番外編:お嬢さんのお友達

 椥辻美紅が通う鳳女子大学は、世間一般的に「お嬢様大学」と呼ばれているらしい。

 実際、いわゆる名家のお嬢様は、他の大学よりも多く在籍している。美紅自身も、父はそれなりに名のある企業の役員だ。しかし周りが思うほど、自分たちは「お嬢様らしいお嬢様」ではないと思う。

 ブブッとスマホが震えたことに気付いて、教授から見えないように、机の下でこっそり通知を確認する。先日の合コンで知り合った男性からのメッセージだ。どうやら妙に気に入られてしまったらしく、ここ数日頻繁に連絡がくる。なかなか顔も良くて話し上手で、その場は盛り上がったけれど、どうにも下心が透けて見えるのが気にかかる。


(世間知らずのお嬢様たぶらかして、ワンチャン狙おう、とでも思ってるのかなあ)


 あいにく、美紅はそこまで馬鹿でも世間知らずでもない。既読をつけることなく、そのまま彼をブロックした。

 お嬢様、なんて呼ばれていてもこんなもんだ。合コンや飲み会にも行くし、普通の大学生となんら変わらない。ウチの大学に過剰な憧れがある男性が知ったら、ショックを受けてしまうかもしれない。実際、「もっと清楚なお嬢様だと思ってたのにがっかり」と言われたこともある。

 完璧で清廉な「お嬢様」など、どこにも存在はしないのだ。


(……うーん。そうでもない、か)

 

 講義室の最前列に座って、ぴんと背中を伸ばしている後ろ姿を見つめながら、美紅は思う。

 もしこの大学に、世間一般のイメージ通りの、完璧で清廉な「お嬢様」がいるとしたら、それは彼女――御陵雛乃ただ一人だけだろう。

 雛乃は日本でも有数の大企業である、御陵コンツェルンの一人娘である。艶やかな黒髪はハーフアップに結い上げた、はっと息を呑むような美貌の持ち主だ。佇まいや所作、言葉遣いも上品で、おまけに成績も優秀。授業が終わると、迎えに来た運転手とともに白いロールスロイスに乗って帰っていく。まさに「お嬢様」を具現化したような存在だ。

 美紅と雛乃は大学入学当初から同じクラスだったが、関わりは一切なかった。美紅に限らず、雛乃が業務連絡以外でクラスメイトと話しているところを見たことがない。自分たちとはレベルの違うお嬢様なのだ。

 そんなことをつらつらと考えていると、授業終了のチャイムが鳴った。バッグにテキストを詰め込んでいるところで、頭上から鈴を転がしたような声が聞こえてくる。


「椥辻さん」


 顔を上げて、ギョッとした。美紅に話しかけてきたのが、御陵雛乃だったからだ。


「み、御陵さん。どーしたの?」


 驚いて尋ねると、雛乃は大袈裟な仕草で深々と頭を下げる。


「突然、申し訳ありません。不躾なお願いで恐縮なのですが……」


 ずいぶんと、大仰な話し方だ。取引先じゃないんだから、と美紅は心の中でツッコミを入れる。

 顔を上げた雛乃は、まっすぐにこちらを見据えながら、淡々とした口調で言った。

 

「私、合コン、というものをしてみたいのですが」

「…………ん、んん〜?」


 美紅は思わず首を捻った。あれ、今ものすごく意外な単語が聞こえた気がするけど、空耳かな?


