謎編 第五章
第33話 二人の結末
今野 あゆみ side
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目の前にいるのは、目の下にくまが出来たお姉ちゃん。一晩でこんなに顔付きって変わるもんなのかな。まるで鬼のような目付きは、目下のくまからか妙に迫力が生まれていた。
いつも綺麗に手入れされてた髪は、今では寝癖であちらこちらに飛んでいる。
家の中だからって見掛け的なものに一切気を抜かなかったお姉ちゃん。彼女の変わりようは、少し不気味に見えた。
「あゆみ?」
いつもの投げやりな言葉使いではなく、酷く優しい声が耳に届いた。
「プレゼント貰っちゃった」
鬼のような形相とは対照的な口調。
「プレゼント…?そうなんだ」
異様な光景に恐怖すら芽生える。
あんな事があったのに、普通に話し掛けて来るなんて…。
「誰に、貰ったの?」
ゆう、かな。あんな事があった後直ぐに?
「お友達」
お姉ちゃんは静かに言うと、ずっと後ろに隠してたものをゆっくりと取り出す。
「…………」
「嘘、お姉ちゃ…ん」
手に握られていたのは、大きな包丁だった。
これは、お母様たちを殺した犯人を見た時の感情によく似ている。
殺される。
「ちょっとまって」
前に出された両手は、無味に説得を試みる。焦る鼓動を抑えながら静かに後退りをした。
「ちょっとまってよ。なんで…」
声は虚しく空気に混じって行くだけだった。
信じられない光景に、まさか本気じゃないよね、なんて現実逃避してみたりする。
「あゆみ?これでやっと終わるね」
ジリジリと詰め寄って来るお姉ちゃんは、目が狂った猫のようにギラついていた。
終わるって…。
「終わるって何が!?」
声が裏返った。
でもそんな事気にしてる場合じゃなかった。焦りと共に押し寄せるそれは、無意味に湧き出て来る恐怖。
「私たち散々妬み合って来たじゃない?」
お姉ちゃんは薄ら笑いを浮かべて言った。
お姉ちゃんとあゆみの間でずっと蓄積されて来た憎悪の連鎖。
やっと終わる?
確かにあゆみが死ねば終わるのかもしれない。でも、なんであゆみ?なんであゆみが死ななきゃいけないの?
長年蓄積された嫉妬、妬みは、少しのきっかけで爆発するもの。それほど堪ってたんだ。あゆみがずっと溜め込んで来たのと一緒で、お姉ちゃんも同じだった。
ドタドタ!!
「………っ」
駆け出して来たお姉ちゃんは、包丁を突き立てながら、真っ直ぐあゆみに突進して来た。
色んな事が頭に浮かんだ。避けてみようかとか、お姉ちゃんをどうにか出来ないかとか。逃げようか、とか。でも体が動かなかった。
目の前に突進して来るお姉ちゃんの姿は、あゆみを震え上がらせた。
やだ…。やだ…。来ないで!!!!
「いやぁああ」
声を出して縮こまる。
いやだ。いやだいやだいやだ!こんな所で死ぬなんて。やだ。
「…やだ! やだやだ! お姉ちゃん!」
唐突に出た言葉はただ宙を舞うだけだった。
「あ、ぁ」
何、コレ?え…?刺さってる…?
鼓動が早くなる感じがした。テンポ良くリズムを刻む鼓動は、聞こえる音をすべて遮断させる。耳に聞こえるのはドクンドクンと大幅に揺れる鼓動。
「はっはは」
そして、お姉ちゃんの笑い声だった。
今の瞬間に降って来る感情は、混乱と恐怖。
逃げようと足に力を入れる。
がくっ。
激痛と共に膝が下に折れた。
痛い…。痛い…。
お腹から噴水のように沸き上がる血は、手で抑えても留まる事を知らない。
なにこれ‥。あゆみの血?
体に力が入らない。
あゆみ、このまま死ぬの?
