第16話 飲まれる


鈴木 ゆう side

―――――――



「ゆうー!」


 ゆりが幸せそうな、何処かほっとしたような顔をして話し掛けて来た。


 昨日のあゆみをからかった時の事が頭を過ぎる。ゆりの笑顔にチクリと胸が痛んだ。まぁ別に何があったって訳じゃねんだけど。


 俺の偽りの愛情に、ゆりの幸せそうな笑顔を見ると、なんだか妙な気分になるんだ。胸が痛むような。罪悪感のような。うざったいというような。言わば全部だけど。


「今日は早いな」


「ゆう起きてるかなって思って」


 彼女は満面な笑みを作り、綺麗な声を響かせた。


「悪い、今から仕事があるんだ」


 いつもは嘘だけど、今回のは本当。


 先程、野村さんから着信が入ってたんだ。


 特別機関メンバーが連絡してくるなんて、凄く珍しい事だ。何か事件の事かもしれない。


 ゆりは少しうつむき加減に「忙しんだね」と口をとんがらがせた。


 ねてる。俺はゆりの頭を適当に撫でて、微笑みながら見詰めた。


「仕事頑張ってね!」


 笑顔で言うゆりに、けっこう単純な奴だななんて苦笑してみたりした。


「あぁ」


「部屋に戻るね」


 ゆりはご機嫌そうに言うと、静かに部屋から出て行った。


 なんだろう。妙な違和感が胸を押し付ける。今までは彼女がいても浮気したり、女を傷付ける事になっても、何も思わなかった。ギクシャクして行く彼女にも、何も感じることはなかった。だけど、今回のは何だろう異様なまでのこの不安感は。


 違和感の正体はなんとなく分かってる。


 姉妹を壊す事。それをしない俺の心境も、自分自身が一番よく分かってる。


 浮かぶのは何時だってルナの顔で、彼女の顔を思い浮かべると、違和感がより一層強くなった。


 きっと、俺は怖いんだ。あいつが用意する結末が。先の見えない暗闇は、きっとハッピーエンドなんて望んじゃいない。


 ルナは、ゆりだけじゃなく、あゆみにもそういう行為を示せと望んでる。


 ルナと重ねて、あゆみに手を出す事を出来ずにいた俺に、と、わざわざ言い残したのを分析すると、きっとそう言う事になる。妹と俺が何かあるのは、恐らく、プライドの高いゆりが、一番嫌がる事だ。俺に好意を持ってきている今なら、さらにダメージはでかいだろう。


 もし、そうなったとして、結末がどんなものか。それはきっと、俺の想像を越えるものになるだろう。


 確信はないが、そんな気がする。


 だけどもう、すでに遅かったのかもしれない。あゆみの部屋に響いた壺の割れる音が、ゴングのように頭になり響く。


 この時にはもう既に歯車は回り初めていた。後戻りが出来ないほどに。


 俺はソファーに腰を下ろし、煙草に火をつけた。


 タバコを吸っても心のモヤモヤは晴れることはない。


「くそ」


 俺は、静かに悪態を吐いた。


 何故か嫌な予感がする。


 ゆりたちの姉妹は異様なまでの嫉妬心の固まりに見えた。ゆりも、あゆみも、互いへの嫉妬心は隠しきれずに静かに溢れ出していた。


 ブーブーブー。震える振動が床に響く。床とぶつかり合い、携帯はいつもより大きい音を出していた。


 ブーブー。


 まったく、さっきの大野さんからの電話をかけ直さなきゃいけないのに。誰だよ。


 震える携帯を手にすると画面にはと映っていた。


 あ、やべ。


「はい、もしもし」


 慌てていた心境を隠し、冷静に受けた。


「ゆう。起きてたか」


「起きてましたよ」


 苦笑混じりに笑って電話に答えた。


 天音さんが電話して来るなんて初めてだ。大野さんからも電話あったし、何かあったのだろうか。


「今日、特別機関のみんなで集まって事件の情報交換をする」


「えっ」


「とにかく出勤しろよ。じゃ」


「まっ」


 プッ。ツーツーツー。


 言葉が言い終わる前に、切れてしまった。


 どうせ天音さんの事だから、ニコニコしながら話してたんだろうけど。


 要件だけ言って切んなよ。


 でもこれでやっと…。


 今まで特別機関に勤めて三年が経った。


 事件は相変わらず続いて行くものの、特別機関同士の情報交換などは一度もなかった。それぞれが自分の事件を追い、探っていた毎日。そして何も出てこない事実。進まない事件に、少しずつ憤りを感じていたのは、俺だけじゃなかったみたいだな。明らかに共通点が多すぎる今回の事件は、きっと五人全員の資料が必要となるだろう。


 おし。


 俺は、静かに立ち上がって、部屋を出ようと足を進ませた。


 少しは近付けるだろうか。お前が言ってたってやつに。


 戸を開けると涼しい風が顔を撫でた。


 踏み出した足取りは、少し焦りを見せる。


 早く、早く、という気持ちが強く、気持ちに比例するように早足になって行く。


 遠くではあゆみがこちらに向かって歩いて来る。


 部屋に戻るのか。朝食の時間だったもんな。一度足を止めるが。あゆみの視線を背に、俺は事務所に向かい再び歩き出した。


 あの時、あゆみの顔が憎しみと怒りに燃えていたこと事なんて、気付くはずもなく。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る