第15話 違和感



今野 あゆみ side

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 ガチャ──ンッッ!!!


 !?


 何かが割れるような音がした。


 音を聞いた瞬間、体がビクッと飛び上がる。


 え…。何?


 大きい音は、あゆみの部屋の音ではなかった。


 隣の部屋から聞こえて来る。隣の部屋は、お母様とお父様の寝室。


「お母様…?」


 独り言のように呟きながら、あゆみは呆然とベッドに腰掛けていた。


 先程の両親の姿がぼんやりと浮かぶ。お母様は、何かのパーティーがあるらしく、先程凄くおしゃれをして出て行った。お父様は、仕事に行くって言うからあゆみお見送りしたんだ。


 隣の部屋には誰もいないはずだった。


 あ…。もしかしてお姉ちゃんかな。悪戯でもしてたのかもしれない。注意しに行かなくちゃな。


 何か壊したって言ったって、どうせ片付けるのはあゆみなんだし。お姉ちゃんに責任擦り付けられなきゃいいけど。


 あゆみはベッドから立ち上がって、戸に向かった。


 コンコン。


 お母様たちの寝室のドアをノックする。


「お姉ちゃーん!」


 少し怒ったような口調で言ったものの、向こうから一向に返事はなかった。


 もう!お姉ちゃんったらしらばっくれる気だ!


「ちょっといるんでしょ!」


 段々苛々して来て、少し声を荒げた。


「…………」


 だけどやっぱり無言。


 少しの違和感が、あゆみの心にゆっくりと降って来る。


 あれ…。


「お姉ちゃん?」


 少し自信無さそうに呟いた。


「…………」


 ドアの向こうは沈黙を守り続けた。


 微かに感じる人の気配。


 あゆみは思い切ってドアノブに手を掛けた。


 キィ─‥。


 ゆっくりと部屋の中が見えて来る。中は真っ暗で、目に何も映る事はなかった。


「……誰?」


 感じる人の気配。


 ドアから漏れる光は、人の気配を確信付かせた。


 光が映し出したのは、誰かの足。


 ドックンっと鼓動が脈打つ。何、誰?


 恐怖と言うんだろうか。寝室に入ってはいけないと、波打つ鼓動が叫んでる。でも入らなきゃいけない気がした。逃げてはいけない気がした。


 あゆみは勇気を振り絞って、部屋の中に一歩また一歩と踏み出した。


 ピチャッ。


 ゾクッ。


 何歩目か踏み出した時、変な感触に襲われた。何かの液体を踏んだような感触。水かなって思考は生まれなかった。少し暖かい液体は、微温湯ぬるまゆみたいで心地いい。なのに、腕の鳥肌は収まる事を知らなかった。


「ふんづけてるよ」


 声が振って来た。


 笑ってる鈴のような音色も聞こえる。


 目の前には先程見えた足の人が、変わらず立っていた。


 女の子…?いや、声が、低い気がする。男の子…?どっちだろう。


 屋敷に忍びこんで悪戯してたのかな?


「あの」


 あゆみは何で屋敷にいるのか聞こうとした。


「だから、ふんづけてるってば」


 男だか女だか分からない声が、笑いながら言った。


 ふんづけてる?


 足元に目をやると、裸足の足が黒い液体に埋まっていた。黒い液体は、ぬるま湯みたいな微妙な温度を保ちながら、あゆみの足にへばりついている。


「ひっ」


 変な声が漏れるが、自分の声なんて無視して、足を慌てて退けた。


 何…コレ。


「………」


 月の光が少しずつ入って来た。


 先程まで真っ暗だった。月は何時でも空にあるのにまるで何かに邪魔されてたよう。声の主を直視していると、その人の姿は月の光によって少しずつ視界に映されて行った。


「っ………」


 鼓動に別の高鳴りが起こる。

 

 目の前にいる人は、この世の者とは思えないほどの美しい様相をしていた。


 驚いて言葉を失う。体全体に鳥肌が立った。


「………」


 長い真っ直ぐの髪は、腰の下まで伸びている。漆黒にも似たその髪は、月の光の反射で紫色に光る。


 前髪が長くて、顔が見えなかった。でも、唇は女ですら見惚れるほど綺麗で、顔の全体が見えなくても、彼女は綺麗な女性であることがわかった。


 言葉を失ってただ見ていると美しい少女はゆっくりと口を開いた。


「見るもの間違ってるよ?」


 まるで天から聞こえて来る音のように、綺麗すぎる声は音色を奏でた。


 いつもと変わらない部屋の風景。違うのは、この少女だけ。


「………」


 ゆっくりと見渡す部屋の周り。


「………」


 いつもと変わった様子なんてないはずなのに、それなのに、は何?。


「お母様?」


「お父様?」


「もう君のご両親はいないよ?」


 美しい少女は優しく微笑んで言った。


「え…?」


 真っ赤な少女が言ってる意味が分からなくて、あゆみはまた視線をお父様とお母様の方へ向けた。


 横たわってる二つの肉の固まり。二人を中心に真っ黒な液体が広がっていた。顔がぐちゃぐちゃで誰だか分からない。


「だって殺しちゃったもの。死んじゃったよ?」


「こ…」


 殺した?死んだ…?え…?だって、だってさっきまでお母様はお花に水をやってたよ?お父様だって朝に仕事だって言って、皆で行ってらっしゃいって言ったんだよ?