涙が出てきた。
怖い。痛い。苦しい。…悲しい。
「やだやだやだやだ」
涙が止まらない。
どうして、こんなことに。お母様、お父様、あゆみは…。
「あははっはは」
お姉ちゃんはそんなあゆみを見て大笑いしていた。
怖い殺される。だって、人を刺して笑ってる。お姉ちゃんの崩壊した精神が怖くて堪らなかった。
動かない足に懸命に力を入れて立ち上がる。お腹を抑えて一刻も早くお姉ちゃんから離れようとした。
なんで、なんであゆみだけ。
溢れ出るように沸いて出た疑問は、怒りにも近いものだ。
お母様とお父様もあゆみから奪った。最後には命まで取ろうとするなんて。
なんであゆみだけ。なんで。なんであゆみだけ…。こんな目に。
恐怖と共に降って来る怒りは、長年に渡って蓄積されたもの。
そっか。
これを終わらせなきゃいけないんだ。日常の中で当たり前のように存在し続ける感情を。嫉妬、妬み、憎悪の連載を。
ゆうはきっかけにすぎなかったのかもしれない。
大きなきっかけは突然やって来る。
「ぅ」
体中に走る激痛は、堪え難く充満していく。
今思うのは
死にたくない。
なんであゆみだけ。
憎い。
殺されてたまるか
蓄積されて爆発したのは、お姉ちゃんだけじゃなかったんだ。
「ぅわあぁああ」
あゆみはお姉ちゃんに向かって突進した。
殺してやる。
頭に浮かんだのは、悲しくも残酷なそんな一言。
お腹の痛みを考えてる余裕なんてなかった。
ただ、死にたくない、殺してやる、という感情しか湧いて来なかった。
目の前では、驚いて目を見開くお姉ちゃんの姿。お姉ちゃんの顔は、恐怖にかられていた。
お姉ちゃんは突進するあゆみに包丁を構える。
顔は半笑い状態で引き
「あぁああ」
お姉ちゃんは無意味に声を漏らしながら、恐怖ゆえに自我を見失っていた。
あゆみも一緒で、向かって来た包丁を無我夢中で
手に染みる痛みと共に傷口は徐々に範囲を広めて行く。
「う゛あぁあ」
力を込めるほど、包丁は奥へ奥へと進んでいく。
痛い、痛い…。でも、今、包丁を離したら…刺される。
あ…ぁ…。
その瞬間がスローモーションに見えた。
手で抑えた包丁は、構わず前へ前へと進んで行く。掴んだ手は、包丁が前に進むごとに食い込み赤い液体が流れていた。手をも貫いた包丁が身体に食い込むのはあっという間だった。
あ…ぁ。
激痛に堪え難い恐怖が頭を埋め尽くす。何が起こったのか一瞬理解出来なかった。自分の体に包丁が刺さる自体など、どうやったら理解出来よう。
ただ目の前にあるのは、赤い液体だった。
ただ聞こえて来るのは、お姉ちゃんの泣き声だった。
「うあぁ、うあぁ」
呻くように泣く声は地を這うよう。
あゆみ、ここで死ぬの?
ぼんやりと思ったら、何故か気持ちが楽になった。
少しずつ力が失われて行く。
痛みは変わらないが、今の瞬間が何故か心地好かった。
「う、う…」
お姉ちゃんの変な声が聞こえる。
さっきの泣き声とは少し違くて、無理矢理搾り出すような不思議な声…。
「やめろー!」
大きな声が部屋に響き渡る。
響いた声がまるで泣いてるように思えたのは何でだろう。
小さく目線を向けると、お姉ちゃんがゆっくりと倒れる姿が目に入る。そして。お姉ちゃんに向かって走って来たゆうの姿も。
ゆうに続くように、男の人たちがあゆみの所へ走って来る。皆険しい顔をしていた。
倒れるお姉ちゃんにゆっくり視線を戻すと…。
…………!!
一瞬目が見開いた。
お姉ちゃ…。
「お…」
懸命に出した声は、お姉ちゃんが倒れる音で消え去った。
お姉ちゃんはあゆみの真横に横たわる。目は見開き、沢山の涙が零れ落ちていた。喉には大きな包丁が刺さってる。
「お姉ちゃ…」
口の中では、何かが充満していて上手く喋れない。口の中は鉄の味がした。
「お姉…ちゃん」
お姉ちゃんが…。
お姉ちゃんが…。
動かない体を懸命に這わせて、お姉ちゃんの所へと行こうとする。
傷口が開くような痛みに襲われ、口からは何かの液体が垂れ落ちる。それでもお姉ちゃんの所に行きたくて、懸命に手足を動かしていた。
「動くなっ!」
あゆみに駆け寄って来た男の人の中の一人が、面倒臭そうに怒鳴ってくる。
「血を、血を止めないと」
あゆみの傷口に何かを押し当てる。でもあゆみはお姉ちゃんから目が離せなかった。
「ゆり! ゆり!」
ゆうの悲痛な叫びが頭に
「ゆう…」
お姉ちゃんは、ゆっくり何かを話してる様子だった。
何を言ってるかは聞こえない。
ガクガクガク‥。
………!
お姉ちゃんの体が小刻みにに震え出した。意志とは無関係にやって来る
ああ…。終わったんだ…。やっと終わったんだ…。
不意にそんな事を思うと、体の力が抜けていく感覚に襲われた。
終わったんだ…。
長かったね。
いがみ合って、嫉妬しあって。
お互いに好きなものを取り合って…。
ねぇ、お姉ちゃん。
それは、憧れだったって。
あゆみたちは、ずっと解らないふりをしてたよね。
お互いを尊重してたからこそ生まれた嫉妬だったのに…。こんな形でしか、終わらせる事が出来なかった。
でも…。やっと終わったんだね。
もうこれで、お姉ちゃんと啀み合う日々も終わるんだね。
よかった…。
ありがとう。
ありがとう…ゆう。
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