け、出雲で2分18秒の差を付けた太平洋の方がどう考えても格上じゃないか。そして関東基督教はその太平洋も破って出雲を制したのだ。どう考えても今の天道は両校に対する挑戦者だ。挑戦者と言えば聞こえはいいけど要するに格下だ。一応この全日本だけを見れば向こうが挑戦者でこっちが王者だが、現世代の駅伝である出雲の結果から判断するとこっちが挑戦者で向こうが王者だ。どっちが重みを持つかは明白な事実だ。
「いいか、去年・一昨年いや過去の栄光は忘れろ!あんなのは幻だ!」
大木監督の言葉は出雲の時より一段と厳しい。確かに過去の栄光なんか現在の僕たちには役に立つものではない、むしろ却って重荷になるだけだ、ゼロから出直せと言う事だろうか。天道だって挑戦者だったじゃないか、そしてそこに戻るだけだ。そう考えればもっともな話だった。
そして号砲が鳴ったと同時に僕は去年と同じ第7中継所に移動し、4時間半後の栄光を掴む為最終調整に勤しんだ。太平洋のアンカーは日村祐輔、今年の箱根7区で区間新記録を打ち立てた日村兄弟の弟だ。箱根では1分半の差を付けられたが、今度はそうは行かない、いかせない。同時スタートならば負けはしない、負けるものか。箱根の屈辱を晴らす時は来たれり、だ。
……あれ?1キロもしない内にいきなり先頭がかなり2位以下を離してる。また九州の大学かと思ったら、甲斐学院の留学生じゃないか!そう言えば今年の甲斐学院はアンカーに留学生を使っていないなと思ったら、1区に使っていたのか!いやもちろん、オーダーの時点で気付いていたけど改めて驚きだ。先行逃げ切りを図ろうとでも言うのか?そんなに容易くできる物じゃないぞと思ったが、これが思わぬ事態を招いた。
九州の大学ならばともかく出雲3位の甲斐学院ともなると2区以降それ相応の面子が揃っている、その面子に余裕を与えて調子に乗らせてはすんなり逃げ切られてしまうかもしれない、そう考えた各校が慌て気味にペースを上げ出したのだ。
その結果、先頭から甲斐学院、2位集団(関東の残り11校と九州の大学の留学生)、それ以下のチームと言う構図が5キロもしない内に出来上がってしまった。先頭と2位集団が30秒、2位集団とそれ以下もまた30秒引き離されており、2位集団からこぼれ落ちようものならばすぐさま優勝は崖っぷち、シード獲得すら疑わしくなってくると言う一大事になった。
普通、こういう構図になった場合2位集団は牽制のしあいでペースを落とす物だが、今回先にも述べた通り甲斐学院の実力が実力なだけに、甲斐学院の首に鈴を付けなければならないと言う意識に取り付かれてしまったのである。いや、正確には誰か1人か2人の行動だったのかもしれないが、その1人か2人の行動がいつの間にか伝播し、集団心理となってこの連鎖を起こしたのだ。何とも恐ろしい話だ。
案の定、何人かのランナーがこぼれ落ち始めた。留学生を追い掛けるようなペースで走ればオーバーフローになるランナーがいて当然だが、その落ち方も正直ひどい。ズルズルとかじゃなくガクッととかバッタリととかそんな表現が似合いそうな落ち方ばかりだ。そして残り1キロ、ついに天道もそうなってしまった。残り1キロだからいいじゃないか?いい訳あるか、太平洋も関東基督教も止まってないんだぞ!両校を倒さなければ天道の復権はならないと言うのに、こんな所から遅れを取ってどうする!?