 何言ってるのこの人。おかしいよ。


 お父様だって、仕事行く前あゆみの頭撫で撫でしてくれたもん。お母様もさっき、お姉ちゃんのおでこにキスして、行って来ますって言ってた。


「ルナがどうしてここにいるか知りたい?」


 死んだなんてありえないよ!


 だってさっきまで…。でも目の前に倒れてる二人は間違いなくお父様とお母様。


「君のお姉ちゃんは君にすごく嫉妬しててね」


 何がどうなってるの。目の前には倒れて冷たくなっている真っ赤な両親。


 ねぇ、誰か。


「君ばかりに構う親をもの凄く憎んでたの。あなたのお姉ちゃんはプライドが高いよね」


 そして可愛らしく笑って楽しそうに話す美しい少女。少女に視線を向けても、あの美しい顔が見えない。


 視界がぼやけて何も見えない。ただ流れる涙が次々と零れ落ちる。


 何?


 何言ってるのこの子。


 顔を歪めてゆっくりと首を振る。無意識に後退りする。


 違う。違う。


 お母様とお父様さっきまで笑ってたもん。


 行ってきますって言ったんだよ。


 ドタッ!


「!?」


 後退りしていて、つまずいて転んだ。尻餅を着いたままを見ると、涙が自然と止まった。


 冷たい。


「お姉ちゃん、ルナにこの場所を教えてくれたの」


 あゆみの状況なんて気にしないかのように話を進める女の子。


 お姉ちゃん?そういえば、お姉ちゃんは?あんなに大きな音がしたのに


「ちゃんとルナは言ったんだよ?あなたの両親を殺しに来たのって」


 どうしてお姉ちゃんは来ないの?


「そしたらね?あなたのお姉ちゃん"別にいいよあんな親って」


 どうして?


「だからルナここにいるの。ゆりちゃんに連れて来てもらったんだ」


 美しい少女は嬉しそうに微笑みながら言いった。


 女の人はさっきから何を言ってるんだろう。


 少女を見ると満面な笑みを浮かべてる。


 また少しずつぼやけて来る視界。


 あゆみの歪んで行く表情。


 女の人の言ってる事は全部嘘だ。お姉ちゃんだって、きっと聞こえなかったんだ。お母様とお父様だって、今ちょっと出掛けてるだけで、もう少ししたら帰って来る。


 まるで何かを否定するように、あゆみは「違う、違う」と首を振りながら呪文のように呟いていた。


 手に触れる冷たい感触に、目を背けながら。


「じゃあここにいる人は誰?君のご両親じゃないの?」


 彼女は微笑みを崩さずに先程と変わらない優しい声で言った。


 そうだ。確かにお父様とお母様だ。さっきお花にお水やってたのもお母様。朝に仕事に見送ったのもお父様。そして、今目の前に倒れいる二人もお父様とお母様。


 不意にまた涙が溢れ落ちる。否定する事を辞めた頭は、ただ漠然とするだけだった。ぼんやりと働く思考回路は今の状況をただ把握するだけ。垂れ流し状態の涙は溢れ落ちるたびに、黒い液体に飲み込まれた。


 お父様とお母様が倒れてる。その真横で尻餅をついてるあゆみ。あゆみの目の前に立つ美しい少女。頭はそんな棒読みの言葉しか浮かばない。目の前にある風景しか浮かばない。全然否定なんてさせてくれなくて、浮かぶものは真実そのままだった。だけど小さく脈打つ違和感は、頭ではなく心臓が知らせてくれる。纏わり付くような違和感。


 あれ…?違和感に気付かずにいた頭。倒れてる両親。尻餅ついてるあゆみ。美しい少女。


 あれ?美しい少女?満面の笑み?


 あれ?誰?あなたは誰?


 ドックン。大きく鳴り出した鼓動。今の大きな鼓動は、部屋に入った時のものに似てる。部屋に入る前は、と感じた。


 少しの変化に違和感を覚える


 今の鼓動は、


 頭がパニックになったことで見なければならなかった視点をあゆみは忘れていた。


 ゆっくりと美しい少女から視線を外して行く。彼女の胸には何もなかった。彼女の脇腹にも何もない。彼女のお腹には赤い水玉がポツポツ。あゆみは更に下に視線をずらす。


「ひっ」


 思わず声が出てしまった。


 だって、その目に映るのは、異様な程真っ赤な少女の両手だったから。手は下の床に向かってダランと垂れていた。そして小さな赤い滴が指先からポタポタと垂れている。


 何この人。何で手が赤いの?何で彼女の下でお母様とお父様が倒れてるの?顔がぐちゃぐちゃ?床に広がる血?目の前の少女の滴が垂れる真っ赤な両手。


 誰?あなたは誰?どうして赤いの?あなたは誰?どうして赤いの!?誰?誰なの。誰。


 いや、誰、の?


