第21話 勝負の行方



 氷の速度が、早い…。氷はもう俺の胸まで到達しそうだった。


 このままじゃ…。どうしようもない俺はルナ目掛け懸命に引き金を引く。だが余裕に受け流され、俺の焦りを増されるだけだった。


「ぐあああ」


 耐え難い叫びは、瞬時に視界を奪われた。


 目の前では炎に身を包める天音さんの姿があった。天音さんは、暑さに耐えながら銃口をマテオから逸らそうとはしなかった。


 氷‥‥‥。パキパキパキパキ。氷は範囲を広げて胸まで来ていた。氷を、なんとかしないと。火に飛び込むか?でも彼処あそこに飛び込めば間違いなく俺は死ぬ──。


 いや、だが。


ー特別機関はー


─殺さない─


─殺ない─


 いちかばちか。


 俺は身体を大きくね除け、炎にまみれる真っ赤な世界に飛び込んだ。


「なっ」


 低い声が驚いたように響く。マテオの声だ。


「ゆ…う」


 天音さんは皮膚が焼け剥がれてボロボロになっていた。だがボロボロになっているのは銃を握る方の腕だけ。痛みに耐えながらも天音さんは決して銃を離そうとはしなかった。


 俺も握っていた銃を再びルナの方に向けた。氷は少しずつ溶けて行く。すぐに、身動きが取れるぐらいまでになった。


 周りを囲む炎のお蔭でルナからは俺の姿は見えない。彼女は今、何処から弾が飛んで来るか分からないはずだ。


 炎の中には凄まじい熱気があるにせよ、天音さんも俺も銃を手にしてこうして立っていられる。やはり冷徹に見えるマテオでさえ、俺を殺そうとはしなかった。


 マテオが周りの炎を掻き消したら、作戦は失敗に終わる。俺はルナの目に捕われ、また弾をかわされ、身動きが取れないように氷が張り巡らされるだろう。だが、炎を掻き消したら。天音さんがマテオに先手を打てることになる。マテオはこのまま天音さんの銃口の弾の行く手を炎で遮り続けるはずだ。だったら、ルナは、こっちが打てる。


 炎の隙間からちらりとルナの姿が見えた。キョロキョロと周りを見ていて俺が見えていない様子。


 彼女の姿を捕えてゆっくりと狙いを定める。


 愛苦しい彼女の姿に、銃を持つ手が震えた。


 バン────!


「う、あ!」


 ルナは驚いたように声を上げた。


 命中したのは彼女の左肩。


 ルナがこちらに視線を移そうとゆっくりと振り向く。


 俺は休むことなく、再び銃を持つ手に力を入れた。


 バン!


 両右の太ももに一発当たる。どうしても、脳という急所に、心臓という急所に、弾を放つことは出来なかった。


「てめぇ」


 マテオの深く低い声が耳に響く。だがその声は、俺の耳には届かなかった。


 ルナが痛みに顔を歪ませながら倒れて行くのが分かる。


 ………?


 彼女の姿を見ていて、何故か頬に滴が垂れて行った。冷たい感触は周りの炎の熱気で直ぐに消え去る。涙が流れたのを知るのは、この中で自分だけだった。


 俺はまだ銃を構えたまま呆然とルナの姿を眺める。苦しむ顔に銃を構える力が徐々に失われて行った。力なく静かに銃を下ろすと、自分の時間だけ止まったかのように思えた。


 ブア───。


 マテオがルナの元へ駆け寄ろうと炎を解き放った。だが炎が解かれる瞬間を、今か今かと待ちびていた天音さんが透かさず行動を起こす。


「くっ」


 マテオに二発もの弾丸を浴びせたのだ。放った弾はマテオの両足に一発ずつ当たっていた。


 マテオはルナの下へ着く事なく倒れていく。きつく閉ざされた彼の目は、貫通した弾丸の苦痛を物語っていた。


 やはり天音さんも急所を狙わない。


 五人が仲間なことから、生きて事情を聞くのは一人で充分なはず。だが、俺も雨宮さんも決して殺そうとはしなかった。


「ルナ‥」


 これは情というものなのだろうか。


 辺りをみるとオリバーも成川さんに手錠を掛けられていた。そしてリアムは遠くで血まみれで倒れている。だが決して急所を撃たれた訳でも無さそうだ。お腹に一発撃たれていた。


「くそったれが」


 驚くほどの殺気を漂わせていたのは、彼らを束ねるルーカス。彼は、野村さんに抑え付けられていて動けない様子だ。


 特別機関メンバー全員で一斉に捕えたのだろう。ルナが倒れた時マテオにすきが生まれたように、ほかの彼らも彼女が痛みに歪む顔を見て動揺したはずだ。そしてその一瞬のすきを、特別機関メンバーが見過ごすはずはなかった。


「俺たちの勝ちだな」


 大野さんが倒れるリアムに向かって腰を下ろし、言い放った。


「うるさっ……ぐはっ」


 リアムは悪態を吐く前に、腹を抑えて血を吹き出した。


 リアムの痛がる姿を見ていられず、大野さんの方に視線を移す。


 大野さんは、険しい顔でリアムを見詰めていた。痛みに苦しむリアムを哀れむような複雑な表情だ。


 俺も一歩一歩ルナの元へと近付く。重い足取りは、撃った彼女への罪悪感か、それとも達成感なのか、今ではそれすらも分からない。


「…………」


 ルナは喋ることなくただ痛みに顔を歪ませていた。






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