第5話 隣の部屋
「連れて来い」
俺は今野に静かに言うと、彼は息を整えながら「ここにですか!?」と言った。
ここで話する訳ねぇだろ。死体隣に何話せって言うんだよ。
「別の部屋で話す」
言葉を投げるように言って、俺は目線を死体の方へ戻した。
事件に関わって目撃情報が出たのは初めてだった。同じ手口の犯行は過去25件。一つも目撃情報はなかった。
「今野。隣の部屋だ」
目線は戻さずに、適当に部屋を指示した。
隣の部屋に行くと、その豪華さに驚かされた。まるでホテルのような作りで
先程まで居た部屋も綺麗だったが、死体から発する匂いがなんとも耐えがたかった。その空間にいたからか?妙に空気が透き通ってるように思う。
「どーぞ」
今野が部屋の戸を開いて案内しているのが見える。
………?
今野は恥かしそうに、少し頬を緩ませていた。
開いたドアからは、今野の姿しか見えない。目撃者はドアの影に隠れている。
「大丈夫ですよ。どーぞ」
今野が異様に優しい口調で、ニヤニヤしながら言っている。
あーもう。早くしろよ。今野も何ニタニタしてんだ?気持ち悪い。
「あ、はい」
若い女性の声。
あぁだからか。今野がデレデレしていた意味も分かって、初めての目撃者の姿が徐々に顕になった。
よそよそしそうに入って来た小さな体は、まるで人見知りの猫のよう。
………。
俺はその姿を呆然と見ていた。
一回見たら忘れないような、髪が綺麗な紫に染まっている。腰ぐらいまである紫の髪は、下の方だけ綺麗に巻かれていた。
挙動不信な大きな目は長い睫毛に少し隠れている。
別に派手でもない服装から覗く肌は、雪のように白く綺麗だった。
多分化粧はしていないが、顔はそれすらも思わせない。
大きな目に透き通った鼻。
ふっくらとした唇は、男が満足するには贅沢すぎるほど。
「あの…?」
紫の女性は少し困ったように大きな目をこちらに向けた。
「あ、すみません。どうぞお座り下さい」
目の前の椅子に手を差し出して言う。
揃いすぎた魅力に、俺や今野、他の警官たちも、彼女に釘付けになっていた。そんな俺たちに彼女は少し不安そうに目を泳がせている。
「すみません! ゆうさんあまりに綺麗な人だったので驚いてるんですよ」
すかさず今野の優しいフォロー。紫の女性は少し恥かしそうに愛想笑いをしていた。
辺りにいる連中は、彼女の少しの笑顔を見ただけでも胸が躍る。
今野。こいつ…。
女性の扱いの慣れ様を見ると、こいつも女に不自由している訳ではなさそうだ。今野とは仕事の付き合いしか一緒にいる機会がないため、プライベートの事は全く分からない。
「おい今野。仕事中だ」
俺は静かに言うと、彼は少し不機嫌そうに「失礼しました」と小さく言った。
「鈴木ゆうさん?」
………?
なんだか知らないけど、紫の女が話を割って入って来た。
「え…」
こいつ何で俺のフルネーム知ってんの?
「お久しぶりです。私の事覚えてませんか?」
紫の女は子供のような声を出した。
耳に
「いえ、何処かでお会いしましたか?」
こんな顔もスタイルも並外れた女、一回あったら忘れるはずない。
「…………」
彼女は少しだけ肩を落として「残念」と、子供のような無邪気さの残る声で言った。
男が抱えやすそうな、柔らかく小さな肩は、少しだけカクッと下にさがった。
風が吹く。氷のように 冷たい風が。鳥肌が立つ。
「さみ…」
「ゆうさんって寒がりですよね」
今野が苦笑しながら言った。
先程まで不機嫌そうにしていた今野は、今では少し笑みを見せている。単純つーか…なんつーか。とりあえず、それがこいつのいい所。
「あぁ」
今野の言葉に適当に返して、後は本題へ戻った。
「事件の事聞きたいのですが、何を見たんですか?」
俺は真面目な顔して紫の女に向き直る。嘘を吐いたりしたときの動揺した顔を見逃さないように。
そして目が離せなくなるんだ。
大きな瞳は徐々に細くなり、白くて柔らかそうな頬は上へ上へと上がって行った。大きくも小さくもない、形の良い唇は、頬と一緒に左右に上がって行く。
世の男性はどれだけ望んだ事だろう。彼女の天使のような、子供のような、無邪気で美しい笑顔を向けられる瞬間を。
彼女は微笑みながら、しばらくの間沈黙を守り通すと、静かに口を開いた。
「何も見てませんよ」
何?
