第29話 集結



「……あれ」


 事務所の戸を開け、中に入る。


 電話で、早く来いと事言われたから車跳ばして急いで来た。


「マジかよ」


 まだ誰も来てねぇってどう言う事だよ。


 どうやら今日も一番乗りだったみたいで、ため息交じりに自分の椅子に腰かけた。


まぁ特別機関のみんなが遅れて来るのはいつもの事。でも電話来たから急いで来たのに誰も出勤してねぇって。


 ため息交じりに一人で苦笑した。


 いつも、いつも、こんな時に風が吹く。いつも、いつもだ。風は一人の時にやって来るんだ。


「…………」


 先程まで苦笑してたのが嘘のように、顔が真顔で固まる。


 鳥肌は治まる事を知らずに、更に身体を震えさせた。何度経験しても、冷風に慣れる事はないみたいだ。


 吹くんだ。肌に突き刺さるような、冷たすぎる冷風。氷のように、冷たい風が。


 冷風は彼女か出現する前触れか。俺は顔を真顔に戻して、氷の主の登場を待っていた。


 体は直ぐに冷え、思わず腕を擦ってしまうほど。事務所もひんやりとした空気になってるのが分かる。 


 でも、彼女の姿は中々現れる事がなく「さみんだよ」と、苛々して悪態を吐いた。


 まだ風は止む気配を見せない。こんなに長く吹いてんの初めてじゃねぇか?


「…ごめんね?」


 後ろから、柔らかい子供のような声が聞こえて来た。


 やっと来たか。声のする方へ振り向こうと体をねじらせる。


 ピキッ…。


「っっ」


 な…。


 体をねじらせようとした瞬間、体のあちらこちらから、妙な音が聞こえて来た。


 ピキ、ピキ、ピキ。これは、服が氷っている。羽織っていた上着が、ほのかに固まっているのが分かった。お陰で後ろを振り向けない。かと言って彼女が視界の範囲に移動する様子なんて全くない。


「………」


 妙な沈黙が、辺りを包んだ。


「ル…ナ」


 くそっ。顔もか‥。上手く喋れねぇ。口を開くのも不便なほどに顔も体も硬直していた。


「なぁに?」


 後ろから甘い声が降って来る。


 なんでこいつ一人だけ平気なんだよ。


 つうか、なぁに?じゃねーよ。


「な、んの…つもりだ」


 動かし辛い口を懸命に動かして、後ろにいる天使に声をかける。


 彼女の言葉は疑問を呼ぶ入り口に過ぎない。分かっているが、次の彼女の言葉を只管ひたすら待った。


「ありがとうって言い来たの」


 は?ありがとう?毎度ながら全くもって意味が分かんねぇ。何がありがとうなのかも。

何に感謝されてるのかも。ましてや礼を言われるのになんで俺がこんな目にあってんだって言う今の状況も。


「ゆうくんのお陰げでね、一番、手子摺てこずってた相手がようやく片付くの」


「なに、いって」


「ありがとうね。回ってくれて」


「ま、わる…?」


「ゆうくんには感謝しなくちゃね」


 あ─…。喋れねぇのがこんなに不自由な事だとは知らなかった。つかだんだん苛々して来た。ルナ、お前に聞きたい事は山ほどあるんだよ。ゆりたちの事。熊の便箋。何をしようとしてるのか、ありがとうの意味。もう、腐るほどあんだよ。


 人の話無視して会話進めてんじゃねーよ!!!


「殺しは、日常だよ。楽しいし」


 可愛らしい声でまたなんか意味分かんない事言ってる。


 殺しは日常…。しかも、楽しいって言ったか!?快楽殺人じゃねぇか。


「お腹空いたら、食べるでしょ?眠くなったら、寝るでしょ?殺したくなったら、殺すでしょ?」


 ルナの声が、少し低くなったような気がした。でもまだ、幼さが残る声。


「それは当たり前」


 聞いた人間はみんな愛着を持ちそうな、そんな声で。


「殺して殺されてまた殺して」


 そんな事を言うもんだから。


「それが世界を作って来た」


 こいつ狂ってるとか、気持ち悪いとか、そんなんじゃなくて、ただ考えてしまう。なんで? と。


 人の考え方は、その人の経験した事によって意見が定まって来る。だから分かったんだ。光に当たる事もなく、矛盾しすぎたこの世界で、きっとルナは闇に埋もれて生きて来たんだろうって…。


 今までお前は何を見て来たんだよ。何がそうさせて、何が何処から狂って来た?


