2区・出雲と伊勢路を見る

 行けると思ったんだけどなあ。


 インカレから夏合宿、秋の大会を経て臨んだ三大駅伝開幕戦・出雲駅伝は残念な結果に終わった。いや、もちろん僕など補欠にさえ入れるはずもない。




優勝 甲斐学院大学 2時間10分50秒

2位 天道大学   2時間11分07秒




 17秒、1人あたま3秒。たったそれだけと言っていい差だ。

 確かに甲斐学院のアンカーはすごかったけど、十分逃げ切れると思っていた。しかし実際にはセーフティリードだったはずの1分の差をひっくり返されてしまい、天道は準優勝に終わってしまった。


「いいか、もう少し積極的に突っ込んで行かなきゃいけない。1・2区を走っていた湘南大や稲田大のエースにペースを乱されまいとするのはもっともだが、だからと言って4・5区はちと消極的すぎたな。だから甲斐学院に付いて来られたんだ」


 消極的?とてもそうは見えなかった。

 前半から確実にリズムを刻み、無理をする事なく1・2区と区間連続3位。湘南と稲田がそれぞれ1・2区に注ぎ込んで来たエースと20秒ほどしか差をつけられずにやり過ごし、3区で区間賞を獲得し首位に躍り出た。

 そして4区、稲田のランナーは天道に追い付こうと最初の2キロを5分10秒台で飛ばして来た。一旦は並ばれたけど、先輩は焦ることなくマイペースを刻み、残り2キロでばてた稲田のランナーを突き離し結局4区と同じ差で5区につないだ。5区もまた同じような安定感を見せ付け、盤石の態勢でアンカーにつないだはずだった。区間順位そのものは連続4位だったが、全く問題などないと思っていた。

 しかし、大木監督いわくこれがまずかったらしい。

 甲斐学院のアンカーはいわゆる留学生、力が上なのは仕方がなかった。しかしだからこそもっと強引にでも離すべきだったと言うのか。見れば甲斐学院の4・5区のランナーの個人順位は2位・3位と天道より上で、3区時点では1分40秒だった差が、アンカーの時には1分6秒になっていた。


「甘く見ていた訳じゃないんだが……」


 アンカーを務めた先輩が泣きながらこう話していた。先輩のタイムは区間3位で、タイムそのものも従前の6区区間記録とそう違う訳じゃなかった。それなのに、甲斐学院の留学生はその先輩と同じ10キロちょっとの6区を走った結果、1分7秒差を詰め17秒差をつけた、つまり1分24秒差も負けたなんて正直信じたくない話だ。

「それでも8年ぶりなんだぞ。要するにそんなに関係ないって事だ」

 甲斐学院のように外国人を使っていいのかと言う意見はよくあるが、大木監督の言葉もまた現実だ。甲斐学院は毎年留学生を駅伝に注ぎ込んでいるが、それでも8年もの間栄冠をつかむ事ができなかったのだ。


「だからこそそこまでの4・5区はもう少し甲斐学院を意識しなければならなかった。それを怠り安全策に走ってしまったのが今回の敗因だ」


 実は去年、天道は5区までトップを走りながら6区で区間12位と言う大ブレーキをやらかして優勝を逃してしまっていた。この時期にふさわしからぬ暑さ(最高気温24℃)だったとはいえ、はっきり言って余りにも情けない話である。

 もちろん、ブレーキをやらかすほどまずい事はない。しかしブレーキを恐れるのは当たり前であるが、恐れすぎてもいけなかったと言う事なのだろう。4区への中継所時点で2位争いをしていた稲田・湘南のランナーの5000mのタイムは、共に天道の4・5区のランナーから比べると15~20秒は落ちる。2区間とも6.5~7.5キロなので合わせれば大体14キロ、つまりタイム通りに走れば2区間合計で40~50秒は勝てたはずだ。ところが4・5区の間に天道のランナーが付けた差は稲田に10秒、湘南に14秒に過ぎない。

「区間賞がその時下位だった任天堂や城東だったのが幸いだっただけだ」

 もし区間賞が稲田や湘南だったらどうだったろうか。両校との差は詰まったかもしれないが、彼らに負けじとランナーが奮起し結果として甲斐学院との差は詰まらなかった、あるいはむしろ開いたかもしれない。タラレバを言ってもどうにもならないにせよ、勝負のあやと言う物の怖さを思い知らされたことだけは間違いなかった。

「全日本こそは勝つぞ」

 大木監督の言葉から無念さが滲み出て来るのを僕は全身で感じた。




 出雲駅伝の翌週、僕は立川に来ていた。

「……もうそんなに前になるか」

 昭和記念公園で行われる箱根駅伝予選会。ここで上位9校に入らねば箱根駅伝本戦で自校のタスキをかけて走る事はできない。もっとも、天道が予選会を走らされたのは15年前が最後で、その時の開催地は立川じゃなかった。そして、僕はまだ幼稚園児だった。