「ぎゃぁあぁぁあぁ! ぃやぁああぁ────────!!!!」


 頭では逃げろと叫ぶのに、足が動かない。


 叫びながら手を懸命に這わせて逃げようとした。だけど赤い液体に滑って上手く前に進む事が出来ない。


 どうしよう。


 お父様! お母様! 助けて。助けて…。


 目の前に漂う狂気に、恐怖を覚えた。怖くて体がガクガクと震えて来たのが分かる。


「あ…」


 不意に声が漏れるも、少女はただ微笑みながらこちらを見下ろしてる。


 彼女の穏やかな表情すらも恐怖を覚えて懸命に這う。


「うわああ‥」


 意味の分からない声を出しながら、止まる事のない涙を無視して、懸命に両手を動かした。


「大丈夫?」


 ビクッとして手の動きを止める。


 振り向くと、少女の顔が目の前にあった。


「──!」


 びっくりしたけど、一瞬恐怖を忘れるほどの魅力。


 光輝く毛穴一つない肌。伸びた睫毛はとても長く、光を宿す瞳は月のように綺麗だった。


 なんだろう…。頭がくらくらしてくる。何故か妙な安心感を覚え、途端、目の前が真っ暗になった。


「……………っ!」


 はぁ、はぁ……。


 ゆ、夢?


 胸を鷲掴みにして呼吸を整える。


 周りは薄暗く、小さな隙間から光が差し込んで来た。


 朝だ。よく見ると、あゆみは自分の部屋のベッドの中にいた。


 ああ、そっか。昨日はあのまま寝ちゃったんだ。


 カーテンの隙間からは太陽の光が薄く線を書く。


 なんであんな夢を見たんだろう。あんな、昔の夢を。


 今だ恐怖が体に張り付いて離れない。体が小刻みに震えている事が分かる。


 夢の中の出来事は、すべて現実に起きた事だ。お父様とお母様が、殺された日の夢。


 美しい少女の事を思い出す。


 綺麗な笑顔を思い浮かべると、胃の中のものが逆流するほど


「う…っ」


 不気味なものだった。


 彼女のことを警察の誰にも言っていなかった。


 異様なまでの光景は誰に言っても信じてもらえないと分かっていたからだ。そして言ってはいけないと。何故か不吉な確信と共に決断をし、あゆみは警察にも口を閉ざした。


 空っぽになったはずの胃が、また吐き気を誘う。だけど何故か、ピタリと収まった。


 頭の中に、どす黒い感情が沸々と沸いてくる。何故か口元には笑みが零れていた。


 自分の顔が微笑みを浮かべている事に気付いて、咄嗟とっさに自分の唇に触れた。


 プライドが高いのねと言った、彼女の言葉を思い出した。


 少女の言葉で、新たな真実に目覚めた。あの時は混乱して彼女の言葉の意味を考える余裕なんてなかった。でも今なら冷静に考える事が出来る。彼女は何度もお姉ちゃんのことを口にしていた。


 今まで気付かないふりをしてた。考えないようにしてた。


 なんで、屋敷に赤の他人の人殺しが、入ることが出来たのか。なんで、お父様とお母様の寝室まで辿り着けたのか。あの夢の中で忘れかけてた事実が蘇る。


 案内してもらったって言ってた。お姉ちゃんに案内されたって。お姉ちゃんが、あいつを、お母様とお父様の所まで、案内したんだ。


 もし彼女を案内することがなければ、お父様とお母様は死なずに済んだかもしれない。


 お姉ちゃん。あなたはどこまであゆみの大切なものを取れば気が済むの?何処まで踏みにじれば気が済むの?


 忘れかけていた、事実。


 なんで今まで、忘れていたんだろう。


 全部、お姉ちゃんのせいだ。


 許さない。絶対に許さない。


 胸が苛々としてどうしようもない程の怒りが沸き上がる。


 緩んでいた頬は徐々に力を取り戻して、口はきゅっと固く結ばれる。


 寝起きの目が鋭く見開いた。


 お姉ちゃんのせいだ。お母様とお父様が死んだのも。あゆみが誰とも話せなくなったのも。全部全部あいつのせいだ。


 お姉ちゃんが彼女をお母様たちの寝室まで案内させた。そしてお父様とお母様が殺されたんだ。お姉ちゃんが殺したのと一緒じゃんか。


 奪ったんだ。あゆみからすべてを奪った。許さない。絶対に許さない。


 お父様とお母様が苦しんだ倍に、復讐してやる。


 あゆみは目を細めて固い決心に体を震え上がらせていた。寒さからか、高ぶる感情のせいなのかは分からない。


 明るくなった窓を見てみると、窓ガラスに映るのは青空の景色なんかじゃなかった。


 ガラスには、醜く睨むようにあゆみを見ている自分の顔が映っていた。そして風になびく金髪の髪。


 遠くで誰かが、笑ってるような気がして、あゆみは窓に映る自分に向かって笑みを零した。



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