「……は?」
思わず声が出てしまった。
だって、何も見てないって。じゃぁなんで。
「ゆうくんに会いたくて、嘘吐いて来ちゃいました」
紫の女は無邪気な笑みを笑顔に変えた。
ちょっと待った。この女、バカ?
呆れすぎて何か言う気にもならねぇ。
「はぁ……」
俺は小さくため息をついて、下を向いた。
やっと、事件に進展ありかと思ってたのに。これじゃあただの時間の無駄だ。
周りはザワザワとしてきて「ゆうさんいいなぁ」なんて呟いてるバカばっかり。
勿論、今野もその一人だ。
俺を見て、空気の読めない紫の女は「だって、こうでもしなきゃ会えないでしょ?」とかなんとか言ったりしてるし。
あーもう。
俺の内心を余所に彼女は悪戯っぽく笑って見せた。皮肉ながら見惚れてしまう。
こんなバカな女を見たのは久しぶりだ。
余程自分に自信があるのか、彼女を見て皆が目を見開く状況でも、彼女は堂々と微笑みながら椅子に座っていた。
わざわざこんな所まで。しかも事件現場に俺に直接会いに来るなんて。
………。
待てよ。事件現場に…?
俺は視界の先の美しい紫の女に向き直った。彼女は微笑むように天使の笑顔を作っている。
ここに俺がいる事を。この日この場所に俺がいる事を、なんでこいつは知ってるんだ?
特別機関が担当する事件は黙秘とされていて、テレビのニュースなんて愚か、新聞にもネットにも一切掲示されていない。
なのになんで、ここで事件が起きてる事も
目撃して―…
なんでお前は知ってるんだ?
何処から情報を手に入れた?
なんだこの女は…。よく考えたら何もかもおかしい所だらけじゃねぇか。
ここで事件が起きた事も、事件現場に俺がいる事も、しかも俺の名前まで、なんでこいつは全部知ってんだよ。
世には、特別機関の人間は勿論のこと、特別機関と言う存在すら黙認されているのだ。だから、警官以外の他人が、俺たちの存在を知るはずもなければ事件の事なんて知るわけもないんだ。
不意に夢を思い出した。幼い少女が、血に染まる怖い夢を…。
「これ、私の連絡先です」
紫の女は、何事もなかったかのようにその場から去って行った。
テーブルに置かれた一枚の紙。彼女が置いて行った紙には、しっかりと連絡先が書かれていた。
ーーー・・・
今日はあれから、何の手掛かりもなく、仕事を早く切り上げた。
今まで、何人の女とヤって、何人の女を泣かせて捨てて来た事だろう。
俺に気がない女でも、体の関係に持って行く自信は充分にあった。だけど、あの紫の女だけは、どうしても口説く気になれなければ、連絡する気も起きなかった。
メモに書かれた誰かの連絡先。
いつもの俺だったら、普通にかけていただろうな。
今までの出会ってきた女の中では、圧倒的な美しさ。小さな体は男の腕に調度良く収まる小柄な背丈、雪のように白い肌は誰もが触れたいと願うもの。漆黒にも似た紫の髪は、艶(ツヤ)を鮮やかに出していて、思わず吸い込まれそうだったり豊かな胸は男が満足するのに調度いい大きさ。大きな目は闇をも吸い込む奇妙な大きさで、瞳には
比べ物にならない。今までの女なんかとは、比べ物にならない。だけどどうしても、紫の女にだけは、連絡する気になれないんだ。
名前も何も知らない。知っているのは、紙切れに書いている連絡先だけ。
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