第34話 絶望の匂い



鈴木 ゆう side

───────────────────


 家に帰った瞬間異様な臭いに気付いた。


 この臭いは…。毎日飽きるほど嗅ぐ臭い…。吐き気をも沸き上がる香は、俺の胸騒ぎをより一層強くさせた。


 臭いの正体に気付いた瞬間、全速力であゆみの部屋へと走った。

 

 この臭いは、血の臭いだ。


「ゆう! 急ぐぞ!」


 血の臭いに気付いた大野さんが声を荒げる。


「はい!」


 勢い良く戸を開けると、ゆっくりと倒れて行くゆりの姿。ゆりの喉に刺さる包丁を見て、俺は必死に叫んだ。


「やめろー!!!」


「くそっ」


 混乱と焦りを呼ぶ光景に、成川さんが悪態を吐く。


 なんで…こんな。俺が…。


 くそ…。あの状態のゆりを、一人にするべきじゃなかった…。


「ゆり!」


 ゆりの元へ辿り着き、彼女の頭をゆっくりと腕に乗せる。


 成川さんと大野さん、野村さんはあゆみの方へ走った。


「ゆう…」


 ゆりは上手く喋れないようで、消え入りそうな小さな声で呟いた。


「前に話し。の話し…覚えてる?」


 途切れ途切れに喋る姿は、痛々しくて仕様が無かった。


「あぁ…。ゆり、喋るな!」


 ネットの友達は、俺を屋敷に呼ぶように仕向けたルナの事か…?それよりも、早く救急車を…。


 俺は携帯を手にして、電話をかけようとする。


「その子に包丁貰ったの」


 力無く笑う姿は、ゆっくりと闇に沈んで行く。


「あの子の、おか、げ」


 静かに言うと、ゆりの体はダランと重くなった。


「ゆり…?」


 俺は懸命に彼女の名を繰り返した。


 小刻みに震える体は、生きる力が無くなった事を意味する。


 ゆり…。嘘だろ。ゆり!!!!!!


「ゆり?ゆり!!」


 くそっ。ふざけんなよ!


 俺は痙攣けいれんするゆりの体を揺さぶって叫び続けた。


「くそっ。ゆり!」


 見開いたゆりの目は、視点が定まっていない。


 もう俺を映して笑う事も、話す事もないってのか?ふざけんなよ。こないだまでこいつは笑ってたんだ!こんな…。


「ゆり…ゆ「ゆう!!!!!!!」


 天音さんが俺に怒鳴り付ける。


「やめろ」


 押し殺したような低い声。


「もう死んでる」


 彼の声の重さに、頭が冷えて行くのを感じた。


 もう、死んでる…。


 今まで…。この言葉を当たり前みたいに吐いて来た。なのに。


「………っ」


 こんなに辛いのはなんでだろう。


 「ありがとう、ゆう」


 柔らかい力のない声が耳に届く。


 姿はぼやけて何も見えない。


 あゆみ?


「きっかけを、くれて」


「すっきりし、た…ぁ」


 途切れた言葉を最後に、辺りに沈黙が訪れた。


「あゆみ…?」


 呆然と見ていると大野さんがあゆみの首筋に手をそっと置いた。


 脈を計り、静かに首を振る。


 …………。


 死んだ…?


 くそっ!


 あゆみ…ゆり…。


 蓄積された嫉妬の連載は、やっと終止符を打った。終焉しゅうえんのきっかけを与えたのは俺…。


 ありがとう?ふざけんな。何で死ななきゃいけねんだよ。結末は知りたかった。でも、こんな事を望んでた訳じゃない。


 ゆり…ゆり…。


 まだ俺はお前に…。


 くそ…。


「くそぉぉ!!!」


 俺は床を力いっぱい殴った。


 俺の声が響いても、誰も何も言わなかった。皆悲痛な表情を浮かべながら、あゆみとゆりを見ていた。


 胸が張り裂けそうになる。充満する血の臭いは、ゆりたちのものだと思うと涙が溢れて来る。


 いつもなら死体を片付けるための手順をどんどん進めて行くものの、今ではそんな気分にもなれない。


 こんなに辛いのはなんでだろう。


 ああ…。


 そっか。


 これが…。


 人が死ぬって事なんだ。


「あれれ?」


 ………?


「皆お揃い?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る