3区・大事件
目の前の光景を、どう理解すればいいのかわからなかった。
僕らを含む天道の関係者だけではない。
他校の関係者、大会の実行委員、テレビのスタッフ、果ては沿道のお客さんからテレビの前の視聴者まで、こんな事になるとは誰も予測できなかっただろう。
もし昨日の僕らが今日の結果を聞かされたら、笑い飛ばしたか掴みかかったかしただろう。それほどまでに、この1月2日は凄まじい日だった。
往路優勝 太平洋大学 5時間32分30秒
2位 稲田大学
3位 甲斐学院大学
4位 徳政大学
5位 中心大学
6位 城東大学
7位 任天堂大学
8位 湘南大学
9位 下総大学
10位 相模大学 5時間37分41秒
11位 無双大学
12位 文学院大学
13位 嘱託大学
14位 帝国大学
15位 天道大学 5時間40分07秒
…………15位。
トップとは7分37秒もの差。どこからどう見ても、天道の優勝は絶望だった。
それどころか、10位・相模大学との差は2分26秒。
これを覆さない事にはシード権すら取れない。前年の優勝校がシード権を失ったケースは、過去に途中棄権による一度だけである。最後まで走り抜いてシード権を失ったとなれば、箱根駅伝史に残る屈辱であり不名誉だ。
この5時間半の間、おかしいって言葉を何回口にしたかわからない。とにかく、これまでずっとテレビで、そして今年の出雲や伊勢路では生で天道を見て来た僕だけど、天道のこんなひどい姿を見たのは初だ。
「太平洋大学、5区の1年生柏崎の爆走により見事、往路優勝です」
テレビは柏崎を盛大に取り上げていたけれど、正直僕からしてみれば稲田との5分差をひっくり返すと言う可能性もあると思っていた。稲田は伝統的に山登りが下手で今回も区間15位だった。それでも太平洋大以外に抜かれなかったのは4区の時点で2位だった甲斐学院に3分半の差をつけていたからである。
一方の天道はと言えば、4区終了の段階で3分半どころか8分半遅れていた。
1区からおかしかった。稲田のランナーがスタートから飛ばしてそれを2位集団が追いかける形になったが、天道は10キロ以上集団の最後方だった。そして15キロあたりから1人2人とランナーがこぼれ落ち出しと思っていたら………
「大変です、天道大学がピンチです!2位集団から天道大学のランナーが遅れました!既に5mほど2位集団と離されています!」
テレビから鳴り響くアナウンサーの絶叫と目の前の映像、両方とも紛れもない現実なのだが、いずれも信じられなかった。
15キロの時点で2位集団のタイムは46分05秒、そんなに無理なタイムじゃないはずだ。もちろん2位集団がスパートをかけているからペースが上がるのはわかるけど、それにしても今までキロ3分4~5秒、そんなに無茶なペースではないはずなのに、すなわち余力は残っているはずなのに……。
そしてそれから2キロほどで2位集団は完全にばらけたが、天道はそのばらけた2位集団の最後方の関東学連選抜との間に15秒との差をつけられていた。2位の中心と比べると50秒差、首位の稲田に至っては1分50秒差である。順位なんかどうでもよい、タイム差さえ少なければ何とでもなると前向きに考えようにも無理だ。
果たして、1区終了時点で天道は17位、16位の学連と27秒差、2位の中心とは1分33秒、稲田とは2分46秒の差をつけられた。正直、僕には17位のチームの気持ちがどんな物なのか全くわからない。そして、先輩たちもわからなかったのだろう。
続いて花の2区。各校のエースが集う区間。甲斐学院の外国人が初っ端からアクセル全開で飛ばして行くのは今に始まった事じゃない。そして稲田との差をあっと言う間に詰めてやがて抜き去ったのも別に驚くに値しない話だ。
そして天道もまたここで1区の失敗を挽回するかのような、いや挽回って言う言葉が既にお寒いけれど、一気に順位を上げ先頭との差を詰めてくるような走りをすると確信していた。
…けれど、来ない。権太坂の時点でもまだ10位。7つ順位を上げていると言えば体はいいけど、去年は2区日本人トップだった先輩が権太坂の時点で区間6位、タイムは去年より30秒悪い。稲田とのタイム差は15秒しか詰まらず、この時に先頭に立っていた甲斐学院とは3分の差がついていた。
