38.お嬢さんの誕生日パーティー

 雛乃との〝おうちデート〟の翌日――御陵雛乃の誕生日は、生憎の天気だった。四畳半の部屋に、強い雨がガラス窓を叩く音だけが響いている。ピカっという光のあと、遠くで雷鳴が轟いた。

 あまりの寒さに、俊介は布団の中でスマホを弄っていた。時刻は既に昼前だが、昨夜は雛乃とのデートのあとバイトに行って、朝まで働いていたのだ。もう少しダラダラしても許されるだろう。

 俊介はアプリを立ち上げ、雛乃からのメッセージを確認した。バイトが終わってすぐ送信した「誕生日おめでとうございます」には、「ありがとうございます」との返事があった。

 雛乃は誕生日当日を、どのように過ごすのだろうか。家族や婚約者と豪華なディナーでも食べるのだろうか。お金持ちの祝い方など、想像もつかない。


 二度寝しようとしたところで、インターホンが鳴った。無視しようかと悩んだが、もう一度鳴らされて、渋々起き上がる。布団の外は想像以上に冷え切っており、ぶるりと身を震わせた。


「……はーい」

「山科様。こんにちは」


 開けた扉の向こうから現れたのは、黒いスーツ姿の運転手だった。予想外の来客に、俊介は目を丸くする。


「え、石田さん……どうしたんすか? 雛乃さんも一緒?」

「いえ、今日は私一人で参りました。山科様、本日のご予定は?」

「……夜の八時からバイトですけど」

「かしこまりました。では、十九時までにはお送りします。参りましょう」

「どこに」


 一方的に話を進められて、ちっとも頭がついていなない。こちらは未だ寝巻きのスウェット姿で、寝癖だらけのボサボサ頭だというのに。

 戸惑う俊介に向かって、石田は涼しい顔でしれっと行ってのけた。

 

「雛乃様の誕生日パーティーです」

「はあ?」

「十二時からスタートいたしますので、早急に準備をお願いします」


 もっと詳細を聞きたかったが、有無を言わせぬ口調だった。俊介は「あとでちゃんと説明してくださいよ」とだけ言って、ひとまず寝癖を直すべく洗面所へと向かった。




 身支度を整え、冬物のニットにマウンテンパーカーを羽織った俊介は、促されるがままに白のロールスロイスに乗り込んだ。運転席に座った石田は、バックミラー越しに冷たい視線を向けてくる。


「山科様。まさかその格好で行くおつもりですか」

「何か問題でも?」


 さすがにカチンときた俊介は、眉根を寄せた。無理やり連れ出しておいて、あんまりな言い草だ。

 お金持ちの誕生日パーティーに出席したことなど、当然だが人生で一度もない。小学二年生の頃、クラスメイトのみやびちゃんの誕生日会に呼ばれたことはあるが、おそらくあれとは別物だろう。

 

「スーツなどはお持ちではないのですか」

「一応ありますけど、安物のリクルートスーツですよ」

「……かしこまりました。では、行き先を変えましょう」


 石田はそう言って、車を発進させた。後部座席から窓の外を眺めながら、雛乃はいつもこんな景色を見ているのだな、と感慨にも近い気持ちを覚える。白のロールスロイスでどこにでも連れて行ってもらえるお嬢様は、自分の足ではどこにも行けない。


 俊介がまず連れて来られたのは、格式高そうな紳士服の店だった。店内には、眩暈がしそうなほどにずらりとスーツが並んでいる。どれもこれも、海外の俳優が着ていそうな洒落たデザインだ。

 店の奥から出てきた店主らしき老人が、石田を見て目を丸くした。


「おや、石田さん。本日はどういった御用向きで?」

「ご無沙汰してます。突然ですが、彼にスーツを一着用意していただけませんか」


 石田の言葉に、店主は俊介の方を見る。軽く目礼をした俊介に向かって、「おや、ずいぶんと男前だ」と頬を綻ばせた。


「石田さんの親戚かい? 就職祝いか何かかな。オーダースーツがいいかね」

「いえ、今すぐ着ていきます。雛乃様の誕生日パーティーに参加しますから」

「ああ、お嬢さんの! お嬢さんもずいぶん綺麗にご成長なされたんでしょうねえ。久しぶりにお会いしたいなあ」


 どうやら店主は、雛乃のことも知っているらしい。店主はにこやかな笑みを浮かべながら、「こちらへどうぞ」と俊介をフィッティングスペースへと案内した。


「いやー、最近の若い人はスタイルが良いですなあ。腰の位置が全然違う。きっとお似合いになられますよ」


 店主はそう言って、てきぱきと俊介の身体の寸法を測り、いくつかのスーツを持ってきた。あれやこれやとデザインの説明をしてくれたが、俊介には違いがわからなかったので、ほぼされるがままだった。

