第7話 子供ような声



 声は確かに聞こえたのに姿が見えない。


 誰だ?女?


「バカにしてんじゃねー! 出て来いガキ!」


 あんりの彼氏が、上を向いて叫んだ。


「後ろに居るんだけど」


 先程まで元彼たちが座って飲んでいた席に、何故か一人の女が立っていた。


 腰ぐらいまである紫の髪を丁寧に巻いて、綺麗な顔立ち、胸の開いた服に短いスカートを履いて、一見そこらへんにいそうな軽そうな女の格好だ。だが、スタイルの良さと人形のような小さな顔は、ここにいる男たちを黙らせた。


 あの女…。漆黒にも似た紫の髪…。あんな髪をしている美女を、忘れるはずない。


 なんでこんな所に彼女が?


「さっきまであなたたちの隣に座ってたんだけどな」


 彼女は愛苦しい笑顔を見せて言った。


「…………」


 声が吃って上手く言葉に出来ない。聞きたい事が多すぎて、彼女に対する疑問が多すぎて、俺は何も言えずに、ただ呆然とするしかなかった。


「やばい! 可愛い! ねぇ番号教えてよ!」


「俺もー!」


 殺気だっていた空気は、彼女の出現によってガラっと変わった。


「いいよ」


 軽い口調で言って慣れた手付きで彼女はスマホを取り出した。それを確認した男たちも、自分の携帯を出す。


 彼女が男たちと連絡交換する様子を、俺はただ眉をしかめながら見ていた。


 なんだか苛々する。男とメール交換をしようとしている彼女の姿は、何故か俺の機嫌がますます悪くなるだけだった。

 皆に交換してるような女かよ。なんだよ。ふざけんな


 何に腹を立てたのか、何でこんなに頭にくるのか自分でも分からない。気付いた時には、足を進ませ、彼女の腕を掴んでいたんだ。


「ふざけんな。ちょっと話しあるから来い」


 静かに言って、俺は彼女の手を引き、飲み屋を後にした。


 誰一人彼女の連絡先を交換した者はいなかった。彼女を車に乗せて、とりあえず飲み屋から離れる。


「話って何?」


 助手席に座る彼女は、静かに言った。


 運転しながら何処を目指すわけでもなく、ただ適当な道を回っていた。


 彼女の呟くような問いに、俺も静かに答えた。


「こないだ、連絡先書いた紙置いてったよな」


「うん」


「何で俺を知ってる?」


「…………」


 最後の問いで、彼女は窓の外の景色を見始めた。


 興味がないのか、呆れたのか。でもそんな事どうでもいい。紫の女の行動は矛盾がありすぎてるし、疑う材料には充分なんだ。


「あそこで事件が起きていた事も、俺がその担当だった事も」


 彼女が何処で情報を手に入れたのか、それだけでも聞き出さないと。


 只管ひたすら何も答えない彼女は、何故か沈黙を守り続けていた。


 彼女はゆっくりとこちらを向く。俺は運転席だから、彼女の方を向く事は出来ない。


「ゆうくんち、行きたい」


「質問に答えろ」


 紫の女は、何かを隠してる。何故か今、質問から話を逸らした今、そう思った。


「じゃあ一つだけ教えてあげる」


「………」


 一つって、こいつ一体何を隠してやがるんだ。一つでも事件の情報には変わりない。何の言葉が降って来るか覚悟して待ち構えていると、彼女はニッコリと微笑んだ。


「ゆうくんち行ったらねー!」


「‥‥‥」


 こいつ。普通の女だったらここで降ろして帰ってるところだ。


「でも変なことはしないでね」


 顔は見てないが、強い口調で言われた気がした。


 する訳ねーだろ。謎めきすぎて、そんな気分にもならねぇ。


 俺は彼女の言う言葉に返す事はなく、ため息だけついて、行く方向を変えた。


「わー! 綺麗な家だね!」


「………。座ってろ」


「うん! 咽渇いたなぁ」


 そんな可愛い声して、咽渇いたなぁ、じゃねーよ。


 たく。俺は何してんだ…。


「コーヒーしかねぇけど」


「うん! いいよ」


 コーヒーを作りに台所まで歩いた。


 ブラックで大丈夫かどうか聞くの忘れたけど、まぁ言われてないし多分大丈夫だろう。一人で勝手に納得し、コーヒーを作って彼女がいるリビングに持っていった。


「ありがとう」


 コーヒーを受け取ると、彼女は落ち着いた声で静かに言った。


 ソファーに腰掛け、コーヒーを一口飲み、本題に入る。


「で?」


 コーヒーを手にしたまま、横目で睨むように彼女を視界に入れた。


「名前をまだ言ってなかったよね」


「あぁ、名前」


 そういえば名前聞いてなかったな…。


 もしかして…。一つ教えるって名前じゃねぇよな?だとしたらなんか、ハメられた気分。あまりに単純すぎて、怒るどころか、笑えて来る。


 たく今日はなんなんだよ。


 口説いてる途中に「ルナ」って呼んで、それで女に問い詰められるわ。元彼の連れに殴られそうになるわ挙げ句に果てに名前聞くためにわざわざ家までご招待かよ。


 あーもう。こんな女に付き合ってる暇ないのに。まだやらなきゃいけない事が沢山あるんだ。


 ルナって人が誰だか調べなきゃなんないし。


「名前ルナだよ。ルナ」


 はい?