「天道だってそういう時代があったんだ、決して忘れるなよ」

 大木監督は来なかったけど、中心や湘南など有力校の監督やコーチがずいぶん来ていた。わかりやすく言えば偵察だ。シード校とて安泰ではない。どの学校も目を皿にして予選会を走るランナーたちを見つめている。


 だがこの時、僕はこの予選をあまり真剣に見ていなかった。確かに何が起こるかわからないのが駅伝だが、いくらなんでも来年天道がこの予選会を走らされる事はないだろうと言う慢心があったのだ。僕が箱根で天道の敵となり得ると見ていたのは甲斐学院、中心、稲田、湘南、あとせいぜい任天堂ぐらいだった。

「今年もやはり大本命は天道」

「出雲は負けて強しの安定感」

 マスコミの人たちは口を揃えてそう書き立てていた。

「現状では箱根の優勝は厳しい。天道に勝つにはさらなる底上げが不可欠」

 出雲駅伝で天道を破った甲斐学院の香川監督すらもそんな事を言っていた、だから僕が勘違いしても、なんていうのは完全に言い訳だ。他校を見下していた、その表現がまさしくぴったりだった。

 僕が絶対に天道に入ると心に決めた小3の時から今までの10年間で天道は箱根で5回優勝し、負けても3位以内で留めて来た。優勝争いする事が天道にとっての日常であり、当然の事だと僕は思い込んでいた。





 そして全日本大学駅伝。


優勝 天道大学

2位 稲田大学

3位 中心大学

4位 太平洋大学

5位 甲斐学院大学

6位 徳政大学




 天道は見事優勝した。もちろん僕は何の貢献もしていないが、素直に嬉しかった。

 でも、マスコミの人たちは余り寄って来なかった。来て欲しかったのかよと言われれば否定はしない。

「徳政大に取られてしまってるぞ、相手を怯えさせる要素がないのがいけないんだ。もっとしっかりしろ」

 何より、大木監督もその事を気にしていた。


 全日本大学駅伝は6位までに入れば、来年予選なしで出場する事ができる。だから6位に入った事はそれだけで相当な重みがある。

 徳政大学は箱根駅伝の初出場が大正時代と言う、天道とは比較にならない歴史を持った大学だが、近年は箱根の予選通過すらままならなかった。確かにこの前の箱根予選では3位を取って箱根の出場を決めたけど、出場自体2年ぶりだしその時も18位で、シード権となると7年前まで遡らなければならなかった。全日本のシード権となるとシード制度ができて以来初めてだそうだ(それ以前に5位と言うのがあったそうだけど)。

 歴史も長いだけに、ファンや関係者も多い。今回全日本への12年ぶりの出場と言うだけでも徳政大の関係者は相当に盛り上がっていたようであり、ましてやシード権獲得と言う莫大な戦果を上げればその盛り上がりようは容易に想像がつくだろう。しかし、徳政大関係者ならばともかく全体から見れば優勝校である天道の方が耳目を集めてしかるべきはずだ。


「もう少し攻めて行かなきゃならない。確かに穴なしと言う現実は相手チーム全体にはプレッシャーを与える事ができる、しかし1人のランナーにプレッシャーをかけるには不十分だ」


 区間賞1人(と言っても区間2位と2秒差、区間6位と15秒差の)、区間2位3人、区間3位2人、区間4位2人。

 これが全日本における天道の成績だ。

 これに対し2位の稲田は3人も区間賞を取っている。それでも天道が勝てたのは、稲田が区間2ケタ順位のランナーを2人も出したからだ。そういう事をやらないのが天道の強さでもあり、他校にとっての脅威でもある、はずだ。

 しかし大木監督はその現実を評価していなかった。


「多芸は無芸と言うだろ?それと同じような事が今の天道にも起きている」


 そう言ってから区間賞を取った先輩を大木監督は称賛することなく、むしろ非難した。

「自分の実力を過小評価するな。確かにブレーキは怖いがお前のスタミナならばそんな事は起こりえないぞ」

 くどいようだが、ブレーキほど怖い物はない。しかしブレーキを恐れすぎて抑え過ぎ、本来の実力を発揮しきれないまま終わるのもまた情けない話だ。大木監督はここ数年選手たちにそう言う傾向があるのをひどく気にしているらしい。

 まあまだ僕には関係ない話だ。ハーフマラソンを1キロ3分5~10秒ぐらいできちんと最初から最後まで走れるようにならない限り、ブレーキ云々なんて言えるような身分じゃないから。



 …と思っていたのに。




 僕が箱根駅伝メンバーに!?16人のエントリーの中に!?


 その事実を告げられた時、僕は天にも昇るように喜ぶ、事はなくむしろなんでの三文字で頭の中が埋め尽くされた。

 16人の中に1年は3人しかいない。38人もの中の3人だ。そして4年生まで含めた陸上部全体では100人近くいる中で、僕がなぜ…?


