星巡り

白米おいしい

星巡り

 ひゅう


 流れ星だ。濃紺の夜空をナナメにすべり降りてくる白い光。


「あっちだ」


 ぼくは繊細せんさいな光の筋を目で追いながら、裸足はだしで海辺を小走りしていった。砂は柔らかくて、足を取られそうになるたび腰にぶら下げたランプがカラカラと音を立てる。そろそろ電池が切れる頃だ。黄色いあかりはぼんやりかすれてきている。あの星の光をつかまえて灯りの代わりにすることができたら、もう少し視界がマシになるだろうか。

 星を追いかけてもう十回を数えている。願い事を考えるのはとっくにやめていたのに、ここで新しい電池が欲しくなった。


 小さな光が音もなく二、三メートル先の砂地に吸い込まれていった。地面に着地したとたん、光はかがやきを失い、ぼくがたどり着くまでに黒いかたまりになってしまっていた。


 ぼくは腰のベルトにくくりつけていたランプを外して、目の前にかかげた。ゆっくり辺りを照らしていくと、近くにそれっぽい物を見つけた。


 星屑ほしくず拾いはぼくの趣味のひとつだ。

 眠れない夜、部屋から抜け出して海に出る。ふつうの人から見たらただのゴミだけど、ぼくは色々な想像をする。落ちてくるまでに空中で消えてしまった星の光は、地上に降りて再生を願う魂の失敗した結果である、とか。


 砂浜にひざまずいて、ぼくはたった今到着した黒い塊に触れる。なんだか少し熱いような……。ぬくもりがある。ぼくはランプもバケツもわきに置いて、両手で流れ星の成れの果てを包みこんだ。


 周りでざあざあと波の音がする。

 夜の海は暗くて、不安になったとたん心が飲みこまれそうになる。でも、ぼくのてのひらには宇宙からの長い旅を終えた星屑がある。好奇心は不安に光をともす。黒い塊から、見えないメッセージを探ろうとして、ぼくは石を顔に近づけた。


「ねえ、あなた」

「わあっ!」


 突然後ろから声をかけられて、ぼくはビクーッ! と肩を震わせて飛び上がった。その拍子に手の中の星屑を砂浜にこぼしてしまう。


 なんだなんだ!?

 自分の世界に没入していたぼくは我に返るのが遅かった。石を拾うか、後ろの人物を確かめるか、同時に考えてすぐに決められず体が固まってしまった。


「大丈夫?」


 大丈夫じゃないよ。


 細い声の持ち主は、どうやら女の子のようだった。学校では覚えがない。

 ぼくはランプを片手に立ち上がりながら話しかけられた方に顔を向けた。


 少女は、はくちょう座の十字星を背負っていた。きらきらと流れる天の河を背景にして立っている。初めて彼女を見たとき、ほんわか光っているような気がしたけれど、まばたきをすればそれは幻想だとわかる。ランプの明かりのせいかもしれない。


 彼女の白いワンピースがひらひらと潮風に揺れていた。


「私、探し物があってここへ来たんだけど、たぶんあなたが持っているんじゃないかと思って……」


 そう言って少女が指差す先は、ぼくが集めた星屑を入れたバケツ。ここには石しかないけれど……。疑問符で返事をする前に彼女は言葉を続けた。


「わたし、星巡ほしめぐりの旅をしているんだけど、ここへ来る途中で羽を一枚なくしてしまったのよ」

「羽なんて、見たことないよ。カモメの羽すら落ちていないもの」

「わたしの羽は特別」


 少女はくすりとほほ笑んだ。ぼくの手からランプがするりと落ちそうになった。



 ぼくたちは砂浜にぺたりと座って、紺碧こんぺきの海を見つめていた。さっき落っことした星屑を回収しようと思ったけれど、なぜか見つからなかった。


 少女は天文学的に遠い昔に生まれて、ずっと宇宙を旅しているのだという。この惑星ほしにも何度も訪れては地上に降りてきたのだとか。話の真偽しんぎはさておき、ぼくは彼女の明るく透明な声が素敵だと思った。


「この惑星ほしは、来るたびに暖かくなっているよね。太陽からうんと離れた冷たい星をまわってここに戻ってくるのが、とても楽しみなの」


 少女は指先で砂になめらかな曲線を描いていく。その落書きが旅の軌跡きせきだとしたら、ところどころ点々を足していくのは、途中で立ち寄った星だろうか。


 長い旅をしてきたという少女に、ぼくはひとつ質問した。


「あのさ、ずうっと昔のことを知っているなら、恐竜も見たことある?」

「あるよ」

「ほんと!?」


 ぼくは目をきらきらさせながら身を乗り出した。彼女は一瞬きょとんとしたものの、すぐにんだ笑顔になって、一億年くらい昔に見たことを話してくれた。簡単にいったけれど、とんでもなく大きな数字だぞ。


 少女はぼくの好きそうな肉食恐竜の話を選んで、走り方や足跡の形などを身振り手振りで語ってくれた。ランプに照らされた影がぼくを襲うかのようにうごめいている。


「そうそう、恐竜の赤ちゃんを見たときにね……」

「へえ、卵ってそうやって生まれてくるんだ」


 いつの間にかぼくは夢中になって話を聞いていた。彼女の見たものは、図書館で読んだ恐竜図鑑より詳しい。Tレックスの鳴き声を、かわいいソプラノで再現してくれた。



 海の向こうからざばあーっと大波が押し寄せてきたときも、ぼくたちは空の天の河と海がつながる場所をながめながら、おしゃべりをしていた。ふと隣を振り向くと、彼女の見つめているものは海ではなく、一億年よりうんと昔にあるものなんじゃないかと考えた。