「………」


「は?」


「え?」


 目が丸くなる俺を見て、ルナがキョトンとした顔をした。その顔もまた可愛いのなんの…って違くて。


 こいつがルナ?なんで女口説いてる時に、俺ルナって呼んで…。


 いや流石さすがに、偶然だよな。ルナなんて名前の女なんて沢山たくさんいるだろうし。それに、俺こいつと会った事ないし。


 たまたま事件現場に女が来て、たまたま女口説いてる時ルナって間違えて、で、たまたま事件現場に来た女と会って、で、たまたまそいつがルナって名前で…。


「あ、いや」


「どうしたの?」


 彼女はニッコリと微笑んだ。いや、そんな可愛い顔されても…ね。


 俺の頭の中は軽く混乱していた。頭が着いて行かない。

 

 偶然にしては、何もかもタイミングが良すぎる気もする。だって、ルナって名前間違えたすぐ後にルナって名前の女と会うか普通?


 もしも偶然じゃなかったとしたら、名前を呼んだって事は俺も彼女の事知っていたと言う事になる。でもだったらなんで何も覚えてねぇんだ?


 口説いていた女、あんりは、ルナと何度も間違えて呼んでいたって言ってたし。一回間違えて呼んだ事しか覚えてねぇけど。


「…………」


 疑問が多すぎて、何から聞いたら良いか分からねぇ。


「名字は?」


 とりあえず聞いてみる。


 彼女は肩を軽く上げて「さぁ?」と答えた。


「じゃあ何で俺のこと知ってんだよ」


 ダメごしに一番重大なところをサラッと聞いてみた。答えてはくれないだろうと分かっているから、予想は先程と同じ答えって思っとこう。


「さぁ?」


 ほらね。


 この女、意味分かんねぇ。


 俺が困ったような顔をしていると、何故か彼女の頬が徐々に膨らんで行った。怒ったような顔付きになり、子供のような目で俺を睨んでいる。


 今度は何。


「意味分かんなくてごめんね!」


 そう言ってルナは、そっぽを向いた。


 んな事一言も口にしてねぇけど。ますます意味が分からない。もう、とりあえず、疑問系は置いといて、会話だけに集中しよう。


「そんな事言ってねぇだろ」


 俺はもうどうすればいいか分からなくて、かゆくもない頭を手でかきながら喋った。こんな扱い辛い女初めてだ。


「言ってないけど、心で思ったでしょ?」


 確かにさっき思ったけど。


 こいつ人の心の中…。いやいやいや。まさかね。


「読めるよ?」


 ルナは形のいい笑顔を作って、誇らしげに言った。


 俺はと言うと、先程まで懸命に動かしていた頭が、完璧に真っ白になった。状況に着いて行けず、脳内停止状態に陥ったのだ。


「………」


 もうからかわれてるのか、それとも本当なのか。なんでルナは俺にこんな事を言うんだ。


 わざわざ家まで来て、心読めるとか言って。お前はここに何しに来たんだ?なんで俺の所に来たんだよ。なんで俺の事、知ってんだよ。


 しばしの沈黙が辺りを包む。彼女は気不味そうでもなく、ただ微笑みながらこちらを見ていた。


「じゃあさ」


 最初に沈黙を破ったのは俺からだった。


 心を読まれてるのが本当だったらって考えると、どうしても落ち着かない。


「今から俺が考える事、答えてみろよ」


 焦りを相手に悟られないように、ルナの顔を真っ直ぐに見て、出来るだけ落ち着いた声で言った。


「いいよ。当たったら何してくれる?」


 ルナは相変わらず微笑んだままで静かに言った。


「んー。飯奢ってやる」


 俺が適当に言うと、彼女の顔が急に輝き始めた。


「本当!?やったぁ」


 綺麗な笑みが、子供のような満面の笑顔に変わった。何がそんなに嬉しいのか、彼女はキャピキャピと喜ぶ。


 普通の女が同じようにしたらぶりっ子に見えて腹が立って来るものの、彼女がすると魅力的で可愛らしい。


 思わず鼻で笑ってしまった。


「始めていいよ」


 ルナは笑いながら言った。


―――‥ここからすべてが始まったんだ。


 彼女が今から言う言葉に、答えがあると信じた。


 早くこのもやもやから開放されたかったんだ。


 謎めく正体に隠された秘密は、結局謎のままで、俺の頭を悩ませる。


 いや、もしかしたら


 彼女が現れた時には、もうすでに始まっていたのかもしれない。でもまだこれほ、迷宮への入り口にすぎなかった。






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