結局天道は区間7位、甲斐学院とは1分差、太平洋とは30秒差を付けられた。しまいの1キロはなんと3分27秒、その前が3分3秒だった事を考えるとひどい話だ。そしてこの時点で甲斐学院と最下位の間に4分半近い差が開いていた。一体何本のタスキが途切れるのだろうか、下手すれば第3中継所で……いや僕が心配したって詮無い事だ、けれどどうにも恐ろしくて仕方がない。
2区、甲斐学院の快走は止まらない。1区の勢いを受け継ぐが如くスピードを上げ、太平洋や関東基督教と言った有力校がやや牽制気味になる隙を付くかのように更にリードを広げた。2区終了段階で、既に甲斐学院と太平洋との差は1分20秒になっていた。
そして天道はと言うと、1区最後のブレーキを巻き返そうとしてムリヤリ突っ込みその結果後半止まって区間11位、総合9位に転落してしまった。甲斐学院とは既に2分35秒の差になっている。はっきり言って出雲とやっている事が全然変わらない。出雲の戦犯である僕が言ってもしょうがない事だが、余りにもお粗末すぎる。
「何をやっている、まだ6区間もあるんだぞ!慌てるな、マイペースを守れ!」
大木監督はそう怒鳴っていたらしい。当たり前だ、僕でさえもまだ4分の1しか経過していないのに何をそんなにおたおたしているんだと思う。僕みたいに最初からかっ飛ばすしかないと開き直っているからともかく、天道のスタンダードである前半押さえて後半本気を出す様な戦法を取るランナーが前半から飛ばした所でおいそれとうまく行くわけがない。
柏崎ショック、そんな言葉が僕の頭をかすめた。柏崎のいる太平洋を倒して頂点に立つ、それが目標だったはずなのにその柏崎がいなくなってしまった。柏崎のいない太平洋に勝ってもしょうがない、柏崎のいる太平洋に、箱根で天道を打ちのめした太平洋に勝たなければそれは勝利とは言えない。そんな考えが天道の中に蔓延していたのかもしれない、いや蔓延していたと断言せざるを得ない。
そして言うまでもなくその考えは僕にも伝染していた。あの出雲は4回目の学生駅伝にして最悪のレースだった、区間順位こそ2位だったが後続との差を離す事も出来ず、何より全くレースに集中できなかった。1年の時の箱根もひどかったが、出雲のひどさはその時の比ではない。
有能な敵は無能な味方よりずっと役に立つと言ったのは誰だったっけ。
もちろん天道の仲間を無能な味方呼ばわりする気はないけど、少なくとも柏崎と言う有能な敵がこの1年天道にもたらした物は大きい。打倒柏崎、打倒太平洋と言う目標があるからこそどんなきつい練習にも耐える事ができた。それだけでも天道にとって柏崎の価値は莫大だ。そしてその目標を見失った(失ったってのとは少し違うと思う)天道は出雲でひどいレースをしてしまった。そしてこの全日本でもひどいレースをやっている。甲斐学院の逃げ切り作戦につられたのが悪い、柏崎とは関係ない?
いや、柏崎がいればその柏崎の方に目が行って甲斐学院にはそれほど執着しなかったはずだ。柏崎を言い訳に使っているだけかもしれないが、柏崎がいれば間違いなくアンカーとなり、それだけで天道以下にとっての脅威となったはずだ。そしてそれだけ柏崎の前に何とかしなければと考え、柏崎対策を見据えたもう少し冷静なレースができたはずだ。
4区には久保がいる、その久保で首位に立つのが監督のプランだったはずだ。しかし、現実は首位にはほど遠い。3区になっても天道は上がって来ない、いや区間5位だったから上がっていない訳ではないが、それにしたって未だに総合10位、甲斐学院とは2分24秒差だ、いやそれ以上に太平洋と1分36秒差と言うのがひどい。
この第3中継所で甲斐学院と最下位のチームで9分46秒の差が付きあわや繰り上げと言う事態になって騒ぎが起こっていたが、そんな事は正直どうでもよかった。天道の不甲斐なさばかりが目について仕方がなく、後ろの事まで心配する余裕はなくなっていた。
ようやく天道が蘇ったのはその久保のいる4区だった。久保が区間賞、一気に6人を抜いて4位まで上がって来てくれたのだ。久保頼りと言う現実は情けない事とは言え、とにもかくにも前を見据えられる位置になった事はありがたい限りだ。
