第22話 精神崩壊
ルナを起こそうと、彼女に触れようと手を伸ばす。
「…………っ!」
俺の指先がルナに触れた瞬間、彼女の肩はビクっと跳ね上がった。
俺の姿を瞳に彼女の目は、大きく見開かれて行く。
「い、いやだ」
目を真ん丸く開き、ルナは何かに怯えるような目で俺を見た。
「いやだ、い、いや」
出血のせいか、ルナの体はガクガクと震え始める。
「ルナ…?」
「いやだ! やだやだやだ!」
異様な光景に言葉を無くす。
彼女は俺に怯えるように体を震わせて目を丸くしていたんだ。
「やだ! やだ! やだやだやだやだやだ」
ルナはバタバタと暴れ始める。
俺のお腹や腹にポカポカと当てる綺麗過ぎる手足は、血に塗れても魅力を失わない。だが、震える手は力すら入っていなかった。彼女の姿が痛々しくて堪らなくなる。
あまり動くと出血が多くなる。止めないと。
「……ルナ、ルナ、落ち着け!」
懸命に抑え込もうとするが、彼女はなお
「やだ! やだ! やだぁぁ!」
ルナはパニックを起こしてるようで、何度言っても言うことを聞いてくれない。
「オリバー…?」
隣では成川さんが戸惑いながら名を呼んでいた。
ちらりとオリバーを見ると、彼は身を丸くして、両手で体を守るようにギューっと小さくなっている。体は小刻みに震えていた。
オリバーの姿は、あのときの、震えるあゆみの姿を思い出させた。思い出したくない過去に背を向けたあゆみ。悲痛な過去が急に頭に過ぎったために起こった震え、涙。オリバーもルナも、あのときのあゆみに似ていた。
「お前らもっ!」
吐き捨てるように言ったのはルーカスだ。
彼は幼い顔を野村さんの手によって地面に擦り付けられていた。
「お前らもっ! 所詮あいつらと一緒だ!!」
あいつら‥?
何かがおかしい。
急にやつらの様子がおかしくなった。
先程まで冷静だった彼らは、今は異様に感情的になっている。
オリバーは相変わらず縮こまったままブルブルと震えている。ルナはルーカスの怒鳴り声にビクっと肩を揺らし、体を震わせながらもそれから急に大人しくなった。呆然とオリバーを見る彼女の目には、涙が溜まっている。
な、なんだ…?
ルナ、何にそんなに怯えている?
あいつら…?
「殺すんだろ! 殺すんなら殺せ!」
今度はリアムが叫んでいた。
大野さんは戸惑いながら彼を見ている。
こ、殺すって。殺すわけねーだろ。逮捕する義務はあったとしても殺す義務なんてない。証拠を一切残さずやって来た彼らの頭ならそれくらいは理解しているはずだ。だがリアムは殺すんだろ!の一点張り。
リアムは大野さんを見ていない。大野さんを通して別の誰かを見ている。そんな気がした。
何だこの状況は。みんなで一斉にパニックを起こされては、収集が付かなくなる。
一人大人しいのはマテオ。彼は死んだように生気を失っていた。
「どこへ行っても」
マテオは低い声で小さく呟いた。
「同じなんだな」
彼は一人でブツブツ何かを呟いている。
彼も先程とは何かが違う。
一体どうしたんだよ。
ルナも自分の傷に構う事なく呆然と涙を流していた。体はガクガクと
なんだろう。急に変わった周りの状況に、どうしようもない不安感が襲った。
──人は苦しみに──
──何処まで耐えられる?──
野村 竜一 side
──────────────────
あいつら…?ルーカス、お前、誰と俺たちを重ねてる?
「離せ。助けないと」
押さえ付ける腕に力が入る。
ルーカスは有りっ
彼らをここまで追い詰めるものはなんなんだろう。それがこいつが言う真実ってやつなのか?
