第22話 選んだ道
頭がくらくらする。
吐きそうだ。
なんなんだこれは一体。
「大野が、リアム…?」
俺は、頭に手を置いて、静かに口にした。
「はい」
目の前の、大野の父親は、静かに口を開いた。目を見開いたまま、ゆっくりと彼を視界に入れる俺。
「養護施設にいた頃の彼の名は、リアムでした。俺たち大野家が彼を引き取り、彼に、大野和と新しく名付け、育てたのです」
な…。
どうなってんだ意味わかんねぇ。
大野が、リアムだと?
しかも、俺の名前も載ってる。俺は、養護施設にいたときの名前はマテオと書かれている。なんなんだこれは。
「……………」
俺は、あまりの事実に、頭を抱えたまま、動けなかった。
紙を食い入るように見つめる俺。
リアムは、大野が担当してる連続殺人犯の名前だ。なんで大野が養護施設にいた時の名前がリアムなんだよ。偶然かこれ。違うよな。しかも大野だけじゃねぇ。ルーカスは野村が担当してる連続殺人犯の名前だぞ。なんで、野村が養護施設にいたときの名前がルーカスになってる?
なんなんだ。これなんなんだよ。全員、担当容疑者の名前が、かつての自分の名前って事になっている。
しかも、目の前にいるのは大野の父親だ。この養護施設から、彼を引取り育てた人だ。その人が、息子のかつての名前はリアムだったと、なんの躊躇いもなく発言してる。それはこれが事実とだと言う事になる。
「こんな事、ありえるのか…」
俺は、独り言のように
「まぁ、驚くのも無理はないか…。息子から聞いた事はなかったでしょうしね。息子は、養護施設にいた時の事は、何も覚えていないんです。引き取った後の記憶しかないんです」
「記憶が、ない?」
「はい。以前はとんな暮らしをしていたのかも、私たちも聞いてみましたが、教えてはくれませんでした。ほかの子供たちもいましたが、息子と同じ境遇の5人の子供たちは、皆記憶を無くしてしまっていると…」
「……………」
記憶がない…。皆、かつて違う名前で生きていた時の記憶が、ない?
そういえば…俺もだ。俺も、子供の時の記憶がない。今まで生きて来て、対して気にしなかった。お母さんもお父さんも、愛情を持って育ててくれたから、記憶なんかなくても、何不自由なく暮らして来た。
それに、思い出す術もなかったから。
大野も、全員、そうだって言うのか…。幼少期の記憶がなくて、誰も自分たちの過去の名前に気付かずに生きて来たって言うのか…。そして、容疑者の名前が、たまたま俺たちの過去の名前だったとでも?
いや違う。何かが違う。
俺は、頭を抱えて下を向いた。
だめだ。混乱してる。考えがまとまらねぇ。
「すみません。情報をありがとうございました。これから色々調べてみます」
俺は、静かに言った。
だめだ。もう、このまま話していても、言葉が浮かばない。汗も出てくる。頭も混乱する。吐きそうだ。
父親は「こちらこそ。うちの息子が、ご迷惑を…」と、肩を下げて、弱々しく言った。
「あ、そうだ。これも」
父親は、弱々しい顔を上げて、1枚の紙切れを渡して来た。
「これは?」
紙切れには、無造作に番号が書いてある。
「息子が、最後に電話をかけていたんです。息子の死に、関係しているかもしれないと、番号を取っておいたのです」
父親は、目に涙を溜めながら、言った。彼自身、息子がなぜこんな事になったのか、知りたいのだろう。だから、捜査にこんなにも協力的なんだ。
でも、父親の顔はひどく青ざめていた。息子が自殺したんだから当然だろうが、もう、痛々しくて、見てられないほどに。
大野が最後に辿り着いた真実には、予想できないものがあるのかもしれない。でも、こんなにもいい両親を残して、逝ってしまうのは、とれほど残酷な事なんだろうか。
父親の姿を見て、俺は目に涙を滲ませた。
大野…。野村…。
俺は、お前らと一緒に、最後まで辿り着きたかった。どんな事実が待ち受けていても。
俺は、父親に頭を下げて、大野の実家を後にした。
帰りの足取りは重く、俺は大きく溜息を吐く。
大野の母親と父親の顔が、頭からしばらく離れなかった。どうして、こんなにも悲しいのだろう。胸が張り裂けそうだ。
しかも、まさかここに来て、自分たちの出生が出てくるとは思ってなかった。もう、色んな事が起こりすぎて、頭追いつかねぇよ。
マテオたちの名前が、かつての自分の名だったのもそうだが、極秘国と言う、犯罪者たちのサイトで運営されている養護施設でも、マテオたちの名前が載っていた。養護施設の日記にも、リアムやルーカスも登場してる。何がどうなってんだがわかんねぇ。あれは、俺たち自身だったとでも言うのか…?