この時先頭はまだ甲斐学院だったが、太平洋に10秒差まで追いすがられていた。天道と甲斐学院との差は40秒、太平洋との間にまだ30秒の差があるのはいささか腹立たしいが、それでも同時スタートならば箱根のように完膚なきまでに負けたりなどするものか。ここからの5~7区は一般的には繋ぎの区間と呼ばれている。去年は久保や日村祐輔が華々しいレースを繰り広げたけど、両者とも出雲では実績を挙げたとは言え1年生だった、要するにそういう人間が走る区間である。それだけに、そういう所を走れるような層が厚いチームと薄いチームで明暗が分かれやすく、むしろこここそ実力差が出やすい区間である。
……なんていう高説を垂れたら、いやこれが悪かったなんて思いたくないけど、何だこの様は!あるいは太平洋が視界に入ったので追い付こうとしたのかもしれないが、また天道は急ぎ過ぎの暴走をかましてしまった。
5区で一旦太平洋と5秒差に詰めたが、その後後半で足が止まり結局区間8位、総合5位へとむしろ順位を落としてしまった。
それでも6区で何とかと思ったら、そこも区間6位に過ぎず順位も5位のまま。もしかすると、この時天道のランナーや大木監督は勘違いをしていたのかもしれない。実はこの5・6区、天道も振るわなかったが太平洋も区間6位・5位と振るわなかったのだ。当然、太平洋との差は大して開いていない(2区間で14秒だけだった)。
もちろん、太平洋が先頭に立つ事はなかった。じゃあどこが先頭なんだよと言う話になるが、その時の先頭は甲斐学院ではなかった、徳政だった。もちろん徳政とて去年の全日本3位、今年の箱根4位、今年の出雲4位と上位常連校として完全に定着していたが、情けない事にこの戦いでは僕の視界に入っていなかった。
太平洋と関東基督教こそがライバルであり、徳政は甲斐学院とかと共にその下あるいは外にいる存在だった。徳政や甲斐学院は逆転できる、太平洋や関東基督教に離されてはならないと考えたのだろうか。
……その結果7区でも天道は太平洋に追い付くべく暴走そしてブレーキと言う最悪のパターンを、いや暴走すらすることなくブレーキをやってしまった。しかも今回は2区よりかなり重症で、区間15位である。確かにこの時かなり強い風が吹いていたのは僕も肌身で感じていたが、条件はみんな同じじゃないか、そんな中徳政が区間賞で走っている中区間15位と言うのはあまりにもひどい。太平洋も離されたとは言え区間3位、20秒しか負けていないと言うのにうちは1分28秒離された。この時点で総合9位である。
とにかく、タスキが来た以上やる事は1つしかない、このタスキを一刻も早くゴールに運ぶ事である。この時、トップの徳政との差は3分35秒、太平洋との差は1分52秒にまで膨れ上がっていた。
6位までに入らねば、来年天道大は全日本の予選会に回らされることになる。それでも箱根で3位以内に入れば問題ないが、この戦いぶりを見ているとそれも怪しい。ましてや出雲で6位、この全日本で7位以下、箱根で4位以下なんていう事になったらもう本当に天道の時代の終焉を告げるに等しいじゃないか。そんな事が起きてたまるか、起こしてたまるか!とにかく、最低でもシード喪失と言う事態だけは阻止せねばならないのだ。
もちろん太平洋の日村祐輔に負けたくないと言う気持ちはある、しかしこうなってしまった以上個人的な成績など二の次だ、天道のタスキを1秒でも早くゴールに届ける事が最優先だ。この時点での6位だった帝国大とのタイム差は1分ちょうど、逆転できない差ではない。前の帝国大を目指して進むしかないのだ。
調子は悪くなかったみたいで、5キロの地点で早くも1人抜けた。前との差も確実に詰まっていると言う感触があった。その感触に身を任せるしかない、19.7キロの長丁場、一滴のスタミナも残すことなく走り抜ける。それこそが僕の、天道の道を切り開くたった1つの方法なのだ、仮にも3年間そうやって成功して来たのだ。そう強く思い込む事によって僕は自分を奮い立たせた。
そして中間点、ここでついに帝国大を捕まえ6位に入った。もちろんここで満足してはいけない、日村祐輔に1秒でも勝ちたい、1つでも順位を上げたい。最後まで全力で走り抜く事こそ、ディフェンディングチャンピオンのチームのアンカーである人間の責務と言う物だろう。もう逆転は無理だろう、それでも最後まで決して闘志を切らさず走り続け最善を尽くす、そうすれば結果は訪れる、当然の事だ。
