第20話 警察官と殺人犯



 誰も何も言えない空気の中で「ルーカス」と、ルーカスの隣に腰を下ろる野村さんが口を開いた。


「どういうつもりだ」


 今、一番知りたい疑問。


 ルナに聞いても曖昧な返事しか返って来ない。


 自分たちが犯人であることを確信付かせ、俺たちの前でご丁寧にも自己紹介まで始めた。こいつら、馬鹿にしてんのか?


 何を考えているのか全く分からない。こいつらの行動の意図が全く見えない。


 こいつらは何を望んでいるのか。何を目的としてるのか。俺たちに何をして欲しい?何を知って欲しくて、何を望んでこんな馬鹿げた事してるんだ。


 ルナが言う事は、いつも曖昧で確信を付いて来ない。


 まるで真実を小出しにするようなやり方は、ルーカスも同じだったみたいで、予想を裏切らない曖昧な返事を寄越した。


「別に?オリバーがせっかちだからな」


 ルーカスは野村さんを見て、嫌みのように吐き捨てたのだ。


 ルーカスの発言に隣の金髪男が反応する。


「うるせぇよ。」


「ルーカス」


 地面が震えるような低い声が降って来て、一瞬鳥肌が立ち、声の主に向き直る。


 何の感情も持たないような無表情を崩さずに、天音さんの横に立つマテオが口を開いた。


 ルーカスの視線がオリバーからマテオへとゆっくりと移動される。


「行くぞ」


 闇から降りてくるような低い声が事務所に響く。鳥肌さえも巻き起こる存在感は、悪魔のイメージとピッタリと合った。


「そうだな」


 反対に愛苦しく微笑むルーカスの顔は幼い子供のようだ


「ゆうくん」


 隣にいたるなが静かに俺に話し掛けて来た。


 ルナの方を見ようと首だけ向けようとする。


「……っ!」


 彼女の顔があまりにも近くにあったもんだから目を丸くしてびっくりした。そんな俺を見てルナはクスクスと笑っている。


「なんだよ」


 俺はばつが悪そうにわざと眉をしかめてルナに言った。


 しばらく経つと笑いが収まって来たらしく、彼女は妙に微笑んで「もう行かなくちゃ」と言った。


 ルーカスとマテオが交わしていた言葉。


 こいつら…。本当に自己紹介だけしに来たのか?


 俺は、ルナが綺麗な笑みを浮かべている姿を視界に入れた。そして、目を見開く。ルナの微笑みは、疑問に対する答えだった。本当に、自己紹介だけ、しに来やがったんだこいつら。自分たちが、容疑者であるにもかかわらず。


 殺人犯と疑いながらも、俺はこのまま、何もせずに、彼女の微笑みが消えるのを、待つしかないのか。


 俺は愛苦しい少女を目の前に、彼女とのを忘れていたんだ。


「そうは行くか」


 カチャ…。


 そう、ここにいるのは、警官と容疑者。いや、警官と殺人犯の、二組に別れているということを。


 最初に行動を起こしたのは成川さんだった。彼は、ルーカスとマテオの会話を聞き、彼らが去ることに勘付いたのだろう。成川さんは席から立ち上がり、服の裏に隠していた拳銃を手に取ったのだ。


「へぇ」


 成川さんを見下すようにオリバーが余裕の笑みを浮かべる。


 成川さんは怯む様子も無く、真っ直ぐに相手を見て拳銃を突き立てていた。


「ぎゃはっははは」


 ──!?


 突然男の笑い声が事務所に響いた。


「おっもしれ─! 成川ってやつ。噂通りだな」


 声の主に視線を移すと、大野さんの横で爆笑しているリアムの姿が目に映った。


「てめぇ!」


 腹を抱えて笑っているリアムに、大野さんは素早く銃を突き付けた。


 大野さんに続くように、俺たちは──‥。


 カチャ。


 若き少年と少女に、一斉に銃を向けた。


「死にてぇのか?」


 少し怒りを含んだ、地を這うような低い声が響いた。


 幼い顔付きとは対照的な声を響かせたルーカスに向かって「俺たちはただ知りたいだけだ」と、野村さんが口を開く。


 そう俺たちはただ知りたいだけ。お前らが求めているもの。とやらを。


「俺たちの力を借りてか?」


 まるで嘲笑うかのように苦笑混じりに言ったルーカス。


 野村さんとルーカスの会話を無言で聞く。


 辺りには、二人の声が静かに響いていた。


 ルナに銃を向けているため、彼女から視線を逸らすことが出来ない。


「野村、お前の行動は立派だよ」


 ルーカスの言葉と同時に、目の前の少女はニッコリと微笑んだ。


「でも」


 ルーカスの言葉はまだ続いている。


 俺はルナから視線を逸ららさずに直視していると、彼女の唇が静かに開いた。


「よーい」


 子供のような可愛らしい声は今では不気味さを増す。


 彼女の微笑みが今までのものとは大きく異なり、何かを企むようなどす黒い笑顔に変わって行った。


「俺たちに勝てると思ってんの?」


「スタート」


ルーカスとルナの声が、同時に発せられた。


「………っ」


 パキパキパキパキ…。


 俺の足元が冷たい何かで覆われて行く。


 くそっ。これは氷だ。足元が少しずつ氷って行く。


 身動きが取れない状況で出来ることは、手にある銃で狙いを定めることだけ。


 狙いを集中して、引き金に指をかける。彼女を殺す事は、出来ない。だから、せめて動きだけでも、止めないと。


 彼女の足を狙って、引き金を引いた。


 バン!