「ルーカス! 落ち着け! 俺たちはお前たちを殺したりはしない!」
暴れるルーカスを押さえ込みながら懸命に言った。
ルーカスに俺の言葉は届いているか分からない。だが、俺の言葉に…。初めてルーカスが俺の言葉に耳を貸した。
「てめぇがか?竜一」
今までに聞いた事がない低く闇に満ちた声。
ルーカスの顔に押し出した腕の力が若干弱まった。力が弱まった事に勘付いたのか、俺の力を無理矢理逆らって顔をこちらに振り向かせた。向けられた瞳は、殺意に満ちている。
「てめぇが」
今、俺の感情を埋め尽くすもの。
「殺さないって」
それは、哀れみなんかでは決してない。
「てめぇがそれを言うのか」
感情の全てを覆うものは、憎悪に満ちた暗闇の瞳に対する恐怖だ。ルーカスの目を見た時、背筋はゾクリとして、恐怖を
彼の闇に恐怖を感じようが。お前が人殺しだろうが。それでもお前らの事を理解しようと…。そう思ってるからこそ、俺たちはこうしてお前らの前にいるんだよ。
「違う!」
疲れからか
ルーカスの抵抗する力は、低下する事を知らない。俺がやっと出した言葉にも返事する事はなく、
「だったら離せ」
低い声は何度でも闇を呼ぶ。闇の声に逆らうように、彼を掴む腕の力を強めた。
「ふざけんな」
ルーカスの目付きは、さらに怒りに満ちて行く。
次の瞬間、彼は有りっ
「離せ!」
「離せ──!!」
懸命に抑え込むが、彼はバタバタと派手な音を立てて腕から逃れようとする。
彼の姿を見ていられなくて、きつく目を閉じた。
「あああぁああ! 離せ──!!!」
地面に響き渡るような野獣の声。
耳を
まるで別人のような憎しみに満ちたルーカスの姿。あのにこやかな笑顔はまだ幼さが残るあの笑顔は何処へ行った?
いつも冷静で陽気に話掛けて来る彼は…。
「あああぁああぁあ」
何をそんなに恐れてる。何がそんなに、お前を追い詰める。
「ルーカス! 聞け!!!」
俺はルーカスの体勢を力ずくで無理矢理変えた。床に寝そべっていた形のルーカスを一端起こして目の前に座らせたのだ。
はぁ…はぁ…。
まるで野獣の様に鋭い視線で俺を睨み付けながら、彼は息を切らしていた。俺の顔を真っ直ぐに睨み据えて、抵抗する訳でもなく、逃げようと立ち上がる訳でもなく、ただそこに座っていた。
「…………」
「…………」
「り、竜一」
鋭い目線は変わらずに、ルーカスは静かに呟いた。
「落ち着け。誰も死にやしないし。殺しやしない」
俺は変わり果てた彼の姿に戸惑いながらもしっかりと言った。
「…………」
沈黙を守り続けるルーカスは、荒い息を整えることに必死だった。少しずつ落ち着きを取り戻すのが見ていて分かる。
「み」
下を向きながらルーカスは静かに呟いた。
「み、んなは?」
息切れの間に言葉を入れるように、彼は懸命に喋る。
「みんなお前と一緒だ…。パニックを起こしてる」
「…………」
ルーカスは下を向いたまままた沈黙を続けた。
何かあるんだろう。五人に共通する何かが。だが、苦しそうに"何か"に耐える姿を見ていると、その疑問を今、どうしても聞く事が出来なかった。
「悪い」
消え入りそうな声で、すごく小さなものだったけれど、確かに俺の耳には届いた。
──悪事すらも、何も感じなくなった時──
──復讐すらも、楽しいと感じた時──
──何がその人を、正してくれるのか──
鈴木 ゆう side
───────────────────
「やだ、やだ、いやだ」
まるで狂ったように繰り返すルナ。
体はガタガタと震え、目に涙を溜めながらずっと同じ事を繰り返して言っていた。
どうしたっつんだよ。
小さな肩は小刻みに震えている。
出血の多い分早く連れて行かなきゃならないのに。周りがこういう状態では救急車呼ぼうにも呼べねぇ。
………。
ルナも皆も全員こんな状態になるなんて。弱々しい彼らの姿は、哀れずにはいられなかった。先程から絶叫していたルーカスの声は収まったものの、リアムはまだパニックを起こして騒いでいた。
「リアム!」
突然事務所中に力強い声が響いた。あまりの迫力に瞬時に視界を奪われる。
この声は、ルーカスか?
