5区・こんなの勝利じゃない

「1分7秒差だぞ!」


 監督車から大木監督が声を上げている。いけそうな気がする。


「いいか、最初から飛ばせ、そしてスタミナの一滴たりとも後に残すなよ」


 最初から飛ばせ、大木監督がそんな指示を出すとは思わなかった。

 でも考えてみれば8区も9区もスタートから飛ばして、そのペースのまま粘り込んだ結果、前との差を詰める事に成功したのだ(後から聞いたが9区も区間3位だった)。

 心の中では少しためらいがあったが、天道のため、何より尊敬する大木監督のためとばかりに僕は最初の1キロから飛ばした。課題だったスタートもこの1年必死に克服すべく頑張って来た、そのおかげか最初の1キロを2分54秒で走れた。


 とにかく相模と中心に早く追い付きたい、そして粘り込んで最後の最後で両方、いやどちらか片方でも振り落とす。それが個人的に頭の中で描いていたシナリオだった。

 この10区は23.1キロ、最初の定点ポイントは6キロの蒲田だ。

 そこには天道のスタッフがいて、ランナーのタイムを監督に報告してくれる。まあほとんど全部の定点ポイントでそうなのだろうけど。

「このペースならば新八ッ山橋で捕まえられる!」

 蒲田から新八ッ山橋まで7.6キロ。そこまでには捕まえられると言う大木監督の叫び声に改めて気合いが入った。ちなみに蒲田では相模・中心の2校は並走状態になっており、天道との差は42秒になっていた。しかしまだ両校の背中は見えない。一秒でも早く両校の背中を捕まえたかった、そうすれば気力も湧き上がって来るはずだ。


「3号車は相模と中心に付いているぞ」


 大木監督の檄に僕は心が躍った。小さすぎて選手は見えないが中継車ならばなんとか視界に入っている。言われるまではあれが中継車とは気付いていなかったが、あれが中継車となれば絶好の目標となる……と思ったら、突如3号車が前に行ってしまった。

 実はこの時9区で稲田を捕まえ並走状態となっていた甲斐学院がその稲田を振り落とし、さらに4位の徳政がその稲田に迫り3位争いを始めており、3号車はそっちに行ってしまったのだ。しかしそんな事など知る由もなかった僕は慌てふためいた。代わりにバイクが付いていたのだがバイクと中継車では大きさが違う。


(どうしよう、相模と中心が連れ立ってペースを上げたのか……?)


 両校ともシードは失いたくない、となれば天道に抜かされないためにお互いに力を高め合うような走りをすると言う事は十分考えられる。そうなったら一大事だ。

「差は確実に詰めている、リポートバイクはちゃんと両校に付いてるぞ」

 と大木監督は叫んでいたのだが、僕の耳には入らなかった。入っていれば心の平静を取り戻せたのだが、できなかった。

 その結果、7~8キロ、8~9キロを共に2分48秒と言う無茶なペースで走ってしまった。

 早く中心と相模に追い付かねば、天道の面子を守らねば、そう思ったが早いか僕の頭は沸騰し、何も考えられなくなってしまった。

 その結果、新八ッ山橋にたどりつく前に相模と中心の背中をはっきりと捕らえられた。相模と中心の監督も僕の接近に気が付いたらしく、両校の選手も後ろを向いて僕の姿を確認した。本来ならばせめてその時点で頭を冷やして落ち着くべきだったのだが、僕はそれすらできなかった。とにかく両校に取り付かなければ、それだけで頭が一杯になってしまい、ペースを緩める事ができなかった。

 10区は23.1キロ、最長の5区と300メートルしか違わない長距離区間でこんな馬鹿をやらかすなんて……我ながら嫌になってくる話である。

 それでもその暴走を続けた結果、新八ッ山橋を通過する直前で相模と中心の集団に取り付く事ができた。

 その時、ようやく頭の熱が引いた。

「新八ッ山橋の定点ポイント、来ました、天道が来ました!相模と中心の9位争いに天道大が追いつきました!さあ、ここにシード権があります!果たしてシード権を手にするのはどことどこだ!」

 バイクリポートの実況、いや絶叫が僕の耳にまで響き渡る。確かに10位と11位の差がどれだけ大きな物かは僕もよく知っているし、去年まではその争いにドキドキワクワクする立場だったが、いざその場に立たされた時のプレッシャーは筆舌に尽くしがたい物があった。

