46.お嬢さんと守銭奴のハッピーエンド
これが恋愛映画ならば、身分違いの二人が手に手を取り合ってめでたしめでたし――なのだろうが。俊介と雛乃の人生は、これからもずっと続いていくのだ。
瞬く間に月日が経ち、俊介は大学を無事卒業し、社会人となった。
お互いの立場もあり、雛乃とは気軽に会える状況ではなかったが、仕事で忙しい中でも連絡は欠かさなかった。ビデオ通話で近況報告を行い、互いを励まし合った。
雛乃と松ヶ崎の婚約はいったん白紙に戻されたが、松ヶ崎が雛乃に執着しなかったこともあり、懸念していたほどは揉めなかったらしい。実際のところ御陵社長も「そろそろ同族経営から脱却すべきかもしれない」と考えていたようだ。
「御陵家の娘として無責任だ」と詰る人間も少なくはなかったようだが、大半は雛乃に好意的な反応を示してくれた。おそらく彼女の人徳の致すところだろう、と思う。
雛乃の懸命な説得の甲斐なのか、俊介の熱意に押し切られたのか。最初こそ門前払いだった雛乃の父も、次第に俊介と直接会ってくれるようになった。第一印象が最悪だったため、あとは上がるだけだ。とはいえ、「おまえのような男に娘はやらん」と説教ばかりされているのだが。
そしておおよそ半年かけて、俊介はようやく雛乃とのデートの権利を勝ち取った。ただし頻度は月に一回、時間はきっかり一時間。
――しかも運転手の見張りつき、である。
夏の足音が近づいてきた、六月。山科俊介が御陵雛乃と出逢ってから、季節がひと巡りした。
時刻は十七時三十分。既に西の空はオレンジ色に染め上げられている。ゆっくりと落ちていく太陽は、海に沈んだ瞬間にジュッと音を立てそうなほどに燃えていた。
本日のデートは、海辺の散歩である。初めてのデートでやって来たのと、同じ場所だ。
なにせ一時間しかないのだから、大抵カフェに行くか散歩をするかで終わってしまう。せめて三十分ぐらい伸ばしてもらえないかと、今度雛乃の父に直談判するつもりだ。一時間じゃ何もできませんよ、などと言ったら「一体何をするつもりなんだ」と怒鳴られるだろうか。
潮風に吹かれて、雛乃の長い髪がふわりと揺れる。俊介がプレゼントしたバレッタは、ハーフアップの髪に飾られて今日も輝いている。俊介と雛乃は手を繋いだまま、海辺の遊歩道を二人で歩いていた。
そして10メートルほど後方には、雛乃の運転手である石田がしっかりと目を光らせている。鋭い視線を背中に感じながら、俊介は雛乃に問いかけた。
「そういや雛乃さん、インターンはどうですか?」
大学三年生になった雛乃は、卒業後の就職を視野に入れ、インターンシップに参加しているらしい。俊介の問いに、雛乃はきらきらと瞳を輝かせながら答える。
「ええ、とても興味深いです! まだまだ、迷惑をかけることばかりですが……みなさん優しいですし、とても親切にしてくださいます。早く力になれるよう、もっと勉強しなくては」
「そりゃよかったです。訪問先の社員に言い寄られたりしてません? 優しいイケメンの彼氏がいるって、ちゃんと言っといてくださいね」
「問題ありません。何人かに連絡先は訊かれましたが、恋人がいるからとすべて断っています」
さらりと明かされた新事実に、俊介は慌てた。なんだそれ、聞いてないぞ。
「ちょっ、その話聞いてませんよ」
「まあ、そうだったかしら」
「きっちりホウレンソウしてください。恋人同士のすれ違いは大抵話し合いの不足から生じるって、龍樹のバアちゃんが言ってたらしいですから」
「申し訳ありません。以後気をつけますね」
雛乃は気を悪くした様子もなく、素直に詫びた。そんなにあっさり謝られると、みっともないヤキモチを妬いている自分の器の小ささを思い知らされる。
とはいえ雛乃だって、俊介が入社してすぐ「配属先に女性はいますか? くれぐれも浮気はしないでくださいね」と釘を刺してきたのだから、お互い様か。
「ところで雛乃さん、卒業したら就職するつもりなんですか。ほんとにいいんです?」
本来ならば、雛乃は卒業後すぐに結婚する予定だった。自分が企業に就職して働くことなど、考えていなかっただろうに。
しかし雛乃は、少しの迷いもなく「ええ」と頷いた。
「近年は夫婦共働きが主流ですし、ある程度の生活レベルを維持するために、私も働くべきだと思います。あなたに何かあったとき、リスク分散にもなりますし」
「頼りになる恋人を持って幸せです。俺ももっと稼げるように頑張りますね」
「ええ、期待しています」
いくら俊介が高給取りになろうが、雛乃にこれまでと同じような生活はさせてあげられないだろうが。しかし彼女はそれでも、俊介と共に生きたいと言ってくれる。その事実が、何より嬉しかった。
「しかしまずは、あなたとの結婚を認めていただかないと。お父様も俊介のことを気に入っているようだし、あと一押しだと思うのですが……」
「え、そうなんすか? 俺、いつもボロクソに言われてますけど……」
「最近はお父様も石田も、俊介の話ばかり。私よりも、あの二人の方が俊介と一緒にいる時間が長いのではないかしら。ずるいです」