そうだ。やはりルーカスだ。
強い光を宿すルーカスの瞳は、安心感に似たようなものを思わせる。
「リアム!」
力強い声でルーカスは再びリアムを呼んだ。
驚くことに、カリュウが呼んだ二回目の声でリアムの絶叫はピタリと止む
「ル…」
リアムはポカンとルーカスを見詰めている。
「リアム」
大野さんも安心したようにリアムを見詰めていた。
「大野!!!」
絶叫していた先程までとはまるで別人のように、リアムは無邪気に大野さんの名前を呼んだ。
何がどうなってんだ…?リアムが正気に戻った?
ルナたち皆がゆっくりとルーカスの方へ視線を移す。みんな徐々に落ち着いて来ているのが分かる。
おいおい。何だよ、コレ。予想以上の一体感だ。どっからどう見ても、ルーカスがやつらのリーダーだ。さすがと言うべきか。
ルナの震えも少しずつ収まって来た。目に溜まる涙はもう溢れることはなく、後は乾くのを待つだけになっていた。
「ルナ」
ルーカスが静かにルナの名を呼んだ。
ルナはびくっと一瞬反応した。彼女はもう正気を取り戻しかけている。
「傷?」
ルナはポツリと呟くとルーカスは優しく微笑んで頷いた。
…………?
氷?ルナの体には氷が張り巡らされて来た。
ルナだけではなく、リアムとマテオにも同じ事が起こっていた。天音さんの火傷を負った腕にもだ。
キラキラと光る氷は傷口を囲むように張り巡らされて行く。パキパキと不快な音を鳴らしながら、氷は優しく傷を包み込んだ。そして暫く《しばら》経つと………。
パリーンッ!
ルナたちに張り巡らされていた氷が砕け散った。
………。こんな事ってあるか?
現実離れした光景に、呆然とした。
先程までが血まみれだった両腕両足の傷口が跡形もなく消え去っていた。リアムのお腹の傷口も綺麗に消えていて、丸く開いた服からは普通の肌が見え隠れしていた。リアムは傷が治った事を気にする事もなく、ルナに向かって微笑みを返す。
天音さんは目を丸くして自分の腕を直視していた。先程まで火傷でボロボロになった腕は、今では肌色に光る。先程まで火傷を負っていた腕には何もなかったかのように、跡形もなく爛れた肌は色を取り戻したのだった。
現実離れした光景に感心し、辺り一同が呆然としていると「成川」と、隣から声が聞こえて来た。
ゆっくりと視線を外すと、鮮やかな金髪の髪が目に入る。先程まで縮こまっていたが、オリバーは成川さんを呼びながらゆっくりと立ち上がった。
「わるいな」
オリバーは静かに微笑むと左手を静かに上げた。そして次の瞬間、目が開けられないほどの激しい光に視界を奪われた。
「……………っ」
たく。なんなんだよ次から次へと。
光…。光…。この力は、オリバーだ。こいつら次は何する気だ?散々パニック起こしたあげく。くそ、ありえねぇ。
あまりの眩しさに周囲を見渡すことが出来ない。目に腕を回し、光から顔を背けた。だが光の強さは止まる事を知らず、目にじわじわと痛みを感じる。
またあいつら何かやる気だ。冗談じゃねぇ。早く、目を。
光に耐える程に、頭がクラクラと宙に浮く感覚に捕らわれた。
「ごめんなさい。バイバイ」
静かに落ち着いた声が聞こえて来た気がした。
正気を取り戻したのか…。何か妙に安心し、視界は真っ暗な闇に埋め尽くされた。
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