4区・崖から突き落とされた
10区を頼む……?僕に…………?
10区は去年もアンカーを務めた先輩がメンバー登録されている、今年も当然そうなると思ったのに。
聞き違いだとは思ったが、大木監督はその後全部員を集めて僕を含む3人のオーダー変更を言い渡した。
やはり本気なんだ。
大木監督は本気で僕をアンカーに使うつもりなんだ。
なぜだとしか言いようがない。
変更された3人は僕も含めすべて1年生、しかもプレッシャーが一段と重くなってくる8・9・10区。
まさか勝負を諦め来シーズン以降に向けての育成に走ったのだろうか。確かに育成は大事だがいくらなんでもプライドって言う物があるのに。
一応6・7区は共に箱根経験者の先輩、そこで前との差を詰めてシード圏内まで持って来てくれるだろう、とか甘えたい。アンカーの時点で例えば10位だの11位だので走る事になったらと考えると、それだけで背筋が凍る。三大駅伝を走った事もない、つまり大舞台を経験した事のない人間がいきなり瀬戸際と言うべき状況に追い込まれて、本来の実力を発揮できるだろうか。大木監督はできると考えたから使うんだろうけど。確かに他の学校ならしょっちゅうあるだろうケースだが、15年間で総合優勝6回、最低順位5位の天道には全く縁のなかったケースだ。大木監督はともかく、僕には、いや僕らにはこの未知の苦境にまともに対応できる自信など全くない。
だから、おそらくはだからそうなのだったのだろうけど、混乱して3・4区と大ブレーキを起こしてしまったのだ。正直何でもいいから縋りたい。神でも仏でも、心を安らがせ天道に勝利をもたらしてくれるものであればもう何でもよかった。
1月3日、8時5分11秒。いよいよ運命の時間が来た。
8時7分37秒じゃない、8時5分11秒だ。淋しくはあるが、往路10位の相模大学が少しでも止まればそれだけ天道は道が開ける、そこに天道の先輩たちの快走が加わればあっと言う間に……なんていう事を考えながら僕は鶴見中継所への移動車に乗り込んだ。我ながら見通しの甘い男だ。
22歳の4年生も、15年前は7歳だ。記録としては知っているだろうけど、苦難を肌身で感じたなんかあるはずもない。往路と同じように15位での走り方なんてわかっていなかったのだろう。
さて、復路スタートの6区は山下りだが最初の5キロは上りである。その上りの終着点に近い芦之湯の時点で天道は14位に順位を上げていた。区間2位で走っているのだから当たり前だ。
が、後になって振り返ってみれば明らかに飛ばしすぎだ。やっぱり、15位での走り方なんてわかっていなかったんだ。終始安定したペースを刻み正確なタイムを弾き出すのが天道なのに、それで何があっても崩れないのが天道なのに。こんな走り、天道の走りじゃない。そして、案の定そのツケが来て大平台では15位に戻ってしまった……と思ったら何かおかしい。
依然として天道は区間3位、ツケが来てペースを落としたと言うには減速していない。どういう事だと思いながらテレビを見ていると理由はすぐに判明した。
「バイクです!関東基督教が帝国、天道に続き嘱託を捕らえ13位に浮上しました!」
「大平台の時点でのタイムを見ますと関東基督教が1位のようです」
帝国大を捕らえて抜いたと思ったら、関東基督教大に抜かれていたと言う訳か。
1人を抜いて1人に抜かれては順位が上がる訳はない。だけど、天道のペースは落ちていないようだ。大丈夫だ、大丈夫のはずだ。
…いや、やっぱり甘かった。6区はある意味2区や5区より危険なコースだった。
10キロ以上にわたり制御の利かない下りを走ってきたランナーにとって最後の3キロは名目的には平坦に近いとは言え下りだが現実には上りに思えて来ると言う。そこでやはりツケを払わされる事になってしまった。確認はしていないが、その最後の3キロだけを取ると区間18位との事だ。最後の3キロで平気で1分変わるのが6区だと言うが、実際函嶺洞門の時点でまだ区間4位だったのが、区間9位まで落ち込んでしまった。函嶺洞門の時点で真後ろについていたはずの嘱託大に離され、相模大が区間6位だった事もあり結局10位相模大との差は2分37秒に開き、順位そのものも15位のまんまである。一方で区間賞を取った関東基督教は結局12位まで浮上し、天道より12秒遅くスタートしたのに小田原中継所を天道の1分以上前に飛び出している。
