スタンダードⅡ

1区・トラックシーズン

「去年見事に優勝した天道、マジで感動した。あれから一年、今年も優勝するはずだったのに、優勝どころか最後必死に追い上げてのギリギリ10位。予想外ってレベルじゃなかった。何があったんだろう、何であんな事になったんだろう」


 これは二月から箱根駅伝までの一年間の陸上部の活動を追い続け映像にまとめる学内の新企画、「天まで駆けろ」の最初に出てくるナレーションのセリフだ。

 しかし、「何があったんだろう、何であんな事になったんだろう」だって?……はっきり言ってそれは僕の、僕らのではなく僕自身のセリフだ。




 シード落ちこそ辛うじて免れたものの、去年の優勝チームが10位まで落ちるなんて失態なんていう一言じゃ片付けられない屈辱だ。それが天道の現実だった。

 しかしそれ以上に、二年生になった僕に課せられた現実は重かった。


 どこへ行っても柏崎柏崎なのは別にいい、しかしそれに負けず劣らず自分の名前を呼ぶ声が多い。金栗杯(最優秀選手)が柏崎なのは当然だったが、その次はと言う声に稲田の往路で区間新を叩き出した一年(いや今は二年か)や太平洋の復路で稲田を突き離したランナーたちを差し置いて僕の名前がしょっちゅう上がって来るのだ。

 あくまでも僕が目指すのは確実で堅実な走りだ。あんなメチャクチャで振り返りたくもない暴走じゃない。この先のマラソンに備えて?もちろんそれもないとは言わないけど、今後僕がマラソン、10000m、あるいは5000mとかどんな道に進むにせよ、あるいは陸上を諦めて別の道に進む事になっても強引で後先を考えない暴走より確実で物事全体を見通した判断の方が良いに決まっている。


「角を矯めて牛を殺す気か!」


 でもそのあるべき方向に進もうとした僕を大木監督はそうやって怒鳴り付けた。わずかな欠点を直そうとして全てをダメにする奴があるかと言いたいみたいなんだけど、これがわずかな欠点なのかなあ。

 とにかく僕はスタミナ強化に努めた。自主練習でも距離を走って走って数を稼ぎ、1キロでも長く走れるように努めた。あまり走りすぎるなとは言われたけど、確かに故障だけは御免蒙るからある程度抑えるようにはしたけど、それでも

「お前一体どんだけ走ってるんだ……」

 と先輩に言われた。走るのは練習の為と言うのもさることながら、それ以上に現実から逃避したいと言うのもあった。あんな最悪な暴走を箱根駅伝と言う憧れの舞台で演じてしまった醜態を、そしてなぜかその暴走がもてはやされる現実から。


 4月。新入生がやって来る。

 いや正確には推薦でやって来る新入生たちとは3月の段階から軽く練習を始めていたけれど、一般入試でやって来た新入生たちとは初の顔合わせになる。

 キャプテンは今年走る事ができなかった先輩(もちろん4年生)。前々季は出雲・全日本でも出場しそして箱根の7区を区間2位で走り復路での逆転を予期させる見事な走りをしたけど、前シーズンは故障でその結果出雲も全日本も箱根も走れなかった。先輩がどれだけ悔しかったか僕には想像もつかない。結果が良かったのならばなぜそこに加われなかったのかと、悪かったのならば自分が故障して穴を開けてしまったせいだとなる。いずれにしても思い悩まざるを得ない話だ。

 とにかく、これから僕は先輩になると言う事だけは確実だ。この40人の後輩の手本の1人にならなければならないんだ。

 天道の練習は過酷だ、競争は厳しい。それだけは心得ておくんだ。

 大木監督に先輩としての訓示を求められた僕は40人の後輩の前でそう言う言葉を口にした。実際、この1年間で38人だった現2年生が30人になっている。しかもやめた8人の内半数が推薦入学だ。4年生の世代なんか当初32人だったのが15人と半数以下にまで落ち込んだほどらしい。故障や病気でやめたケースもあるがそれ以上に多いのが学内の競争に負けて自信をなくしたケースだ。

 どんなに頑張っても人間の能力は限界がある。その限界に達してなおそのはるか上を行くランナーが身内に、しかも両手の指で余るほどの人数がいる。余所の学校にいるのならば余所は余所うちはうちで済ませられるが、身内にいるとなるとそうは行かない。箱根は10(+6)人、全日本は8(+3)人、出雲は6(+2)人という枠は余りにも狭い。