「本当は全日本でも迷ったんだ」


 しかも監督はそんな事まで言っている。確かに練習の甲斐あってタイムは伸びたけど、それでも10000mのタイムでは校内24位に過ぎない僕がだ。

 どうせ補欠だろ、僕はそう信じて疑わなかった、いや正確に言えばそう信じようとしていた。それ相応のタイムを出しているのならばともかく、監督の期待に応える様な堅実な走りをできているのならばともかく、今の僕はどちらもできていない。多少はましになったつもりだけどやはりスタートで出遅れ、中盤であわてて暴走、終盤では中盤の勢いを食い潰してなんとかゴールに滑り込む。こんなひどい走りをするような僕を大木監督が使ってくれるはずもない。


「お前には何か可能性を感じる。緊張せずリラックスして構えろよ」


 大木監督はそう言う。けれど、4月や5月の頃ならともかく11月にもなってこんなひどい走りを繰り返している僕に、どんな可能性があると言うのだろう。




「お前に似てる気がするんだよな」



 すると大木監督はそう言いながら1枚のDVDを僕に渡した。

 全日本大学駅伝だ。


「太平洋大学、8位でアンカー、柏崎にタスキリレー!」


 太平洋大学の柏崎、僕と同じ1年生。だけど、正直気にしてなかった。と言うか太平洋大自体に余り注意を払ってなかった。


「最初の1キロを2分48秒、次の1キロも2分49秒で飛ばしています」


 しかしアナウンサーの実況に思わず愕然とした。柏崎の実力はインカレの時の10000m28分台というタイムで知ってたつもりだけど、19.7キロある全日本8区を初っ端からそんな凄まじいペースで飛ばしていたなんて信じられない。天道の先輩は8区を区間2位で走って稲田を逆転したけど、最初の5キロは15分12秒かかっている。それに対して柏崎は13分49秒。暴走だ、としか思えない。甲斐学院の留学生だって14分3秒かかっていたのに。

「太平洋大の柏崎のペースが落ちません!5キロから10キロの間の5キロも、13分55秒で駆け抜けています」

 と思っていたら、全然ペースが落ちていない。10キロトータルで27分44秒って、インカレの時より早いじゃないか。そりゃ6か月の間の進歩と言ってしまえばそれまでなんだろうけれど、19.7キロの中の10キロをこんなペースで、要するにあと9.7キロを残した段階で平然とこんな速度で走れるなんて…。この時点で8位だった太平洋大は6位との2分近かった差をひっくり返して6位になっていた。


 でもその顔は歪んでいた。まるで、そうまるで関東インカレで10000mを走っていた時の、ラスト2000ぐらいの僕のように。もちろん僕と柏崎ではランナーとしての格が全く違うけど、柏崎の歪んだ顔から余裕を感じる事はできなかった。

 もちろんこの時点の6位から更に2人抜いて4位でゴールした事は既に知っている、けれどあの顔から余力を感じる事はできなかった。いくらなんでも暴走だろ、そのはずなのになんで…。と思う間もなく、テレビの中の柏崎は5位になっていた。あの粘りは、いや10キロ~13キロの3キロで8分24秒って言う、これまでと全然変わってないタイムを出しているのだから粘りと言う言い方は間違っているのだろうけど、あんな顔をしていたのに柏崎のタイムは全然落ちていなかった。何なんだこの柏崎ってランナーは……。

 13~15キロは5分54秒かかっていたけど、そこはかなり厳しい登り坂で先輩も6分2秒かかっていた。この時点で先輩は甲斐学院の留学生をも上回って区間2位になっていたけど、15キロ通過時点で43分50秒なのに対し、柏崎は42分ちょうど……格が違いすぎる。


「お前に似てる気がするんだよな」


 尊敬する大木監督の言葉だけれど、どこが?と思わずにいられなくなった。何もかも違いすぎる。序盤からあんなペースで飛ばして……。



 待てよ。もしかしたらそこなのかもしれない。強引に飛ばしているのに、最後までそのペースを保ちながら何とか持たせてしまう。考えれば、僕のレースと似ているかもしれない。相当に図々しい考えかも知れないが、そうとでも思わなければ大木監督の言葉の意味が理解できない。


 箱根まで1ヵ月余り、余りにも短い時間だ。それでもできる事をやるしかない。体調を整えるのも無論だが、少しでもできる事はしておかなければいけない。柏崎のようになれるはずはないにせよ、あんなスピードで飛ばしても最後まで持たせられるようなスタミナぐらいは身に着けておかなければいけない。1ヵ月のトレーニングでは成果は高が知れているにせよ、それでもやらずにはいられなかった。少しでもスタミナをつけなければいけない、箱根はいつもの5キロや10キロのレースではなく20キロを越える距離を走り抜かなければいけないのだ。

 スタミナがあって悪い事はないはずだ。とか適当な理由をつけているけれど、結局は自己満足だ。自分はこんなにも努力していると思いたがっているだけの、独り善がりだ。


 案の定、僕は補欠だった。16人のメンバーに入った事は名誉だけど、所詮今の僕には箱根は遠い存在なのだ。来年は箱根を駆けるにふさわしい存在にならなければいけない。そしてその為にも今年は先輩たちの走りをしかと目に焼き付け、盗む。

 それが、僕の今回の箱根駅伝なのだ。



 そう、思っていた。

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