そして7区、ここでも関東基督教は順調なペースで飛ばす。二宮ではついに相模を捕らえシード圏内に入り込んだ、いやそれどころか湘南を捕らえ下総との差も詰めなんと総合9位まで上がって来ていた。
本来なら天道がするはずだったレースを、関東基督教にされている。出場4回目、最高順位12位(出場数が15校だった時代の)の、予選通過も10年ぶりでかつ9位ギリギリの関東基督教なんて全く眼中に入ってなかった。
天道は今、そんな関東基督教の後塵を拝している。ちなみに先頭の方では6区で一旦稲田に逆転された太平洋大が7区で再逆転してじわじわと差を広げつつあり、その後ろでは甲斐学院と徳政が3位争いを繰り広げている。けどそんな事はもうどうでもよかった。
…………天道が上がって来ないのだ。一応順位は14位になっているが、10位とのタイム差は全然詰まらないどころかむしろ開いている……区間16位じゃ当たり前だが。
……なんでこうなったんだろう。今更ながらそう思わずにいられなかった。
3位とは言え予選から上がって来た徳政大が3位をうかがい、予選9位でギリギリ通過の関東基督教がシード圏内で走っている。
一方で昨年度の覇者である天道は、両者の後塵を拝し14位。復路になれば流れは変わると思ったのに、一向に上昇する気配がない。
「新たな時代の到来」
昨日も今日も、そんな言葉が幾度となくテレビから流されている。
確かに、昨日の状況を見ればそうも言いたくなるだろう。2区は留学生だったから例外としても、1区・4区・5区の区間賞は全て日本人の1年生で、3区も稲田の1年生が区間3位で走って甲斐学院を逆転した。
もし新たな時代という言葉が単に世代交代の事を言っているのならばそれでいいのだが、現実にはもっと大きな物が含まれているように思えて来る。
勢力図の変化、考えたくないけどどうしてもその言葉が頭をよぎってしまう。考えてみれば太平洋だってこの20年間で最高順位5位、シード喪失7回の中堅校だった。太平洋に徳政、関東基督教が上昇気流に乗ろうとしていると言うのか。
当然、上昇するチームがあればその逆もある。それが天道だと言うのだろうか。
……認めたくない。天道は王者だ。王者じゃなきゃいけない。つまらないプライドなのかもしれないけど、時代がどう変わろうとも変わっちゃいけない、変わらせちゃいけない物ってのはある。天は掴めずとも地を舐めはしない、と言うと余りにも大仰だが仮にも昨年の王者、この10年の覇者としてせめてシード権だけは確保しなければならない。
こんな自分で何とかできるのか、それはわからないが何とかしなきゃならない。そんな事を考えている間に車は鶴見中継所に着いていた。
この移動の間に少なくとも昨日から続く混乱状態からは脱却できたはずだ。それでも自分の身の程を考えると10位から1分差以内で持って来て欲しい。もちろんシード圏内で来てくれればそれが一番いいのだが…現実は残酷だ。
7区では順位こそ14位に上がったが肝心の10位とのタイム差は2分半どころか4分22秒まで開いてしまった。8・9、そして10区の1年生でひとり1分半詰めなければならない。もう先頭に関心はない、10位と天道の差だけが重要なのだ。
しかしカメラは回って来ない。7区で太平洋と稲田の差が開いた結果1号車は太平洋、2号車は稲田につき3号車はさらに8位に浮上した関東基督教に貼り付いている。バイクはと言うと今はわからないが少し前は甲斐学院と徳政の3位争いを中継していた、つまり天道を移すカメラは定点以外ひとつもない。状況が分からないのはやはり不安だ。
8区最初の定点ポイント、茅ヶ崎を天道が通過した。この時点で区間3位、10位相模大との差は詰めている。しかし余りにも不安だ。またスタートから暴走→後半ばててブレーキなんて言う事になったら本当の絶望だ。
いや、今はそのまま持つと言う方向に行く事を祈るしかない。強引にでも突っ込んでそのペースを維持する、それしかない。ただ8区はしまいの方に遊行寺の登り坂が来る、6区と同じようにその後の3キロで平気で1分変わる。
考えない事にしよう、信じるしかない。
「3号車は関東基督教につけています!16位からスタートした関東基督教ですが現在は8位まで順位を上げ更に7位の中心大学、6位の城東大学を追い掛けています」
関東基督教の快進撃だって誰も予想できなかったのだ、天道の8~10区の1年生たちは全て出雲も伊勢路も未経験の存在、いきなり活躍するなんて誰も予想なんかしていないだろう。関東基督教と同じ事が起きても不思議はあるまい。