 もちろん駅伝なんか当初から考えていない部員もいるだろうし駅伝を目指しながら結果的に4年間走れなくてもそれはそれで満足する人だっているだろう。だけど例えば僕のように天道のユニフォームを着て箱根や伊勢路、出雲を駆けたいと心から思っている人間にとってこの陸上部の競争は余りにも過酷だ。

 僕はたまたまの僥倖で1年から箱根路に立つ事ができたけど、こんな事がそうそう起こる物じゃない。


「あの走りは真似をしちゃいけない、絶対に」


 困るのは僕のあの暴走を高く評価する後輩がやたらに多い事だ。その度に僕はそう言って聞かせているのだが、すると今度は柏崎の名前を持ち出してくる。

 柏崎だって序盤からかっ飛ばしてあれほどの結果を叩き出しているのにだって、笑えない冗談だ。僕と柏崎では物が違いすぎる。柏崎はあんな過酷な山を18キロもあんなペースで登ったのにその後の5キロだけ見ても区間トップだ。それに対し僕は最後の1キロで区間6位だった中心に15秒も離されてしまった。強引に入ってもそのペースを最後まで保てる柏崎と最後で止まってしまった僕、この次元の違う2人を一緒にするなんて馬鹿げている。

「最初からかっ飛ばせ、逡巡なんか許さない」

 箱根以来大木監督はずっと僕にそう言い聞かせて来た。あの暴走を常態化しろとでも言うのだろうか。今までの大木監督だったら絶対に言わないだろうセリフだ。

 新入生と言えども、僕より素質のある奴はたくさんいる。40人の新入生の中で僕の入りたての時の14分55秒27というタイムを上回った後輩が17人、いや今の僕の14分25秒09と言うタイムすら上回る後輩が3人もいる。

 これだけでも、僕が決してもてはやされるようなランナーじゃない事は明白だ。だから僕は決して練習を怠らない。今度こそ実力で箱根を、そして出雲も伊勢路も勝ち取るために。



「名誉挽回の第一歩だ」

 やがて5月となり、関東インカレのシーズンが到来した。僕ら天道大には箱根駅伝の惨敗を取り返す責務がある。その第一歩がこの関東インカレなのだ。出雲2位?全日本優勝?そんなのは過去の栄光だ。箱根の屈辱を取り返さない限り、天道に栄光の時代は帰って来ない。

 僕はハーフマラソンに挑戦する事になった。去年の様な無様なレースだけはしたくない、でも大木監督の前で逡巡も許されないと思うと気が重かった。

 当日は曇り、気温16度。はっきり言ってかなり走りやすい条件だ。これならば最初からかっ飛ばしても何とか持つのではないか。そう思い込む事にして、僕はスタートラインに立った。

 号砲が鳴った。大木監督の指示通り、最初から全速力で突っ走った。だが先頭には立てない。

 そう、このハーフマラソンには柏崎もいたのだ。柏崎も僕と同じようにスタートからかっ飛ばすランナーだ。そしてもちろん僕とはポテンシャルが違う、その結果簡単に差を付けられてしまった。甲斐学院や倭国大、嘱託大の留学生も同じようにスタートから飛ばして柏崎に付いて行くが、僕には無理だった。絶対的なスピードが違いすぎる。

 それでも、このまま行くしかない。柏崎以外の日本人に1人でも多く勝ちたい。他の学校のエースたちにも、天道の先輩たちにも。後から考えれば思い上がりなどという次元で片付けられない驕りっぷりだが、その時は本気でそう思っていた。何より、大木監督が逡巡を許してくれないと言うのが大きかった。

 無論、大木監督に言われた「大木先生の言う事さえ聞いていれば間違いではないと言うのは信頼でなく依存だ」という言葉を忘れた訳ではない。だが、今の僕はその大木監督の言葉に突き動かされていた。依存なのかもしれないけど、正直依存だと言う事については認めたくない。人生の先輩からのありがたい金言を聞いているだけだと思いたい。


 柏崎や留学生たちの背中はまだ見えている。視界から消したくない、消えたら一気に突き放される気がする。もちろん後ろから来る日本人にも負けたくないけど、彼らの事は頭の中に入っていない、いや入れていない。

 先輩だろうが他校のエースだろうが、この場に立ってしまえばみんな1人のランナーに過ぎないんだから。もちろんどこかで仕掛けて来るのは、このまま逃げ切りを許してなんかくれないのは分かっている。でも今の僕はそのような事を考えていなかった。

 あの悪夢の(と自分では思っている)箱根から4か月、スタミナだけは鍛えて来たつもりだ。そのせいか、箱根のようにがっくり来る事はなかった。だが、スピードの絶対値はどうにもならない。いや、正確にはそっちに重きを置かなかった僕の責任だが、こちらが止まっている訳でもないのに柏崎や留学生との差が詰まらない。