(とりあえずはうまく行った、馬場先門が勝負どころだ)

 それでも必死に心を落ち着けとりあえず相模と中心にへばり付いた。

 新八ッ山橋から馬場先門まで7キロある。そこまで並走し、少しクールダウンする。そして馬場先門でスパートをかけ、どちらか片方でも振り落とす。その展開でうまく行くはずだった。


 ところが、前の2人がスピードを落としてくれない。いや、むしろ加速している。 

 こちらの気力を削いでしまおうと言うのか、あるいは途中で僕が追いつくのを呼んで余力を残していたと言う訳か。僕の頭を支配した考えは後者だった。

 実際、あんなに往路で醜態を見せていたのにも関わらずアナウンサーは天道の8区の快走を「やはり」来たと言っていたし、中心や相模の首脳陣やランナーが同じ考えを持っていたとしても全く驚かない。そして、どっちの方が厄介かと言うと後者だった。前者ならば向こうも捨て身で挑んできているのだからここで付いて行けば勝ちと言う算段ができるのだが、後者ならば僕がここまで来るのも予定通りだからさほど疲労している訳ではない事になる、すなわち勝負が長引けば長引いただけ無理をして追い上げて来たこっちが不利になる。


 まずい、非常にまずい。

 ここで絶対に離されるわけにはいかない。顔が歪んで行くのが自分でもわかっていた。肉体的苦痛はさほどなかったが、心理的苦痛は大きかった。

 ここで離されたらおしまいだ、何が何でも、無理をしてでも付いて行かなくては。先程冷えたはずだった僕の頭は、再び先ほど以上の熱量で熱くなり始めた。絶対に離されるわけに行かない、そうなったらおしまいだ、僕の手で天道の名前に消しがたい傷をつけてしまう事になる。それだけは死んでも避けたかった、許せなかった。僕の両目はカッと見開き、中心と相模のランナーだけを見据え爛々と光を放っていた。

「………落ち着け………」

 大木監督が何かを叫んでいたけれどほとんど聞き取れない、と言うよりお客さんの声援も含めほとんど何も聞こえなかった。大木監督の落ち着けと言う言葉だけが辛うじて耳に入って来ていた。

 落ち着け、確かにそうだ。しかしそんな事ができる余裕はどこにもない。ここで離されれば天道は前回大会の優勝校が完走してシードを失うと言う箱根駅伝史上初の屈辱にまみれてしまう。その最悪の想定に頭を支配されていた僕は足を止める事などできなかった。


 そうこうしている内に、ついに馬場先門で中心・相模両校の前に出た。天道がようやくシード圏内に上がって来たのだ。しかし、これは両校がその前に少しスピードを緩めてくれたからであって僕の走りが両校のランナーを上回っているからじゃない。その証拠に両校の選手の息が上がっていない。

「そのまま、そのままだ!」

 大木監督の檄が耳に入って来た。確かにそのまま先にいればこっちの勝ちだ、だけど中心も相模もまだ余力が残っている。離せない、どうにも離せない。いよいよそのままであと1キロの日本橋まで来てしまった。


 ……やはり来た。日本橋が勝負どころだと見ていた両校が残していた力を振り絞って僕の前に出てきた。スタミナの一滴たりとも残すな、大木監督の言葉通りに僕も全力を振り絞って足を動かした、でもついていけない。


 どんどん離されて行く、シード権が前へ行ってしまう。


 ああ、おしまいだ、これで何もかもおしまいだ。


 天道の……天道の名前を汚してしまう、僕はなんて愚かな事をしてしまったんだ、先輩たちや同級生、監督にどう詫びればいいんだろうか。かなり強引な走りをして来たせいか、もう速度は上がらない。

 結局何も成長していない。馬鹿みたいに強引なペースでかっ飛ばして終盤にその反動で止まってしまう、春先と僕のレースぶりはまるで変っていなかった。




 …………ああ、最後の100メートルで中心が相模を引き離し先にフィニッシュテープを切り、続いて相模がゴールする……僕がフィニッシュしたのは相模の12秒ほど後だった。


 こんな事をしてどうなるものでもないと言うのに、僕は両手を前に合わせながら、つまり拝むようなポーズでゴールを駆け抜け、いや倒れ込んだ。



「よくやった」



 よくやった?そんななぐさめなんか要らない、僕は失敗した、天道の看板を汚してしまった僕にそんな言葉なんか…………。




「10位だ、お前のお陰で10位になれたぞ」




 えっ………と思ったが最後、本格的に意識が遠のき目が覚めたのはそれから15分は後の事だったろうか。




「馬場先門で中心大・相模大と一緒に無双大を捕らえていたんだよ」


 ……何?無双大を捕らえていた?