「そん、な、ことっ」


 俺は有りっ丈の力を込めて体をルナに向かせた。


 ピキピキとなるあちこちに、多少痛みを覚えたが、そんなの関係なかった。ルナは大きな目を更に大きくして、自分を見た俺を視界に入れると、目を何度かパチパチとさせていた。


 振り向いたらいつもの美しい顔。何度見ても、それは魅了されるものだった。


彼女の顔が少しずつ歪んで行く。苦しそうな、そんな表情で。まるで何かを否定するかのように、ルナは俺から目を逸らした。


 人の心は読むくせして、自分の心には、入る隙を与えない。人の事は誘導しておいて、他人の意見を自分は受け入れない。いつもいつも、俺とルナの間には、目には見えない壁が出来ていた。


「ねぇゆうくん」


 ルナは俺から視線を外しながら、小さく呟いた。


「ルナたちは特別機関に何を望むか」


「それは絶望して諦めた顔」


 ガラガラガラ!!!!!!


 ………?


 カチャ。


 事務所の戸からカチャカチャと音がする。誰か出勤して来たんだ。今の状況、明らかに見たらおかしいだろう。ルナの方を向くと彼女は無表情に戸の方を直視していた。するとゆっくりとこちらに向き直る。


 彼女の形のいい唇が動き出した。


「またね」


「ちょ…っ…、」


「ぉお、ゆう! 早えーな」


「大野さ、ん」


 大野さんがニコニコしながら事務所に入って来た。


 俺は、勢いよく彼女の方に振り向く。


「………」


 ルナの姿はなかった。


「あれ」


 振り向いた時に感じた違和感。


 先程まで動き辛かった体が、今では普通に動ける。色んなものが軽くなったみたいだ。衣服に付いていた氷の結晶が、跡形もなく消えている。氷っていた体が一瞬で元に戻ったのだ。


 冷たい風も止んでおり、先程の寒さなどなかったかのように、事務所は程好い気温に包まれていた。


「ゆう?」


 大野さんが首を傾げて話しかけて来た。


「いえ、なんでもないです。すみません」


「変な奴―」


 大野さんはあっさりと受け流す。


 ガラガラガラ。


「うぃーっす」


今度は天音さんが入って来た。


 今回は天音さんが見つけて来たを話すために集まった。まず全員揃ってからだろうが。


「おはようございます」


 天音さんと目が合うと、彼はいつものようにニコニコ笑いおはようと返した。


 天音さんが持ってきた情報って何だろう。どうしても気持ちが先走ってしまう。


「ゆう、呼び出したのに遅れてわりぃな」


 大野さんが、頭に手を乗せて苦笑しながら出勤して来た。そんな特別機関の皆を見てると、なんだか心のモヤモヤが、少しずつ晴れて行くような気がした。


「おはようございます」


 俺は普通に言うと、「おう」と一言返って来た。


「あー! また成川が最後かよ」


 大野さんがニコニコしながら言った。


「えっ成川より遅く来たつもりだったんだけどな」


 野村さんがポケっとしながら言う。


 いや、大野さんダメっしょ。でも、大野さんにしてはいつもより遅かったような気がする。まぁ、誰が遅れて来ても、いつも最後に来るのは成川さんだ。毎回最後なもんだから、いつも何してんだか不思議に思う。


「……………」


 ん?


 戸が静かに開いた。静か過ぎて、誰も気付かないようなものだった。


「ふぁーぁ」


 静かに開いた扉からは、あくびをした成瀬さんがヨタヨタと歩いて来る。


「成川さん遅いっすよー」


 俺が野次みたいに飛ばすと、成川さんはこっちを見ずに、寝てた、とだけ答えた。


 成川さんを見た野村が、キリっとした口調で「始めるか」と言った。


 野村さんの一声で皆、真面目な顔になる。


 だるそうにしていた成川さんは、視線だけ野村に向けられていた。聞く耳を持ったみたいだ。いつもニコニコしてる天音さんも、今は真面目に竜さんに注目している。


「あぁ」


 いつもお調子者の大野さんも低い声を響かせて、周りの空気は緊迫した。


 会議の時と同じ位置に、それぞれ腰を降ろした。俺は成川さんの隣。向かい側には大野さん。隣には天音さんが腰かけていた。向かい合う天音さんと成川さんを角に挟んで野村さんが座っている。


 というか、毎回思う。机大き過ぎね?まぁでも、五人の声が聞き取れない心配はないか。しんとした静寂は、くしゃみ一つで辺りに響き渡る。


「この資料を見てくれ」


 天音さんは一人一人に数枚の紙を配り出した。


 紙を一番最初に手に取った大野さんが、驚いた顔をしているのが分かる。


 俺も貰った紙を手に取ると、またグルグルと頭の中が回転し始めた。


 なんだ…。これは


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