俺たちは…。極秘国で運営されていた、養護施設の子供たちの一人だと言う事なのだろうか…。それが、なんだかの理由で、日本の養護施設に俺たち5人だけが保護され、日本人の里親に引き取られた。野村の手帳に挟まっていた紙が意味するのは、そういう事になる。
その5人がたまたま特別機関に選ばれたのは、偶然か…?いや、こんな偶然ある訳がねぇ。と言う事は特別機関のメンバーを決めた警察組織の上層部は、俺たちの出生を知っていたと言う事になる。わざわざそんな出生の者を、それ関係の事件の担当に付かせるなんざ、一体全体どういう風の吹き回しなのか。
それに、大野が最後に電話したとされる人物…。
俺は、車に載って、大野の父親から貰った紙切れを視界に入れた。番号が殴り書きされた小さな紙切れ。
かけてみるしかないよな…。
俺は、携帯を手にして、電話をかけた。
───・・・
「パパー! おかえりー!」
家に帰った瞬間、娘の天音美羽が、両手を上に広げて、俺に走り寄って来た。
反射的に、俺は彼女に手を伸ばす。
そして、彼女の体を持ち上げて、抱きしめた。
柔らかくて、小さな体。俺は、彼女を抱きしめながら、目に涙を滲ませた。
大野が最後に電話をかけた人物に、俺も電話をかけた…。
電話の相手は、聞いたこともない男の声だった。
彼は、俺の名を聞くと「マテオか…」と、呟くように口にした。
その名を聞いた瞬間、目を見開いた俺。その時、マテオと呼ばれたその時、俺は、ある事に、気付いてしまった。それはまぎれもなく、大野と野村が、自ら命を断った原因そのものだった。
俺は、手を震わせて、たまらずに男の電話を切った。
電話を切った後、俺の目からは涙が溢れ出ていた。その時、妙に、家族に会いたくなった。妻と娘の顔を、無償に見たくなった。混乱する頭を巡らせながらも、急いで車を走らせたんだ。一刻も早く、家に帰らないとと思ったから。
このままだと…。ある事に気付いてしまった今だと、野村と大野と、同じ道を辿ってしまいそうで。
「パパ…?」
抱きしめたまま動かない俺に、美羽が小さく声を上げる。
「あ…。あぁごめん」
俺は、そう言うと、彼女を下に下ろした。
そして、不思議そうに俺を見上げる彼女の頭に手を置いて「ただいま」と言った。
妻、天音杏が駆け寄って来て、俺の顔を見ると「どうしたの?大丈夫?」と、彼女は言った。
杏…。
俺は、暗い顔をして下を向いてしまった。
「とりあえず、着替えて。ご飯出来てるから」
杏は、静かに言う。
俺は、暗い表情のまま、杏に言われるがままに着替え、食卓へ腰を下ろした。
美羽が嬉しそうに席に座り、杏が柔らかい表情を浮かべて、テーブルに料理を並べて行く。今まで起こった事は全部嘘だったんじゃないかってくらい、平和な光景だ。
「ぱぱこれちょーだい?」
美羽が、俺の目の前に置かれた料理にフォークを向けて、可愛らしい声を響かせた。
「あ、おい美羽!」
俺は思わず笑って、彼女に言う。
美羽に唐揚げ取られた。
「こら美羽! ぱぱに唐揚げ戻して。ほら、食べるよりいただきますが先だよ」
杏が厳しい声を上げた。
二人のやり取りを見て、俺は柔らかく笑った。
もし、野村や大野が、自ら命を断ってしまうほどのこの真実が、事実だったとしたら…。
俺は、いや、俺たちは、やっぱり、ここにいるべきではないのかもしれない。
「えーだって!」
「だってじゃないでしょ?ほら、食べよ?」
いつものような美羽と杏のやり取りが続いて行く。
二人の姿を見ていると、何故か、それはとても眩しく思えた。
彼女たちを見て、これから自分が取るべき行動が、分かった気がした。彼女たちの未来を守るために、しなければならない事が。
野村、大野…。俺は、お前たちが出した決断とは少し違う選択をする事になる。
美羽…。杏…。
ごめんな。
───・・・
──・・
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