 話によると無双大のアンカーが後半脱水症状に陥って急激に止まってしまい、新八ッ山橋の時点で区間11位とまあまあだったのがそれ以降ぶっちぎりの区間最下位に転落、馬場先門の辺りでは完全に蛇行してまともに走れなかったらしい。

 ちょうど僕らが追い抜いた時はかなり横によれており、その為中心と相模しか見ていなかった僕の視野には入らなかったのだ。


「……聞こえなかったか、まあ仕方がない。よくやってくれた」


 大木監督は「無双大が落ちて来ている、落ち着け、無難に走れば大丈夫だ」と叫んでいたのだった、だが僕の耳には落ち着け以外のセリフは入らなかった。

 確かに、無双大が落ちて来ているのを知っていればもう少し平静に走れたかもしれない。それならば中心や相模にも勝てたかもしれないのだ。


「……いつまでそんな事を言ってるんだ?」

 大木監督は泣いていた僕を叱責した。実際、厳然たるデータが目前にあるにも関わらず、なおそれを信じられない僕に監督が苛立っても不思議はなかった。


 区間2位?この僕が?本当に、あんなムチャクチャなレースをしたのに?と3回ぐらい聞き直した。


 ……フロックだ、ビギナーズラックだ。この結果で調子に乗ったら次絶対とんでもない失敗をやらかすに決まっている。初駅伝の結果、たまたま怖い物知らずがまぐれ当たりしただけだ。


「この2日間、ずっともがき苦しんで来たのは一重に甘かったと言う事に尽きます。これからは8~10区の1年生たちのように最初から突っ込んで最後まで持たせるようにスタミナも鍛えます。もちろんトラックの事も大事ですが、天道が駅伝の覇者となるためにはスタミナを鍛えねばその座は巡って来ません」


 午後3時、大木監督は僕らを集め訓示していた……何、僕ら3人の1年生を手本に?


「太平洋大は最初から飛ばしているにも関わらず後半までそのペースを保っています。一方天道はブレーキを恐れ前半のペースを落としているのにもかかわらず後半伸びていません、これまでではそれでもよかったですが今後はそう行きませんよ。柏崎くんの様なランナーがいる限りこの傾向は変わらないと考えて下さい」

 ……確かに全日本でも柏崎は凄まじいペースで最初から飛ばし、最後までそのまま行ってしまった。そしてこの箱根5区でも最高点以降だけを見てもぶっちぎりの区間1位だった。無論その間も凄まじいペースで駆けて稲田との5分差をひっくり返したのにだ。確かに、最初から飛ばして最後まで保ってしまったのだ。僕はと言うと、新八ッ山橋の地点で区間2位、それで結局そのまま区間2位だそうだ。


 思うようなレースはできませんでした、どこの誰の取材に対しても同じ言葉を繰り返した。

 区間2位なのに?そんなのはたまたまだ。

 天道の危機を救った新たなるエース?アホくさい、エースってのはもっと堂々と確実な走りをする物だ。あんなムチャクチャな、後先を考えないレースをするような人間をエースと呼ぶなんてありえない。


 それなのに、大木監督は僕の走りを新たなる天道の基準にすると言っている。

 何を考えているんだ、大木監督は。

 新たなる時代が来たって言うのか?

 僕が憧れたのは堅実で確実な走りを続ける天道だ、決してあんな強引なレースを展開させる天道じゃない。それでも大木監督の方針ならば僕はついて行く、でもどうにも認めたくなかった。


 時代が変わろうがいい物はいい物なのに、それを捨てるだなんて。柏崎の様な特別なランナーや僕のまぐれ当たりを基準にしてしまうなんて。

 僕が追って来た、天道と大木監督が作った基準は過去の遺物となり、僕が基準になると言うのか……。なんだか大木監督にとてつもなく重い枷をはめられた気がして来た。僕の陸上人生はこれから一体どうなるのだろうか、まるで見当がつかなかった。

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