それでも天道ならば何とかする、去年までの僕ならばそう信じて疑わなかったし、その時の僕だって疑ってはいなかった。後半、最初から飛ばしていた前の大学が落ちてきてスタミナを保っていた天道のランナーが抜く、そんな光景は何度もあった。
ところが、今日はそれが起こらない。権太坂の時点で9位との差は10秒、目の前の目標としてはちょうどいい位置であり、先輩の力量ならばさほど苦も無く追い付き、追い越せるはずだった。
しかし、その10秒の差が詰まらない。タイムを見ればそんなに飛ばしていたようにも思えないのに。目の前のランナーがこちらと同じように余力を残していたからなのかとそう思いたかったが、それきり順位は変わらない。さらに前にいる、力を落としているはずのランナーを抜く事もない。そしてそうこうしている内に戸塚中継所に着いてしまった。結局区間6位、総合10位のまんまだ。そして、真の悪夢はここから始まった。
3区、天道は最初から飛ばした。
5キロの間に戸塚で24秒空いていた8位のランナーを捕らえ、そして2人で連れ立って8キロのポイントでさらに10秒前にいた7位のランナーを捕らえ、3人で7位集団を形成した。そこまではよかった。
けれど、落ち着いて考えれば5キロで24秒も追い上げるなんて強引だったのだ。それをやった結果、10キロの時点で7位集団からこぼれ落ち、ずるずる後退し始めてしまった。
さっきも言ったが、天道は15年近く優勝争いをしてきた。そして多くのランナーは先頭かそれが見える位置でレースをして来た。17位などと言う下の順位で走った事はなかった。だから、下位でのレースの仕方を知らなかったのだ。その結果慌てて「本来の立ち位置」に戻ろうとして序盤強引に飛ばしてしまい、後半にバッタリ来てしまうのだ。
駅伝にはよくある悪循環だと思うが、もし天道がシード権争いをするような学校だったら割り切って走る事も出来ただろう。でもディフェンディングチャンピオンの、出雲駅伝2位の、全日本大学駅伝優勝の天道ではそうは行かない。
関係者もファンも天道の優勝を待望し予想した結果、優勝しなければと言うプレッシャーに支配された結果、ああなってしまったのだ。
その結果、平塚中継所では16位まで沈んでしまった。そして区間18位、区間賞を取った任天堂とは4分差をつけられ、先頭の稲田との差は6分半にまで膨れ上がってしまった。
…6分半を7区間で割れば1分にもならない、なんていう冷静と言えば体はいいけどおめでたい思考が現実に通用するはずもない。
でもその時はそう思っていた。天道がこんなに弱いはずはない、天道は優勝争いをするべきチームなんだから、そのうちそれにふさわしい順位まで上がってくる…はっきり言って妄信と言うべき思考なのだが、その時は全くそう信じて疑っていなかった。
4区では3区で先頭に立っていた稲田が区間新ペースで飛ばし、2位以下との差を大きく広げた。平塚中継所の時点で2位甲斐学院との差は1分18秒差だったのに対し、小田原中継所では3分半になっていた。甲斐学院も2区での大量リードがあったので3区区間14位、4区区間18位と連続でやらかしてもまだ2位だったが、その一方で天道はまるでお話にならなかった。
何せ、全然テレビに映らない。3区ではずるずる後退して行く有様がテレビにずっと映り続けていたが、4区では全然映らない。それで順位が上がっているのならばいいが、現実は区間17位である。4区で順位を上げ稲田とのタイム差を詰めるどころか、4キロの時点で関東基督教大学に抜かれ17位に落ちてしまった。
「二宮の定点ポイントを関東基督教と天道が通過して行きます」
その事がテレビに取り上げられたのは4区の中間地点と言うべき二宮の定点ポイントを通過した時だ。3区なんかは天道が順位を落とすたびにバイクリポートに切り替わって天道が大変だ天道が大変だと騒いでいたのにである。
テレビに見切られた、そう言うべきなのかもしれない。映っていたのは先頭の稲田、2号車・3号車が付いていた徳政や城東、下総ばかりであり、天道はすっかり忘れ去られていた。
