第14話 馴れて行く心


鈴木 ゆう side

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 あれはなんだろう─…。


 霧のようなものが浮かび上がる真っ白な世界に、ぼんやりと見える人の姿。小さすぎる面影に、そっと近寄ってみた。


 小さな女の子がうずくまって泣いている。


「う………」


「どうしたんだ?」


 泣き止むように、優しく問い掛けた。


「う…ぅ…」


 女の子は何も言おうとしない。


 困ったように、頭を掻きむしる俺を見る訳でもなく、ただ泣きじゃくる子供。


「ほら、おいで」


 放置する事も出来ずに、俺は女の子に手を差し伸べた。


「…………」


 ………?


 俺が手を差し伸べた時、彼女の泣き声は止まっていた。


 泣き止んだ…?


 ほっとしたように胸を撫で下ろした。


 宙に泳がせてあった差し出した手を、音もなく下ろす。そしたら、手を、勢い良く掴まれた。


「………!」


 俺が驚いたように声を上げても、彼女は俯いたまま何も喋らない。


 驚いた感情を静めようと、頭の中をフル回転させた。どっか行くと思ったのかな。寂しかったのかな。なんて、少し同情したりもして。


 女の子はゆっくりと顔を上げると、幼い顔が少しずつ見えてくる。


 下から睨み付けるように、鋭い目を覗かせた。


 野獣の目。愛情に飢えている野獣の目。


 目を見た瞬間、ある美しい少女の顔が過ぎった。


「ル、ナか?


「…………」


 尚も黙り続ける少女の口。


 彼女は、口をゆっくりと開き始めた。


 目が少しずつ変化していく。


 野獣の目からに変わっていく瞬間だった。


「お姉ちゃんとヤったんだね」


「………! あ、ゆみ?」


 少女は睨む目を逸らそうとはしない。ただ只管ひたすら、俺を直視している。


 少女は立ち上がった。先程の嫉妬の目とは違う。その目は、誰も信じようとしない、愛情に飢えた者の目に変わっていた。


 彼女の顔は、徐々に笑顔を取り戻していく。彼女は微笑んでいた。


 彼女は、静かに口を開く。


「見間違えないで」


「ルナはルナだよ?」



───……。



「………っ」



ゆ…。



夢?



「ゆう―?おはよぉ」


 隣から、甘ったるい声が聞こえて来た。


 彼女は綺麗な体のラインを覗かせて、目を擦りながら起き上がった。


「おはよ」


 俺が出来るだけ優しく言うと、彼女は照れたように微笑んで見せた。


「ゆうー」


 ゆりが首にまとわり付くように腕を回して抱き寄せて来る。


 やばい。


 無論我慢出来るわけもなく、俺はゆりの首筋に吸い込まれて行った。


「またぁ?」


「だめ?」


 俺が顔だけ覗かせて言うと、ゆりの顔が途端真っ赤になった。


 普通だったら、こういう姿は可愛いと思うんだろうな。でも、普通だったらだ。彼女のプライドの高さが見え隠れすると、その感情はすぐに消え去る。


「だってぇ、あゆみが」


 ゆりは、わざとらしく大きな声で言った。


 多分あゆみを意識してのことだろう。


 彼女の名前を出した時、いやらしく笑みを浮かべていた。


 こういう所だよ。本当に萎える。あゆみあゆみって。事があるごとに名前出しやがって。おかげで今日あゆみ夢に出て来たし。ふざけんなよ。目覚めから最悪だっつーの。


 俺が気付いてないとでも思ってんのか?


 自分に落ちない男はいないって思ってる。すべてが自分の物だと、それが当たり前だと思ってる。お前が、男に対して馬鹿にしてんのも、見下してんのも見りゃ分かる。


 俺の内心を知りもしないゆりは、俺の首にまとわりついて来た。


「ゆうー…。"ガタンッッ"


 ………?


 なんだ?