 彼女は何食わぬ顔でさらりと避ける。それを見た俺は、目を丸くした。


 よ、避けた…。ってか、避けるか普通!?銃だぞ!?


 なんだよ、これ。アクションみてぇだ。


 いや、待てよ。俺が何処を狙うか、何をするか、心を読める彼女には俺の考えはすべてが筒抜けなんだ。その証拠に彼女は俺の目をずっと直視して離そうとしない。


「違うよ」


 ルナは無邪気な笑みを浮かべながら小さく言った。


「だから当たらないんじゃないよ?」


 またも謎めいた物言いに、引き金に構えていた指が力を入れるのを止める。


 何が言いたい。自分の胸の内が苛々として来たのが分かる。


 今の瞬間に撃てば命中するだろう。でも引き金を引いたら、彼女の言葉の先が聞けない気がした。


「ほら、今も」


 ルナは笑ったまま、楽しそうに言葉を小出しにする。


 なんだよ。何が言いたいんだよ。


 パキパキ…。足元に張り付く氷は徐々に範囲を広めていく。


 焦りと共に訪れる感情は、ユハンの言っている"何か"そのままだった。


 焦り。聞きたいと言う好奇心。


「迷いがあるなら弾は当たらない」


 そして、迷い。


「迷い…」


 そうか。迷いか。確かにそうだ。俺は迷ってる。だって、そうだろ。こないだ初めて会った女に銃ぶっ放してんだぞ?そんな冷静にバンバン撃てるかよ。


 確かにこんなんで当たる訳ねぇよな。お前に逃げ道を与えているのは俺なのかもしれない。


「…………」


 焦りから出る汗は孤を描くようにほほを塗らした。


 確かに俺は迷っている。でも、それは俺だけじゃないはずだ。辺りには銃声が響くものの、特別機関メンバー全員が、迷いと格闘している。


 皆、迷っているのにも関わらず引き金を引くのは、俺たちはお前たちと一緒じゃないからだ。ちゃんと皆分かってる。俺たちの仕事は、お前らを殺す事じゃない。捕まえる事だって事。


 ルナの目が驚いたように見開かれていく。美しすぎる瞳には、苦しまぎれに笑う俺の顔が映し出されていた。


 バン! バン!


 俺は再び引き金を引いた。


「……っ」


 撃った弾はルナの腕をかすめる。


 声も出すことなく、一瞬、しかめた顔は、直ぐに笑顔を取り戻した。だがそれは、先程とは違う笑顔だった。無邪気に笑う余裕の笑みは、憎しみが込められた睨むような微笑みに変わっていたのだ。そんな顔すら綺麗に見えたのは、張り付いた情を意味するのか。


 焦りと共に降ってきた迷いは無くなったにせよ、焦りは何処までも俺を追い詰める。


 どうする…。


 山彦やまびこのように繰り返す言葉は何の意味も持たない。


 考えろ…。考えるんだ。今は身動きが取れない。


 パキ、パキパキパキ。


 足元の氷は少しずつ迫ってくる。


 ルナの視界に映る場所からでは俺の考えは相手に筒抜けだ。


 彼女の油断から先程は撃った銃弾がたまたま当たったにせよ、彼女はほんの掠り傷しか負っていない。次からは彼女もみすみす当たってはくれないだろう。


 感情を読めるのなら、俺が何処を狙うか瞬時に分かるはず。彼女の視線が届かないところに移動するか…。それしかない。だが身動きが取れなければ移動する事すら出来ない。


 この…。


 パキパキ─パキ。


 足元の氷を何とかしなければ。


 どうする…。


 俺が必死に考えているのを余所に、ルナはゆっくりと片手を上げた。


「大丈夫。ルナたちは特別機関は殺さない。」


 彼女は静かに言うと、上げた片腕を思い切り降り下ろした。


「ぐ‥‥‥」


 足元を埋め尽くす氷はまるで生きているかのように上へ上へと広まって行った。


 くそっ。これ、どうしようもねーじゃねか。


 間隣では成川さんが懸命に痛みに耐えているのが分かった。体が痙攣していることから電流を流し込まれているのだろう。


「成川さん!」


 叫んだものの、騒がしい爆音は声が届いているのかも分からない。


 オリバーを見ると成川さんを見下すようにただ眺めているだけ。


 いや、んじゃない。彼は、んだ。殺気立った成川さんを見たら分かる。


 オリバーが少しでも動けば、成川さんは形振なりふり構わず引き金を引くだろう。


 成川さんは痛みに耐えながらもオリバーから銃口を逸らそうとはしない。


 この上記では、オリバーは成川さんを殺した方が、簡単に逃げられるだろう。それは、オリバーだけじゃなく、ほかの犯人たちも一緒だ。なのに、誰も殺そうとはしない。


 ルナたちは特別機関を殺さないと言う、一つの言葉が頭の中で山彦やまびこする。


 俺の体には氷が張り巡らされている。そして、隣に横たわる成川さん。彼の電気の影響は俺にはなかった。こんなに濡れていては、一番電気が通りやすいはずなのにだ。


 ルナは、特別機関は殺さないって言ってた。だからか?だからオリバーは俺の所まで電気を走らせないのか?


 殺さないと言うのならそれは、と言う事と一緒。俺に感電させたら、死んじまうから、こちらに電気をと言うのならそれは、俺が死ぬから電気をと言うのと一緒。


 彼らが殺す気になれば俺らの息は瞬時に止まるだろう。だが彼らはそれをしない。しないと言う事は、出来ないと言う事と一緒だ。


 だったら─‥。

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