勝負の世界なんてこんな物だと言うのは分かっている、けれどやはり辛い。大会前はあんなにマスコミの取材がたくさん来ていたのに、こんな醜態を見せた途端冷たくなる。さすがにこの時になると優勝の二文字は頭から消え失せていた。順位が上がらないとは思っていないが、稲田を抜ける見通しが全く立たない。後に続く先輩たちを信じていない訳ではないのだが…目の前の区間17位、6位、18位、17位と言う数字が希望を奪って行く。天道と言う金看板を背負ったはずのランナーたちが、金看板に押し潰されているかのように沈む。夢なら覚めろと思わず頬をつねったが、悲しいかな痛い。その内挽回するだろ、天道ならばその内上がって来るだろと必死に心の中でつぶやいていたけれど、だんだんその声も小さくなって来ていた。
そして小田原中継所、トップ稲田との差は8分30秒。もし5区で稲田に1分30秒差を開かれれば、明日は8時10分繰り上げ一斉スタートと言う事になってしまう。それだけは許せない。稲田はこの5区の山登りはうまくないから大丈夫だと思おうとしたが、その根拠自体自力ではもうどうにもならないと言う事の裏返しであり実に悲しい。そしていつの間にか両手を合わせ、先輩のごぼう抜きを祈っていた。
祈りが成就したのだろうか大平台の定点ポイントで区間4位、順位を1つ上げていた。でもこれが本来の天道の実力であり、今さら喜ぶのもおこがましい話だ。大体区間4位と言っても柏崎とは9キロ地点の大平台で1分以上離されている。本当なら柏崎の猛追に脅える立場でなければいけないのにと今の天道の身の上を嘆きたくなったが、嘆いてもしょうがないしますます落ち込むだけなのでその事に対しては口を噤んだ。
「太平洋の柏崎が凄まじいペースで飛ばしています!大平台の時点で既に4人を抜き、稲田との差は2分28秒、中継所から比べほぼ半分になっています」
柏崎の凄まじいスピードは予想の範疇だから別に驚きはしなかった、でも口ではおおすごいなんだなんだ柏崎の速さはと言っていた。
はっきり言って天道の惨状を忘れるための現実逃避であり、情けないほどの棒読みである……それをやっているのは僕だけではないのだが。いくら柏崎が凄まじいと言えど所詮は1人、全体で比べれば天道の方が上だと思っていたのに小田原の段階で天道は太平洋に3分近く負けていた、大差ない距離を消化した全日本7区の段階では6分勝っていたのにだ。柏崎との勝負以前に、太平洋との勝負も惨敗中である。
そして箱根湯本、沿道のお客さんの応援が一番盛んな場所では太平洋と稲田の差は遂に1分を切り、天道は依然として16位のまんまだ。主役は完全に柏崎であり、本来主役となるべき天道は助演どころかガヤにもなれやしない。柏崎から必死に逃げる先頭の稲田や区間2位・3位で稲田を追い掛ける徳政や甲斐学院の方がずっと目立っている。1号車は稲田、2号車は太平洋なのは当然だが、3号車も甲斐学院にべったりで、バイクリポートも10位の相模にくっついて前後のランナーとの時間差を述べるばかりだ。
自分だけが取り残された気分になって来る。天道という最強王者のランナーの走りを目に焼き付け盗む、それが今回の箱根駅伝だったはずなのに、今の天道には王者の栄光はない。天道だけが満足に予選も通過できなかった20年前に戻っているかのような有様である。2区と5区だけ良くてもどうしようもないのだ、両者がいかに重要な区間であろうと10分の2に過ぎないのだから。
その後、国道1号の最高点でついに柏崎が稲田を捕らえ、そして一気に突き放した。
「まさに奇跡!とんでもない1年生が現れました!あと3年は柏崎の為の山となるのでしょうか!」
アナウンサーの絶叫が、まるで正月の冷たい風のように心を突き抜けて行く。柏崎の爆走も全日本の時は素直にすごいと思えたのに、今は完璧によそ者だ。
「………シード権を目指し、一から出直す気分で走ります」
大木監督は新聞のインタビューにそう力なく答えていた。全く誰も予想し得なかっただろう大惨敗に大木監督の心も打ちのめされていただろう。
しかし、それでも大木監督は明日の復路に向けて気持ちを切り替えていた……でも、それは大木監督だからだ。僕は未だにこの大惨敗に打ちひしがれていた。
そんな僕の肩を大木監督が優しく叩いた。
「10区を頼むぞ」
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