 急に大きな音が聞こえて来た。部屋の戸が開いた音だ。


 後ろを見ると、あゆみがドアを背に腕組みしながら立っていた。顔は、まるで汚い物を見るような目だった。


「うるさくて眠れなかったんだけど」


 不機嫌そうに顔を歪め、こちらを見下したあゆみ。


「朝ご飯の用意出来たから、早く来たら?」


 ホント、クソ生意気なガキだ。


 まぁでも、飯の時間だって呼んで来てくれた事は感謝出来る。だけど、もっと素直に物言えねぇのかよこいつは。


「わかったよ」


 俺はわざと面倒臭そうに声を上げて、下のズボンだけを履いた。上は着ないで無言で歩き出す。


 俺は、戸の前に寄りかかってるあゆみに、目も合わせないで出て行った。


 部屋を出て長い廊下を歩こうと足を進ませる。だが、歩こうとした間際に姉妹の小さな会話が耳に届いて来た。


「あんたマジうざ。邪魔しないでくんない?」


 ゆりの声だ。


 俺といる時は想像も出来ないような、冷たく低い声。


 やっと本性が見れた。


 ゆりとあゆみの会話を聞くために、息を殺して聞き耳を立てた。


「お姉ねぇちゃんが声うるさいからじゃん」


「わーざーと」


「…っ。なんで! 意味わかんない!」


「あんたが嫌いだから。むかつくから」


「…………」


「見てるだけでムカツク。この家に置いてやってんだから、あんたは黙って私の引き立て役でもやってりゃいいの」


「ふざけないで! なんなの!」


「あーうるさい」


 まるで見下すかのように彼女は言った。


 くっだらねぇ。ゆりがあゆみを嫌うのも一つの嫉妬の現れ。美しい金の髪、ハーフのような整った顔の作り。ゆりにないものをあゆみは持っている。


 自分に無いものを持っている事をゆりは知ってるから、だからあんなにもあゆみを毛嫌いするのだろう。


 プライドゆえの嫉妬。


 プライドが高いお姫様は、きっと今までありとあらゆるすべての物を、あゆみから奪って来たんだろう。男も、立場も、何もかも。


 なぁ ルナ。俺が今何考えてるか分かるか?心が読めるお前なら、俺の顔を見たら驚くかもしれない。いや、もしかしたら笑うかもな。


 プライドの高いお姫様を見ると、どうしても壊したくなる。嫉妬にかられたフランス人形を見ると、どうしても踏み潰したくなる。


 俺は歪んでる。


 あゆみとルナを重ねて、どうしても壊すことが出来なかった。何でだろうな。だけど、見間違えないでと言ったルナの言葉が、俺の理性を奪って行った。


 ルナ、俺が屋敷に来たことでお前が望んだものは、この歪みだったのかもしれないな。


 事件が屋敷で起こってから――…小さな屋敷でずっと繰り返されて来た、嫉妬の連鎖。


 歪みを断ち切る術は、プライドの高いお姫様と、純粋すぎるフランス人形を、壊す事。


 足を、小さく前へ進ませた。


 後ろから冷たい風が吹いて来たような気がした。まるで、背中を押すような。頑張ってと言うような。そんな風が。


 俺が彼女のならば、踊ってやるよ。お前が望む通りに。お前が用意している結末に、俺も興味がある。それはルナのためじゃない。お前のために踊るわけじゃない。


 結末を知るため、ルナを知るために俺が選んだ選択。全部自分のためだ。


 決意すると、俺は足を再び前へ進ませた。足を進ませる速度は、目的地に着くまで止まる事を知らなかった。


 食堂に一人座っていると、料理を運ぶ女と目が合った。


 ニッコリ笑って会釈すると彼女の顔はみるみるうちに赤く染まって行く。


 そーだろーな。


 俺今上半身裸だし。


「ゆーう!」


「ゆり」


 ゆりが優雅に歩きながら俺の隣に座った。


 あゆみはトボトボと俺たちの向かい側に座る。


 あゆみは不機嫌そうに下を見詰めて俺たちに話掛けようとはしなかった。


 ………?


 膝の上に在った手が誰かに握られている。妙に冷たい感触は、たまに吹く風を思い出させた。一瞬過った紫の美女。俺の記憶の中でも、彼女は不気味に微笑んでいた。何とも言えない美しさに、実際目に映る女に少し肩を落とす。


 ゆりはテーブルの下で俺の手握っていた。


「ねぇゆう、今日も部屋行っていい?」


 今日も?冗談じゃない。


 一回やれればお前は当分いらねんだ。



「悪い。今日は仕事の書類片付けなきゃならねんだ」


 もちろん嘘だ。


「うん…。わかった」


「ごめんな?明日まで待ってろな」


 ゆりの頭を撫でながら言うと、彼女は嬉しそうに頷いて見せた。


 かわい─…。性格悪くなきゃ可愛いんだけどな。きっとこれも計算だからたちが悪い。


 まぁでも、この世に計算無しで生きてる女なんざ見た事ねぇけど。


「明日まで私我慢するね」


 ゆりは少し俯き加減に、頬を赤らめて言った。


 もう分かったって。可愛いのは充分分かった。にこやかな顔を作って頷くと、変な視線を感じた。


「………」


 感じる視線の先を見てみると、あゆみと目が合い、彼女は直ぐに逸らして下を向いてしまった。


 気不味いよな。俺らの前で食事は。見てるとなんか妙に可愛そうになってくる。今までこうやって縮こまって生きて来たのだろうか。ゆりの影に隠れて、何一つ言いたいことも言えずに。