 そしてそうこうしている内に嘱託大の留学生が遅れ始めた。とりあえず彼だけでも抜かなければと思ったが、そう思うや否や柏崎の姿が見えなくなった。どうやら柏崎が甲斐学院や倭国大の留学生すら突き放してしまったらしい。その事に気付いた瞬間、僕の心に恐怖が芽生えた。言い訳だけれど、誰だって感じるだろう。世界的に見ても圧倒的な実力を誇るケニアのマラソンランナー、学生駅伝においても幾多の流れを作りまたひっくり返して来たアフリカからの留学生。敬意と畏怖をもって、あるいは侮蔑をもって彼らの事は別格のランナーとして扱われて来た。天道だって、留学生対策にどれだけ心を砕いて来たかわかりゃしない。その留学生を、柏崎は打ち砕かんとしているのだ。

 一枚上の存在であった留学生より、さらに一枚格が違う。つまり柏崎は僕とは二枚格が違うランナーと言う事になる。それと一緒に走っていると思うと正直恐ろしかった。そしてその事実を考えるのを辞めようと思った。目の前のターゲットを抜かして行く、それ以外の事を考えるのを辞めた。

 既に残りは5キロ、まだそれほどペースは鈍っていない。前が落ちて来るならば捕らえればいい、それだけの事なのだ。そしてそれこそ僕が理想とする、粘り強く安定感ある天道の勝ち方なのだ。しかし、スタミナとか心の柱とかはどうにかなっても、見込みの甘さだけはどうにもならない。

 ついに後続のランナーが仕掛けてきた。あるいはその内止まるはずだろうと甘く見てくれていたのが予想外に粘られたので慌てたのかもしれないが、いずれにせよ後続との差が詰まって来るのを肌身で感じた。いや大木監督も後ろが来てるぞと檄を飛ばしていたが、それ以上に殺気をひしひしと感じていた。

 長年と言うほどでもないにせよ陸上をやってきた身だけど、追い上げられると言う体験は正直片手で足りるぐらいしかない。大学に入ってから多少は改善されたものの元々スタートのうまくなかった僕はいつも後方から追い上げるようなレースばかりやって来た、つまり今の僕を追う先輩や他校のランナーの様なレースばかりして来たのだ。正直、こんな状況の時どうしたらいいかわからない。


 …やめだ。順位を競うのはやめた。余りにも今さらだが、所詮順位だなんて相対的な物だ、今は自分がどれだけ肉体的に成長したかを考えるべきだ。そしてとっさにこういう判断ができるようになったのは精神的に成長したと言う事なのだろうか。

 もちろん、だからと言って急に順位が上がるものでもない。現実として前との差は詰まらないし、後方との差は詰まっている。それでもここまで来たからにはやるしかない。とりあえず天道の得意であるトラックに来れば何とか逃げ切れると思っていた……我ながらアホだったな。

 天道のランナーが僕一人な訳などない。トラックはスピードが発揮されやすい場所だ、天道がトラックで強いのはスピードがあるからだ。スピードのない僕にははっきり言ってトラックはマイナスだった。トラックに入るや天道のエースである深野先輩が徳政大学の関田、忠門大学の来生と言った他校のエースと共に全速力とも思えるスピードで僕を抜き去って行った。くどい訳だが、僕の足が萎えている訳ではなかった。


 1時間5分12秒、8位。結局その3人以外には抜かれる事はなかった。8位入賞、上出来だと言える成績だとは思う。


「お前トラックは合わないようだな」


 大木監督はレースを終えた僕にこう言った。正直、トラック練習では先輩たちだけでなく同級生や1年生たちにさえもなかなかついていけない。あの箱根以来、僕はあの失態を繰り返さないためにスタミナを鍛える事ばかりに気が行っていた。

 当然、スピードとスタミナを諸共に鍛える事は不可能だ。その結果、僕はトラックのスピード競争には対応できない選手になっていた。一定以上のスピードを保ち続けていればその内相手が落ちてくる、あるいは追い上げられても逃げ切る事ができる、最近はそれが個人的な勝ちパターンだと思うようになった。

 しかし結局それは、大木監督が長年推し進めてきたやり方と余り変わっていない、単に本気を出すのが前半か後半かの違いだけだ。そう思うとむしろ安堵した気持ちになって来るのはなぜか、答えは単純明快だった。

 大木監督を尊敬しているからだ。大木監督の理想に一歩近づけた気がするからだ。大木監督に聞かれたらそういうのを依存って言うんだって怒られそうだが、それでも大木監督は僕にとって憧れのヒーローである事には変わりはないのだから。

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