 結局店主が「こちらがよろしいのではないでしょうか」と言って選んだのは、英国紳士のようなダークグレーのスーツだった。


「もともとの見た目が華やかなので、あまり華美なスーツだとやや軽薄な印象を受けてしまいますね。このぐらいシンプルなデザインがお似合いだと思います」


 店主はオブラートに包みつつ言ったが、要するに「おまえは見た目がチャラいから派手なスーツは着るな」ということだろう。石田も文句はなかったらしく、「では、そちらにします」と言った。

 石田は当たり前のように、自身のクレジットカードで支払いを済ませた。店を出たあと、俊介は恐る恐る尋ねる。


「あの、スーツ代って」

「私が持ちます。後で請求などはいたしませんので、ご安心ください」

「ならいいですけど」


 決して安くはないだろうスーツ代を、ほとんど関わりのない石田に支払ってもらうのはやや気が引けたが、勝手に連れて来られたのだから仕方ない。開き直って、ありがたくいただくことにした。


 それから俊介はヘアサロンに連れて行かれて、スタイリングまでされた。ネクタイピンや時計などの小物は、石田が貸してくれた。目の前の全身鏡に映る自分は、金持ちの令息だと言われても不思議ではない。

 娼婦が金持ちに見染められて淑女に変身する映画を思い出したが、タイトルが思い出せない。映画に詳しい雛乃に聞けば、すぐに教えてくれるのだろうが。


「到着しました。こちらです」


 石田の最終目的地は、六本木にある外資系ホテルだった。すいすいと音もなく歩いていく石田の後ろを、俊介は黙ってついていく。

 上階にある立派なパーティールームの入り口に、「御陵雛乃様 お誕生日パーティー会場」というボードが立っていた。予想以上の規模に、俊介はやや慄く。

 受付に座っていた女性は、石田に向かって「お疲れ様です」と頭を下げた。そのあと俊介にチラリと視線を向けたが、特に止められるようなことはなかった。石田の連れだと思われたのだろうか。


 パーティー会場に一歩足を踏み入れると、そこには現代日本とは思えない光景が広がっていた。

 煌びやかなスーツやドレスを着た紳士淑女が、あちこちでグラスを傾けながら会話をしている。どうやら立食形式らしく、フロアの端には豪華な食事が並んでいた。

 よくよく出席者を観察してみると、見覚えのある政治家や大手企業社長の顔がある。どう考えても、俊介が足を踏み入れるような空間ではない。

 

「石田さん。どういうつもりで俺のこと連れてきたんですか」


 声をひそめて話しかけると、石田は眉ひとつ動かさず答えた。


「雛乃様が住む世界を、あなたにも見ていただこうと思いまして」

「……雛乃さんの?」


 それ以上追求する前に、会場の照明が落ちた。スポットライトに照らされた壇上に視線をやると、まるでアナウンサーのような出立ちの女性が、なめらかに話し始める。


「本日はお忙しい中、御陵コンツェルン代表のご令嬢、御陵雛乃様のお誕生日パーティーにご列席いただき、誠にありがとうございます。それでは早速、本日の主役である雛乃様にご登場いただきます」


 壇上の袖から、品のあるパープルのドレスを着た雛乃が現れた。黒髪は見事に結い上げられ、頭には眩いティアラが輝いている。幼い頃に妹が好きだった絵本に出てきたお姫様だ、と俊介は見惚れた。

 舞台中央で足を止めた雛乃は、完璧な仕草で優雅に一礼をする。指先や目線の動きのひとつひとつまでが美しく、目が離せない。

 雛乃に続いて、威厳ある壮年の男性が出てきた。おそらく、雛乃の父だろう。司会の女性にマイクを手渡された男は、朗々としたバリトンボイスで挨拶を始める。


「このたびは、我が娘の誕生日パーティーにお集まりいただきありがとうございます。皆様のお力添えのお陰で、立派に二十歳の誕生日を迎えることができました。本日はどうぞ、ごゆっくり楽しんでいただきますよう」


 パチパチ、という拍手が会場に沸き起こる。いつのまにか傍にやってきていたスタッフにシャンパングラスを手渡される。俊介は呆然としながらも、「乾杯!」の声とともにぎこちなくそれを持ち上げた。

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