 比べられて負ける毎日。


「バカみたい。ご馳走さま」


 だからこんな、強がりで生意気な女になってしまったのかもしれない。


 金属とお皿が触れる音が静かに響く。


 なんだか気分が悪い。急に苛々して来た。多分先程聞いたゆりたちの会話から来てるものだろう。


 ゆりがうざったくてしょうがなかった。


「俺ももういいわ」


「あたしも」


 ゆりは俺に合わせるようにフォークを置き、席を立った。


「頑張ってね仕事」


 ゆりは微笑みながら言うと、自分の部屋に戻って行った。




ーーー・・・




「姉妹の様子はどうだ!?」


「えぇ─…。今の所は何もありません」


「そうか! わかった」


 大野さんから久しぶりの電話が来た。


「何もない、か」


 。と言う理由でゆりたちの所に来たが‥。あれから3ヶ月以上経った今。一つも何もない。


 どういうことだ…?男の警官がいるからだろうか。


 コンコン…。部屋の戸が小さくなった音が耳に届く。まるで電話を切るのを待っていたかのように、タイミング良くドアは鳴った。


 まぁ俺の部屋に来るやつなんて一人しかいないから、誰だか模索する必要もない。


「ゆう」


「あぁ、ゆりか」


 あれからというもの。ゆりは2日に一回くらいはこうして俺の前に現れる。


 ゆりが部屋に来て何するかって、彼女と俺がヤルことなんて一つしかない。そろそろそれにも飽きてきたところ。


「ゆう…」


 ゆりはいつものように俺の首にまとわり付いてくる。


 あ─‥。


 いつもだったらとりあえずヤっとくんだけど、今はそんな気分じゃない。なんだかヤル事すらも面倒臭い。これを飽きと言うんだろうな。


「悪い。仕事あるから」


 ゆりの腕からするりと離れ、背中を向けたまま言った。


「えー」


 ゆりは、今度は腕に絡み付いてくる。


 どんだけやりてんだよこいつは。


 俺が腕を振り解くと、ゆりも空気を読んだのか「わかったぁ」と返事をした。


 落ち込んだような小さな声にうざってぇと思いながらも、いつものように仮面をかぶる。


「ごめん。もうちょっと待ってな」


 優しく言うと、少し不機嫌そうだった彼女の表情が徐々に明るくなって行った。


 そして最後には満面の笑みで「うん!」と、声を弾ませていた。


 ゆりの顔を見ながら、少し戸惑いの感情が芽生える。


 なんでだろう。ゆりが一瞬ただの恋する女に見えたんだ。


 部屋まで送る時にあゆみと擦れ違ったが、俺もゆりも彼女に話し掛けることはなかった。あゆみは、屋敷の使いの人たちと話している姿も見たことがない。完璧な、姉の影に隠された存在だった。


 ゆりを送った俺は自分の部屋に戻り書類に目を通す。


 書類に目を通しながらもぼんやりと浮かんだのは、先程のゆりの顔だった。


 最近薄々勘付いてる。女の事はある程度、分かっているつもりだ。遊びがになる瞬間も。


 最初に比べて、ゆりの表情に少しずつ変化が生まれてる。あいつ、まるで愛らしいものを見るような優しい目で俺を見るんだ。


 俺だって人間だし。罪悪感一つ感じないほど、冷たい奴になんかなれやしない。だからと言って、ゆりに対しては何も感情が出ない。遊びと割りきって行動してる。


 ただ微妙に、やり辛くなる。

 

 あいつは性欲発散だ。ゆりじゃなくても、ある程度見掛けが揃ってりゃ誰でもいい。まぁこんな考えだから罪悪感が芽生える訳だけど。


「はぁ」


 書類を見ながら無意味なため息が出た。


 くだらね。

 

 今更あいつの事で悩むなんて。


 書類を一枚一枚丁寧に食い入るように見詰めていた時。


 ガッッチャーン!!!!!