 ぼくの視線に気がついた彼女はふふと小さく笑った。ぼくよりもずっと大人びているような錯覚におちいる。


「わたしの羽、きっとあなたの集めた石の中に入ってると思うんだけれど。返してくれる?」


 ぼくはそばにあったバケツを見る。


「いいけど、なくした場所がこの海だって、よくわかったね」

「わかるの。呼んでるから」


 彼女はぼくが差し出したバケツに手を入れて、ぐるっとかき回した。ガチャガチャ。石と石のぶつかる硬い音。


 砂浜に集めたばかりの屑鉄くずてつをばらまいて、少女はひとつひとつ、ためつすがめつして宝物を探していった。

 ぼくは隣でランプをかざし、彼女の手元を明るく照らす。細い指が小さな黒い塊をつまんで持ち上げる。これじゃない、と選別された石はバケツの中に放り込まれる。彼女のため息が海の潮騒しおさいに混じる。


 二人とも無言だった。彼女は作業に集中していたし、ぼくはぼくで、その横顔に見とれていたからだ。

 目を細めて、唇をきゅっと突き出して難しい顔をしている少女は真剣そのもので、気軽に声をかけてはいけない雰囲気だった。なくした羽、とても大切なものなんだろうな。


「見つけた」


 ぼーっと波の音を聞いていたぼくは、ハッとした。彼女を見ると、満足そうににんまりしている。てのひらに小さな塊をにぎっていた。


「ほら、これ」


 彼女はその星屑をぼくの手に乗せてくれた。今夜最初に見つけた石だ。軽くて、ランプの光に一瞬だけ反射したように見えたことを思い出した。そうだ、初めて彼女に出逢ったときも、同じように光っていると感じたんだ。


「あなたにはわかる?」

「……石、にしか見えないけど」


 それでいいの、とうなずいて、彼女は深く説明しなかった。

 そっと渡された星屑を、ぼくはためしに耳に当ててみた。海で拾った貝殻は、まずそうするからだ。


 ザーッと、砂の流れるような音が聞こえる。気がする。聞きたい音はたぶん小さくて波の音にさらわれてしまうのだ。注意深く耳をすましていると、やがて、かすかに、ラジオをつけてダイヤルを回しているときに聞こえてくる、あの砂の音のようなものが……


「星巡りをしているときの、宇宙の音だよ」


 静かな声。遠い宇宙の雑音ノイズ


「わたしの羽にはね、色々な星で出逢った友達の記憶が刻まれているの」


 恐竜も友達に入るのかな?

 ぼくが不毛なことを考えている隣で、少女は石を両手にぎゅっと抱きしめた。


「よかったあ。これでかえれる」

「そういえば、羽って……君、飛んでいくの?」

「そうよ。ここに落ちてくるときは重力に任せていたけど、出発するためには翼がないとね」


 少女はにこにこしながら答えてくれた。羽のように軽やかな声。彼女を見ているとぼくの心もふわふわして、地に足が着いていなかった。


「それじゃあね。どうもありがとう」

「また、いつか……逢えるかな?」


 とっさにぼくは声をかけた。彼女は首をちょっとかしげて考える。


「そうだなあ、またこの惑星ほしに近寄るのは、100年くらい先になるかな」

「ええ……」


 さすがに100年後は生きている自信がない。それに、おじいちゃんになったら彼女のことをおぼえていられるかもわからなかった。


「あなたもね、翼を持ったらいいのよ。そうしたら、私を追いかけてこられるでしょう?」

「ぼく、人間だし、どうやって翼なんて……」

「星にかえるときに、わかるよ」


 少女は最後までほがらかな笑顔だった。

 悩みも苦痛も無い、自由な心を持った人だった。


「十数えてね。見ちゃだめだよ」

「うん」


 ああ、このパターンは知っている。途中で目を開けてしまったら、二度と彼女には逢えなくなるのだ。


 ぼくは物語の主人公たちが葛藤かっとうに負けてしまう気持ちがわかった。好きな子のこと、ずっと見ていたいもの。

 でも、じっと我慢して、ぼくは目を閉じていた。


 光は天へ昇り、ぼくが十数えてぴったり目を開けたときには、暗い海が目に見える世界のすべてだった。月明かりで波飛沫なみしぶき仄白ほのじろい。

 ランプはついに電池切れ。暗闇の中で、ぼくはしばらくぽつんとたたずんで天の河を見上げていた。彼女は、あのかがやく星々のどれかに混じっているのだろうか。



 集めた星屑はバケツの底でガチャガチャ音を立てた。最初に見つけた石はなくなっていた。


 はいてきたサンダルは砂浜の入口に脱ぎ捨ててある。目印の木は夏の大三角の下にあって、よーく見れば黒いゴツゴツした木のシルエットが暗闇にぼんやり見えてくる。ぼくの家もあっちの方角だ。なんだかスキップしたい気持ちになる。ぼくは帰り道にひょいとサンダルを拾って、バケツに放り込んだ。





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