雛乃はそう言って、ぷくっと頬を膨らませた。相変わらず、可愛らしいヤキモチを妬くひとだ。俊介はみっともなくデレデレと眉を下げてしまう。
そうこうしているあいだにも、時間は無情にも過ぎていってしまう。俊介はじりじりとした焦燥感を抱きながら、雛乃に尋ねた。
「雛乃さん、今何時?」
「十七時四十五分ですね」
「あー、あと十五分か……一時間って短いな……」
毎週必ず八時間一緒にいられたあの頃は幸せだったと、今になって思い知らされる。もちろん、当時は当時で別の辛さがあったのだが。
「……早く。時間なんて気にせず、一緒に居られるようになりたいすね」
「ええ。私、あなたと行きたいところがたくさんあるんです。二人でドライブをして夜景を見たり、イルミネーションも見に行きたいわ」
「俺、雛乃さんと旅行行きたいです。温泉とかいいですね」
「まあ、素敵! 一晩中あなたと一緒に居られるなんて、きっととっても楽しいですね」
危機感のない雛乃は、無邪気な笑顔で両手を合わせた。渾身のストレートをかわされたような気持ちで、俊介はやや拍子抜けする。
少し思い知らせてやろうと、俊介は華奢な肩を抱き寄せ、耳元で囁く。
「……雛乃さん。俺と一晩中一緒にいることの意味、ちゃんとわかってます?」
雛乃は数秒考える様子を見せたのち、顔がみるみるうちに真っ赤に染まった。わかりやすい反応に、俊介はほっと息を吐く。
「あ、よかった。その感じだとちゃんとわかってそうですね。この期に及んでキャベツ畑とかコウノトリとか言われたらどうしようかと」
「ば、ば、ば、馬鹿にしないでください! わ、私だって、け、経験はありませんが、そ、そういった知識は、あの」
慌てふためく雛乃がおかしくて、俊介はくっくっと笑みを零す。頭でっかちのお嬢様に無理をさせたくはないが、こっちだっていつまでも我慢してやるつもりもない。
「大丈夫。ちゃーんと実地で教えてあげますから」
「……ばか」
手を伸ばして触れた薔薇色の頬は柔らかく、驚くほど熱を持っていた。夕陽の色に染まった海は穏やかにゆらめいて、波の音が響いている。
至近距離の圧に耐えられなくなったのか、雛乃がぎゅっと固く目を閉じる。それに誘われるようにゆっくりと顔を近付けていくと、どん、と軽く胸を押された。
「ま、待ってください!」
「なんすか」
「……い、石田が……見ています……」
雛乃の言葉に、俊介はチッと舌打ちをして振り向いた。
彼女の言う通り、石田は般若のごとき形相でこちらを睨みつけていた。あと数センチ、大事なお嬢様に近づいたあかつきには、すっ飛んできて腕を捻り上げられるだろう。気を遣って、目逸らすぐらいしてくれればいいものの。
(……さて。どうしたもんかな)
ぐるりと周りを見回すと、巨大な観覧車が目に入った。ゆっくり回転する色とりどりの箱が、夕陽を浴びて海に影を落としている。
俊介は雛乃の肩を抱き寄せ、声をひそめて囁いた。
「……雛乃さん。俺が三秒数えたら、走れます?」
「え? は、はい」
「よし。3、2、1」
素早くカウントダウンをしたのち、雛乃の手を引いて思い切り走り出した。ハイヒールを履いた雛乃はやや走りづらそうにしているが、俊介の手を掴んだまましっかりとついてくる。
俊介はそのまま観覧車のチケット売り場に向かい、「大人二枚! 釣りはあとで貰います!」と叫んで、千円札を叩きつけた。呆気にとられるスタッフからチケットを奪い取り、一目散に観覧車乗り場へ向かう。
ちょうどやって来たゴンドラに二人で乗り込んだ瞬間、堪えきれずに雛乃が笑い出した。
「……ふふっ、ふふ、もう! 俊介ったら、無茶をしないでください!」
「しゃーないでしょ。石田さん、ちゃんと撒けました?」
ゴンドラはゆっくりと空に上っていく。雛乃は窓から地上を見下ろして、また「うふふ」と笑った。
「ほら見て俊介、石田がすごい剣幕でこちらを見上げていますよ」
「見れませんよ、いろんな意味で。観覧車から降りたらすぐ土下座します。怖くてしゃーないんで、手握っててください」
「まあ、仕方ありませんね」
雛乃は口ではそう言いつつも、いそいそと俊介の手を握りしめてくれる。ゴンドラは次第に頂上へと近づいていくが、不思議と恐怖は感じなかった。
これからもきっと、二人が歩む道は平坦ではないのだろう。それでもこうして彼女が手を握ってくれるのなら、なんだって乗り越えられるような気がしているのだ。
「俊介」
「はい、なんでしょう」
「……実は私。観覧車の頂上で恋人と口づけをすることに、ずっと憧れていたのです」
「それはそれは。ずいぶん可愛らしい憧れですね」
「……ねえ、俊介。あなたは私の恋人でしょう? 可愛い恋人のお願いは、絶対叶えてくれるのですよね?」
そう言って雛乃は、宝石のような瞳を輝かせて悪戯っぽく微笑む。今の俊介に、御陵雛乃に逆らうという選択肢はない。なにせ彼女は、自分の可愛い恋人なのだから。
俊介は彼女の頬に手を添えると、とびきり優しく笑って、耳元に唇を寄せて囁いた。
「承知しました、雛乃さん」
終
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