「……ごめん、御陵さん。もっかい言ってくれる?」

「私、合コンというものをしてみたいのです」

「ごうこん……」


 ごうこん、というのは、つまり合同コンパの略、出逢いを目的とした男女が集まって飲み会をする、アレのことだろうか。それとも美紅の知らない他のゴウコンが、この世界のどこかに存在しているのか。

 困惑した美紅が何も言えずにいると、雛乃は申し訳なさそうに眉を下げた。


「突然こんなお願いをして、申し訳ありません。先日、椥辻さんが合コンに行ったとお話されているのを偶然耳にして……」

「あ、ううん! そこは全然、気にしないで!」


 やはり、その〝合コン〟で間違いなかったらしい。しかし御陵コンツェルンのご令嬢が合コンに行きたいなんて、一体どういうことなのだろうか。


「一応、理由聞いてもい?」

「普通の大学生らしいことを、してみたくなったのです」


 雛乃は少しの躊躇いもなく、きっぱりとそう答えた。意外な返答に、美紅は驚く。


(御陵さんでも、そんなこと考えるんだ……)


 彼女はありとあらゆる意味で〝普通〟ではない――美紅もたしかに、そう思っていた。自分たちとはレベルの違う、清廉潔白なお嬢様は、合コンに行くことなどないのだろうと。

 ……それはもしかして、自分たちを「清楚なお嬢様」という型に嵌め込んでいた人間と、同じことをしていたのかもしれない。

 こちらを見据える雛乃の瞳には、揺るぎない意志の強さが見え隠れしている。なんとなく、おとなしい印象があったけれど、案外そうでもなさそうだ。


「……うん、オッケー! セッティングしてあげるよ!」


 美紅が言うと、クールな態度を崩さないまま「感謝いたします」とお辞儀をする。同級生なんだから、もう少しラフな態度をとってくれてもいいのに。


「で、いつする?」

「本日の十六時半からはいかがでしょうか」

「え、今日!? 急だね!? てか時間はや!」

「申し訳ありません、門限が十九時なもので」


 門限が十九時とは。最近は小学生でももう少し遅くまで出歩いているんじゃないかしら、と美紅は苦笑する。今日の今日で誘って、すぐに来てくれるような男の子がいるだろうか。御陵コンツェルンのお嬢様に紹介するぐらいだから、適当な男性を呼ぶわけにはいかない。

 しばらく考えて、美紅の頭に浮かんだのは一人だけだった。バイト先の先輩、ふたつ上の二十二歳、東都大学の四年生。彼女ナシ素行良し、顔だってそんなに悪くない。雛乃に引き合わせても、問題はないだろう。


「……うーん、わかった。一応アテはあるから、声かけてみるね。お店の予約は任せた!」

「承知いたしました」

「じゃあ、連絡先教えて。

「……え?」

「これからよろしくねー」


 そう言ってスマホを持ち上げてみせると、雛乃はほんの一瞬目元を緩め、嬉しそうに微笑んだ。同性でも思わず見惚れてしまうほどの、可愛らしい笑みだった。




「椥辻さん。恐れ入りますが、こちらのアプリの使い方を教えていただけますか」


 相変わらず畏まった態度の雛乃に、美紅は呆れて「やっぱりカターい」と首を竦めた。

 美紅が雛乃と初めて会話をしてから、おおよそ一ヶ月。なんと雛乃は、美紅がセッティングした合コンで知り合った男性――山科俊介と付き合っている。

 たしかに死ぬほどモテてそうなイケメンだったし、これで東大生なのは優良物件だな、と思わなくもなかったけれど。でもちょっと軽そうだったし、雛乃に引き合わせるには女慣れしすぎていたかな、と少し後悔していたのだ。まさかその後すぐ、付き合い始めるとは思わなかった。

 二人の交際は意外なほど順調らしく、週末のたびにいろいろなところにデートに行っているらしい。あれこれ突っ込んでみると、意外なほど楽しそうに話してくれる。雛乃と親しげに会話している美紅を見て、周囲の友人たちは「美紅、なんであの御陵雛乃と喋ってんの!?」と驚いていた。


(……案外、フツーの女子だけどね)


「で、なになにー? なんのアプリ?」

「こちらです」


 雛乃が差し出したスマホ画面に表示されていたのは、通話やメッセージ機能のあるSNSアプリだった。美紅を含め、いまや大抵の若者の連絡ツールとなっているが、雛乃はこれまでSNSの類をしていなかったらしい。