「!?」


 何だこのバカでかい音は…。


 隣の部屋から聞こえて来た。あゆみの部屋からだ。


 俺は慌てて自分の部屋から出て、隣のドアを叩いた。


 コンコン。


「あゆみ?」


「………」


 呼んでも返事がない。


 戸に耳を当てて静かに聞いて見ると微かに声が聞こえて来た。


「う………ひく」


 まるで押し殺したような小さな声。


 泣いてる…?


 もしかしたら鍵は掛かってないかもしれない。


 戸のドアノブを静かに捻り、試しに押してみると、戸はゆっくりと開いて行った。


「あゆみ?」


「ゆ、う」


 部屋を見ると大きな壷が割れていた。


 部屋には割れた壷の破片が散らばっており、一部足を進める事が出来ない様子。


 あゆみは多分動揺しての涙だろう。泣いた顔はやっぱり綺麗で、ホントこれは武器になる。


「こっち見ないで! 部屋から出てって!」


 あゆみは小さく縮こまって顔を隠した。


 なんでこんなに素直じゃないんだか。


「人が来てやったのになんだよそれ」


 わざと苛々した声を出してあゆみの側に近寄った。


 側に寄るとあゆみは異様なほどにガクガクと震えていた。腕で身を守るようにギューっと小さく丸まっている。


「大丈夫か?」


 いつもと違う様子に、若干戸惑いを感じた。


「あっちいって!」


 あゆみは顔を上げることなく声を大きくして言った。


 体はガクガクと大幅に震えている。


 ただ驚いただけではないことが分かった。何をそんなに恐れているのか、俺には瞬時に理解出来た。


「う…」


 子供のように小さく泣くあゆみ。


 彼女が震える光景はあまりに痛々しいもので──遠い昔を思い出す───。


 顔がぐちゃぐちゃで体の下が氷っている死体。俺たちが現場に到着した時にはもう、被害者の息はなかった。そして被害者の倒れている横に、金髪の若い少女が座りながらガクガクと震えて泣いていた。


「お母様…お父様…」


 何度も小さく呟きながら──。


「あゆみ?」


 優しく名前を呼ぶと、彼女はゆっくりと顔を上げた。


 涙が目に溜まって瞳が揺らめき、赤くなった頬はまだ幼さが残っている。


「びっくりしちゃって」


 あゆみは下を見ながら小さくつぶやいた。


「もう平気」


 小さな声で言いながらも、あゆみの体は震えが収まらない。


 派手に割れたつぼは、そこら中に散乱していた。


「あゆみ」


 呟いてそっと近寄る。


「な、なに?」


 あゆみの泣き顔が近付いて来る。


 俺はあゆみに手を伸ばすと、あゆみは顔を赤くして目を反らした。


 俺の手が彼女の肩に辿り着く。


「ちょっと!」


 あゆみは更に顔を真っ赤にして目を丸くした。


 おもしれぇ。


 肩触っただけだぞ。


 笑いを堪えながら手に力を込めた。


「きゃッ!」


 俺はあゆみの腕を持ち上げて、あゆみを立たせた。


「ちょっと!」


 腕の中では暴れるちびっ子が一人。


 落ち着かせるように肩を叩くと「な…」あゆみはビックリしたように俺を見上げていた。


 あゆみの動揺っぷりが何だか面白くて、ちょっとからかってみたくなった。


「お前、うるせぇな」


 意地悪く笑って言ったら、あゆみは膨れっ面になってしまった。


「何言ってんの! 信じらんない」 


 あゆみはプンプンと怒っている。


 見ると、震えはもう止まったみたいだ。だが、一人になったらまた震えて小さく泣くんだろうな。


「もういいからさっさと出てって!」


 たく。黙ってれば可愛んだけどな。


「へぇ。なんか、顔赤いけど大丈夫か?」


 俺は、あゆみの顔を覗き込みながら言った。


 目が合ったらホントに赤くなるもんだから、思わず笑ってしまう。


「うるさい!」


 俺から思い切り視線をそらして言うあゆみ。


 もう大丈夫そうだな。


「じゃ。寂しくなったら来いよ。隣なんだし」


 冗談混じりに言いながら、部屋から出ようと足を進ませた。


 バフッ。


 ってぇな。


 なんか背中に投げられた。


 後ろを振り向くとあゆみが真っ赤な顔をしていた。枕を投げられたんだ。


「自惚れんなって言ってるでしょ!」


 はぁ─。たく。


「はいはい」


 俺は手をヒラヒラさせながらあゆみの部屋を後にした。




―――‥‥‥

――‥‥

―‥

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