「現在区間2位だ、このまま粘り込んで区間賞を取れ」
大木監督曰く、中間点での区間1位は日村祐輔だが、祐輔と僕とのタイム差はたった3秒との事だ。これからいくらでも逆転可能な差じゃないか、箱根の1分半の借りを返す時は来たれりと、僕はますます勇んだ。
しかしそんなに甘い話はない、いくら走っても前が見て来ないのだ。中間点の地点で5位とは35秒差があったからそんな急に見えて来ないのは当たり前だが、2キロ3キロと走っても見えて来ない。やっと5位が見えたのは15キロ地点を通過する直前だった。えーと、あれは甲斐学院か?とにかく、目の前のランナーを抜くしかない。
しかし甲斐学院を捕らえて5位に上がった僕は、またもや目の前の目標を見失った。一体第7中継所時点での4位はどこだったっけ、その時の僕は恥ずかしながら思い出せなかった、中継所のタスキ渡しを見ていたはずなのに。
あと2キロ、あっ2校が競り合っている姿を見つけた!よし、最後に1メートルでも抜け出せばこっちが3位だ。これ幸いとばかり最後の力を振り絞り、その3位集団に取り付いた。あと残り100mまでは待つ、そこからが勝負どころだ!その間に徳政大の校歌が耳に入って来たのは正直悔しかったが、箱根で天道の校歌を響かせる為ここは目の前の2人を抜く事に専念した。
いよいよ残り100m、負けるものか!ラストスパートを仕掛けた僕に、関東基督教は付いて来られなかったようだ。よし振り切る、もう1校も振り切るぞ……!
よしやった、3位だ!…………って3位で喜ぶなよこのバカ!
優勝 徳政大学
2位 太平洋大学
3位 天道大学
4位 日本ジムナス大学
5位 関東基督教大学
6位 甲斐学院大学
「お前たちは出雲で俺が言った事を聞いてたのか!?今回もまた相手の方ばかり見ていたじゃないか、お前たちは自分の走りをすれば勝てるんだ!お前たちはもう少し自分を信じろ、暴論だがそこに根拠なんかなくったっていいんだ、とにかく自分はやれるんだって言う気持ちにならなければ勝利なんか来るはずがないぞ!」
当然の如く大木監督は激怒した。大木監督の言う通りこの全日本もまた出雲と同じように相手の方ばかりを向いたレースしかできなかった。かつての天道だったらどんな相手であろうと王者の貫録と自信をもって堂々と迎え撃っていたはずなのに、出雲もこの全日本も完全に振り回されている側である。
柏崎の故障や甲斐学院の作戦に勝手に振り回され、勝手に転んでいる。その姿に王者の貫録などない。個人的には区間2位と去年より1つ区間順位は上げたけれど、タイム面では結局日村祐輔に5秒及ばなかった。5秒だろうが1分半だろうが負けは負けであり、僕個人として日村祐輔に借りを返す事も出来なかった。
出雲に続き伊勢路でも天道は敗れてしまった。これはすなわち、1年間(1~12月)に行われる三大駅伝全てに敗れたと言う事になる。
今日この敗北をもって、天道は王者の座を完全に失ってしまったのだ。その王者の座を取り戻すには箱根で勝つしかない、いやそれだけでは無理だろうが、そうでもしない限り前王者の面目を保てそうもない。
その日から、僕は部屋に籠って柏崎の走りを見ふけっていた。山登りの5区に挑むからにはその先達と言うべき柏崎の走りから学ばない訳には行くまい。絶対的な能力には埋めがたい差があるのはわかっているが、どこか少しでも応用できそうな部分があれば積極的に拾っていくに限る。
僕は箱根を共に走る後輩たち(補欠含む)にも、これまでの優秀な選手の走りをしっかりとDVDで見ておくようにと言い聞かせた。同時に自分の走りに生かせそうな部分があるのならば遠慮なく盗めとも言った。先人だろうが同学年だろうが、ましてや年下だろうが構うものか。
来年度、柏崎は戻ってくるだろう。そして、2年の時以上の力をもって僕たち天道の前に立ちはだかるだろう。その柏崎を、王者として迎え討たねばならない。それが柏崎が登場する前の王者であった、僕たち天道の責任と言う物だ。
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