「あ、もしかして山科さんと連絡とるため?」

「そ、それだけでは、ありませんが。……私、恋人と通話というものをしてみたいのです」


 雛乃は頬を赤らめて言った。あまりの眩しさに目が焼かれてしまいそうなピュアさだ。好きな人と通話してドキドキ、なんて感情、とっくの昔にどこかに置き忘れてきてしまった。


「あっ、雛乃ちゃん! こーゆーのは本名登録しない方がいいよ!」

「そ、そうなのですか?」

「自撮りとか投稿するなら、アカウントも非公開にしてね。親しい相手以外には教えないよーに」

「なるほど。ネットリテラシー、というものですね」


 慣れない操作に四苦八苦する雛乃をサポートしつつ、ようやく登録が完了した。「できました!」と誇らしげな雛乃を、なんだか微笑ましいような気持ちで眺める。


「よし、じゃあわたしからフレンド申請送るから承認してねー。友達なろ!」


 美紅にしてみれば、特に深い意味もなく発した言葉だった。このSNSで相互フォローになったアカウントは、「フレンド」と表記される。日本語にすると「友達」だ。

 しかし、雛乃にとってはそうではなかったらしい。はっとしたように目を見開くと、頬を染めて、柔らかく微笑む。

 

「……大学に入ってから、友人ができたのは、初めてです」


(……どうしてそんなに、嬉しそうな顔をしてるんだろ)


 美紅はなんだか、少し悲しくなってしまった。御陵コンツェルンのお嬢様は、ただの友人を作ることさえ、普通にはできないのか。「普通の大学生らしいことをしてみたい」という雛乃の言葉が、いまさらのように美紅の胸に重くのしかかる。


「……何言ってんの! わたしたち、もうとっくに友達じゃん!」


 明るい声でそう言うと、美紅はスマホのインカメラを立ち上げた。戸惑う雛乃の方を抱き寄せ、親指と人差し指でハートマークを作る。


「はい、雛乃ちゃん。指ハートして」

「……指ハート?」

「親指と人差し指を、こうクロスして。そうそう、いい感じー」

 

 雛乃はぎこちなくポーズを取ると、澄ました顔でカメラの方を向く。シャッターボタンを押すと、なかなか可愛い2ショットが完成した。


「その写真、投稿しなよ! 山科さんにフォローしてもらうとき、何もなかったら寂しいでしょー?」

「! たしかに、そうですね……ありがとうございます、椥辻さん」

 

 雛乃はそう言って、美紅に教わりながら、なんとか初投稿を完遂した。美紅は自分のアカウントから、雛乃の投稿にいいねを送る。小さなハートマークが、真っ赤に色づいた。


「いいじゃん。これからたくさん、山科さんとのデートの写真投稿したらいいよ!」

「……そう、ですね。思い出は、たくさんあった方がいいですものね」


 そう言った雛乃の横顔に、ほんの一瞬憂いが横切る。美紅があれっとおもっているうちに、すぐにぱあっと表情を輝かせた。


「あ。俊介からメールです。週末のデートプランが届きました」


 そう言ってスマホを眺める雛乃は、本当に幸せそうだった。しばらく彼氏はいらない、と思っていたはずの美紅さえ、なんだか羨ましい気持ちになってしまう。

 

(あーあ、わたしも今からでも、こんなピュアな恋できるかなあ……)


 そのときスマホがブブッと震えて、アプリに龍樹からのメッセージが届いた。絵文字でゴテゴテにコーティングされた、やたらと長文のメッセージをざっと流し読みする。アリ寄りのナシかな、と美紅は溜息をついた。




*一二三文庫より書籍化しました。1巻は11月2日発売!

 書籍版書き下ろしとして、美紅&龍樹とのWデートが収録されています。

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