「しかし天道がやはり来ましたね」
「ああようやく本領発揮と言う所じゃないでしょうか。天道の底力を見せればこりゃシード権確保はまだまだ可能だと思いますよ」
と思ったらアナウンサーや解説の人たちはまだこんな事を言っている。これが天道に対しての信頼なのだと言えば体はいいが、これだけダメっぷりを晒し続けて来たのにと言う気にもなって来る。
「今影取の定点ポイントを10位の相模大学が通過して行きます」
10位の相模大は相変わらず淡々と走っている。上がるようには見えないが、落ちるようにも思えない。
「戸塚中継所、太平洋大学がやって来ました!今、先頭でタスキリレー!」
と思う間もなく先頭の太平洋大が戸塚中継所を通過した。稲田との差は既に1分以上開き、むしろ稲田は後ろの甲斐学院と徳政を気にしなければならない状態だ。
もっともそんな事はどうでも良い、天道の事が知りたい。やきもきしながら天道の通過を待った。その間にも稲田や甲斐学院、徳政が次々とタスキリレーして行くが、その度にああもう影取を映せと苛立ってしょうがなかった……それで結局、天道が影取を通過するシーンは映らないままタスキリレーになってしまった。
8区の結果は茅ヶ崎の時のままの区間3位、総合順位は1つ上げて13位、10位相模大学との差は2分55秒。シード権に向けて望みは残ったと言う所か。だができれば1分差以内で来てもらいたい。
1分50秒差を詰めろと言うのも酷な話だが、それを願わずにいられない。なおこの8区では相模大が淡々と10位を走る中、前後では関東基督教に抜かれていた無双が区間賞を取ってシード圏内に入り込み、逆に湘南が区間最下位の大ブレーキをやらかしてシード圏外まで落ちてしまった。
もっとも、今の僕にはそんな事はどうでもよくなっていた、10位との差だけが重要だった。1分50秒なんて無茶は言わない、どうにか1秒でも10位との差を詰めて持って来てもらいたい、そう考えながら僕は準備体操を始めていた。あと1時間10分、それだけ後には天道の命運全てが僕に託される事になる。重い金看板だけど、逆に名誉でもある。
僕の祈りが通じた訳でもあるまいが9区、天道は権太坂までで区間2位、総合順位も1つ上げて12位になった。もっとも総合順位なんかどうでもいい、区間順位はもっとどうでもいい。肝要なのはタイム差だ、それが少しでも縮まってくれていればいい、無論10位で持って来てくれるならば最高だけどそれは贅沢だ。自力で何とかせねばならない、するより他ないのだ。
箱根駅伝は10人、さらに言えば16人、いや関係者すべてでやる物だが、結局勝敗を左右するのは一人一人の力だ。僕の後ろには数多くのこの場に立つ事ができなかった部員がいる、そして支えてくれた人たちがいる、何より大木監督がいる。その人たちを悲しませたくはない。
1分差ならばいける、でも1分30秒差だと不安だ。それ以上開いているとなると正直全く自信がない。もう少し、あと30秒でいいから詰めてくれ。気が付くと両手を合わせ必死に祈っていた。
そして、ついに運命の時は来た。
「中心大学と相模大学が連れ立ってやって来ました!現在、この2校がシード圏内の9・10位です!まずは中心大学、続いて相模大学タスキリレー!さあシードを守れるか、11位との差はどうなのか!」
天道が11位になっている事は既に聞いていた、だが10位とのタイム差はわからない。横浜駅の時点では1分36秒だった、1分差は難しいか…そんな事を考えながら僕は道路に飛び出した。
「天道がやって来ました!去年は栄光のフィニッシュテープを切った天道、さあ今年はシードを取れるか!天道大学タスキリレー!」
不慣れな手つきで僕はタスキをかけた。
9人の汗がしみ込んだタスキ、かけると力が湧いて来ると言うのは嘘じゃない。先輩たちの苦悩、同学年の快走を無駄にする訳には行かない、そう考えるだけでどんな競走よりも身が引き締まる思いになる。
鶴見中継所での差はこうだった。
7位 関東基督教大学 10時間04分10秒
8位 無双大学 10時間04分58秒
9位 中心大学 10時間06分10秒
10位 相模大学 10時間06分15秒
11位 天道大学 10時間07分22秒
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